昨日、ちょっと感動的な出来事があったので、またまた霊能者の人の話しではないのですが、その出来事について書きたいと思います。
実は、霊能者の人に会って以降、子供時代の悲しい記憶が時々よみがえって来ています。(だから、前回のブログもあんな感じでした。)でも、霊能者の人によると、それは私にとっては必要なことで、癒しのプロセスなのだそうです。それについては、心理カウンセリングの卵のうちのパートナー殿から見ても、適切だと思えるそうなのです。
最近では、私が小学校5,6年生ぐらいのときに、父親が私に言ったある言葉を何度も思い出していました。それは、父親とたまたま2人だけで外を歩きながら話していたときのこと。「お母さん、口うるさくて、イヤになっちゃうね。」私と父はそんなことを言いながら歩いていたのですが、次に父が、「お母さんと結婚するときに、お母さんの親戚からお母さんは頭がおかしい(当時は心の病というと、頭がおかしいと一くくりにされた時代です。)と言われたことがある。」と言ったのです。父は何気なく言ったのかも知れませんが、私は非常にショックを受けました。認めたくなかったけど、やっぱり、という気持ちと、「だからって、どうしてそれをお父さんが子供である私に言うの。」という怒りと。どんな母親であっても、私には母親なのですから。子供心にとても苦い気持ちになった思い出です。
先週の日曜日は父の日でしたが、私は具合が悪くて実家に帰れず、昨日父にプレゼントを持って実家に帰ったのでした。現在80才過ぎの父親は、10年ぐらい前から少しずつ呆けてしまっていて、今では私が2年前に結婚したことも何度聞いても覚えていられません。実家に遊びに行っても、こちらから話しかけなければ黙ってボーっとしているか、寝ているか食べているか。日常の最低限のことはできますが、最近のことについての会話はほとんどできません。話をするとしても、自分の子供のときの話か、軍隊にいたときの話が多いのです。
お昼頃実家に帰った私は、夕方なんだかダルくなって昼寝をしてしまいました。しばらく寝てから目が覚めた私は、まだ横になりながら、またあの思い出を思い出していました。すると、横にいた父が急に私に、「おまえは、お父さんが意地悪だったと思っているのか?」と聞きました。普段はそんなことを言うような父ではありません。私はギクッとして、「え?どうしてそんなこと言うの?」と言うと、父はそれには答えずに、「でもね、お前はここに来て良かったんだよ、お父さんとお母さんはお前が来てくれて良かったんだよ。」私はビックリ。母は、「なんだ、お父さん、何と混乱しているの」と言いましたが、父は続けます。
「お前が子供の頃は、聞き分けの良い、良い子だったよ。他の子が駄々をこねていても、お前はお父さんがダメと言えば堪えられる良い子だった。お前のことが可愛かったんだよ」「お前が子供の頃は、お父さんは仕事が大変だったから、お母さんにお前の教育を任せたんだよ。お母さんは一生懸命やってくれたんだ。」それを引き取って、母も昔の話を始めます。(過去の話は彼女のお得意なのです。)「家が貧乏だったし、収入も不安定だったから、お前を国立大学にやろうと思ってたんだよ。あの時はお父さんがケガをしたり、お母さんも病気をしたりで大変だったんだよ。」その後は、「だけど、お前が勉強をしなくて浪人をしたから」と普通はグチが続くのですが、今日は父が母を制して、「昔のことをいつまでもグチグチ言うんじゃない。この子は今、幸せなんだから。」私は目が丸くなりました。私が結婚したことも覚えていられない父が、どうして私が幸せなことを知ってるのでしょう?うちのパートナー殿との結婚は母親に強硬に反対されていたのを無理矢理押し切ってしたので、実家に帰ったときは私の結婚生活の話はあまりしないようにしているのに。
そして、「お父さんは大学に行きたかったんだけど、お金がなくて行けなかった。でも、お前は大学に行けたから良かったな。」「おまえは大丈夫だよ。お父さんは毎朝見てるんだよ。お前はちゃんとしてるから大丈夫だ。」「他の人のこともいろいろ見るけれど、口ばっかりでいい加減な人も多いけど、お前は性格が良いから大丈夫だよ。」ということを次々と言いました。私は途中から涙が溢れて止まらなくなりました。呆けてしまう以前には、そんなことを言うのを私は聞いたことがありませんでした。
父の言葉は、過去のことを思い出して複雑な心境になっている私の胸に真っ直ぐに投げられた直球のようでした。
呆けてしまってから、父の意識(魂)は一体どこを彷徨っているのか、と考えていた私に対して、大変に愛情のこもった返事とメッセージを父は返してくれたのでした。私を毎朝見守っている、と私に伝えて。
先日のセッションで霊能者の人は、私の父のことを、「お父さんは亡くなったら守ってくださるタイプの方ですね。」と言っていました。でも、現在すでに私のことを見守ってくれていたなんて。
