本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

いい子のちえ蔵です

2006年01月31日 09時46分20秒 | Weblog
「キミの言うことは学校の先生みたいでイヤだなあ」
といううちのパートナー殿の言葉で今朝はまた一気に二人の間に緊張感が高まりました。
私が日本の今の悲観的な社会状況についてパートナー殿に話をしていたときです。
こう書いていて気が付いたのですが、最近は、私が何かについて自説をぶつと、パートナー殿が冷や水を浴びせかけるようなコメントをし、険悪になる、というパターンが多いようです。
まあ、パートナー殿としては、「なにをわけ知り顔をしてエラそうに言ってるんだ」と思うのでありましょうが、私は私なりに、ニュースを見たりしながら憤慨したり、思うことがあり、それを口に出すときだってあるのであります。

前にも書いたように、うちのパートナー殿は心理カウンセラーの卵なのでありますが、彼によると、DV(家庭内暴力)の加害者の男性には、正義感が強く、生真面目で謹厳実直な人が多いのだそうです。その生真面目さゆえに社会や他者に対して、「こうあるべきなのにそれと違うのは許せない!」という気持ちが強く、それが一番身近な妻や子供に暴力と言う形で表出してしまったりするのだ、というのです。
それゆえ、うちのパートナー殿はやたらと正義を振りかざす人を信じていないところがあります。
まあ、それは私だって分かります。自分のことを「私はいい人間だ」とか、臆面もなく簡単に口にする人間は本当のところは一体どうなんだか、と私だって常日頃から心の中で思ってはいるのです。
それに、私を含め、多くの女性には多かれ少なかれ、「いい子ちゃん病」が蔓延していることも口惜しいけれど認めましょう。

でも、そうとは分かってはいても、ああ、毎日のニュースを見ていると、マンション耐震偽装問題、アメリカからの輸入牛肉の問題、ホリエモン逮捕についての過剰報道などなど、嘆かわしい気持ちになってくるのであります。

今に始まったことじゃないけれど、日本人の倫理観は地に落ちて、ますますひどくなるばかり....今や子供に向かって、「こつこつと真面目に生きている者はいずれ報われるんだよ」と言ってもその言葉はむなしく響き、善悪の区別をどう教えたら良いのか。どうしてこんな社会になってしまったのか... 私たちはこれからどう生きていったらいいのか...
とは、誰もが心の中でなんとなく考えていることじゃないのでしょうか。

悲観的になりすぎて、日々の喜びや希望を見失ったらとてもこの世の中で生きていけないとは思うけれど、社会の問題や状況を全く無視して楽しく生きていくことだって難しい、と思うのであります。

これもいい子ちゃん症候群なんでしょうかねえ。

冬景色

2006年01月29日 17時17分57秒 | まちの風景
今日はお天気も良く、少し寒さも和らいだので、家から歩いて30分くらいの土手まで散歩をしました。
うちのパートナー殿はジョギング、私はウォーキング。
周りの景色は、裸になった木や枯れ草色となった芝生ばかり。
新芽の芽吹く気配もなく、澄み渡った青空以外にはほとんど色のない世界です。
まだまだ春は遠いようです。
それでも少しだけ景色を切り取ってみました。






ある一兵卒のはなし

2006年01月28日 19時03分57秒 | Weblog
時は昭和の初め。
東北の貧しい村に男の子がいた。
その男の子は一家の長男で、当時としては珍しくないことだが、下には6人もの弟妹がいた。
男の子が11歳頃、父親が死んだ。
そして男の子は近くの大きな屋敷に丁稚奉公に出された。
家族から離れ、つらい丁稚奉公の中で、その男の子を慰めたのは歌を歌うことだった。畑仕事をしながら、一人で歌を口ずさんでいる時が唯一の心休まる時間だった。
そのうちに戦争が始まった。男の子は19歳の青年となっていた。
青年は召集令状を受け取り、兵隊訓練に行くことになった。
兵隊訓練は厳しいものだった。幾人か毎に班に分けられ、それぞれの上官が指揮をしていた。上官の命令には絶対服従。一人が何かミスをするようなことがあると、連帯責任で回りビンタという罰が全員に与えられた。みなで円になり、隣の者の頬を何十回も力いっぱいビンタする。円になっているため、全員がビンタをし、されている形になるので回りビンタという。その罰を命令されると、本当に目から星が出ると思うほど痛かった。

