本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

私という人 - 4

2008年02月29日 17時59分42秒 | 心についてのあれこれ
その後3年ほど苦しい精神状態のままその事務所で働きましたが、パートナー殿との結婚を機会に、その事務所を退職することにしました。
退職するときも、パートナー殿には賛成してもらえず、激しい夫婦喧嘩もありました。結局それを振り切って一人で退職することを決意しました。
いつもいつも、人生で重要な決断をするときに、私には師はおらず、一人で歩む道のようです。

退職してしまった後は、事務所に対して何の未練もなく、サバサバした気持ちで、キゲンも上々でした。私の機嫌が良くなったので、パートナー殿とのケンカも自然になくなり、家庭は平和になりました。
ただ、なんとなく心が疲れていて、ほぼ3年、グウタラとして暮らしました。
長年の闘いに疲れ、何もかもイヤになって、まるで冬眠状態のようでした。

そして3年後の春、ひょんなことから、透視者の人のところに初めて行くことになったのです。
そのとき、透視者の人は、職場のことに触れ、「あの時あなたが、自分のために立ち上がれていたら、あんなに長い間苦しまなくてもすんだのよね」と言いました。
そして、「だから、この人が好きだとか、これが好きだと言うことがあったら、ちょっとぐらい闘ってでも、主張していく、というのがこれからのあなたの課題かも知れませんね。」と言われたのでした。

そのときは、「ふうん、もうあんなことは二度とあって欲しくはないけれど、今度
もしあったらそうしましょう」くらいに思っていました。

そしてこの数ヶ月の間に、ついにそのテーマがやってきたようでした。
プライベートなことで、職場の時の状況と似たような状況が起こりました。
そして今度こそ、私は自分の欲しいものを、きっぱりと主張しました。
私は自分の周りの人々に、真実を話しました。
その結果は、まだ分かりません。
でも、後悔はしていません。今は、自分のエネルギーが自分らしく、そしてもっと力強くなっているのを感じています。

前回の体験と今回の体験で違う点は、今回は、信頼できる仲間がたくさん私の周りにいて、私を支えてくれていた、という点です。

この自分の体験から得た私の信念とは、「自己犠牲は益とならない」ということです。本当に自分を大事にできる人だけが、他人をも本当の意味で大事にすることができる、ということです。
長年マジメに一生懸命働いている人が報われず、怠慢勤務をさんざんしてきた人がいいポジションにつけるなら、誰がそんな組織に、社会に希望を見出すことができるでしょうか。
たとえその経営者や指導者がいい人だったとしても、そんなやり方をしてしまったのなら、誰がそんな人について行きたいでしょうか。

だって、この件を例にすれば、私が自己犠牲を払ったからといって、いったい誰が得をしたというのでしょうか?
私の上司でしょうか?長年息のあったコンビでやってきた秘書を、よく休む秘書と取り替えて、それが果たして本当に彼の仕事に差し支えなかったでしょうか?
同僚の秘書の彼女でしょうか?自分をかばうために私が苦しい思いをし、結局退職した、と知りながら、その職場で堂々と働いていけるものでしょうか?噂に聞けば、彼女はその後も自分だけの週休3日制、フレックスタイム制を続けているようです。それで彼女は本当に得をしたのでしょうか。
もしかしたら、本当の彼女の学びは、職場をクビになることであったかも知れません。
そして、事務所全体の利益から見たとしても、盛りを過ぎたとは言え有能な弁護士が、秘書のせいで自分の思うように働けずにいたら、それが良いとはとても思えません。

そして私、と言えば、結局自分を大切にできなかったせいで、自分自身の心を傷つけてしまい、2年近くも苦しいままその事務所で働き、その後退職後3年もの間、自宅で寝て過ごすことになりました。

私が体験したことは、ものごとの一つの例ですが、普遍的な問題を含んでいると思います。

一部のスピリチュアルの人たちの間では、昨今ユニティ、ユニティとさかんに言われますが、ただお互いに譲りあうだけの調和では、ユニティとは呼べない、と私は思います。Unityとは、個人あってのUnity。個人の個性を押し殺してのUnityはあり得ません。まず、一人一人が自分自身の個を取り戻す必要がある、と私は考えています。

