本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

父の言葉

2006年06月25日 02時42分34秒 | 心についてのあれこれ
昨日、ちょっと感動的な出来事があったので、またまた霊能者の人の話しではないのですが、その出来事について書きたいと思います。

実は、霊能者の人に会って以降、子供時代の悲しい記憶が時々よみがえって来ています。(だから、前回のブログもあんな感じでした。)でも、霊能者の人によると、それは私にとっては必要なことで、癒しのプロセスなのだそうです。それについては、心理カウンセリングの卵のうちのパートナー殿から見ても、適切だと思えるそうなのです。

最近では、私が小学校5,6年生ぐらいのときに、父親が私に言ったある言葉を何度も思い出していました。それは、父親とたまたま2人だけで外を歩きながら話していたときのこと。「お母さん、口うるさくて、イヤになっちゃうね。」私と父はそんなことを言いながら歩いていたのですが、次に父が、「お母さんと結婚するときに、お母さんの親戚からお母さんは頭がおかしい(当時は心の病というと、頭がおかしいと一くくりにされた時代です。)と言われたことがある。」と言ったのです。父は何気なく言ったのかも知れませんが、私は非常にショックを受けました。認めたくなかったけど、やっぱり、という気持ちと、「だからって、どうしてそれをお父さんが子供である私に言うの。」という怒りと。どんな母親であっても、私には母親なのですから。子供心にとても苦い気持ちになった思い出です。

先週の日曜日は父の日でしたが、私は具合が悪くて実家に帰れず、昨日父にプレゼントを持って実家に帰ったのでした。現在80才過ぎの父親は、10年ぐらい前から少しずつ呆けてしまっていて、今では私が2年前に結婚したことも何度聞いても覚えていられません。実家に遊びに行っても、こちらから話しかけなければ黙ってボーっとしているか、寝ているか食べているか。日常の最低限のことはできますが、最近のことについての会話はほとんどできません。話をするとしても、自分の子供のときの話か、軍隊にいたときの話が多いのです。

お昼頃実家に帰った私は、夕方なんだかダルくなって昼寝をしてしまいました。しばらく寝てから目が覚めた私は、まだ横になりながら、またあの思い出を思い出していました。すると、横にいた父が急に私に、「おまえは、お父さんが意地悪だったと思っているのか?」と聞きました。普段はそんなことを言うような父ではありません。私はギクッとして、「え?どうしてそんなこと言うの?」と言うと、父はそれには答えずに、「でもね、お前はここに来て良かったんだよ、お父さんとお母さんはお前が来てくれて良かったんだよ。」私はビックリ。母は、「なんだ、お父さん、何と混乱しているの」と言いましたが、父は続けます。

「お前が子供の頃は、聞き分けの良い、良い子だったよ。他の子が駄々をこねていても、お前はお父さんがダメと言えば堪えられる良い子だった。お前のことが可愛かったんだよ」「お前が子供の頃は、お父さんは仕事が大変だったから、お母さんにお前の教育を任せたんだよ。お母さんは一生懸命やってくれたんだ。」それを引き取って、母も昔の話を始めます。(過去の話は彼女のお得意なのです。)「家が貧乏だったし、収入も不安定だったから、お前を国立大学にやろうと思ってたんだよ。あの時はお父さんがケガをしたり、お母さんも病気をしたりで大変だったんだよ。」その後は、「だけど、お前が勉強をしなくて浪人をしたから」と普通はグチが続くのですが、今日は父が母を制して、「昔のことをいつまでもグチグチ言うんじゃない。この子は今、幸せなんだから。」私は目が丸くなりました。私が結婚したことも覚えていられない父が、どうして私が幸せなことを知ってるのでしょう?うちのパートナー殿との結婚は母親に強硬に反対されていたのを無理矢理押し切ってしたので、実家に帰ったときは私の結婚生活の話はあまりしないようにしているのに。

そして、「お父さんは大学に行きたかったんだけど、お金がなくて行けなかった。でも、お前は大学に行けたから良かったな。」「おまえは大丈夫だよ。お父さんは毎朝見てるんだよ。お前はちゃんとしてるから大丈夫だ。」「他の人のこともいろいろ見るけれど、口ばっかりでいい加減な人も多いけど、お前は性格が良いから大丈夫だよ。」ということを次々と言いました。私は途中から涙が溢れて止まらなくなりました。呆けてしまう以前には、そんなことを言うのを私は聞いたことがありませんでした。

父の言葉は、過去のことを思い出して複雑な心境になっている私の胸に真っ直ぐに投げられた直球のようでした。

呆けてしまってから、父の意識(魂)は一体どこを彷徨っているのか、と考えていた私に対して、大変に愛情のこもった返事とメッセージを父は返してくれたのでした。私を毎朝見守っている、と私に伝えて。