つらい兵隊訓練の中でも余興があった。ときには慰労のために開かれる宴会があった。当時は自由も、遊ぶ手段も今のようにはない。青年は歌が上手かったため、宴会の時にはいつも歌を歌わされた。彼の所属する班の上司はことさら彼の歌が好きで、宴会の席ではいつも歌え歌えと催促された。そのうちには各班で歌の上手い者が代表となり、班対抗の歌合戦までになった。
そうしてそこに集まった男たちは、毎日の辛い訓練と明日への不安を慰めていたのだ。

青年にとっても兵隊訓練は辛いものだったが、歌を歌うことにより、今までの人生の中で一番人から必要とされ、賞賛される喜びを感じられた日々でもあった。上官が彼に目をかけてくれ、回りビンタのときも、直前に上官が彼に用事を言いつけて、その罰を逃れさせてくれるようなこともあった。階級も、他の者よりも早く上がることができた。そんな日々の思い出は彼の心の中に深く刻まれた。

その後、結局彼は兵役検査で不合格となり、出征することはなかった。
そして日本は敗戦した。

ずい分昔に読んだ「夜と霧」の中で、ヴィクトル・E・フランクルは、第二次世界大戦の際にユダヤ人だった彼はドイツ強制収容所の中で、精神科医として自分や周りを徹底的に客観視し分析し、それに集中することで現実の辛さを乗り越えられることができたと語っていたような気がする。

過酷な状況の中で人が人としてあり続けるために必要なものは何なのだろうか。

冬枯れの寂しい景色の中、浮かび上がる白梅の美しさが思い浮かんだ。

すさまじきもの

2006年01月24日 18時19分59秒 | ニュース
すさまじきもの。(*興ざめなもの)

清少納言風に。

オシャレなスーツを着て、髪型も決めた長身のさわやか風な若いビジネスマンが、通勤電車の中でだらしなく座って少年漫画をわき目も振らず読んでいるさま。

無理やり圧力をかけて輸入再開をさせたあげく、売れればその国の人間がどうなっても知らぬとばかりに危険部位を紛れ込ませる大国。

一時は時代の寵児ともてはやし、持ち上げておきながら、法を犯した疑いがかかるとそれ見たことかとばかり、自らのことは棚に挙げ、執拗に加熱報道するさま。







昨日は雪天なり

2006年01月22日 12時02分43秒 | 風物詩
昨日は朝から雪でした。
今シーズン初めての雪らしい雪。

夜、ベランダにテーブルと椅子と電気ストーブを持ち出し、日本酒を片手に雪見をいたしました。

吐く息は白く、凍てつく寒さの中、はらはらと雪が舞い落ちる様子を見ながら暖かい日本酒をキュッとやるのはなかなかオツなものであります。

思わず話しも盛り上がり饒舌に。

小さな幸せの時でありました。

Every Person Is Different

2006年01月21日 11時48分06秒 | 洋画・海外ドラマ
私の好きなアメリカのシリーズドラマに「Sex and the City」というのがあります。
主人公はニューヨークに住む30代、リッチでシングル、おしゃれなキャリアウーマンという共通項を持つ4人組。4人は一緒にランチをしながら、お互いのどんなプライベートなことでもあからさまに話し合う仲です。
4人はそれぞれニューヨークでのシングルライフの中で、恋愛や仕事を楽しみながらも、いろいろな経験をします。

以下は、最近見た(と言っても見るのはもう2ラウンド目なんですが)お話し。

4人のうちの超のつく靴好きのコラムニストであるキャリーが、最近3人目の子供が産まれたかつてのキャリアウーマンの友人の出産お祝いのホームパーティにプレゼントを持って出かけます。
すると、友人の妹がキャリーを出迎え、子供にバイ菌が移るから、玄関のところで靴を脱ぐようにと要求します。
キャリーは仕方なく玄関のところで靴を脱ぐのですが、しばらくして帰ろうとすると、靴がなくなっています。
なんと言っても485ドルもするマノロ・ブラニクというブランドの高級シューズ。それを友人に訴えると、友人は先に帰った友達が間違ってしまったのかも知れない、靴を貸すから今日はこのまま帰るように、と言います。

しかし、その後キャリーが友人に電話をしても靴が見つかる気配はない、それどころか、その友人はキャリーにそんな高価な靴を買うのは馬鹿馬鹿しい無駄遣いである、自分たちには子供にいろいろお金をかけなければいけない「本当の人生」があるのに、と説教をします。

そう言われてもキャリーは釈然としません。それじゃ、子供にではなく靴に満たされた自分の人生は「本当の人生」ではないのか?

