港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『10月28日』

2019-10-27 21:49:18 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ミゲル・カロ Miguel Calo (1907.10.28~1972.5.24)



アルゼンチンのタンゴ・スターの育ての親といわれるバンドネオン奏者、楽団指揮者です。
ブエノスアイレスの バルバネラで生まれました。最初はヴァイオリンを学びましたがバンドネオンに持ち替えて1924年には
映画館の伴奏者としてデビューし、1926年にはオスバルド・フレセド楽団でバンドネオン奏者としての活動を始めました。
1928年には自らの楽団を結成しましたが、楽団を残してピアニストで詩人のカトゥロ・カスティージョの一行に加わって
ヨーロッパを巡業して国外の新しい音楽理論を身に付けました。
戻ってからは再び楽団を立ち上げて1934年よりオデオンと契約し、1937年にはアルヘンティーノ・ガルバンを編曲者として
迎えて新鮮な感覚のタンゴで一世を風靡しました。1940年代に入るとドミンゴ・フェデリコ、アルマンド・ポンティエル、
エンリケ・マリオ・フランチーニ、オスヴァルド・プグリエーセ、オラシオ・サルガンなどの錚々たる顔ぶれがこの楽団の
門をくぐって大きく成長したことでタンゴ・スターの育ての親といわれ、1940年代のタンゴ第二期黄金時代を築き上げた
功労者の一人となりました。
作曲としてはさほど多くはありませんが、『君なくて』(Que falta que me haces)が有名で、日本のフアンとしては藤沢嵐子
との共演なども大きな話題になりました。

↓はミゲル・カロ楽団の『君なくて』【YOUTUBEより】


↓はミゲル・カロ楽団の『インスピラシオン』【YOUTUBEより】


↓はミゲル・カロ楽団の『カミニート』【YOUTUBEより】


↓はミゲル・カロ楽団の『ママ恋人が欲しいの』(唄:藤沢嵐子)【YOUTUBEより】



☆ニーノ・カステルヌオーヴォ Nino Castelnuovo (1936.10.28~ )



『刑事』『シェルブールの雨傘』で輝いたものの後が続かず大成できなかったイタリアの俳優です。
ロンバルディア州 コモ湖畔のレッコで生まれました。幼い頃にミラノに移り、そこでペンキ職人や洋服屋などで働き始め、
ミラノのピッコロ座の付属俳優学校に入った後にジャンカルロ・コペリのパントマイム一座に加わり1957年にパントマイムで
子供向けテレビ番組に出演しました。やがて1959年にはピエトロ・ジェルミ監督の映画『刑事』で犯人役を演じて注目を集め
1963年のジャック・ドミ監督の『シェルブールの雨傘』の主役で世界にその名を知られるようになりました。
その後は作品に恵まれず1970年代にひっそりと姿を消してしまいました。

【主要出演作品】
1959年『刑事』Un maledetto imbroglio

1960年『汚れた英雄』Il gobbo
1960年『若者のすべて』Rocco e i suoi fratelli

1961年『女の部屋』La garçonnière
1963年『シェルブールの雨傘』Les Parapluies de Cherbourg

1965年『メキシコで死ね』The Reward
1965年『悲しみは星影と共に』Andremo in città
1966年『恋人たちの世界』Un monde nouveau

『10月27日』

2019-10-26 17:17:07 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アルベール・プレジャン Albert Prejean (1898.10.27~1979.11.01)



映画史上初の映画主題歌を『巴里の屋根の下』において唄ったフランスの俳優・歌手です。
パリに生まれ、ノジャン・シュル・マルネとドイツのフリブール・アン・ブリスゴーで学校教育を受けました。第一次大戦後
コンスタンのクラスで演技を学びカフェ・コンセールなどで舞台に立つようになりました。1921年頃から端役で映画にも
出演するようになり、1923年の『眠るパリ』から本格的に活動を始め、ルネ・クレール監督のトーキー第一作となった
『巴里の屋根の下』では楽譜売りに扮して耳にこびりつくように反復しながら聞かせる主題歌を唄い、唄える映画俳優として
人気を集め、その後もデュヴィヴィエ、カルネなどの名作に出演する一方で、歌手として "La Valse to Dédé de Montmartre"
(モンマルトルのデデ) などの「古き良きパリ」を味わえるシャンソンを数多く唄いました。

【主要出演作品】
1923年『眠るパリ』Paris Qui Dort

1927年『イタリア麦の帽子』Un Chapeau De Paille D'Italie
1928年『ヴェルダン/歴史の幻想』Verdun、Visions D'histoire
1930年『巴里の屋根の下』Sous Les Toits De Paris

1930年『掻っ払ひの一夜』Un Soir De Rafle
1931年『プレジャンの船唄』Le Chant Du Marin
1934年『トト』Toto
1934年『商船テナシチー』Le Paquebot ‘Tenacity’