先日のセッションで霊能者の人は、私の父のことを、「お父さんは亡くなったら守ってくださるタイプの方ですね。」と言っていました。でも、現在すでに私のことを見守ってくれていたなんて。

うちのパートナー殿にこのことを話すと、「いい話だね。お父さんとの和解だね。」と言ってくれました。

怪しいもの好きの理由

2006年06月22日 11時33分05秒 | 心についてのあれこれ
実は、先日友人から紹介された霊能者の人のところに行ってきました。
今までブログに書こうかどうしようか、と迷っていたのですが、実は私は江原啓之さんと美輪明宏さんの「オーラの泉」も大好きで、毎週欠かさず見ているくらいなのです。

子供の頃は、林間学校に行ったりすると夜必ず怪談話になるのが恐くて、聞かないようにしていたくらいで、幽霊は大嫌いだったのです。
でも、社会人になって、アメリカ人の精神科医の人が書いた「前世療法」「魂の伴侶」などの本を読んでから、ぐっとそっちの方向に引き寄せられて行きました。

私がそんなことに興味を持つようになったのには、もちろん原因があります。
それは、母との葛藤でありました。母は私が子供の頃から、小言の多い、不幸感でいっぱいの人でした。自分を不幸だ、不幸だ、といつも嘆いていました。そして自分の不幸感を、子供である私で埋めようとして、私に何から何まで干渉しました。私はそんな母がかわいそうで、自分がこの人を幸せにしてあげなくちゃ、とか、不仲だった父との間も、私が取り持てばもしかしたらうまく行くのじゃないか、と思ったりしたものでした。

私が大人になっても母の干渉はますますひどくなり、私の交際相手の素性をこと細かに調べたり、私の手帳を無断でのぞき見て友人の名前や住所を調べて勝手に電話したり、ということも度々ありました。
当時の私は、母に拘束されて窮屈で苦しい、という思いと、母の願いに沿えれば良かったけれど、そんな風にはどうしても出来ない、私には母を幸福にすることができないという罪悪感に苛まれていました。
そして、母は今のままなら、自分の不幸を全て他人のせいにして、恨みながら一生を終えてしまうのではないか、そう思うととても胸が痛みました。

そんな家庭環境の中でも、私は外では辛い気持ちをこらえて極力明るい顔をするようにしていたし、私が親とのことで悩んでいたことは、ごく親しい友人しか知らないことだと思います。それでも、健康な家庭で育った友人には、私のような家庭で育った子供がどんなものを背負わなくてはいけないものか、なかなか分かってもらえないことも多く、孤独を感じることも多かったのです。

そんな中で、病気にもならずに生きていくためには、何か、何でも良いから心に希望を持つことが必要でした。それがなければ生きていけなかったのです。そんなときに出会ったのが前述の本です。催眠療法を、トラウマ治療のために使用していた精神科医がいて、(催眠をかけて幼児期の記憶を戻し、トラウマの原因となった事件を思い出してそれに気づくことによって回復を手助けする、というもの)、ある日、彼の患者が、幼児期を飛び越えて現代の世ではあり得ないような話を詳細に話し出す場面に遭遇する、といった内容です。

その本に書いてあったことはかなりショッキングだったけれど、信じざるを得ないような説得力がありました。

そこら辺りからだんだんのめりこんで、自分でも怪しいなあと思いながらも、本屋に行くと、よく「精神世界」というコーナーの前で良い本がないかとうろうろしていました。そんな自分を客観的に見て苦笑したこともあります。

精神世界についての本を読むにつれ、母の苦しみ多き人生も、今生だけのことに限らずに、もっと広い目で眺めれば意味のあることなんだ、と思えてきて、それにとても慰められたように思います。

というところで、霊能者の人のところに行った話はまた次回に回したいと思います。


サッカーにみる国民性(?)

2006年06月21日 02時02分45秒 | 世の中の出来事
この間のワールドカップサッカー、日本対クロアチア戦は残念でした。中田英寿くんも言っていたけれど、「勝てる試合をまた落とした」という感は否めません。どうしても、日本の決定力不足、というのはいつも課題になるようであります。ゴール前の日本選手の弱気は今に始まったことではありませんが、今回は少しは成長しているだろうと思って見ていた側にはとてもじれったいものでありました。

それに比べると、外国チームのフォワードは、「俺が点を入れるんだ、邪魔だ、どけ!」と言わんばかりの、野性味あふれる顔つきの狩猟民族的な感じの選手が多いような気がします。どうも日本人は、外国人に比べると、性質が穏やかなような気がしますから、スポーツ競技で勝つために闘志を奮い立たせる、というのは、外国の選手よりも大変なのかも知れません。

