パンドラの箱を開けるとちむがいた

書くスピード早いですが、誤字脱字多し。

緊急連絡

2007-05-03 02:05:15 | Weblog
実家に帰省中に、会社から緊急連絡が入った。
大抵、緊急連絡は良くない状況のときにかかってくるものだが、今回もやはりそうだった。

斜め後ろの女性社員が亡くなったとの連絡だった。
通夜と葬式の場所と時間を教えるので、至急電話がほしいとのことだった。

その女性社員Aさんは、僕と同い年の31歳。
約1カ月半ほど前に、肩が上がりにくく、腫れも出てきたので、医者に行き、そのまま即入院となった。

最初は検査入院で3日ほどということだったが、結局伸びて約1カ月入院したらしい。
退院後、会社に来たらしいが、産業医の先生から自宅療養を告げられ、連休明けに出てくるという話だった。

部を代表して、数人が見舞いに行ったが、特段変わった様子もなかったらしい。
ただ、リンパ腺の関係の病気らしく、結構長引いていると聞いていた。
それまでは、別に病気がちとか言うようでもなく、普通に仕事をしていただけに、
1カ月の入院て、長いなと思いつつ、
同僚で同い年の数人に「30歳過ぎたら何が起こるかわからないから気をつけよう」と呑気に構えていた。

それだけに、突然、電話の留守録の「Aさんが昨日なくなられました」という伝言を聞いたときは「?」と状況を素直に飲み込めなかった。

帰省を半日切り上げて、葬儀には間に合ったが、やはり実感がわかず、「本当か?」と疑問に思っていましたが、車で葬儀場に近づくにつれ、
Aさんの告別式を示すたて看板が見えてきて、ようやく「本当なんだ」と実感がわいてきた。

葬儀の最後に喪主の兄さんが、挨拶で、「病名を聞いたとき・・・病魔には勝てませんでした。」
などといっていたので、家族は危険な状況だと、わかっていたと思う。ただ、本人がわかっていたかは不明。

葬儀の最中はつらくて、ずーと下を向いて眼をつむっていました。
本当に、人間はいつなんどき、死ぬかわからないし、
彼女ではなく、自分だった可能性もあるわけです。

また、彼女は独身でしたが、価値観の違いは当然あるにせよ、自分の生きた証でもある子どもや配偶者が死ぬときにいないといのは、
僕個人的には、不憫でならないというか、すごくさびしいというのか、
そんな気がして、やりきれない思いになりました。

生きるとはどういうことか、そして幸せとはどういうことかを考えさせる出来事でした。


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