1936年『ジェニーの家』Jenny

↓はアルベール・プレジャンの『巴里の屋根の下』


↓はアルベール・プレジャンの『モンマルトルのデデ』



☆ペペ・ハラミジョ Pepe Jaramillo (1921.10.27~2001.4.30)



軽快なピアノでお馴染みのメキシコの「ペペ・ハラミジョとラテン・アメリカン・リズム」のバンド・リーダーです。
メキシコ北部のデュランゴ洲レルドで生まれ、4歳の時に妹のピアノレッスンを聞いているうちにピアノが弾けるようになり、
メキシコ音楽院のディレクターのプライベートレッスンを受けました。 その後、ミルトンビジネスアカデミーで高等教育を
修了してチワワ州の英国の鉱山会社で数年間働き、 メキシコシティのリッツホテルのバーを訪れて余興でピアノを弾いた時に
リッツホテルのナイトクラブで演奏する仕事を提供され、プロのピアニストとしてのスタートを切りました。やがて1959年に
「ペペ・ハラミジョとラテン・アメリカン・リズム」を結成して EMIレコードと契約し、軽快なピアノタッチによるラテン
音楽の第一人者として南米はもとより世界でも活躍し続けました。

【主要演奏曲】
『グリーン・アイズ』Aquellos Ojos Verdes【YOUTUBEより】

『シボネー』Siboney 視聴
『パーフィディア』Perfidia 視聴
『ポインシアナ』Poinciana 視聴
『キャリオカ』Carioca【YOUTUBEより】

『マリア・エレーナ』María Elena 視聴
『ベサメ・ムーチョ』Besame Mucho 視聴
『ティコ・ティコ』Tico-Tico【YOUTUBEより】

『キサス・キサス』Quizás, Quizás, Quizás 視聴
『キエレメ・ムーチョ』Quiéreme Mucho 視聴
『キェン・セラ』Quien Sera 視聴
『エル・クンバンチェロ』El Cumbanchero 視聴
『そよ風と私』The Breeze and I【YOUTUBEより】

『ブラジル』Brazil 視聴
『クマーナ』Cumana 視聴
『テンプテーション』Temptation 【YOUTUBEより】

『エル・ビンボー』El Bimbo (オリーブの首飾り) 視聴


【ご命日】

★ジャック・ドミ Jacques Demy (1931.6.05~1990.10.27)



ミュージカルとファンタジーをこよなく愛するヌーヴェルヴァーグ左岸派としては異色の映画監督。
主な監督作品として『ローラ』『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』などがある。


★ウーゴ・トニャッツィ Ugo Tognazzi (1922.3.23~1990.10.27)



中年男の悲哀をコミックに演じて人気を博したイタリアの俳優。
主な出演作品として『狂ったバカンス』『女王蜂』『気ままな情事』『バーバレラ』などがある。


★ザビア・クガー Xavier Cugart (1900.1.01~1990.10.27)



『マイアミ・ビーチ・ルンバ』『マイショール』などにより【ルンバの王様】と称されたラテン・ミュージックの重鎮。
主な演奏曲として『マイアミ・ビーチ・ルンバ』『マイショール』『パーフィディア』などがある。

『10月26日』

2019-10-25 14:43:45 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マハリア・ジャクソン Mahalia Jackson (1911.10.26~1972.1.27)



アフリカ系アメリカ人の黒人女性で、20世紀を代表するゴスペル、ジャズ・シンガーです。
ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれ、黒人街で育ちました。幼少時からバプテスト教会でゴスペルを歌い始め、1927年に
シカゴに移住してプロのゴスペルグループ「ジョンソン・ゴスペル・シンガース」に参加してプロ活動を始めました。
1937年にソロとして "God's Gonna Separate The Wheat From The Tares" をリリースして注目を集め、大戦後の1946年に
アポロ・レコードと契約、翌年にリリースした "Move On Up A Little Higher" がミリオン・セラーとなりました。
その後1950年にカーネギーホール公演、さらに1952年欧州ツアーなどを成功させ世界にその名を知られるようになりました。
ただ、金銭に関してあまりにも貪欲で巨万の富を築きましたが、逆に社会の底辺黒人たちからは本来のゴスペルを失ったと
強い批判を浴び、彼女の音楽自体を否定されてファン離れが止まらなくなってしまいました。そして1971年のドイツ公演を
最後に音楽活動から引退してしまいました。歌手としては素晴らしかっただけに残念です。

↓はマハリア・ジャクソンの『サマータイム』【YOUTUBEより】


↓はマハリア・ジャクソンの『ダニー・ボーイ』【YOUTUBEより】


↓はマハリア・ジャクソンの『誰も知らない私の悩み』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ヴァレリオ・ズルリーニ Valerio Zurlini (1926.3.19~1982.10.26)



