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港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『12月11日』その1

2019-12-10 21:36:42 | 明日は誰の日


『12月11日』はアルゼンチン・タンゴの発展に偉大な功績を残したカルロス・ガルデルとフリオ・デ・カロの
誕生日であることからアルゼンチンではこの日を国民的記念日である “​タンゴの日​” とされています。


【誕生日】

☆カルロス・ガルデル Carlos Gardel (1890.12.11~1935.6.24)



今なおアルゼンチンの国民的英雄「タンゴの神様」としてあがめられている伝説のタンゴ歌手です。
未婚の母の子としてフランスのトゥールーズに生まれ、当時は道徳的に許されなかったこともあり、一年後に社会的不名誉から
逃れるためにアルゼンチンに移ったといわれています(諸説あり)。少年時代はブエノスアイレスの下町で育ち、貧しい家計を
支えるために靴みがきなどをしながら歌を学び、1907年頃から吟遊詩人として唄いはじめました。1911年にホセ・ラサーノと
デュオを組んで成功を収め、1917年に『わが悲しみの夜』をエスメラルダ劇場で初演してタンゴ歌曲の始まりをもたらしました。
ガルデルの出現はタンゴ・カンシオンの大革命となり、作詞家や作曲家もすぐれた楽曲を競いあい、エポカ・デ・オロ=黄金時代の
到来となりました。
以後はオデオン・レコードのドル箱歌手として2000曲を超える録音を残し、秀でた美声でタンゴの地位を飛躍的に高め、欧米は
もとより世界にタンゴを広めました。しかし、映画や歌に絶頂期だった1935年、公演先のコロンビア・ボゴタ市のメデリン空港で
飛行機事故に遭遇し不帰の人となってしまいました。

【主要歌唱曲】
『アディオス・ムチャーチョス』Adios Muchachos【YOUTUBEより】

『ジーラ・ジーラ』Yira, Yira 視聴
『今宵われ酔いしれて』Esta Noche Me Emborracho Letra 視聴
『カミニート』Caminito 視聴
『ア・メディア・ルス』A media luz 視聴
『マドレセルヴァ』Madreselva 視聴
『ソーロ・グリス』Zorro gris 視聴
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita【YOUTUBEより】

『交わす盃』Tomo y obligo 視聴
『わが悲しみの夜』Mi noche triste 視聴
『タコネアンド』Taconeando 視聴
『マノ・ア・マノ』Mano a Mano【YOUTUBEより】



☆フリオ・デ・カロ Julio De Caro (1899.12.11~1980.3.11)



枯れた演奏スタイルで、アルゼンチン・タンゴの草創期に編曲という概念を定着させたタンゴ界の功労者です。
音楽教師の父親という音楽一家にブエノスアイレスで生まれました。最初はピアノを習っていましたがヴァィオリンに転向し、
1916年にエドアルド・アローラスのオルケスタやオスワルド・フレセドなどの楽団を経てファン・カルロス・コビアンの楽団に
入り、後にコビアンの楽団を引き継ぐ形で1922年にフリオ・デ・カロ六重奏団を立ち上げました。この楽団にはデ・カロ三兄弟の
他ペドロ・マフィア、ペドロ・ラウレンス、シリアコ・オルティスなど屈指のテクニシャンが在籍し、既存曲に大胆なアレンジを
加えることによって一世を風靡しタンゴの世界に編曲という概念を定着させました。これにより場末のダンス音楽であったタンゴに
それぞれの楽団が個性的なアレンジを施す演奏スタイルが樹立され、一つの楽譜をコピー演奏するのではなく、それをいかなる
素材でいかなる味付けで提供するかがマエストロの腕の見せどころ、そして聞かせどころになりました。そういった意味でタンゴ
音楽の特性を確立させた功労者であるといわれています。また、当時の録音技術ではヴァイオリンの音色は拡散されてまともに
捕捉できなかったアコースティック録音の時代にシュトロー・ヴァイオリン(コルネット・ヴァイオリン)で録音したことでも彼の
功績は高く評価されました。
また、リズムを抑えて高度な演奏技術でアレンジを展開するスタイルは門下生であったペドロ・マフィア、ペドロ・ラウレンス
などがそのスタイルを受け継いだことで「デカリシモ(デ・カロ風な演奏)」と呼ばれ、さらにアニバル・トロイロやオスヴァルド・
プグリエーセの枯れた演奏へとつながりを見せてその精神がタンゴ表現の原点として脈々と次世代に展開されていきました。

【主要演奏曲】
『バンドネオンの嘆き』Quejas de Bandoneón【YOUTUBEより】

『チケ』Chiqué 視聴
『マーラ・フンタ』Mala Junta 視聴
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita 視聴
『デレーチョ・ヴィエフォ』Derecho Viejo【YOUTUBEより】