私という人 - 3

2008年02月29日 17時08分11秒 | 心についてのあれこれ
事務所合併後の何週間かは、慣れない環境の中、深夜まで事務作業をする日が続き、私をはじめ、一緒に合併先についていったスタッフたちには、非常にキツイ期間でした。私たちの前にすでに合併していた日本人弁護士の事務所の弁護士たちとの駆け引きなども、私を疲労させました。
新しい環境にもようやく慣れて落ち着いてきたころ、合併先の人たちが、例の秘書のことを気にし始めました。どうして彼女には担当の弁護士がいないのかと。
私の上司の弁護士は困って、先の女性弁護士に、もう一度彼女を秘書にしてくれないか、と頼みましたが、女性弁護士はそれを断りました。
そして、困ったあげく、私の上司の弁護士は、私を彼の秘書からはずし、その問題の秘書を自分の秘書にしようと思う、と私に告げました。

私はそれまでに、彼の秘書を7年近くやっていました。
自分で言うのもなんですが、その間、私は全力で彼をサポートして来ました。
もちろん完璧な秘書だったとは言いませんが、自分の持っている全ての能力を駆使して、誠心誠意、彼をサポートしてきたつもりでした。

それなのに、怠慢勤務を何年もしてきた彼女と、私のポジションを入れ替えろ、と言うのです。私は納得がいかず、一度は断りました。
でも、他に手立てがなく、困り果てた上司は、もう一度、私に変わって欲しい、と頼んできました。私は悩んで悩んで悩んだあげく、その上司の困った立場を考え、その秘書のことを考え、イヤイヤながら、秘書のポジションを彼女に明け渡しました。

今から考えると、それは、私が自分自身のために立ち上がれなかった瞬間でした。
社会では、自己犠牲や全体のために個を捨てる、ということがよしとされる風潮があります。それが当然だと、みんなそういう境遇を我慢しているのだと。
そのとき、私は分からなくなってしまいました。
自分がおかしいと思うことは、みんなはおかしいと思わないらしい。
どうしてなのだろうか。私がおかしいのだろうか。
みんなは、この不条理な世の中となんとか折り合いをつけて生きていけるらしい。
私にそれができないのは、私が幼稚なせいなのだろうか。

ある人は私に言いました。「あなたはピュアすぎるのよ」
それは、まるで私がピュアであることが悪いかのような響きを持って、私にのしかかって来ました。私のあり方がいけないということなのだろうか?
社会の不条理と折り合いをつけて生きていくのが大人、ということなのだろうか?

そういう思考がぐるぐると始まってしまい、その後事務所を辞めるまでの数年間は、非常に苦しいものとなってしまいました。

私がかばったり助けてきたりしたつもりの同僚の人たちの中で、そんな苦しい状況にいる私のために立ち上がってくれた人は誰もいませんでした。
私は孤独でした。
世の中の冷たさを感じました。

(続く)


私という人 - 2

2008年02月29日 15時55分58秒 | 心についてのあれこれ
事務所には、私より2つ年下だけど、私より勤務年数は1年長い女性の秘書がいました。彼女は、重箱の隅をつつくような細かさで仕事をする人でしたが、ほとんど毎週必ず週明けの月曜日に休んだり、遅刻をしたりするような人でした。
いつも仕事で肝心なときに、休むと電話がかかってきたり、みんなで仕事帰りに飲みに行った翌日に休んだりするので、周囲はほとほと困り果てていました。それでも、家庭的な雰囲気の中、なんとなく周りがそれをカバーして、何年も経ってしまいました。周りが苦言を呈したり、減俸処分を受けても、それでも彼女のその癖はがんとして治りませんでした。彼女は性格の悪い人、というわけではありませんでした。普通に接する分には、愛らしい性格の部分もあって、動物やカワイイものの好きな、可愛い女性でした。