ネオ・リアリズムを継承しながらロマンチシズムを融合して新境地を切り開いたイタリアの映画監督。
主な監督作品として『激しい季節』『鞄を持った女』『家族日誌』『国境は燃えている』などがある。


★アルマ・コーガン Alma Cogan (1932.5.19~1966.10.26)



世界を股にかけて活躍し、若くしてこの世を去ったイギリスの女性ポップ・シンガー。
主な歌唱曲として『恋の汽車ポッポ』『ポケット・トランジスター』『いわなきゃだめよ』『グッドバイ・ジョー』などがある。

『10月25日』

2019-10-24 18:04:13 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アベル・ガンス Abel Gance (1889.10.25~1981.11.10)



サイレント映画史上最高傑作といわれる『鉄路の白薔薇』で野心的な表現方法を創造したフランスの映画監督です。
医師の子としてパリのモンマルトルに生まれ、シャプタル公立中学校時代は哲学書を耽読し、1908年頃から詩集や戯曲を
執筆し始めました。1909年には映画の端役や脚本などの仕事をするようになり、1911年には監督として『鉄仮面』などを
発表しました。1914年には第一次大戦が勃発し陸軍映画班に動員されましたが、復員後の1915年に前衛映画の先駆となった
短編映画『チューブ博士の狂気』において、凹レンズを利用し、デフォルメの技術を駆使した映像を創り出しましたがこれは
失敗作として辛い評価に終わっています。
続いて1919年には反戦映画『戦争と平和』を発表しました。この作品はトルストイの小説とは無関係で、ドレフュス事件の
ときのゾラの有名な言葉「余は弾劾す」が原題、壮大な感情表現で題名通り第一次大戦を弾劾し立ち並んだ戦死者の無数の
十字架から死者が戦争を呪って次々と立ち上がるというラストシーンは強烈な印象を残しました。
そして1923年にはフランスのサイレント映画史上最高傑作といわれる『鉄路の白薔薇』を監督しました。物語は二部構成と
なっていて、第一部の『黒の交響曲』は老機関手が引き取った列車事故孤児を愛するゆえにその絶望から機関車を車止めに
激突させて自ら盲目となるまでを、第二部の『白の交響曲』は盲目となってアルプスの山に引きこもった主人公のもとに
結婚に破れたその養女が戻ったが主人公は静かに息を引き取る、という老機関手の波乱の生涯を描いています。
この作品において、それまでの映画になかった映画リズムと彼の考案したフラッシュバックの表現技法が見事に開花、驀進
する列車の車輪の響きを、音なきところに音を感じさせるというダイナミックで画期的なリズム的表現を用い、機関車が
車止めに激突したときの短いショットの編集を、素早い交互カットによるリズム的表現で処理し、計算し尽くした細部画面の
モンタージュが息を詰まらせるほどの発作的な悲しみを誘発させました。特にガンスのリズムは後にいわれる映画リズム論の
実践となり、後の映画作家たちにも大いなる影響を与えるとともに、映画における白と黒のコントラストの視覚の重要性を
あらためて実感させたという点でも映画芸術の道筋を明示した傑作となりました。
さらに、映画技術の野心家でもあるガンスは、1927年に三面スクリーン (現在で言うシネラマ方式) による『ナポレオン』を
制作・監督しましたが興業的に失敗に終り、1930年トーキー時代に入ると、サイレント時代にみせた画期的な表現手法も影を
ひそめてしまい、ただの語り手になり作品も極端に少なくなってしまいました。

【主要監督作品】
1916年『チューブ博士の狂気』La folie du docteur Tube

1919年『戦争と平和』J'accuse

1923年『鉄路の白薔薇』La Roue

1927年『ナポレオン』 Napoléon 

1931年『世界の終り』 La fin du monde
1936年『楽聖ベートーベン』Un grand amour de Beethoven
1954年『バルテルミーの大虐殺』La Reine Margot
1955年『悪の塔』La Tour de Nesle


☆アニー・ジラルド Annie Girardot (1931.10.25~2011.2.28)



キャスティングしただけでその映画は成功するとまで言われたフランスの演技派女優です。
パリに生まれ、母と同じ助産婦を志していましたが、演劇に興味を持ち19歳の時にコンセルヴァトワールに入学してアンリ・
ロランについて演劇を学び卒業後の1954年にはコメディフランセーズに加わって初舞台を踏みました。
1955年にはアンドレ・ユヌベル監督の "Treizeàtable" (13のテーブル)で映画デビューを果たし、実力派監督の作品に出演、
中でも1960年のルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』で脚光を浴び、渋さの光る演技力でトップ・クラスの
女優となりました。その後は意志が強くて勤勉で自立した孤独な女性を演じることが多く、その一方でコメディ映画にも
出演するなど多彩な活躍を見せてくれました。
ただ、晩年はアルツハイマー病との闘いで苦しんだそうです。