うちのパートナー殿にこのことを話すと、「いい話だね。お父さんとの和解だね。」と言ってくれました。
実は、霊能者の人に会って以降、子供時代の悲しい記憶が時々よみがえって来ています。(だから、前回のブログもあんな感じでした。)でも、霊能者の人によると、それは私にとっては必要なことで、癒しのプロセスなのだそうです。それについては、心理カウンセリングの卵のうちのパートナー殿から見ても、適切だと思えるそうなのです。
最近では、私が小学校5,6年生ぐらいのときに、父親が私に言ったある言葉を何度も思い出していました。それは、父親とたまたま2人だけで外を歩きながら話していたときのこと。「お母さん、口うるさくて、イヤになっちゃうね。」私と父はそんなことを言いながら歩いていたのですが、次に父が、「お母さんと結婚するときに、お母さんの親戚からお母さんは頭がおかしい(当時は心の病というと、頭がおかしいと一くくりにされた時代です。)と言われたことがある。」と言ったのです。父は何気なく言ったのかも知れませんが、私は非常にショックを受けました。認めたくなかったけど、やっぱり、という気持ちと、「だからって、どうしてそれをお父さんが子供である私に言うの。」という怒りと。どんな母親であっても、私には母親なのですから。子供心にとても苦い気持ちになった思い出です。
先週の日曜日は父の日でしたが、私は具合が悪くて実家に帰れず、昨日父にプレゼントを持って実家に帰ったのでした。現在80才過ぎの父親は、10年ぐらい前から少しずつ呆けてしまっていて、今では私が2年前に結婚したことも何度聞いても覚えていられません。実家に遊びに行っても、こちらから話しかけなければ黙ってボーっとしているか、寝ているか食べているか。日常の最低限のことはできますが、最近のことについての会話はほとんどできません。話をするとしても、自分の子供のときの話か、軍隊にいたときの話が多いのです。
お昼頃実家に帰った私は、夕方なんだかダルくなって昼寝をしてしまいました。しばらく寝てから目が覚めた私は、まだ横になりながら、またあの思い出を思い出していました。すると、横にいた父が急に私に、「おまえは、お父さんが意地悪だったと思っているのか?」と聞きました。普段はそんなことを言うような父ではありません。私はギクッとして、「え?どうしてそんなこと言うの?」と言うと、父はそれには答えずに、「でもね、お前はここに来て良かったんだよ、お父さんとお母さんはお前が来てくれて良かったんだよ。」私はビックリ。母は、「なんだ、お父さん、何と混乱しているの」と言いましたが、父は続けます。
「お前が子供の頃は、聞き分けの良い、良い子だったよ。他の子が駄々をこねていても、お前はお父さんがダメと言えば堪えられる良い子だった。お前のことが可愛かったんだよ」「お前が子供の頃は、お父さんは仕事が大変だったから、お母さんにお前の教育を任せたんだよ。お母さんは一生懸命やってくれたんだ。」それを引き取って、母も昔の話を始めます。(過去の話は彼女のお得意なのです。)「家が貧乏だったし、収入も不安定だったから、お前を国立大学にやろうと思ってたんだよ。あの時はお父さんがケガをしたり、お母さんも病気をしたりで大変だったんだよ。」その後は、「だけど、お前が勉強をしなくて浪人をしたから」と普通はグチが続くのですが、今日は父が母を制して、「昔のことをいつまでもグチグチ言うんじゃない。この子は今、幸せなんだから。」私は目が丸くなりました。私が結婚したことも覚えていられない父が、どうして私が幸せなことを知ってるのでしょう?うちのパートナー殿との結婚は母親に強硬に反対されていたのを無理矢理押し切ってしたので、実家に帰ったときは私の結婚生活の話はあまりしないようにしているのに。
そして、「お父さんは大学に行きたかったんだけど、お金がなくて行けなかった。でも、お前は大学に行けたから良かったな。」「おまえは大丈夫だよ。お父さんは毎朝見てるんだよ。お前はちゃんとしてるから大丈夫だ。」「他の人のこともいろいろ見るけれど、口ばっかりでいい加減な人も多いけど、お前は性格が良いから大丈夫だよ。」ということを次々と言いました。私は途中から涙が溢れて止まらなくなりました。呆けてしまう以前には、そんなことを言うのを私は聞いたことがありませんでした。
父の言葉は、過去のことを思い出して複雑な心境になっている私の胸に真っ直ぐに投げられた直球のようでした。
呆けてしまってから、父の意識(魂)は一体どこを彷徨っているのか、と考えていた私に対して、大変に愛情のこもった返事とメッセージを父は返してくれたのでした。私を毎朝見守っている、と私に伝えて。
先日のセッションで霊能者の人は、私の父のことを、「お父さんは亡くなったら守ってくださるタイプの方ですね。」と言っていました。でも、現在すでに私のことを見守ってくれていたなんて。
うちのパートナー殿にこのことを話すと、「いい話だね。お父さんとの和解だね。」と言ってくれました。