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『2月11日』

2019-02-10 13:45:31 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジュゼッペ・デ・サンティス Giuseppe De Santis (1917.2.11~1997.5.16)



第二次大戦後のイタリアに起こったネオ・リアリズムの一翼を担った映画監督です。
戦前はローマ映画実験センターで演出を学びながら映画評論誌「チネマ」の執筆などで活躍していました。その後ロセリーニ
やヴィスコンティなどの脚本を書きながらネオ・リアリズモに強い影響を受け、1948年に処女作『荒野の抱擁』で監督として
一本立ち、復員兵士の実験農場とマフィアによる悪質な干渉を描き政治的・社会的な現実を鋭く告発しました。1948年には
第二作となる『にがい米』で水田地帯の季節労働者の悲哀を描いておりますが、イタリアのグラマー女優第一号といわれる
シルヴァーナ・マンガーノを主役に起用して、どちらかといえば通俗的で一般受けしやすい作品となりました。一見して
大衆娯楽映画的ではあるものの、彼の真意としては社会現実告発を敢えて分かりやすく見せたようにも思われました。続いて
1950年の『オリーヴの下に平和はない』でも田舎のボスと復員兵士との争いを描き、ネオ・リアニズモの地方主義的傾向を
さらに進化させて民衆生活の現状に密着しました。
しかし、1954年の『恋愛時代』が通俗的過ぎたとして苦評を受けて失速してしまい、また1964年にソ連との合作映画が失敗に
終わったのを機に映画界から姿を消してしまいました。

【主要監督作品】
1947年『荒野の抱擁』 Caccia Tragica

1949年『にがい米』 Riso Amaro



1950年『オリーヴの下に平和はない』Non C'è Pace Tra Gli Ulivi

1954年『恋愛時代』Giorni D'amore
1956年『人間と狼』Uomini E Lupi
1960年『女の部屋』La Garçonnière


☆ジョセフ・L・マンキーウィッツ Joseph Leo Mankiewicz (1909.2.11~1993.2.05)



映画の字幕担当から一本立ち、皮肉を込めた知的なユーモアの持ち主でもあるアメリカの映画監督。
1928年にシカゴの新聞社特派員としてベルリンに渡り、ウーファー映画の字幕翻訳などを担当、翌年に帰国し兄の紹介で
パラマウント社に入社して字幕担当、やがて脚本も書くようになり1946年に『呪われた城』で監督に昇格しました。
1949年には船旅に出かける直前に既婚の三人の夫人の誰かに送られてきた謎の手紙をめぐっての知的な皮肉をこめた作品
『三人の妻への手紙』をスマートな演出で描き、翌1950年には『イヴの総て』において芸能界の暗く秘められた内幕を
冷笑的な目線で描いています。
この二作の成功はいずれも脚本による勝利なのですが、これをマンキーウィッツがヨーロッパ風に映像化しながら一貫して
シニカルな知的目線で仕上げたことによるものであったと思われます。
1954年には『裸足の伯爵夫人』で華麗な虚無を、1959年にはテネシー・ウイリアムズの戯曲『去年の夏 突然に』を監督
しましたが、往年の鋭さも薄れ、1963年の『クレオパトラ』に至っては、本来二部作六時間に仕上げた作品がフォックスの
経営者ザナックの介入によってズタズタにカットされ三時間余に短縮されてしまいその結果「映画史上空前の失敗作」との
酷評に甘んじ、以後立ち直ることはありませんでした。

【主要監督作品】
1946年『呪われた城』  Dragonwyck
1947年『幽霊と未亡人』  The Ghost and Mrs. Muir
1947年『ボストン物語』 The Late George Apley
1949年『他人の家』 House of Strangers
1949年『三人の妻への手紙』  A Letter to Three Wive

1950年『イヴの総て』  All About Eve

1952年『五本の指』   5 Fingers
1953年『ジュリアス・シーザー』  Julius Caesar
1954年『裸足の伯爵夫人』  The Barefoot Contessa

1955年『野郎どもと女たち』 Guys and Dolls
1958年『静かなアメリカ人』 The Quiet American
1959年『去年の夏 突然に』 Suddenly, Last Summer

1963年『クレオパトラ』 Cleopatra
1966年『三人の女性への招待状』  The Honey Pot 


☆セルジオ・メンディス Sérgio Mendes  (1941.2.11~ )



リオ育ちで1950年代後半にジャズピアニストとして活動していましたが、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった
世界的なボサノヴァ・ブームの影響でボサノヴァの演奏を始めました。1964年には本拠地をアメリカに移して結成した
セルジオ・メンデスとブラジル'65 で本格的な活動を開始しました。
1966年に発表したアルバム「Sergio Mendes & Brasil '66」の中に収められた『マシュ・ケ・ナダ』が世界的に大ヒットして
脚光を浴び、ボサノヴァ・ブームのさらなる推進に寄与しました。
親日家で、1968年に来日し、1970年には『サン・ホセの道』をヒットさせたボサ・リオと共に再来日しています。

↓はセルジオ・メンデスとブラジル'66の『マシュ・ケ・ナダ』【YOUTUBEより】 


↓はセルジオ・メンデスとブラジル'66の『おいしい水』【YOUTUBEより】 



☆ジーン・ヴィンセント Gene Vincent  (1935.2.11~1971.10.12)



アメリカのカントリー系ロックで皮ジャンの似合う伊達男として一大旋風を巻き起こしたロカビリー歌手です。
1956年に地元ミュージシャンを中心にしたグループ、「ブルー・カップス」を結成、同年にリリースした『ウーマン・ラヴ』で
レコード・デビューしましたが、そのB面に収められていた『ビー・バップ・ア・ルーラ』が全米7位の大ヒット、これにより
エルヴィス・プレスリーとともにロカビリーを代表する歌手になりました。この曲は即座にフランク・タシュリン監督による
1956年制作の映画『女はそれを我慢できない』で取り上げられてジーン・ヴィンセントの名前が世界に知れわたりました。
しかし、1950年代末にはロカビリーもすたれ能天気なロックンロールへと時代が移ったことでジーン・ヴィンセントも
忘れられた存在になってしまいました。1961年の『ミスター・ロンリネス』もミニ・ヒットに終わっています。

↓はジーン・ヴィンセントの『ビー・バップ・ア・ルーラ』【YOUTUBEより】 


↓はジーン・ヴィンセントの『ミスター・ロンリネス』【YOUTUBEより】 



【ご命日】
★ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン Sergei M. Eisenstein (1898.1.22~1948.2.11)



サイレント映画の時代においてモンタージュ理論を実践したソヴィエト連邦の映画監督です。
詳細は当ブログの『1月22日』をご参照ください。


★ ロジェ・ヴァディム Roger Vadim (1928.1.26~2000.2.11)



俳優、脚本などを経て1956年にヌーヴェルヴァークの夜明けとなる『素直な悪女』で世に出たフランスの映画監督です。
詳細は当ブログの『1月26日』をご参照ください。


★ ヘンリー・ハサウェイ Henry Hathaway (1898.3.13~1985.2.11)



西部劇、アクション、サスペンス作品などで活躍した娯楽映画専門の映画監督。
主要監督作品として『丘の一本松』『ナイアガラ』『アラスカ魂』『ネバダスミス』などがある。