私の上司は、世の中の人が定年する年齢になっても、若い者にも負けず深夜遅くまで働くような人でしたが、経営に関しては、あまり優れた経営者とは言えませんでした。自分の仕事は完璧にこなすのですが、自分の後継者や若い弁護士を教育、育成することには不向きな人でした。そのため、他の弁護士たちは彼に頼りきりになり、サラリーマン弁護士化していました。私はそんな事務所の行く末を案じていましたが、一介の秘書である私には、何もできませんでした。

そしてとうとう、自分が倒れたときの事務所の行く末を心配した私の上司は、イギリスをベースとした国際法律事務所との合併を決意しました。
その際、何人かの弁護士とスタッフはやむなく退職しなくてはなりませんでした。
そんな中、問題の彼女は、なぜか合併先の事務所に一緒に行くことになっていました。

合併直前に、彼女はそのときついていた女性弁護士との折り合いが悪くなり、女性弁護士は、彼女が秘書なのはイヤだ、と言い出しました。そして、私を秘書にしたい、と希望しました。私は事務所長の彼の秘書で手一杯でしたが、それでも、事務所のために仕方ない、と思い、それを引き受けました。
そして、彼女は引越し担当として、合併先の事務所に行くことになりました。

合併先の事務所は、イギリスをベースにした国際法律事務所で、世界中にオフィスを持っていました。何十人もの外国人弁護士を雇用していましたが、日本法に拠ってアドバイスしていくためには、日本人弁護士の力が必要で、私たちの事務所の他にも、すでに2つの日本人弁護士の事務所と合併をしていました。

溜池山王にある、超近代的な高層ビルの中にある国際法律事務所で働いている、と言えば世間は「すごいわね」と言いますが、実情は、そんなにすごいものではありません。窓がまったく開かず、グリーンもほとんどない殺伐としたオフィスの環境は、私には息がつまるようなものでした。
世界各国にいくつも事務所があって、当時流行のグローバリゼーションを目指している事務所のようでした。
グローバリゼーション、と言えば聞こえが良いですが、その実はイギリスによる植民地化と大して差はありません。コンピュータのシステムから、弁護士報酬の計算や請求のシステムまで、すべてをイギリス本国のシステムと同じにする、というのが方針で、イギリス本国以外の国にある事務所は、すべてそれに合わせなければなりませんでした。私はイギリス以外の国の文化や風習ややり方を無視するようなシステムにも、なじむことができませんでした。

(続く)






私という人 - 1

2008年02月29日 11時57分21秒 | 心についてのあれこれ
先日、スピリチュアルの友人に頼んで私の生年月日について調べてもらいました。
マヤの暦によれば、私という人は、

kin36:黄色い惑星の戦士:音程10
あなたは、自分に正直に世の中を見渡す人。慣習の中に不正や無意味さを見抜くことができる。あなたの抱く疑問は子供のように素朴だが、だからこそ根源的だといえる。あなたの使命は、人から教わることの出来ない、自分ひとりで歩む道、既成観念に頼らずに、体験的な鋭い知性を使って、ひとつひとつ物事を明らかにすること。

導く力{感謝の気持ち}成長する力「軋轢」

ということ。

実は、去年の11月くらいからの個人的な出来事からくる長い混乱と葛藤の中、今までの人生をもう一度振り返らせられていました。
その中で浮かび上がってきた私のテーマは、「本当に自分の欲しいもの(人も含め)を主張すること」。
そして、もう一つは「真実を言うこと」。

私は、たぶん子供時代からあまり子供らしくない子供だったのでしょう。小学2年生頃から、子供としての自分は脇において、いつも両親の間を取り持って仲裁役をして生きて、そして、他の人間関係でも、それをなぞって生きてきたようです。

でも、そのせいで、自分がないがしろになってきてしまった。自分では全く気がつかなかったけれど、いつも他人を優先し、自分のために本当に欲しいものを主張することが苦手になってしまっていたようです。
誰か弱い人のためには闘えても、いざ自分のためになると闘えない、という弱点がありました。

