本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

チリからの木蓮の花 (Una flor de magnoria de Chile)

2006年02月01日 22時40分31秒 | Weblog
私にはスペイン語を教わっているチリ人女性の先生がおります。
初めて会ったのは四谷のとある語学学校の教室。その日はいつもの日本人の先生がお休みでした。代行教師として教室に入ってきた彼女は、ちょっとふっくらとして、茶色のふさふさとした巻き毛を肩まで垂らし、生き生きとした大きな茶色の目で教室を見回し、晴れ晴れとした表情でみんなに笑いかけたのでありました。それは寒い曇天の日だったような気がします。彼女が入ってきたとたんに教室がパッと明るくなったような気がして私はハッとし、この人は一体どんな人なんだろうと思いました。なぜか私には彼女のいる周辺がピカピカと光って見えるように思えたのであります。

彼女の丁寧で熱心な授業と、明るく魅力あふれる人柄に惚れ、クラスメートの女性2人と共にお願いをして彼女に個人的に教えてもらい始めたのが6年くらい前になるでしょうか。週1回のクラスでお互いの色々なことを話しながら、私は徐々に彼女のことを知るようになって行きました。

南米大陸の一番西にあって南北に長い国チリは、面積が日本の2倍、しかし全人口は東京都の人口よりちょっと多いくらい、というカトリックの国であります。
4人兄弟の下から2番目という彼女は、温かい家庭に育まれて育ったようであります。

18の頃、彼女は海洋科学を学ぶために大学に入りましたが、時はピノチェトの軍事政権下。軍部は、軍事政権に反対する者に対して、すさまじい粛清を行っていました。多くの左翼系市民が虐殺され、その中には有名なフォーク歌手もいたそうです。軍事政権に反対する者には大学生も多く、彼女の仲間であった若者が、ある日こつ然と姿を消したかと思えば、軍部に秘密裏に殺されていた、ということが頻繁にあったのだそうです。そんな中、彼女もまた意を決して軍部反対の立場をとり、チリにいられなくなって家族とも別れ、一人ボリビアに政治亡命したのだそうです。

その後しばらくして、幸いにも1989年にピノチェト独裁政権は民政移管し、現在の民主国家となりました。

そんな話を聞いたのは、彼女にスペイン語を習い始めてからずい分経った頃であります。目の前にいる私より年下でいつもニコニコと自然体、そしてとても暖かい人柄の彼女がそんな大変な経験をしたなんてとても想像できずに、私はあんぐりと口を開き、そのにこやかな笑みの裏になんて強靭な精神を秘めているのだろうと感嘆したのでした。

ふうん、世界にはそんな人もいるでしょ、それがどうしたの、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、それは私たちが日本という国に住んでいて平和ボケしているため、または日々の生活に追われるあまり他人のことに思いを馳せる余裕も想像力もなくなっているためであって、心ある人ならば彼女のとった行動の大変さが分かるはずであると思うのであります。彼女自身はそれがちっとも大変な行動であったかのようには語らないのでありますが。

今年の1月に、チリに初の女性大統領が誕生しました。お医者さんでシングルマザー、54歳のバチェレ大統領もまた、ピノチェト政権下で身内を殺された経験を持つ人のようです。まだまだ男性主導の国であるチリにあって、女性の地位向上のために活躍してくれるはず、と期待されているようです。

強風にあおられてふわっと日本に飛んできた誇り高い木蓮(マグノリア)の白い花、とそんなイメージを前述の彼女に勝手に持っている私なのでありますが、そんな彼女が、自分のスペイン語の先生であり友人であることを、誇らしく思っているのでありました。