港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『3月28日』

2019-03-27 15:31:39 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲス Gerardo Hernán Matos Rodriguez (1897.3.28~1948.4.25)



不朽の名曲『ラ・クンパルシータ』の作曲でタンゴ界の旋風児となったウルグァイの作曲家です。
彼はアルゼンチンの対岸の隣国、ウルグァイの首都モンテビデオの人気キャバレーであるムーランルージュのオーナーの
息子としてモンテビデオで生まれました。
工科系の学生であった時に何げなく作曲したのが『ラ・クンパルシータ』でした。当初はカーニバルの行進曲で、本人も
この曲が後に世界的な名曲になるとは思ってもいなかったので二束三文でこの曲の著作権を売り渡してしまったそうです。
その後、新聞社に入り記者として三年間パリ在住、この頃に『ラ・クンパルシータ』が世界的な名曲となったことを知り
モンテビデオに戻ってヴィクトルの専属作曲家として迎えられました。作曲家としては他に数曲を残していますが、
1930年に作った『アディオス・アルヘンティーナ』がよく知られています。また『ラ・クンパルシータ』の著作権に関して
病魔と闘いながらの長期裁判もあり、結審を待たずにこの世を去っています。(ラ・クンパルシータに関する記事は下段)
ちなみにですが、この曲のレコードの最初の吹き込みは、ロベルト・フィルポ楽団、アロンソ=ミノット楽団、ファン・
マグリオ・パチョ楽団が最古であるといわれています。

↓はアロンソ=ミノット楽団の『ラ・クンパルシータ』【YOUTUBEより】


↓はファン・ダリエンソ楽団の『ラ・クンパルシータ』【YOUTUBEより】


↓はフランシスコ・カナロ楽団の『アディオス・アルヘンティーナ』【YOUTUBEより】



『ラ・クンパルシータ』余談
マトス・ロドリゲスが『ラ・クンパルシータ』を作曲した時はまだ17歳でした。当然のことながら音楽的にも未成熟であり、
最初の2パートしか作っていませんでした。この曲が後に世界的な名曲になるとは思ってもいなかった彼は二束三文で
この曲の著作権を売り渡してしまいました。
しかし、タンゴ界の大御所ロベルト・フィルポがこの曲に興味を示し、これに第三パートを加えさらには第一パートの
裏旋律を加えることによって見違えるような曲に生まれ変わりました。さらに1924年に『キャバレーのとあるプログラム』
という音楽劇のためにパスカル・コントゥルシとエンリケ・マローニが「シ・スピエラス…」という歌詞をつけ、後に
ガルデルがこれをレコーディングしたことにより、タンゴの代名詞的な楽曲として広められ、「ラ・クンパルシータ』は
二十四時間三百六十五日、途切れることなく全世界のどこかで演奏され続ける名曲となるに至りました。
その頃、新聞記者としてパリに在住していてマトス・ロドリゲスは「ラ・クンパルシータ』が全世界で大ヒットしている
ことを知り、さらに自分の知らないうちに歌詞までつけられていることに激怒、著作権の取戻し裁判で勝訴するとともに
マトス・ロドリゲス自らが「ラ・クンパルサ…」と作詞して対抗した上で、「シ・スピエラス…」という歌詞をつけた
コントゥルシとマローニに対して無断で作詞されたことに関する裁判を起こしました。裁判は長期におよび、その間に
病魔に倒れたロドリゲスは死去し、フランシスコ・カナロの仲介調停の結果、1948年に双方の権利を認める形で結審した
といわれています。
また、マトス・ロドリゲスが新しく付けた歌詞は既に定着していた歌詞には及ばす、現在でも「ラ・クンパルシータ』の
歌詞は「シ・スピエラス…」で定着してしまっています。

↓はカルロス・ガルデルの『ラ・クンパルシータ』【YOUTUBEより】 (シ・スピエラス…)


↓はオスヴァルド・プグリエーセ楽団の『ラ・クンパルシータ』【YOUTUBEより】 (ラ・クンパルサ…)

(最後のシ・スピエラス…はよぶんですね)


☆ダーク・ボガード Dirk Bogarde (1921.3.28~1999.5.08)



1960年代にイギリスをはじめ欧州で活躍したロンドン生まれの映画俳優です。
父親の仕事の関係でロンドンやパリの中学校を出たのち王立美術学校で商業美術と舞台美術を学んでいた時に、舞台裏に
出入りして大道具係や呼び出し薬などのアシスタントになり、病欠の代役として初舞台を踏みました。
第二次大戦後の1947年にはニュー・リンゼイ劇場の舞台で英国の映画王アーサー・ランクに認められて長期契約を結び、
いらい1960年代に入ってからは『召使』『できごと』『フィクサー』などに出演してイギリスで不動の地位を固めました。

【主要出演作品】
1957年『二都物語』A Tale of Two Cities 
1960年『わが恋は終りぬ』 Song Without End
1963年『召使』 The Servant

1965年『ダーリング』Darling 
1966年『唇からナイフ』Modesty Blaise
1967年『できごと』Accident 
1968年『フィクサー』The Fixer 

1969年『地獄に堕ちた勇者ども』Götterdämmerung

1971年『ベニスに死す』 Death in Venic


【ご命日】

★クリスティーネ・カウフマン Christine Kaufmann (1945.1.11~2017.3.28)



ミュンヘン生まれで7歳で舞台に出演、その後子役として映画デビューを果たした国際的清純派女優。
主な映画出演作品に『制服の処女』『非情の町』『勝負をつけろ』『地獄道28』などがある。


★フランソワズ・ロゼー Françoise Rosay (1891.4.19~1974.3.28)



戦前のフランス映画黄金期に風格ある女優として活躍したジャック・フェデー監督夫人。
主な映画出演作品に『外人部隊』『ミモザ館』『女だけの都』『旅する人々』『宝石館』などがある。


★モーリス・ジャール Maurice Jarre (1924.9.13~2009.3.28)



リヨン生まれでコンセルヴァトワール出、大作映画のスコアを得意とするフランスの映画音楽家。
主な映画音楽作品に『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『パリは燃えているか 』などがある。


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