先日見た夢は、母親がすごい形相で私を追いかけてくる夢でした。
不思議にキラキラとした宝石売り場の中で追いかけられているのですが、母は「逃がさないぞ~」と言いながら私をどこまでも追いかけています。
私は首にとっても気に入っているゴージャスな金のネックレスをしているのですが、とっさに「これをしていると、母が追いかけてくるのだ」と思い、そのネックレスを投げ捨てる、という夢です。

目が覚めて、とっても象徴的な夢だと思いました。
大事にしているものがあると、母親が追っかけくる。それから逃れるには、大事なものを投げ捨ててしまわないといけないのだ、と私は思っていたんですね。

これから書くことは、私が個人的な経験を通して得た私なりの信念です。
マヤの暦のところに書かれたように、私には師はなく、経験でそれを学び、そしてそれを他の人にも知らせるのが使命なら、今、ここに書かなくてはならないと感じています。

大学を卒業後、私は赤坂にある小さな(といっても全員で12,3名ほど)の国際法律事務所に秘書として就職しました。

そこで出遭った人々は、大学時代の自由な友人関係からは想像もできないような人たちでしたが、何年かすると事務所の雰囲気にも慣れ、小さい事務所の家庭的な雰囲気も居心地良く、自分らしい仕事のやり方を模索しながら、派閥の対立のようなものからもなんとかすり抜けながら、働いていました。

そこでの人間関係、特に弁護士と秘書、という対等でない関係は、常に私を悩ませる種でしたが、自分の中では、「職業上では上下関係だけど、それは人間の上下ではない」と言い聞かせ、誇りを持たなくては、と思い、自分を奮い立たせていました。

就職して5年目頃に、私は法律事務所の所長弁護士の秘書になりました。
その人の秘書になって、初めて私は生き返ったようになりました。
指示を細かく出す人ではありましたが、それをどうやるか、ということについては、何も言わない人でした。そのため、私は自分の想像力や機転を生かして、自由に仕事をすることができました。そして、やり終えた仕事を渡すと、いつも「ありがとう」という言葉を忘れない人でした。弁護士としても非常に優秀で、いつもスタッフや秘書に気を遣い、人間らしく扱う態度に、私はすっかり人間として惚れ込み、理想の父親像、とさえ思って、彼の下で一生懸命働きました。

法律事務所長の秘書ではありましたが、秘書に格付けはしたくない、という事務所長の方針で、私には、特に何の権限もありませんでした。それでも、事務所長の秘書ですので、私にはクライアントやスタッフとの間を取り持ったりする役目が廻って来ました。

経営者の秘書という立場の人たちの中には、それを利用して自分の立場の強化を図る人もいるようですが、私という融通の利かない人間にはそういうことをする、という考えさえも浮かばず、不景気で事務所の経営も揺れる中、事務所の発展は弁護士やスタッフ、ひいては自分自身のためでもあるのだ、そしてそのためには、労働環境を少しでも快適にして、労働意欲を高く持つことが大事、と思い、それをいつも念頭において仕事をしました。

ときには余計なお世話と思われるようなことを弁護士たちに進言したりして、ずいぶん目障りな存在、と思われていたかも知れません。でも、真実を言うことは良いこと、という信念が、常に私の中にありました。

(続く)



昨日の江ノ島

2008年02月24日 13時29分59秒 | まちの風景
昨日の昼間は、お天気が良くてこの季節にしてはすごく暖かかったので、ふと思い立って江ノ島に行ってきました。

かなり風の強い日でしたが、やっぱり海は良かった。
巻き上がる砂や風、海の空気や匂いが、私の周りのほこりを振り払ってくれるかのようでした。
学生時代、イヤなことや辛いことがあると、一人でよく江ノ島に行って海を眺めていたことを思い出しました。

昨日はサーフィンにはいい風だったからか、水辺にはサーファーの人たちがたくさんいました。

きらきらと輝く太陽の下、自然の力に挑んでいくサーファーの人たちの姿が、毅然としていて、とても美しいと思いました。

厳しい自然の中では、人間の存在なんてチッポケで、あれこれ悩んでいることなんて必要なくなって、自然に優先順位や目標が定まってくる感じがします。
サーファーの人たちにとっては、泳ぐこと、ボードをうまく操ること、いい波を見定めてそれに乗ること、といった感じでしょうか。荒波にもまれているときに、夕飯のおかずのことを考えていたら、波になんて乗れませんもんね。