キャリーは自問しながらエッセイに記します。

「私たちが子供だった頃、マーロ・トーマスはお互いの違いを認め合おうと歌った。でも、私たちは成長するとそれぞれ違う曲を歌う。お互いの選択を称えあわず、評価する。
認め合うということはただの子供じみた考え方に過ぎないのか?それともそもそも初めから存在していたのか?私たちはいつからお互いの自由を認めなくなったのだろう。」

結局考えた末、キャリーは友人の留守電に、「私は今度結婚することにしました。相手は私。結婚お祝いに欲しい品物の登録をしたのでよろしくね。」とメッセージを残し、なくなってしまった靴と同じものをプレゼントとしてもらうことに成功します。

とてもよくできた話であると感心しました。

わが身に振り返れば、私が結婚したのはつい最近で、30代独身のキャリアウーマンの寂しさや世間からのプレッシャーなど、キャリーたちの気持ちはよく分かります。でもその代わり、20代で結婚し早くに子供ができた人の気持ちはよく分からないかも知れない、その代わりその人たちには30代独身のキャリアウーマンの気持ちはよく分からないだろう。

みんな自分と違う立場の人間のことは良く理解できないことが多いものであります。
だからときには自分には理解できない人たちのことを批判してしまったり、批判した人から反撃を受けたり。
でも人とはみなそういう失敗を繰り返し、ぶつかりながら学んでいくものなのだ、だからただ失敗を恐れていても仕方ないことなのだ、と思い、ふと気が楽になったのでした。












男と女の間には深くて長い川がある

2006年01月20日 17時59分33秒 | 家庭内事情
うちのパートナー殿は今どき流行のカウンセラーの卵であります。

普段は家事も手伝ってくれたり、いい人ではありますが、一番私がムムッ、コイツは、と頭に来るのは、時に妻のワタクシに対しカウンセラーモードが顔を出すことであります。

過去においては、職場のことで悩んでいた頃、不満がつのっていてよく彼にグチを言っていたところ、だんだん疲れて来たのかしまいには「ふーん、キミはそう思うんだ~。」とのたまうようになりました。
これは、カウンセラーの常套手段、「共感なき傾聴」だったか、そんな手法であります。相手の言うことに必ずしも賛成はしていないが、言いたいことは一応理解した、というわけです。

そういうテクニックがあると知っている私にあえてそのテクニックを使用する、そういう態度が私を余計に逆上させます。女はときに話を聞いてもらって、気持ちを分かち合ってもらいたいのだ!「キミの気持ちは分かるよ」となぜ言えないのだ、それが分からなくて何がカウンセラーなのか!と詰め寄るとテキは自分の陣地に立てこもり籠城します。

....とこんな風に、幾度か小競り合いを演じた後、ようやく最近では、二人の間に緊張感が走り始めると、お互いの間にある深くて長い川を睨みつつも尊重するようになって来ているように見えます。まあ、別の言葉で言えば、アキラメとでも申しましょうか。

まあ、それでもやはり、ときにはその川を越えて矢が飛び交うこともあります。
今朝も、私が、「ある人の行動について私はこう思う」というようなことを言っていたところ、「キミは以前も他の人のことで同じようにこだわっていたけど、それはキミ自身に何かこだわってしまう理由があるんだと思う」とエラそうに申しました。それはその通りかも知れないけれど、じゃあ、どうすりゃ良いのだ、どうしても考えてしまうんだから仕方ないじゃないか、こちとらあんたんとこの心理学教の信者じゃない、心理学の分析の範囲内で生きてるわけじゃないんだ、私には私なりの信念があるんだ!... という言葉は途中から飲み込み、テキからしばし距離を取ります。

