ソプラノ歌手 山田 由紀子 “歌に生き 愛に生き” 万物の命が共生・共存・共栄し調和する社会を目指して

動物福祉・環境保全・健康の為にエシカルヴィーガンライフを心掛けております。コンサートやイベント情報をご紹介しております。

Madama Butterfly

2011-09-29 | 日記

先日行われた第30回 陶朋会陶芸展でのトーク&リサイタルで素晴らしい解説付きで記事にして下さった方のブログをご紹介します。

是非、最後の方まで記事をご覧頂ければ幸いです。

http://53922401.at.webry.info/201109/article_24.html

私が解説の中でお伝えしきれなかった事も分かり易く文章にして下さっております。

この様に、皆さまの心の中に余韻を残せた事を大変嬉しく思います。

そして、私が伝えたかったもう一つのオペラプッチーニ作曲『蝶々夫人』についても少し触れさせて頂きます。

 蝶々夫人【Madama Butterfly】 

時は明治初期、武士の娘から没落し、芸者になりました。アメリカ海軍士官のピンカ―トンと恋に落ち、結婚し彼の子を産んで母になり、

ピンカートンの帰りを待ち、3年の月日が経ち・・・・、そして捨てられました。

第1幕 最後で、重なり合うソプラノとテノールの美しく甘い旋律の2重唱がもつれ合い、どこかしら閉塞感を感じます。

ピンカートンは一時の遊び(蝶々遊び)いつでも好きな時に解約できる都合の良い同棲する為の家を買い、蝶々さんはピンカートンの思いを愛だと勘違いし、勝手に結婚式までし、キリスト教に回心し、伯父のボンゾ―に勘当され・・・、蝶々さんの勘違い暴走は止まりません。

ピンカートンは一切要求していないのに蝶々さんは同棲=結婚、全てを捨て、ピンカートンに捧げてしまったのです。

そんな全く理解し合えていない2人が、港を見下ろす丘の上で高度なテクニックを要求される2重唱を、閉塞感漂う場面の中、高音C の音を響かせながら幕が下ります。ここから悲劇は始まっていたのです。

蝶々さんの悲劇とは・・・、もはや存在しない価値観の中でしか生きる事が出来なかった。

『侍かくいきるべし』という1つの価値観しか無かった時代に生まれた彼女は全く違った価値観が外から流れ込んでくる明治という時代に押し流されて行く。

明治初期、外国の文化が入り日本人は大慌て。植民地経営という支配方法で中国やアメリカという大それた国を相手に無鉄砲に挑み、初めは調子良く、『勝つ』と言う価値観に囚われた日本人はあくまでも戦争にこだわり・・・、そして敗戦すると今度は『お金』と言う価値観を信じ込みました。

必死に働き、大金持ちになり、その後の計画性も無しにやたらと色々なものを高値で買い込み、膨らみきった泡がはじけて、今度は安値で売るはめになり、結局大損して残ったのは借金の山。

ただひたすら一生懸命だったけど、何故か幸せになれない。

丘の上に立って毎日毎日アメリカの方を見つめ・・・、何か希望は見えはしないかと、日本はそんな国のように思います。

 


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