本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

氷の上に春

2006年02月26日 15時54分45秒 | 世の中の出来事
この間の木曜日は、もうすぐ春なのかも知れない、と感じさせるような暖かいいい日和でありました。風もちょっとありましたが、全く寒く感じませんでした。
知人と会うために原宿に出かけた私でありますが、その日はその知人とともに出かけた場所で素晴らしい出会いと興奮があり、そこから私の精神的ハイ状態は始まりました。
その夜はわがパートナー殿と彼の学生時代からの友人との気の置けない飲み会でした。お酒が入ってますます楽しい気分に。思えばそれは何かの予兆であったのか。

そしてふわふわとした気分のまま12時過ぎにふとんに入った私は、次の早朝、フィギュアスケートの女子シングルのライブを見ながら、さらに大興奮!

その日5時に起きた私は、眠い目をこすりながら、十何人目かの選手の滑走からずっとテレビを見ていました。しかし、荒川選手の滑りだけは、他の選手の誰とも全く違っていて、まるで別世界で滑っているかのようでした。本当に美しかった。
確かに彼女だけは、そこで行われているはずの競技の世界とは違う、彼女だけの美の世界にいました。彼女の演技を見ながら、思わず涙がポロリ。「ああ、綺麗だなあ」とひとりつぶやいていました。
彼女の衣装は彼女の美しいプロポーションをよりいっそう引き立て、踊ったときに一番美しく見えるよう計算し尽くされていました。
その衣装を着た彼女は、堂々としていて、風格さえ感じさせました。

女性には多いのかも知れないけれど、私も子供の頃からフィギュアスケートを見るのが大好きで、ドイツのカタリーナ・ビット、アイスダンスのトービル・ディーンなどの選手の演技が今でも心に残っています。

大人になってからも、あんな風に美しく踊れたらさぞかし気持ちがいいことだろう、とずっと思っていました。子供の頃にはダンスをする機会が得られなくて、もう私はダンスとは関係のないところで生きていくのだわ、と思っていたのに、20代の終わりからサルサという音楽と出会ってダンスを始めたのには、フィギュアスケートに対する憧れも全く関係がないとは言えません。

渡辺絵美以来、日本の選手も頑張ってはいたけれど、どうもその芸術性においては、ロシアを初めとする他の欧米の選手にはかなわないんだよなあ、といつも残念に思っていたのです。日本の選手はプロポーションも欧米の選手とは違うし、感情表現も下手な民族だから仕方ないのかも知れないなあ、とも思っていました。

でも、いつの間にやら、いつの間にやら!日本の選手のプロポーションは見違えるかのようにキレイになり、顔の表情や手を使った表現も、格段に素晴らしくなりました。
そして今年、トリノオリンピックに、女子シングルの選手を3人も代表で出せたことは、素晴らしい快挙だわ、ととても嬉しく思っていたところだったのでした。

今日もまた、テレビではしきりに荒川選手を取り上げた番組を放送しています。
私はそんな番組を懲りずに何度も見てしまいながら、自分が金メダルをとったわけでもないのに、何度も涙が出てきてしまうのであります。

荒川選手、バンザイ!努力が報われて、本当に本当に良かったね。











春を探して

2006年02月21日 00時40分47秒 | まちの風景
長く冬に閉じ込められて飽き飽きしてしまっている私は、先週の日曜日春を探しにひとり皇居の東御苑に行ってきました。

噂は聞いていて、前から行ってみたいと思っていた皇居の中にあるお庭です。冬は閉まる時間が早くて、残念ながら30分しかいられませんでした。
それでも冬の冷たい空気の中、ちょっとした異次元を感じさせるほどの広々とした空間と、手入れの行き届いた木々の間を歩くのはなかなか清清しい気分になるものであります。ところどころに歴史のありそうな建物あり。

梅と椿があちこちに咲いていて、でもやっぱり市井で咲いているものとはちょっと趣が違うような.... 豪華な梅、椿に見えたのは気のせいではないと思うのですが。

もう少しすると梅が満開になってさぞかし見事なことでしょう。
お天気の良い日にまたもう一度行くつもりであります。
機会があったら是非行ってみて下さいませ。

今週はずっと天気が悪いようです。仕方ない、しばらくはこの写真でガマンしようっと。


プライド

2006年02月17日 12時23分23秒 | 心についてのあれこれ
日本はこんなに豊かなのに、実は心の問題を抱えている人があちこちにいます。

テレビから流れてくる子供に対する虐待事件は今では珍しいことではなくなってしまいました。電車に乗れば、ガリガリに痩せた足を堂々と見せてミニスカートを履いている摂食障害の女性。どこの組織にも(公務員にも!)何人かはいるという鬱病で職場に来れない人。引きこもりの青年。

では表立ってニュースになったり、誰の目からも明らかに分かるような症状がない人には心の問題はないのでしょうか?