昨日の江ノ島の海を、ご相伴下さい。









世の中の不条理について

2008年02月24日 00時38分00秒 | 心についてのあれこれ
先日の「自分の信じる通り、生きているか」のブログについて、ちょっと補足です。

最近は、世の中の不条理について、久しぶりに怒りを感じています。

どうして世の中はこう不条理に溢れているのでしょう。

誠実に生きている人が報われず、弱いもの(特に女性)にしわ寄せが行く。

とても立派で、一見いい人のように見える経営者が、弁護士が、医者が、リーダーが、その理念や言葉とかけ離れた行動をとる。人を裏切る、騙す。

でも、本人は騙したとも、裏切ったとも思っていない。
「しょうがないのだ」と言って自分を納得させる。
その人は、犠牲になってしまった弱者のために、心は痛まないのでしょうか?

「全体の幸福のためには、個を犠牲にしても仕方がない?」本当にそうでしょうか?個を大切にできなかったら、全体だって、幸せになれないのだとは思わないのでしょうか?

果たしてそれで人は幸せになれるのでしょうか?
その人は本当にそれで幸せなんでしょうか?
騙された人は、「しょうがない」であきらめてしまっていいのでしょうか?
「しょうがない」であきらめているから、日本の社会はこんなに苦しいんじゃないでしょうか?



ひさびさに、私のグチでした。失礼しました。

自分の信じるとおりに生きているか

2008年02月13日 00時41分16秒 | 心についてのあれこれ
ひと昔前のロックミュージシャンが叫んでいたような青臭い言葉のタイトルですが...

マヤ暦のカレンダーによれば、今月(2月7日~3月6日)のテーマは、

「私は自分の信じる通りに生きているか? Do I live what I believe?」

です。

自分の信条と行動を一致させる、というのは、実はそう簡単なことではありません。
言葉と行動が乖離している人は意外に多いもの。

自分の信じる通りに生きること、それはすなわち自分自身をちゃんと愛せているかどうか、ということだと思います。

たとえ転んでも、失敗したとしても、自分が信条とする道筋の上にいるかどうか。

この問いに対し、

今の私の答えは、Yes!!です。

君は自分の信じるとおり生きているか???!!!

父語録

2008年02月05日 20時49分03秒 | 家庭内事情
今週の月曜日、胃に影があるので胃カメラの検査をするように言われたという母の付き添いで、病院に行ってきました。

その日は前日から降り積もった雪の影響で道路は大変な状態に。
朝から父を介護センターに預けることになっていたのに、お迎えのバスが来れなくなったとのことで、急遽父も病院に同行することになりました。

待合室で父と待っている間、父は私に話しかけようとするのですが、フガフガ言っていて、よく理解できません。ああ、だんだん認知症が進んで言葉も話しづらくなって来たのかな~、とちょっぴり悲しく思って。

母の検査は思ったより短時間で終わり、食道にも、胃にも異常はないようだ、とのことで一安心。

その後は3人で実家へ。
夕方、3人で夕食を食べていたところ、急に父がしゃんとした顔になり、
はっきりとした口調で、「千枝子、お前は、あっさりした性格で、お父さんはとってもいいと思っているよ。お父さんはお前のことが大好きだよ」
との言葉。

おお、出た出た、またまた神がかり的お言葉。どうもありがとう。
毎回、泣かせるねえ。
認知症になる前は、「大好きだよ」なんて一言も言ったことない父でしたが。

そして、キューバのソンのCDをBGMにかけていたのですが、それに触発されたのか、嬉しそうな顔で突然花笠音頭を高らかに歌いだしました。

キューバの民謡と日本の民謡のコラボです

若い頃、本当は多分歌手になりたかっただろう父。
次の人生では、歌手になれるといいね。あなたの娘は今世で歌手になります