本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

秋の一日

2007年11月25日 13時33分08秒 | 風物詩
先週の月曜日の午後、それまでの2,3日ずっと家に閉じこもっていたので、なんだか外の空気を吸いたくなって、ぶらっと家を出ました。
どこに行こうかな。
初めは東御苑に行こうかな、と思ったのですが、月曜日は東御苑はお休みなのを思い出し、そうそう、代々木公園の紅葉がキレイかも、と思いついて代々木公園に行くことにしました。
千代田線の代々木公園駅で電車を降りて、ホームから出口に向かう間にももうすでに紅葉している木の香り。
ああ、秋の空気だわ、とドキドキしながら公園へ。

代々木公園の木々は予想通り、赤く、黄色く色づいて、ウットリするくらい美しかった。



地面にたくさん落ちている枯葉を踏みつけながら、カサカサという音を子供のように楽しみながら歩きました。



美しく紅葉した木々を眺めながら、ひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込み、体の細胞の一つ一つまで貪欲に秋の雰囲気を楽しみました。

代々木公園にはいい木がたくさんありますね。
あの木の形はゲイジュツ的だな~、なんて考えながら、人目のないところでこっそりその木に抱きついたりして。木の優しいエネルギーを分けてもらいました。

秋は、人の感受性を刺激する季節ですね。

高校のときに習ったポール・ヴェルレーヌの詩を思い出しました。

秋の日の 
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて 
ひたぶるに 
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かえて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもいでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らう
落葉かな。

今日もまた美しい日であります。

1ヶ月半ぶりの....

2007年06月12日 23時19分31秒 | 風物詩
今日はうちのパートナー殿がお休みの日でありました。
最近はお休みの日には家にいることが多くなったパートナー殿でありますが、いいお天気だとしぶる彼を私が無理やり家から連れ出して、歩いて30分ほどの河原まで二人でお散歩に出かけるようになりました。
最近は晴れた日であれば、涼しい風の吹く気持ちの良いお散歩日和の日が多いですものね。現在習っているウォーキングの実践にもピッタリですからね。ただ歩くのもウキウキであります。

ちょっと汗ばむような陽気の中、元気に河原まで歩いて土手で風に吹かれながら川を眺めた後、家に引き返すのですが、家の近くまで来たところで、ちょっと自分にご褒美をあげたくなって、おしゃれな喫茶店に入ってお茶をするのであります。「お茶なんかしたくないよ~。」とブツブツ言うパートナー殿をなだめながら、喫茶店に入ってちょっと一休み。

今日は暑い日だったので散歩の後は喉が渇き、食事制限を始めてから1ヶ月半ぶりにアイスクリーム付きの抹茶ラテを飲みました!
感動!!アイスクリームってこんなに美味しかったかしら....

...というわけで、散歩の風景の写真はないのに、思わず抹茶ラテの写真を撮ってしまいました。

その如月の望月のころ

2006年04月04日 20時00分31秒 | 風物詩
今日は先日桜について書いたブログの中で引用した西行の「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」という和歌について。

私は、桜咲く季節に(御存知のように花というのは和歌では桜のことを指す)桜の木の下にて一生を閉じたい、という西行の願いを歌った歌だとずーっと思っていたのですが、実はそうではなかったようです。

その肝心な部分は下の句、「その如月の望月の頃」という箇所にあります。
如月は旧暦の2月、望月というのは満月の頃、つまり月の15日にあたるのだそうです。
2月の望月の日とは、実はお釈迦様の入寂の日とされていて、西行は、お釈迦様がその日に沙羅双樹の木の下で亡くなったように、自分も同じ頃に桜の木の下にて、悟りを開いて死にたい、と歌った歌なのだそうです。

従って、これは仏教用語を使わずに、仏教的思想を表現した歌なのだそうです。

ということを、実は私はイスラエル人の大学の先生から今日教えてもらいました。
彼女の専門は民俗信仰で、もう20年以上も前から日本の神楽について研究しているのです。
彼女の日本語の豊富な語彙、日本の歴史や宗教についての造詣の深さには舌を巻くなあ、と最初に会ったときから思っていたのですが、今日、西行の歌について解説されたときには、すっかり日本人をやめたくなってしまったほどです。

ひょんなことから彼女が短期間日本に滞在する間、彼女の研究のお手伝いをすることになったのですが、お手伝いをすると同時に、私は日本の文化について教えていただいている、と言う感じであります。

最近日本古来の信仰に興味を持ち始めた私にとっては彼女との出会いは千載一遇のチャンスだったのでありますが、彼女と話していると、自分の日本文化に対する無知さ加減に呆れるばかりであります。
でも仕方がない、この際、日本人としてのプライドは投げ捨て、頭を垂れて教えを請うつもりでいるのでありました。

Valentine's Day

2006年02月14日 23時51分33秒 | 風物詩
今日はヴァレンタイン・デー。
日本のヴァレンタイン・デーは女性が男性にチョコレートをあげるのが習慣になっていますが、ご存知のように西欧文化ではもっと広い意味の愛の日です。
男性が好きな女性にお花を送ったりするのはもちろん、家族や親しい友達に、思いを伝え合う日です。

スペイン語のYahooのサイトには、ヴァレンタイン・デー用のグリーティングカードがたくさん!
恋人用、友人用、家族用などのカテゴリーに分けられ、それぞれにカラフルで凝った絵柄や、笑わせたりホロッとさせるような言葉を工夫したカードが並んでいて、見ていると思わず楽しくなってしまいます。

友人用のカードの中の言葉で私がいいなあ、と思ったものを一つご紹介。(絵もすごくカワイイのでついでに見せられたらいいのですが、残念!)