私は14年間OLとして働いていました。そして誤解と非難を恐れずに言うなら、オシャレな洋服に凝ったり、お稽古ごとをしたり、高級レストランに頻繁に行ったり、海外旅行をしたり、世間では楽しく自分の生活をenjoyしているかのように言われている独身OL女性の中にも、心の問題を抱えている人は間違いなく多数存在する、と思っています。

女性が30を過ぎて都会で一人で生きていく、ということは実は結構精神的にキツい。もちろん、そういう生き方に向いている人もいると思います。でも、みんながみんなそういう生活に向いている性質の人ばかりだとは到底思えません。

もちろんだからと言って女はやっぱり結婚した方がいいよ、と言うつもりも毛頭ありません。

ただ、同じ女性として、かつて同じ立場にいた人たちが行き場のないむなしい気持ちを抱えて彷徨っているように見えることは悲しいことであります。

何かの本で、「現代人は自我という病気にかかっている」というのを読みました。

「そこに闇があると感じて、闇に意識を向けると闇がかえって大きくなる。だが逆に、そこに闇があるのではなく、光が足りないのだと考えたとき、闇の進行は初めてストップする。そこに闇の存在を認める心が「自我」なのである。物事を比較と対称で考える癖は、競争社会の中で育まれたものだ。自我とは自分と他人とは違うという心である。」

素のままの自分を認めて他人との違いを受け入れることと、自分だけは他人と違う種類の特別な人間であるはずだ、そうありたい、と思うことは、同じプライドのようでいて、似て非なるものであります。

「自我」があなたを苦しめていることに、早く気付いて欲しい。
あなたが求めて求めてやまないものは、現実にはどこにも存在しないのだ。
あなたが自分の幸福感の欠如に問題があることに目を向けない限り。

多分私の言葉はその閉ざされた心には響かないだろう。
そして私には祈ることしかできない。






Valentine's Day

2006年02月14日 23時51分33秒 | 風物詩
今日はヴァレンタイン・デー。
日本のヴァレンタイン・デーは女性が男性にチョコレートをあげるのが習慣になっていますが、ご存知のように西欧文化ではもっと広い意味の愛の日です。
男性が好きな女性にお花を送ったりするのはもちろん、家族や親しい友達に、思いを伝え合う日です。

スペイン語のYahooのサイトには、ヴァレンタイン・デー用のグリーティングカードがたくさん!
恋人用、友人用、家族用などのカテゴリーに分けられ、それぞれにカラフルで凝った絵柄や、笑わせたりホロッとさせるような言葉を工夫したカードが並んでいて、見ていると思わず楽しくなってしまいます。

友人用のカードの中の言葉で私がいいなあ、と思ったものを一つご紹介。(絵もすごくカワイイのでついでに見せられたらいいのですが、残念!)

"EL VIAJE DE LA VIDA ES MAS FACIL CUANDO SE ESCUCHAN LOS PASOS DE UN AMIGO AL LADO.

SIEMPRE ESTARE AHI CUANDO ME NECESITES.

FELICIDADES EN SAN VALENTIN!"

「人生の旅はより楽になるだろう。
友だちの足音が近くに聞こえるなら。

あなたが必要なときには私はいつもそこにいるよ。

ヴァレンタイン・デーおめでとう!」

私からも。

ヴァレンタイン・デーおめでとう!

ちえ蔵

2006年02月10日 19時48分11秒 | Weblog
先日、テレビを見ていたところ、大勢の女性と同棲生活をしていたという50代(?)の男性が逮捕されたというニュースをやっていました。
その男性は、「あるとき耳元で声がして、『お前に女性にモテるようになるための言葉を教えるが、誰にも教えてはならない。教えたらお前の命はない。』と言われた。そしてその通りにしたら女性にモテるようになった。」と語っていました。テレビでご覧になった人も多いと思います。

へえー、ほんとかね、と思っていたところ、また別の日に、歌手の徳永英明がテレビに出ていて、「僕が子供の頃、『お前は大きくなったら歌手になるんだよ」という声を聞いた気がするんです」と言っていました。

そういう話は信じられない、という人も多いと思いますが、私の経験では、どちらかと言えば、女性は男性に比べてそういう不思議な話をすんなり受け入れる人が多いような気がします。