『マイポ』Maipo 視聴
『ノスタルヒアス』Nostalgias 視聴
『機関車』El Espiante 視聴
『エル・アランケ』El Arranque 視聴
『ジーラ・ジーラ』Yira Yira 視聴
『木曜日』Jueves【YOUTUBEより】


 *****

ちなみに、カルロス・ガルデル主演でわが国に唯一輸入された映画『ベノスアイレスの灯』Las Luces de Buenos Aires
では、映画の音楽担当に同じ誕生日のフリオ・デ・カロが起用されています。これも何かの縁なのかもしれませんね。
↓映画音楽史(319) 『ベノスアイレスの灯』
https://blog.goo.ne.jp/chochi4510/e/b7a8dac264eba35e659990dc25e7ae1b


『12月11日』その2

2019-12-10 14:16:16 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジャン・マレー Jean Marais (1913.12.11~1998.11.08)



医師の息子として港町シェルブールに生まれました。中等教育を終えた後パリのリセ・コンドルセで学び、シャルル・デュランの
指導を受けましたがコンセルヴァトワールの受験に失敗し舞台の端役に甘んじていました。1933年頃からは数本の映画の端役で
出演していましたが、1937年にジャン・コクトーとの出会いを機にコクトーの舞台劇で『エディプス王』、『円卓の騎士』さらに
『恐るべき親達』などで主役を演じ不動の人気を得てそれ以降はコクトーの演出するすべての舞台や映画に出るようになりました。
映画としては1945年の『美女と野獣』 がヒット作となり、彫りの深い二枚目新人俳優として一躍脚光を浴び、俳優としての地位を
固め第二次大戦後の1940年代のフランスを代表する人気男優となりました。
バイセクシュアルであったジャン・コクトーの長年の愛人ともいわれ、1942年にミラ・パレリと結婚したものの1944年には離婚し
その後は生涯独身を通しました。

【主要出演作品】
1943年『悲恋』 L'Éternel Retour 

1945年『美女と野獣』 La Belle et la Bête【YOUTUBEより】

1947年『双頭の鷲』 L'Aigle à deux têtes 

1948年『ルイ・ブラス』  Ruy Blas
1948年『想い出の瞳』 Aux yeux du souvenir 
1948年『恐るべき親達』 Les Parents terribles

1950年『オルフェ』 Orphée【YOUTUBEより】

1950年『ガラスの城』 Le Château de verre

1950年『奇蹟は一度しか起こらない』 Les Miracles n'ont lieu qu'une fois 

1953年『真夜中の愛情』 Les Amants de minuit 
1956年『恋多き女』 Elena et les hommes

1957年『忘れえぬ慕情』 Typhon sur Nagasaki

1957年『白夜』 Le Notti bianche

1959年『オルフェの遺言』 Le testament d'Orphée

1961年『サビーヌの掠奪』IL Ratto delle Sabine
1964年『ファントマ/危機脱出』 Fantômas

1965年『ファントマ/電光石火』 Fantômas se déchaîne
1967年『ファントマ/ミサイル作戦』 Fantômas contre Scotland Yard


☆ジャン・・ルイ・トランティニアン Jean-Louis Trintignant (1930.12.11~ )



温厚でなおかつ知性と繊細さによって人々から尊敬されたフランスの演技派俳優です。
南仏・ヴォクリューズ県ブロランリに生まれ、パリで中等教育を終えてからシャルル・デュランについて演技を学び、1951年に
『真夏の夜の夢』で舞台デビューを果たしました。その後、シェイクスピアや新作劇など20本以上の舞台出演で有望な新人として
注目を集めました。その芸域の広さと際立った演技力が認められて1955年にクリスチャン・ジャック監督の『空と海の間に』で
映画にも進出し、1959年にヴァレリオ・ズルリーニ監督のイタリア映画『激しい季節』で堂々の主役を演じました。1966年には
クロード・ルルーシュ監督の『男と女』が当たり役となり、その後も幅広いジャンルで俳優活動を続けました。

【主要出演作品】
1955年『空と海の間に』Si tous les gars du monde

1956年『素直な悪女』Et Dieu... créa la femme

1956年『乙女の館』Club de femmes
1959年『危険な関係』Les Liaisons dangereuses
1959年『激しい季節』Estate violenta【YOUTUBEより】

1962年『新七つの大罪』Les Sept péchés capitaux
1962年『追い越し野郎』Il sorpasso

1962年『スエーデンの城』Château en Suède

1964年『マタ・ハリ』Mata Hari, agent H21
1966年『男と女』Un homme et une femme【YOUTUBEより】

1968年『女鹿』Les Biches

1969年『Z』Z
1970年『暗殺の森』Il Conformista


☆リタ・モレノ Rita Moreno (1931.12.11~ )