"EL VIAJE DE LA VIDA ES MAS FACIL CUANDO SE ESCUCHAN LOS PASOS DE UN AMIGO AL LADO.

SIEMPRE ESTARE AHI CUANDO ME NECESITES.

FELICIDADES EN SAN VALENTIN!"

「人生の旅はより楽になるだろう。
友だちの足音が近くに聞こえるなら。

あなたが必要なときには私はいつもそこにいるよ。

ヴァレンタイン・デーおめでとう!」

私からも。

ヴァレンタイン・デーおめでとう!

ちえ蔵

昨日は雪天なり

2006年01月22日 12時02分43秒 | 風物詩
昨日は朝から雪でした。
今シーズン初めての雪らしい雪。

夜、ベランダにテーブルと椅子と電気ストーブを持ち出し、日本酒を片手に雪見をいたしました。

吐く息は白く、凍てつく寒さの中、はらはらと雪が舞い落ちる様子を見ながら暖かい日本酒をキュッとやるのはなかなかオツなものであります。

思わず話しも盛り上がり饒舌に。

小さな幸せの時でありました。

美女とバーゲン

2006年01月11日 23時07分56秒 | 風物詩
去年の12月31日の夜は、どこへも行かずに家で大人しくしていました。
テレビでは、2つのチャンネルで格闘技の特番をやっていました。
わがパートナーは、世の多くの男性と同じく格闘技というとテレビに目が吸い付いて離れないようなのですが、その日も、不満顔の私をよそ目にチャンネルを忙しく交互に変えながら画面に見入っていました。

やけくそになった私は「ふんっ、そんな男祭りなんか!」
巨体の男性二人が上半身裸で組み合っているのは、私の目からはタダの男祭り。
ブツブツ言いながら憂さを晴らしつつ、いつしか眠ってしまいました。

以来、わが家では格闘技のことを「男祭り」と呼ぶようになりました。

年が明け、ただ今バーゲンの季節真っ盛りです。
バーゲンと言えばいわば女の格闘技。前例にならえば「女祭り」ということになりましょうか。「女祭り」のリングもまた、「男祭り」に負けないくらい熱気がムンムンと漂っています。
かく言う私も、自分の好みの品物がありそうと見るやいなや目がランランと輝き、自分でも驚くほどテンションが上がって普段とは違う機敏な動きで店内を動き回ります。

また、「女祭り」は女の本性が否応なくムキ出しになる場所でもあります。
私の友人が先日バーゲン会場で、目に付いたものを手にとって見ていたところ、横から手が伸びてあっという間にそれを持って行かれてしまったとのこと。
あまりのことにボーゼンとなりながらその手の持ち主を目で追いかけると、なんとキレイに着飾った、スタイルのいい、若くて美しい女性だったそうです。
私も本日バーゲンにおいて似たような体験をいたしました。

美しい女性に目の前でそんなことをされると、された方はかなりのショックです。
まさか、あんなにか細くて美しい女性が、他人が手に取っているものをひったくるようにヨコドリするなんて信じられない...いくら女の格闘技の場であろうとも、それはまったくの反則ワザではないか!という憤懣やるかたない気持ちでクラクラしました。
が、しかし年々タフになっている私はすぐにショックから立ち直り、やはり人間は外見という「仮面」にダマされてはならぬのだな、とひとりごち、バーゲン会場を後にしました。

世のプロレス好きの未婚男性の方々は、女版格闘技を見物するつもりでバーゲン会場に行かれてみるのもよろしいのではないでしょうか。







シメカザリとカガミモチ

2006年01月11日 00時49分40秒 | 風物詩
やっとお正月気分もぬけて来た今日この頃。
疲れた胃をなだめつつ、玄関のドアに飾っていた「シメカザリ」の行き場を思案していました。
若い頃はお正月だの、お盆だのの行事などを面倒くさいとか、古臭いと思っていたのに、最近は子供の頃にあった慣習が懐かしくなって、ちょっとずつ取り入れてみるようになっています。
もっとも実際にマメマメしく率先して実行に移すのは私のパートナーです。
彼も若い頃なら日本の慣習や迷信なんて歯牙にもかけなかったような人ですから人とは変わるものです。
シメカザリを買ってきて飾ったのも彼ですが、その上鏡餅とみかんとお酒を玄関の靴入れの上のスペースに設置。(神棚でもないのにねえ。私の、「聞いたところによると、神様は玄関から家庭訪問に来るらしいよ」という言葉を信じたらしい。)

日本の伝統を全く排除して現代的な生活を送ることが味気なく感じられる年齢になってきたのでしょうか。でもそれはそれでまんざら悪くもありません。
シメカザリのような小さなことでも、なぜかやってみると神聖な気持ちになってくるような気がするのは、私も迷信深い人間(または催眠にかかりやすい人間?)であるということかも知れません。

くだんの「注連飾り」は神社のお炊き上げで燃やしてもらうのがいいとのことなんですが、最近はごみ焼却の規制がキビシクなっていて、お炊き上げも自分の神社のものしか受け付けないところもあるとか... 
いったいどうすればいいんだろうか... いや、その前にお炊き上げとは一体いつなのか?
ああ、まだまだ日本文化に無知なワタクシです。

あ、そういえば今日は鏡開きだ!