本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

う~ん、もう!

2008年01月21日 23時22分47秒 | 心についてのあれこれ
怒りのエネルギーの余波は、またまたいろいろなものに気付かせてくれました。

一つは、最近スピリチュアルにはまりすぎてしまっていたこと。
過去世で僧侶だった癖で、どうもストイックにやりすぎて自分を追い込んでしまう癖があるみたいです。
リーディングでは、私は享楽的に生きる方が悟りへの近道、と言われていたのに、気がつくとストイックにやりすぎてるのであります。
いい子ちゃん病が再発です。う~ん、もう。またやっちゃった。
でも、怒りのエネルギーのおかげで、それを吹き飛ばすことができたみたいです。
もっと気楽にいこうっと。誰のためのスピリチュアルって、自分のためだもんね。
自分が苦しくなっちゃったら元も子もないのよね。
その辺の中庸のバランスを見つけるのが、今回のテーマなんだろうな。

今日は悪い子になろうと思って、インスタントワンタン麺を買って食べました。
美味しかった

怒りのエネルギーの必要性

2008年01月20日 12時16分46秒 | 心についてのあれこれ
以前、怒りという感情について、現在研究中である、と書いたことがあります。
怒りの研究について、その後のご報告。

結論としては、やはり怒りというのは必要不可欠な感情である、ということ。

なぜかと言えば、それは、自分自身を被害者にすることから守ってくれるものだからであります。
特に女性が、理不尽な思い、虐げられていると感じているとき、その状態から抜け出すには、怒り、という感情が必要不可欠なのではないかと思います。
そして怒りの感情に罪悪感を抱かず、抑圧せず、そのエネルギーを利用するのです。できれば、そのエネルギーを何らかの形で外に表出するのがいいかも知れません。

ただし、怒りというのはとても強い感情ですから、表出の仕方には、少し注意が必要かも知れません。そのエネルギーを直接他人にぶつけてしまえば、相手との関係が修復不可能なものになることもあるかも知れませんし、極端な場合には、破壊的な行動をとってしまうことになるかも知れませんからね。

怒りを感じるときには、この怒りのエネルギーを使って私は被害者にならないことを選択するのだ、と意識するといいかも知れません。

以上、怒りのエネルギーについて、実体験による研究報告でありました。

委ねること

2008年01月04日 02時10分34秒 | 心についてのあれこれ
あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しておりますが、大変元気にしております。

最近は毎日いろいろなことがあり、楽しいこともあれば、ストレスアウトしてメソメソしたり、と忙しい毎日です。
今日瞑想中に分かった!と思ったことは、最近起こったそれらのことから学んでいるのは、”力で押さないこと、委ねること”のようであります。

先日起きた不思議なこと。
12月31日は友人のミュージシャンの人達の年越しライブに出かけておりました。
カウントダウンを過ぎ、真夜中の回のステージで1曲歌わせてもらうことになりました。とてもいい機会なので張り切っていたのですが、その日はちょうど喉に痰がからみ、あまり調子が良くありませんでした。それでも、朝家では声が出ていたし、試しに声を出したとこでは大丈夫だったので、大丈夫だろうと思っていたのです。ところが、いざステージに立ったところ、声が出ない!曲の間にも、どんどん声が出なくなって行きます。それでもなんとか歌いきらねば、と思い、必死に歌い終えました。歌わせてくれた友人のミュージシャンの人に申し訳ない、という気持ちでステージから逃げるように立ち去ると、お客さんで来ていた女性が、「良かったよ~、チエキータ!」と大きい声で叫んでくれました。
え~~?なんで~?大晦日で飲みすぎなのじゃないですか~?彼女ってとってもいい人なのね、と思いながら、後ろの席に座っていた私のバンドのメンバーでもあり、その日のバンドの歌手の奥さんでもある友人に、「声が出なくなった~」と泣きついたところ、「え?全然分からなかったよ」という返事。

こちらはキツネにつままれた思いです。あんなに声が出なくなったのに、お客さんには分からなかったって、どういうこと?

後でギタリストの人に聞いたところ、「僕達には声が出なくなったって分かったよ。いろんな条件で声が出なくなったりすることもあるんだよ。でも、ちゃんと歌ってたし、キレイに歌うよりも何よりも大切なのはコラソン(ハート)だからね」というありがたいお言葉。

なるほど。そう言えば、先日透視者の方のホームパーティで歌ったときも、コンディションが良くなかったのに、聴いている人がやけに感動してくれた、という不思議なことがあったっけ。

「力で無理に押さないこと。天の力が降りてくるのを待つこと。委ねること」

これを学ぶために、声が出なくなるという体験をしたかのようです。

その他にも、好きになれない人がいたら、無理に好きになろうとしなくてもいい。愛情というのは自然と湧き上がってくるものなのだから。ずっとその人のことが好きになれないわけではないかも知れない。ある日愛情が湧いてきたら愛せばいいのだから。

というインスピレーションも受け取りました。

「力で無理に押さないこと。天の力が降りてくるのを待つこと。委ねること」

そう言えば、もっとずっと以前、若い頃は、このことを知っていたのでした。
そして、「ああ大人って、無理に力で押そうとするからうまく行かないんだよなあ」と何度も思っていたことを思い出しました。
いつの間にか忘れてしまっていたのですね。

また忘れてしまわないように、今日ここに記しておきます。