この4月23日にオープンした蕎麦屋「青木亭」、しばらく行っていませんでしたが、今日はたまたま通りかかり一杯ひっかけてきました。
酒は尾州半田の「國盛」。ちなみに、この酒蔵は酒の文化館を持っています。
酒と一緒にお通しが出てきました。小魚の甘酢合えです。かなり、いけます。これだけで2本ぐらい呑めちゃうかもね…。
肴は鴨スモーク(500円)にするか、湯葉刺し(400円)にするか、それともモツ . . . 本文を読む
横浜中華街は中華料理だけの街ではありません。和食、蕎麦、寿司、焼肉、フレンチなど、非中華料理のメニューは多種多様なのですが、今回、ブラジル料理の店が登場しました。
場所はチャイナスクエアの6階。シェラスコの店「トラヴェソ・グリル」です。大きな看板が出ているわけでもないので、あまり知られていないかもしれません。
サンバ・ミュージックの流れる広いフロアには、テーブルがズラッと並んでいます。100 . . . 本文を読む
ミリオンデリ。中華街北門近くのビル地下1階にあります。以前は「デリカート」といって、大柄なアメリカ人のおじさんが調理をするアメリカ風のレストランでした。巨大なサンドイッチや美味しい煮込み料理が印象に残っています。
店内にはニューヨークヤンキースの写真が何枚か飾ってありましたが、このおじさんも元野球選手だったといいます。
数年前、この方がリタイアし、2代目があとを継いだようでした。でも、今まで . . . 本文を読む
この店「つくば」、昼はやっていません。営業時間は夜の7時から朝4時までです。今日も仕事で遅くなり、10時頃、寄って来ました。
まずは冷奴とビールで仕事の疲れを取ります。この時間だと相変わらずお客がいません。夕刊などを読みながら、ユックリと呑んでいる間に、野菜天ぷらそばを注文。ちょうど呑み終わった頃に出てきました。
野菜は大きなナスとインゲン豆。ドンブリの表面を覆うくらい乗っています。そこに薬 . . . 本文を読む
南門通りから斜めに入る道が、新しく命名された媽祖小路。この通りからさらに小さな路地に入るところに、アヤメがあります。したがって非常に分かりにくい。2005年7月7日、七夕のオープンです。
倉庫を改造したような店舗。ジャズの流れる和風インテリアがなんとも言えぬ雰囲気を醸しています。主人が沖縄出身ということで沖縄料理も出していますが、昼の定食は和食がメインのようです。今日は野菜コロッケまたは . . . 本文を読む
「中華飯店」と一体の建物に入っています。鉄パイプが縦横に組まれているのは、外壁が歩道側に傾いているため、これ以上倒れないように補強するためのようです。聞くところによると、昭和40年代初めからの営業といいますから、かなりレトロです。
「パンアメリカン」はカウンター10人ほどの細長い店。看板にはホットドックコーナーとありますが、和洋定食を揃えています。
本日の焼き魚定食は鯖の塩焼き。玉子 . . . 本文を読む
「つくば」の営業時間は、ちょっと変っているよ。なんと夜の7時から朝5時までなのです! 中華街で働いている人向けのような存在かもしれません。
店内は左半分が細長い厨房とカウンター、右側にはテーブル。床は黒石の洗い出しで、これだけで懐かしい気分に浸らせてくれます。
店をやっているのは、老夫婦らしい二人で、おじいさんの方は頑固一徹といった雰囲気があります。こんな老人が朝の5時まで営業しているなんて . . . 本文を読む
屯と書いて「たむろ」と読みます。1997年頃はまだ寿司屋だったので、当時のランチメニューにはマグロ丼、ウナギ丼、アジ焼丼、サバ辛味漬焼丼などが600円で出ていました。これにエビの頭を使った味噌汁、漬物がついていました。
マグロ丼(上部写真)の場合、寿司めしの上に小さなマグロが7切れ。普通の食べ方では、ご飯が残ってしまい、最後は山葵とお茶で食わねばならないところが難点でした。
今は居酒 . . . 本文を読む
意外となんでもある横浜中華街。お好み焼き屋さんもあります。太平道の「いしばし」がそれです。
太平道といっても分からない人も多いと思いますが、関帝廟通りと平行する、元町側に近い道路です。ほとんど商店はありません。「いしばし」は、そんな中でお好み焼きをやっている珍しい店です。
珍しいのはお好み焼きだけではありません。店内は禁煙なのです。そして流れるBGMはジャズ! ケニー・バレルを聴きながらお好 . . . 本文を読む
中華街・香港路の一画に順海閣新館があります。
小振りな店が並ぶこの通りの中では、鉄筋コンクリート造のかなり大きな店舗です。安く食べ放題ができるということで、いつも行列ができています。甘味処「ひな」は、このビルの1階の片隅にあります。
順海閣新館がこんなに大きいのにはわけがあります。それは、以前が銭湯だったからなのです。
ですから当時はこの通りを“風呂屋通り”と呼んでいました。銭湯の名は . . . 本文を読む