実は私もそういう話は、なるほど、そんなこともあるかも知れない、と受け入れるタイプであります。

そうは言っても、初めに例を出した男性については、「そんなのあやしすぎる、声を本当に聞いたとしてもろくなものの声じゃないに違いない、大体、エサをぶらさげておいて、自分の言う通りにしないとお前の命をどうこうする、とか言って脅すようなのはまるでメフィストかなにかのようで信用ならない」と思うのでありますが。

私には霊感とか、そういったものは一切ないのですが、カンとかヒラメキといったようなものは大事にしているようなところがあります。

以前私にも一度だけそんな声が聞こえたような気がしたことがあります。
それは、もう6,7年くらい前のことだったでしょうか。
まだその頃は三軒茶屋で一人暮らしをしているときでありました。仕事帰り、もうあたりは真っ暗で、私は疲れきっていました。自転車に乗って駅から帰る道すがら、その日職場であった不愉快な出来事について考えていたような気がします。アパートの前まで来て自転車を降り、ふと空を見上げると、目の前の空には大きな月が浮かんでいました。そのとき、なんとなく、「Cultivate yourself.」というイメージが湧き上がって来たような気がしたのは、私の思い込みだったのか.....
なぜ英語だったのかはよく分かりませんが、意味は、「自分自身を養い育てよ」ということであります。
そのときは、ふいに湧き上がったその言葉に、胸を突かれたような気持ちになった記憶があります。

あれは何の声だったのか....自分の無意識であったのかも知れません。一瞬、どうしてそんな全く関係のないようなイメージが浮かんできたのか考えた後、「ああ、そうか、自分にはどうすることもできない他人のことで躍起になるよりも、自分の内面を磨くようなことに力を注ぎなさい、ということなのかなあ」と思ったのでありました。

その後、その時思った通りに自分をcultivateできているのかは自信がありませんが....
本日ふとまた何気なく思い出したのでありました。



アラ?アラヤ識

2006年02月05日 22時56分06秒 | 心についてのあれこれ
このブログのタイトルの説明でも書いていますが、人生いつも「本日も晴天なり」とは行かないものであります。誰しも辛い時期は必ず存在することでしょう。
失恋したり、病気になったり、他人から不当に扱われたり、他人に嫉妬心を抱いたり、年老いて体が弱ってきたり、愛している人が亡くなったり...
でも、そういう時期を、できれば精神を病んだり、不必要に自分をいじめたりすることなく過ごせたら、まさに不幸中の幸いだと思うのです。

でもそれはなかなかムズカシイことであります。もちろん、私はあまりくよくよしない性分だから、どんな苦難もそんなに苦にならないわ、という人もいるかも知れませんが、私は弱虫なので、苦難にあっては毅然としていたいとは思えども、やはりなかなかそうは行かないこともあります。

しかし、それでも、長びく悲嘆、憎悪、怒りなどは、精神を痛めつけます。
それが高じれば健康にも影響して来ます。
次にそんな苦難を迎えたときのために、いろいろな対処法を持っていて、いざというときには賢く乗り切りたい、とそう願っています。

最近、昔読んだ遠藤周作の「ほんとうの私を求めて」という本をもう一度読み直してみました。
その中にはいろいろと参考になることが書いてありますが、私がなるほど、と思ったことの一つに、仏教の「アラヤ識」についての考え方、というのがあります。仏教用語で、アラヤは溜っている場所、そしてアラヤ識、とは心の中でいろいろなものが溜っている無意識のことを指す言葉なのだそうです。仏教には前世という考え方があります。仏教では、前世での生き方が今生にも大きく影響を与えていると考えるのだそうです。これを業といい、前世からの業の影響力が今生でも人のアラヤ識の中で働いているというのです。

以下、原文を引用いたします。
「前世からの業だけでなく、現在のあなたの思いや行動もあなたのアラヤ識の中で影響力をもった種子をつくりだします。そしてそれらの種子が渦まいては意識に噴出し、行為をうみ、その行為がまた新しい種子をアラヤ識のなかで生むのだと唯識論(仏教の学派)は言っているのです。」つまり、「あなたの心の奥底には「アラヤ識」(無意識)という場所があって、それがあなたの表面の心(意識)につよい力を与え、あなたの行動を作り出しているのだと思えばよいのです。」

そして、筆者は、「アラヤ識(無意識)がそれほど我々の心(意識)や行為に強い影響力を与えるならば、逆にこのアラヤ識を利用すれば人間は幸福を掴めるのではないか。アラヤ識をいつも暗いものにせず、明るいものにしておけば、心の方も明るいものに変わるのではないか」と考えたという無能唱元という人の話に触れています。

