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『奇跡の丘』 旅の友・シネマ編 (26) 

2018-10-28 21:42:27 | 旅の友・シネマ編



『奇跡の丘』 Il Vangelo Seconde Matteo (伊)
1964年制作、1966年公開 配給:東和 モノクロ
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影 トニーノ・デリ・コリ
音楽 ルイス・エンリケス・バカロフ
主演 キリスト … エンリケ・イラソキ
    マリア … マルゲリータ・カルーソ
    マリア(老後) … スザンナ・パゾリーニ
    ヨセフ … マルチェロ・モランテ
    洗礼者ヨハネ … マリオ・ソクラテ
    ペトロ … セティミオ・デ・ポルト
    フィリポ … ジョルジョ・アガンベン
    マタイ … フェルッチョ・ヌッツォ
    ユダ(イスカリオテ) … オテロ・セスティリ
    ポンテオ・ピラト … アレッサンドロ・クレリチ
    サロメ … パオラ・テデスコ



べツレヘムの大工ヨゼフの婚約者マリアは聖霊によって懐妊し、主の使いのお告げにより、生まれた子はイエスと名づけた。
時の大王ヘロデはべツレヘムに住む二歳以下の男児を全員抹殺するように部下に命じたため、それを逃れるためにヨゼフと
マリアはイエスを連れてエジプトに逃れた。時が流れてヘロデが死にイエスはイスラエルに戻る。ガラリアで成人したイエスが
洗礼者ヨハネの洗礼を受けたとき、天からの声でイエスが神の子であることを告げられる。やがてイエスは荒野で四十日間の
断食を行ない悪魔と対決して退ける。そんな修行を終えたイエスは神の教えを説くようになり、12人の使徒とともにガラリアを
巡り歩きそして数々の奇跡を行なった。しかし、長老や司祭、法律学者らはイエスを快く思わず、エルサレムについたイエスは
最後の審判の日の近いことを使途たちに伝えた。過ぎ越し祭の日、イエスは十二人の弟子とともに晩さんの席につき、そこで
「この中の一人が私を裏切るであろう」と言い、さらに使徒ペテロには「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と
予言する。イエスの言葉通りユダは銀貨30枚でイエスを売り、イエスはピラト総督に引き渡された。「おまえもキリストの弟子
だろう」と詰め寄られて三度知らないと言ってしまったペテロは直後の鶏の鳴き声にその場で号泣し、ユダは犯した罪の深さに
首をつって自殺した。ピラト総督に引き渡されたイエスはゴルゴタの丘で処刑され、そして、イエスは三日後に復活する。



日本初登場のピエル・パオロ・パゾリーニが脚色・監督したマタイの福音書によるキリストの生涯です。
パゾリーニはマタイ伝にある言葉だけを忠実に採用して聖書にかなり忠実に映画化していますが、これまでのキリストを扱った
映画がキリストを完全に神格化して作られているのに比し、キリストを神ではなく生身の人間の人生として描いています。
観る者に人類の末世の姿を提示し、救いを求める人々とキリスト自身が荒野をさまよう運命が現世を感じさせることにより
結果的に優れた象徴詩を読むような深い感銘を与えることができました。



この作品において、パゾリーニは「視線」を重要視していて、一例をあげると、冒頭のヨセフとマリアのシーンにおいても視線の
多様さに目を見張る演出効果が生まれています。主体の移動を追う視線によってパゾリーニ独特のいわゆる自由間接主観
ショットが生まれたことによってこの映画は他に類を見ない新鮮な映像詩に仕上げることができたと言えるでしょう。
直近のカメラからロングショットへの切り替えによるこの手法は前述のシーンの他にも随所で見ることができます。
 これまでのイタリアにおけるロッセリーニやデ・シーカによる現実を直視するイタリアン・リアリズムは、その後フェリーニや
アントニオーニたちによってネオ・ロマンティシズム、知的リアリズムへと継承されていきましたが、パゾリーニは表現形式を
重視視しながら形象化を図り、光の質感によるアルカイックな映像美の世界をイタリアの映画界に築き上げました。



日本では『奇跡の丘』が初お目見えであったため、公開当時においてパゾリーニの素性は明らかではありませんでした。
パゾリーニは詩人で作家、元共産党員の無神論者としてイタリアでは名が知れわたっており、そのパゾリーニがマタイ伝を
映画化するということできっと冒涜的なものを作るに違いないと危惧されていたようです。
現に、1963年製作のイタリア・フランス合作のオムニバスコメディ映画『ロゴパグ』(Ro.Go.Pa.G)においてパゾリーニが第三話の
『意志薄弱な男』を監督したのですがその内容は、キリスト磔刑の撮影時にキリスト役の男が空腹のため食べ過ぎて撮影中に
磔のまま死んでしまう、というキリストを愚弄するような内容だったため、イタリア当局により「国家宗教に対する侮辱」だとして
上映禁止、さらには執行猶予つき禁固4箇月の有罪判決を受けています。
無神論者パゾリーニにとってキリストを神格化せずに一人の人間として描くことがささやかな抵抗だったのかもしれません。





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