見ている方は無責任だから、「日本チームのメンタリティは弱い」だの、やいのやいのと言いますが、かく言う私だって他人と言い争ったりするのは苦手なんであります。あんな大きな図体の恐い顔をしたオジサンが(まだ20歳そこそこだったりするけど)、「どけ~!」と威嚇的態度で迫ってきたら、そりゃあ恐いことでしょう。

でも、もちろん、穏やかな国民性は悪いばかりではありません。

この間イスラエル人女性の友人と話していたところ、彼女が日本に来たばかりの頃の話になりました。
その頃彼女は日本語があまりできなかったので、夜遅く、京王線に乗って自宅に帰るときに、知らずに快速に乗ってしまったのだそうです。降りるはずの駅が通り過ぎていくのを呆然と見送り、次の停車駅で降りたときには、もうすでに戻る電車はなくなっていたそうなのです。何が起こったのか、どうすれば良いのか分からずに途方に暮れている彼女に、一人の、ツッパリ風の悪そうな青年が近づいて来て、彼女は思わず身の危険を感じ、身構えたそうなのですが、その青年は彼女の前に来ると、「May I help you?」と礼儀正しく聞いてくれたのだそうです。

外国でワルそうな風貌をしている男性が夜近づいてきたら、間違いなく「金を出せ。」といわれるに違いないのに、思いがけない言葉をかけられて、彼女はすっかり気が抜けてしまったそうです。「Strange country」と彼女は言いますが、でもおかげでその時は助かったんだものねえ。
穏やかな国民性はまんざら悪くもないんじゃないですか。

魔法の言葉のキキメ

2006年06月18日 19時19分15秒 | 歌手活動(?)記録
昨日の土曜日の午後は、いつも一緒に歌の練習をしてくれるギタリストの人と渋谷のスタジオで練習をしていました。そのときに、「今夜僕たちのライブが吉祥寺であるから、一曲歌う?」と誘ってもらい、「やった~!歌います♪」と喜び勇んで彼らのライブで歌わせてもらうことになりました。
その日はちょうど真っ赤なトップスを着ておりましたので、普段着ではありましたが舞台衣装としてもなかなかイイ感じです。

さて、しかし問題は私のアガリ性であります。筋肉が硬くなるとのどが絞まってしまうので、一杯カクテルをひっかけて、リラックスに努めます。あくまでリラックスのためです。(たぶん。)1ステージ目では呼ばれなさそうな感じだったので、知り合いにダンスを誘われて踊りました。最近は歌の方がメインになってきてしばらく踊っていなかったのですが、やはり10年もやっていたのはダテではありません、踊り出せばすぐ楽しくなって、リラックスにも良かったやも知れません。

さて、2ステージ目。いよいよ出番です。直前に年下の友人の女の子にぎゅっと手を握ってもらい、いざステージへ。歌う直前、ここは大事な場面ですから、心の中で「上手に歌わせていただいて感謝します」と唱えます。

歌ったのはキューバの「Siboney(シボネイ)」という古いボレロの曲です。
ちょっと地味な感じの静かな曲なのですが、不思議な雰囲気があって、私はとても好きなのです。

歌い出しはやはりちょっと緊張していて、声が思うように出ないところがありました。すかさず、「ありがとう」と心の中で唱えます。すると、だんだんリラックスできて、歌っているうちにだんだん楽しくなり、曲の後半はかなりイイ感じに歌えたのではないかと思います。今まで緊張のあまり何度も声が裏返ってしまったりしたことを思えば、かなりの進歩だったと思います。

その日は偶然知り合いが、私の高校時代のクラスメートをライブに連れて来ていて、お互いビックリ。大学のときの教育実習で母校に戻ったときに会った以来ですから、10うん年ぶりの再会でした。

私の出番が終わってからは、思いっきりその後のライブを楽しみ、かなりご機嫌で幸せな一日でありました。

感謝、感謝です。

魔法の言葉

2006年06月12日 11時40分13秒 | 心についてのあれこれ
先日の「魔法の言葉」について、やっぱり書いてみようかな。
ネタ本は、五日市剛という人の講演録の小冊子で、2004年に発売されて、陰ながらもずい分多くの人に読まれているそうで、50万部を突破したとか。残念ながら通常の書店には置いていないようです。

かいつまんで説明すると、その五日市さんという人は学生時代、25歳くらいのときに中東問題に興味を持って、湾岸戦争があった年の冬にイスラエルに旅行をしたんだそうです。そのとき、宿に困った五日市さんは、道でおばあさんに声をかけられました。そのおばあさんは親切な人で、自分の家に泊めてくれたのだそうです。そして彼に食事を振舞ったり親切にしてくれ、色々な話をしてくれました。その後、おばあさんは箱を二つ彼にくれ、彼の次の誕生日に一つの箱を、その次の誕生日にもう一つの箱を開けるように約束してくれ、と言ったそうです。(まるでおとぎばなしのようですね。)