『ウエスト・サイド物語』のアニタ役で圧倒的な迫力によって絶賛されたプエルトリコ出身のダンサー、女優です。
プエルト・リコのウマカオに生まれ、生後間もなく一家でニューヨークに移住しました。4歳の時から子役のダンサーとして名を
知られるようになり、少女期にはナイトクラブでダンサーとして活動し、また、アメリカ映画のスペイン語吹替えなどもつとめ
ました。1949年頃から映画の傍役などに出演していましたが、1961年の『ウエスト・サイド物語』において挿入歌の『アメリカ』
を圧倒的な迫力で唄って踊り、ヒスパニック系のトップスターとなりました。
70年代以降はTV出演が中心となりましたが今なお現役として活動を続けているようです。

【主要出演作品】
1952年『雨に唄えば』Singin' in the Rain

1953年『北西騎兵連隊』Fort Vengeance

1954年『悪の花園』Garden of Evil

1955年『野性の女』Untamed
1961年『ウエスト・サイド物語』West Side Story【YOUTUBEより】

1961年『肉体のすきま風』Summer and Smoke


『12月11日』その3

2019-12-10 13:50:25 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆エンリコ・マシアス Enrico Macias (1938.12.11~ )




アルジェリア出身のギタリストで、日本でもフレンチ・ポップス・ブームで人気を博したポップシンガーです。
当時フランス領アルジェリアのコンスタンティーヌでユダヤ系アラブ人の子息として生まれました。父親がミュージシャンであった
ことから、15歳の頃に父親の参加していたバンドにギタリストとして参加するようになりました。しかし、1961年にアルジェリアの
独立運動が過激化したため一家でフランスに亡命しパリに移りました。1962年に初のシングル『さらばふるさと』をリリースし、
1964年にはアルジェリアから引き揚げたパスカル・ルネ・ブランが作詞した『恋心』で本格デビューを果たしました。
その後もフランスのチャート1位となる『いつも心に』『ふるさとの娘たち』などのヒットを飛ばしてフレンチ・ポップス界を
けん引しました。日本でも『恋心』を大ヒットさせた後も『想い出のソレンツァラ』『わかっているよ』などで人気を集めて
来日時には日本のファンのために『東京モナムール』を唄っています。

【主要歌唱曲】
1962年『さらばふるさと』Adieu Mon Pays 視聴
1962年『初めてのくちづけ』Par Ton Premier Baiser 視聴
1963年『世界の子供たち』Enfants De Tous Pays 視聴
1964年『恋心』L'amour, C'est Pour Rien【YOUTUBEより】

1966年『いつも心に』Mon Coeur D'attache 視聴
1966年『愛は二人のために』Je T'Aimerai Pour Deux 視聴
1966年『君待つ浜辺』Pour Un Voilier 視聴
1967年『想い出のソレンツァラ』Solenzara【YOUTUBEより】

1967年『わかっているよ』Je Le Vois Sur Ton Visage【YOUTUBEより】

1967年『愛の幸せ』Le Plus Grand Bonheur Du Monde 視聴
1967年『愛のおそれ』J'ai Peur 視聴
1967年『ふるさとの娘たち』Les Filles De Mon Pays 視聴
1969年『恋してるとき』Quand On Est Amoureux 視聴
1969年『恋のまよい』Reste-Moi Fidèle 視聴
1971年『愛の抒情詩』Un Grand Amour 視聴
1971年『東京モナムール』Tokyo Mon Amour


☆ジャンニ・モランディ Gianni Morandi (1944.12.11~ )



『サンライト・ツイスト』などのヒットで一躍人気アイドルとなったイタリアのポップシンガーです。
ボローニャ近郊の小さな町モンギドーロに生まれ、商業学校に通いながら映画館で売り子として働き、仲間たちとバンドを組んで
複数の国内コンテストで上位入賞するなどで注目され、1962年にRCAイタリアーナと契約を交わしました。
1963年にはデビュー曲となる『サンライト・ツイスト』をリリース、これが映画『太陽の下の18歳』の挿入歌として使われて
世界的なヒットとなり、翌年の『太陽のバカンス』でも主題歌を提供するなどで、当時流行した「太陽族」を象徴するアイドル
歌手となりました。また当時のイタリアではヒット曲が出るとすぐに歌謡映画が作られる時代で、『貴方にひざまずいて』の
ヒットによって1965年にはジャンニ・モランディを主役とした映画も制作されてそれなりのヒットとなりました。
その後の1970年にはイタリア代表としてユーロビジョン・ソングコンテストに出場『少女の瞳』を歌唱して8位入賞となりましたが、
この曲は1973年11月にアメリカのビルボードで全米No.1に輝いています。
その後はイタリアの国民的なエンターテイナーとして映画やTVで息の長い活動を続けています。