そのとき、テキの陣地でガラガラガッシャーンという大きな音と共に「あ~!」と言うテキの声。何かを壊したか、倒してしまったようです。それだけなのになぜだか嬉しくなり、「天罰テキメ~ン!」と叫ぶと、テキは悔しそうな顔をしながらも時間切れのため勤めに出かけたのでありました。

そして後に残ったワタクシは、なんとなく憂さを晴らせたような気持ちになったのでした。














訓戒

2006年01月17日 23時05分05秒 | Weblog
私の好きな作家に佐藤愛子という人がいます。
文壇にオモネラナイ気骨のある大衆作家です。また怒れる作家としても知られています。怒っている中にもその文章にはユーモアがあって、思わず吹き出すほど笑わせられてしまいます。
私は10代後半から20代前半にかけて「娘と私」などのエッセイをよく読みました。
その後は少し作品から離れていたのですが、最近ひょんな縁でまた佐藤愛子の本を読み始めました。

今や齢80過ぎ。しばらくぶりに作品を読んでも、未だ怒りは収まらず、相変わらず怒りながら最近の世の中を憂いていらっしゃるようです。

そしてこの間読んでいた本の中にこのような文がありました。

"私が初めて『愛子』という自伝を出しましたときに、室生犀星さんから葉書をいただきました。
「小説を書くことは、親を討ち、兄弟姉妹を討ち、友を討ち、己を討つことです」この言葉が、ずぅーっと私の中にありました。
詩人の吉田一穂さんからは、こうも言われました。
「女になんか小説は書けんよ。何でかというと、女は、いつも自分を正しいと思っているから」
これも犀星さんの言葉と同じように私の中に、植え付けられました。"

昔の人は、後進にずいぶん厳しい言葉を言ったものです。
でも、今はこんなふうに厳しくて身のひきしまる、そして愛のこもった訓戒を言ってくれる大人はいなくなってしまいました。

多分、今はそんなことを言っても、「なに訳分からないこと言ってるんだか」とか「女性蔑視!」とか「私に限ってそんなことは絶対にない!」とか言われてどこかに追いやられてしまうでしょう。

年長者からの年下の者への導きの言葉が失われてしまったことを寂しく思い、感傷的になったのでありました。




にわか信心

2006年01月15日 22時53分34秒 | まちの風景
きのう午後からずっと降り続いた雨の後、今日は朝から晴れて暖かかったので、最近やけに神妙な気持ちになっていたついでに氏神様にお参りに行こうと思いつきました。

自宅からゆっくり歩いて40分ほど。お正月で重くなった体にはいい散歩です。

思ったよりもこじんまりとしていましたが清潔な感じのするいい神社であります。
163X年(早くも忘れた)に建立と書いてあったので、江戸時代の初め頃に建った神社のようです。
神社に特有の太くて大きないい木が何本もあります。

神社に行ったりすることが普段はないもので、どうするんだっけ?と境内に入ってまず辺りをキョロキョロ。あ、ここで手をゆすぐのか、と水場でギクシャク手をゆすぎ、
それで次は?あ、あそこで拝むのね。お賽銭?まあ、こんなモノは気持ちだからね、はい、入れた、次は?あ?これを揺らして、かしわ手?

ご挨拶が遅れましたがワタクシかくかくしかじかと申します。
まあ、神様はもう何もかもお見通しでしょうけど欠点の多い人間ですが、どうぞよろしくお願い致します....






今年のお題

2006年01月13日 12時12分16秒 | Weblog
誰しも、ときどき考えているともいないとも言えないようなときに、あ、そうだ、これだ、とひらめくときがあるはずです。

だいたいはそのまま忘れてしまうことが多いのだけれど...

今回は忘れないように書いておこう。
今年の私のお題は「遊びごころ」。

若い頃は「一生懸命」はいいことだと思っていたのですが。
けれども人生の真ん中くらいに来て、周りを見、自分を振り返りつつ考えると、自分の感情をそのまま表出させて傷をさらすような「一生懸命」は自分も周りもただ苦しくさせることであるなあと気がついたのでありました。

だから「遊びごころ」。
何かに一生懸命のときも、苦しいときも、ユーモアに包めるくらい客観的に自分を見ることができれば理想です。

でもああ、悲しいかな、こんな悟りも、ニワトリのようにすぐ忘れてしまう昨今のワタクシ。

ま、それもいっか。