それは具体的にどんな方法かというと、「一本の蝋燭の火やコップを前にして、できるだけ楽な座り方をして、じっとその火かコップを見つめるというやり方です。もちろん、部屋は静かでうす暗いほうがいい。そういう姿勢をとっていると心の雑念が追いはらわれて、少しずつ無心の状態になります。この時、まぶたの裏にあかるい、希望にみちた夢のイメージを具体的に思いえがけというのです。そうすれば、それがアラヤ識の種子となり、その種子がかならず、その夢を実現させてくれるというのが無能さんの考えです。」

以上、だいぶ原文を割愛してしまいましたが、筆者が言わんとしていることはお伝えできたでしょうか。もっと詳しく知りたい方は「ほんとうの私を求めて」を読んでみてください。

なるほど、自分ではどうしようもない哀しみや怒り、苦しみを感じて、それがなかなか去って行かないとき、この「アラヤ識」に働きかけてみる、というのも一つの手だなあ、と考えたのでありました。

もし、これを読まれた方で、私は困難にあったとき、こんな風に工夫している、ということがあったら後学のためお知らせ下さい。

余談ですが、この間マドンナについての記事を読んでいたところ、彼女のコメントで、「内側からの幸福感が大事だと気付いたのでそれを大切にしている」とありました。それはまさに、「アラヤ識」のことではないでしょうかねえ。さすがマドンナ









母の歌と消化不良

2006年02月03日 12時10分55秒 | Weblog
キューバのとある若い女性歌手のCDの中で、1年以上前から私がとても気に入っている曲があります。曲調がとてもロマンティック、ドラマティックなのでうっとりさせられてしまうのです。
掃除のときなど折々に口ずさんでいたところ、スペイン語の歌詞もすっかり覚えてしまいました。
でもここにきて、その歌詞の中身で少々唸っているのであります。
その歌詞の内容とは、こんな感じです。
「はっきりと認めましょう。あなたが私の心の中にいるからこそ私はいつも笑顔になれたことを。私の笑顔だけであなたの愛に報いることができないのは知ってるわ。だけど、私には笑うということは、いつもあなたを讃えることなの。
あなたがいなければ喜びはどこへ行ってしまうでしょう。
どうして喜びがあるでしょう。
もしあなたがいなければどうやって生きていったらいいか分からない。
ああ、恋する人であり、娘であり、女であり、そして私の母であるあなたよ。」
拙い訳で申し訳ないのですが、大体こんな意味です。
そしてその歌詞の前には”para mi madre” 英語で言えば”for my mother”、”私の母に”、とあります。これは母を讃える歌なのです。
この歌詞が、私にはどうもしっくり来ないのであります。それは私の個人的な問題なのか、それとも日本人的感情としてこんなに正面から堂々と母を讃えられると面映いと思ってしまうのか。
例の私のスペイン語の先生によれば、スペイン語圏では、それが大人の歌であっても母を讃える歌は珍しくないのだと言います。そしてこの歌は、決して見返りを求めない母の大きな愛情に対して、娘が感謝の気持ちを歌っているのだということでした。チリでは母の日になると子供たちは学校で母を讃える歌を教わるのだそうです。そして家に帰って家族の前でそれを歌う、するとお母さんは目から涙をポロポロ流して喜ぶのだそうです。

そんな話を聞きながら、私は自分の子供の頃のことを思い出しました。
それは私が小学校4、5年生だった頃でしょうか。その日は母の日で、私は小学校でやはり母に感謝する歌を教わりました。

母の優しい暖かな胸に抱かれすくすくと
伸びた手と足この体
母はお日様お月様
わたくしたちの力です。

その頃はまだ純情で素直だった私は感動し、なんていい歌なんだろうと思いました。帰宅した私は、さっそく母にその歌を歌って聞かせました。すると母はたいそう感動し、その日は何度も何度もその歌を聞きたがり、私は母の前で何度も歌いました。でも私は子供ですから、そんなことは次の日にはすぐ忘れてしまいます。しかしその後も、何かある度に母はその歌を歌ってちょうだい、と私に言うようになりました。私の中では、その歌は母の日に歌ったらそこで終わり、という感じだったので、え、どうして?という感じでした。何度も何度も歌わされるうちに、私はだんだん恐くなってきました。どうしてこの歌を何度もしつこく歌わされるんだろう。そして、それはまるで、「私に感謝をしなさい、感謝をしなさい」という無言の圧力のように思えてきました。次第にそれを歌わされるたびに、私は母の愛情にからめとられ、そこから逃げ出せなくなっていくような気持ちになり、息苦しくなって行きました。そしてしまいには、この歌を母の前で歌ってはいけなかったのだ、と思うようになりました。

