本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

怒りとトラとウマ

2008年09月28日 14時24分14秒 | 心についてのあれこれ
最近はおおむね快調な毎日なのでありますが、怒っていることが一つありました。
そのことが機嫌のいい日でも何度か頭をよぎって、その度にムッとしていたのであります。
それは私が心から大事に思っていることを、身近な友人にけなされたからでありました。しかも、その友人(男)は、「だから、あの人たちに比べたら、僕たちはダメなんだよ、ダメなんだよ」と言って、ダメダメのカテゴリーに自分だけじゃなく私を一緒に引きずり込もうとしたのでありました。

どうしてそんなに他人を神様扱いして、自分をこきおろすのよ、それに自分だけじゃなく、どうして私まで引きずり込むんだ、このアンポンタン!!!

とハッキリは言いませんでしたがそれに近いことをメールで書いて、その友人との関係はほぼ終了しました。

終了したはずだったのですが、彼の言ったことが頭をかすめる度に、どうしても腹が立って腹が立ってしょうがなかったのであります。

最近勉強している心理学の授業によると、「怒りの下にはトラウマが隠れていることが多いので、怒りが出てくるとラッキー」なんだそうであります。

毎日怒りが出てくるたびに、頭の中でその(元)友人をアリのように小さくして大きなトンカチで叩きのめすイメージングをしていた私ですが、今日は少し余裕があったので、「怒りの下のトラウマ」についてちょっと考えていました。

私は自分が好きなことをやっていて、それを母親から認められたことがありません。どんなに私が楽しそうに幸せそうにしていても、それを良かったね、すごいね、と喜んでもらったことがほとんどありません。
それどころか、自分の好きなことを続けていくためには、常に母親と闘わなくてはいけませんでした。
だから、自分が本当に好きでやっていることをけなされたりするとものスゴイ怒りが湧いてくるのは、きっと母親との葛藤の記憶が無意識に出てくるからなのでしょう。

でも、もちろん私だけじゃありません。その(元)友人も自分の過去の記憶から行動したんでしょう。きっと彼は子供の頃に、お前はダメなんだお前はダメなんだ、才能がないんだ、という言葉を何度も言われたのでしょう。そしてその記憶を、他人の私との間で繰り返したんだと思われます。心理学的には、「トラウマの再現化」というらしいのですが。

その友人はそのトラウマに囚われたまま、このまま行くのかも知れません。
そのことに気がつかなければ、トラウマは放置されたまま、人は同じことを繰り返して生きていきます。

でも、私は幸いにも智恵を授かって気付くチャンスを与えられました。
怒りは味わい切れば、あっという間に回復するんだそうです。
ちょっとゴウマンに聞こえたとしても、ちょっとくらい他人と衝突したとしても、今は自分の心を守ることが一番大事と思っています。

トラウマを乗り越えて自分の自尊心を取り戻し、喜びながら、生き生きと輝きながら、進んでいきたい、と思っているのです。

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