【主要歌唱曲】
1963年『サンライト・ツイスト』Go‐Kart Twist【YOUTUBEより】

1963年『太陽のバカンス』Corri, Corri 視聴
1964年『愛をあなたに』Non Son Degno Di Te 視聴
1965年『貴方にひざまずいて』In Ginocchio Da Te【YOUTUBEより】

1970年『少女の瞳』Occhi Di Ragazza 視聴

『12月11日』その4

2019-12-10 12:50:35 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ブレンダ・リー Brenda Lee (1944.12.11~ )



「リトル・ミス・ダイナマイト」の異名でアメリカン・ポップスの歴史に燦然と名を残す女性ポップシンガーです。
ジョージア州アトランタに貧しい農家の娘として生まれました。5歳の頃からタレント・コンテスト等に出て数々のコンテストに
優勝するなど地元では有名な存在で、10歳の時に父親が亡くなると地元ラジオ、テレビに出演して一家の生計を支えました。
11歳の時、ABCテレビ『オザーク・ジュビリー』で『ジャンバラヤ』を唄って一躍人気者となりデッカ・レコードと契約を交わし、
シングル・レコード『ジャンバラヤ』でレコード歌手としてデビュー、翌年の『ダイナマイト』のヒットにより若干12歳で人気歌手の
仲間入りを果たしました。1960年に入ると全米チャートの常連となり、ロックンロールやカントリー調などのジャンルを広く唄い、
1970年以降はカントリー・シンガーとして現役でパフォーマンスを続けました。2009年のグラミー賞において生涯功労賞を
授けられています。

【主要歌唱曲】

1956年『ジャンバラヤ』 Jambalaya 視聴
1957年『ダイナマイト』 Dynamite  視聴
1958年『ロッキン・アラウンド・ザ・クリスマス・ツリー』 Rockin' Around the Christmas Tree 視聴
1959年『恋人よ我に帰れ』 Lover Come Back to Me 視聴
1959年『スイート・ナッシング』 Sweet Nothin's 全米4位 視聴
1960年『乙女の青春』 I Want to Be Wanted 全米1位 視聴
1960年『プリテンド』 Pretend 視聴
1961年『アイム・ソーリー』 I'm Sorry 全米1位 視聴
1961年『しびれちゃうの』 Emotions 全米7位 視聴
1961年『ダム・ダム』 Dum Dum 全米4位 視聴
1962年『オンリー・ユー』 Only You 視聴
1962年『白い夜霧のブルース』 It's A Lonesome Old Town 視聴
1962年『淋しくって』 All Alone Am I 全米3位

1963年『愛の讃歌』 If You Love Me 視聴
1963年『この世は果てても』 The end of the world

1963年『サンフランシスコの思い出』 I Left My Heart in San Francisco

1964年『想い出のタンゴ』 He's Sure To Remember Me 視聴
1964年『月へ飛ぶ思い』 Fly Me To The Moon

1964年『モア』 More 視聴
1964年『ダンケシェーン』 Danke Schoen 視聴
1964年『恋のショック』 My whole world is falling down 視聴
1965年『いそしぎ』 Shadow of Your Smile 視聴
1965年『ワン・レニー・ナイト・イン・トーキョー』 One Rainy Night in Tokyo
1966年『この胸のときめきを』 You Don't Have To Say You Love Me 視聴
1967年『好きにならずにいられない』 Can't Help Falling In Love 視聴
1969年『行かないで』 If You Go Away 視聴

録音の年月は不明ですが、次のようなレコードもリリースしています。
『バラ色の人生』 La Vie En Rose 視聴
『サニー・サイド』 On the Sunny Side of the Street 視聴
『シェルブールの雨傘』 I Will Wait For You 視聴


 *追記*

1950年後半から1960年代初期のロックンロール全盛期において、アメリカではコニー・フランシスと双璧の歌姫でしたが、
『ダイナマイト』『ダム・ダム』『淋しくって』などもマイナー・ヒットに終わり、当時の日本ではさほど注目されてはいませんでした。
専属が日本では洋楽販売に熱が入っていないデッカ社だったので、米国では大人気のブレンダで稼ごうという意欲もなかったようです。
当時は【一姫四天王】の全盛期だったので太刀打ちできないと思っていたのでしょうか。わたし個人としては当時からコニー・
フランシスよりも断然ブレンダー・リー推しでしたのでとても歯がゆい思いをしたものでした。
やがて能天気なロックンロール時代が衰退しはじめると逆に日本では低迷していたブレンダ・リーが脚光を浴びるようになり、
1963年の『愛の讃歌』『サンフランシスコの思い出』『世界の果てに』の三部作で大きく開花、1965年には来日を果たし、
『ワン・レニー・ナイト・イン・トーキョー』のレコーディングでようやく日本での人気を不動のものにしました。