今から思えば、私の家はそのとき大変な状況にありました。父はいつも出張で家におらず、母は経済的な心配や孤独を抱えて一人苦しんでいたのだったろうと思います。そして一人娘の私が歌うその歌を、心の慰めとしていたのでしょう。今なら平静にその頃の母を一人の苦しむ女性として見ることができますが、その頃子供だった私には、それが大きな負担としてのしかかったのでした。そしてやはり、それはその後の母と私の葛藤を象徴する出来事であったと思います。

話をはじめに戻すと、私が感じたキューバの歌の歌詞に対する違和感は、その歌詞に表現されている感情と私の実の母への気持ちがあまりに違うために、私の中で消化不良を起こしている、ということなのかも知れません。

もしかしたらこの歌を人前で歌う機会があるかも知れず、私は目下この消化不良感を抱えて唸っている最中なのであります。


チリからの木蓮の花 (Una flor de magnoria de Chile)

2006年02月01日 22時40分31秒 | Weblog
私にはスペイン語を教わっているチリ人女性の先生がおります。
初めて会ったのは四谷のとある語学学校の教室。その日はいつもの日本人の先生がお休みでした。代行教師として教室に入ってきた彼女は、ちょっとふっくらとして、茶色のふさふさとした巻き毛を肩まで垂らし、生き生きとした大きな茶色の目で教室を見回し、晴れ晴れとした表情でみんなに笑いかけたのでありました。それは寒い曇天の日だったような気がします。彼女が入ってきたとたんに教室がパッと明るくなったような気がして私はハッとし、この人は一体どんな人なんだろうと思いました。なぜか私には彼女のいる周辺がピカピカと光って見えるように思えたのであります。

彼女の丁寧で熱心な授業と、明るく魅力あふれる人柄に惚れ、クラスメートの女性2人と共にお願いをして彼女に個人的に教えてもらい始めたのが6年くらい前になるでしょうか。週1回のクラスでお互いの色々なことを話しながら、私は徐々に彼女のことを知るようになって行きました。

南米大陸の一番西にあって南北に長い国チリは、面積が日本の2倍、しかし全人口は東京都の人口よりちょっと多いくらい、というカトリックの国であります。
4人兄弟の下から2番目という彼女は、温かい家庭に育まれて育ったようであります。

18の頃、彼女は海洋科学を学ぶために大学に入りましたが、時はピノチェトの軍事政権下。軍部は、軍事政権に反対する者に対して、すさまじい粛清を行っていました。多くの左翼系市民が虐殺され、その中には有名なフォーク歌手もいたそうです。軍事政権に反対する者には大学生も多く、彼女の仲間であった若者が、ある日こつ然と姿を消したかと思えば、軍部に秘密裏に殺されていた、ということが頻繁にあったのだそうです。そんな中、彼女もまた意を決して軍部反対の立場をとり、チリにいられなくなって家族とも別れ、一人ボリビアに政治亡命したのだそうです。

その後しばらくして、幸いにも1989年にピノチェト独裁政権は民政移管し、現在の民主国家となりました。

そんな話を聞いたのは、彼女にスペイン語を習い始めてからずい分経った頃であります。目の前にいる私より年下でいつもニコニコと自然体、そしてとても暖かい人柄の彼女がそんな大変な経験をしたなんてとても想像できずに、私はあんぐりと口を開き、そのにこやかな笑みの裏になんて強靭な精神を秘めているのだろうと感嘆したのでした。

ふうん、世界にはそんな人もいるでしょ、それがどうしたの、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、それは私たちが日本という国に住んでいて平和ボケしているため、または日々の生活に追われるあまり他人のことに思いを馳せる余裕も想像力もなくなっているためであって、心ある人ならば彼女のとった行動の大変さが分かるはずであると思うのであります。彼女自身はそれがちっとも大変な行動であったかのようには語らないのでありますが。

今年の1月に、チリに初の女性大統領が誕生しました。お医者さんでシングルマザー、54歳のバチェレ大統領もまた、ピノチェト政権下で身内を殺された経験を持つ人のようです。まだまだ男性主導の国であるチリにあって、女性の地位向上のために活躍してくれるはず、と期待されているようです。

強風にあおられてふわっと日本に飛んできた誇り高い木蓮(マグノリア)の白い花、とそんなイメージを前述の彼女に勝手に持っている私なのでありますが、そんな彼女が、自分のスペイン語の先生であり友人であることを、誇らしく思っているのでありました。