【主要出演作品】
1957年『赤い灯をつけるな』 LE Rouge Est Mis
1958年『殺人鬼に罠をかけろ』 Maigret tend un piège 

1960年『若者のすべて』 Rocco e i suoi fratelli 

1961年『素晴らしき恋人たち』 Les Amours Celebres
1962年『悪徳の栄え』 Le Vice et la vertu 

1963年『悪悪い女』 Le Crime ne paie pas
1964年『ピストン野郎』Un Monsieur De Compagnie
1965年『明日に生きる』I Compagni
1965年『マンハッタンの哀愁』 Trois chambres à Manhattan

1966年『華やかな魔女たち』 Le Streghe
1967年『パリのめぐり逢い』 Vivre pour vivre 



☆レオ・G・キャロル Leo G. Carroll (1886.10.25~1972.10.16)



舞台出身で、ヒッチコック映画で傍役ながら重要な役どころを任されたイギリスの俳優です。
ノーサンプトンシャー州ウィードンベックに生まれ、1912年に舞台デビューし、その後格調ある傍役として数多くの無声映画に
出演、1924年にはブロードウェイの舞台にも立ちました。
1940年にイギリスからハリウッドに渡って来たヒッチコック監督の『レベッカ』に出演し、その後もヒッチコック作品の
傍役などで映画の成功に大いに寄与しました。

【主要出演作品】
1939年『嵐が丘』Wuthering Heights
1940年『レベッカ』Rebecca
1941年『断崖』Suspicion

1945年『白い恐怖』Spellbound

1947年『パラダイン夫人の恋』The Paradine Case
1947年『愛の調べ』Song of Love
1950年『花嫁の父』Father of the Bride
1951年『見知らぬ乗客』Strangers on a Train

1952年『キリマンジャロの雪』The Snows of Kilimanjaro
1955年『俺たちは天使じゃない』We're No Angels
1956年『白鳥』The Swan
1959年『北北西に進路を取れ』North by Northwest

1961年『罠にかかったパパとママ』The Parent Trap
1963年『逆転』The Prize
1965年『おかしな気持』That Funny Feeling


【ご命日】

★リチャード・ハリス Richard Harris (1930.10.01~2002.10.25)



『孤独の報酬』で怒れる若者の波に乗って注目されたイギリスの個性派俳優。
主な出演作品として『メリー・ディア号の難破』『孤独の報酬』『赤い砂漠』『天地創造』などがある。


『10月24日』

2019-10-23 18:41:28 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆ジルベール・ベコー Gilbert Bécaud (1927.10.24~2001.12.18)



水玉模様のネクタイを愛用し、精力的なパフォーマンスから「ムッシュ10万ボルト」と称されたフランスの歌手です。
ヴァール県トゥーロンで生まれ、幼い頃からピアノ演奏を学びニースの高等音楽院に通いました。戦後の1948年にパリに出て
短編映画の音楽を担当して作曲家としてデビュー、1950年頃からエディット・ピアフに楽曲を提供したことが縁となって逆に
ピアフの助言で歌手として活動を始めました。1953年には『ぼくの手』『十字架』とヒットを飛ばした後『君踊るとき』で
フランス・ディスク大賞を獲得して一躍トップ・スターとなりました。その後もヒット曲を量産する一方で、1956年には
マルセル・カルネ監督の『遥かなる国から来た男』に主演するなどで銀幕に爽やかな魅力を振りまきました。
以降、オランピア劇場で33回の公演を記録するなどフランスの国民的歌手として人気を博しました。

【主要映画出演作品】
1956年『遥かなる国から来た男』Le Pays D'où Je Viens

1957年『カジノ・ド・パリ』 Casino de Paris

1962年『ヒッチ・ガール』Les Petits matins

1963年『世界の歌物語』Canzoni nel mondo

【主要歌唱曲】
1953年『ぼくの手』Mes Mains
1953年『十字架』Les Croix
1953年『君踊る時』Quand tu danses
1953年『メケ・メケ』Méquéméqué【YOUTUBEより】

1957年『雨の降る日』Le jour où la pluie viendra
1961年『そして今は』Et maintenant【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ジョルジュ・ジューバン Georges Jouvin (1923.6.19~2016.10.24)



「金色のトランペットを持つ男」と称されたフランスにおけるトランペッターの第一人者。
主な演奏曲として『夜は恋人』『夕焼けのトランペット』『オー・マイ・パパ』『雪が降る』などがある。


★モーリン・オハラ Maureen O'Hara (1920.8.17~2015.10.24)



「テクニカラーの女王」と呼ばれフォード一家の一員として活躍したイギリス・アメリカの女優。
主な出演作品として『わが谷は緑なりき』『三十四丁目の奇蹟』『静かなる男』『リスボン』などがある。