その箱のその後についての話は、ここでは詳しく述べませんが、非常に不思議なことが彼の身に起こります。そして、彼はおばあさんが話してくれたことを思い出します。「私たちの人生は最初からほとんど決まっていたのよ」、「わたしはユダヤ教徒だけれど、生まれ変わりや過去世、来世を信じている」。彼はそういった話にはあまり関心がないので、適当に相槌を打っていたらしいのですが。さらに、おばあさんは、「ツイている、ツイていない」というツキもあるのだ、と言います。「そりゃあるだろうね。」と言う彼に、そのツキは簡単に手に入るものだ、と続けます。どうしたら手に入るのか、と聞くと、「ありがとう。」と「感謝します。」という二つの魔法の言葉を唱えていれば、誰でもツキっ放しになるのだ、とおばあさん。そして、その言葉はどんなときにも自由に使っていいけれど、特に嫌なことがあったときにも「ありがとう」と言うといいのだ。あなたの親が亡くなったときも、歯を食いしばって「ありがとう」と言いなさい、どうしてかと言うと、イヤなことが起こるとイヤなことを考える。そうするとまたイヤなことが起こる。それはこの世の法則である。だけどそこで「ありがとう」と言うと、不幸の鎖が断ち切れるのだ。そしてそれだけじゃなくて逆に良いことが起こるのだ、と教えてくれたのだ、と言うのです。

その後、五日市さんは「ありがとう」「感謝します」の言葉をよく唱えるようになり、彼の人生はツイてくるようになったのだそうです。

また、彼は33歳のときに、びっくりするようないい待遇で転職して、ある会社の研究部門の課長になったそうなのですが、そのとき部下になった年上の社員で、何をやってもうまく行かなくて、周りから煙たがられてる人がいたそうです。ただ、人間的にはとてもいい人だったので五日市さんはその人のことが好きだったのだそうです。その人に、五日市さんは、毎朝と夕方、「ツイている?」と聞くから「ツイています」と答えてくれ、と頼んだそうです。初めは上司の命令だから、仕方なくやっていたその人も、毎日言っているうちに、だんだん楽しく「ツイてますよ~」と言えるようになった。するとその人の身の回りに起きる出来事がどんどん変わっていったと言います。彼の開発していたもので素晴らしいデータが出るようになったそうなのです。その後その人は俄然やる気も出て、部下も持つようになったそうです。

まるでおとぎ話のような話ですね。あなたは信じないでしょうか。
私はまだ、この「ありがとう」「感謝します」「ツイている」を始めたばかりですから、これが本当ですとも、嘘です、とも言えません。でも、私の経験から一つ言えるとすれば、不幸が連鎖する、というのは本当だと思います。よく、悪いときには悪いことが重なると言いますが、私は正に体験者であります。次の不幸というのは、「私は不幸だ」とか「運が悪い」と思っているとやってくるのです。もしかしたらみなさんも、経験があるのではないでしょうか。でももし、その不幸の連鎖を断ち切ることができるのであれば、「ありがとう」「感謝します」「ツイている」はなんてたやすい言葉だろう!と思うのであります。

信じても損になるような話ではないですから、私と一緒に「ありがとう」「感謝します」「ツイている」を試してみませんか。

この五日市剛さんという人は、昭和39年生まれ、マサチューセッツ大学に留学経験のある工学博士。現在企業経営の傍ら、数社の研究顧問を務めているとのことです。

ご無沙汰しております。

2006年06月06日 12時18分37秒 | Weblog
長らくご無沙汰しております。ちえ蔵です。
最近ちょっと間が開いてしまいましたが、私はすこぶる元気にしております。
その間にもいろいろなことがありまして、なにをどう書こうか、などと考えているうちに日にちがあいてしまいました。

何しろ私の考えたり興味のあることというのが、普通の人から見たら、ちょっと怪しい、または理解不能なことが多い気がするので、それについて書きたいんだけど、他の人に理解してもらえるようにするにはどういう切り口で書いたらいいのだろうか、なんて考えていると、つい書けなくなってしまうのであります。

例えば.... 最近のわが家でのブームは「ありがとう」、「感謝します」、「ついてる、ついてる!」という言葉を心がけて言う、ということなんでありますが。
それについては、わがパートナー殿がお友達からもらってきた「ツキを呼ぶ 魔法の言葉」という小冊子がきっかけなのです。が、ホラ、ここまで書いたところで、ナンカこの人怪しいわ、ヘンな宗教信じてるんじゃないでしょうねと思う人がいるんじゃないでしょうかね。

ああ、でも書こうか、どうしようか.... これについて、もっと聞きたい、という方がいらしたら、次回書いてみようと思います。へへ。(もったいぶってる?ハハハ、あしからず!)

あ、言い遅れましたが、私のブログを読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。