本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

夏休み

2007年08月19日 13時39分16秒 | 洋画・海外ドラマ
ご無沙汰しております。
暑いですねえ...

前回のブログ以来、先週はパートナー殿の御両親の別荘のある新潟に遊びに行ったり、古式神道の浄化を受けたり、とそれなりにいろいろあって、頭に思い浮かぶこともたくさんあったのですが、あまりの暑さに、なんだか考えもまとまりません....

頭の中も夏休み中であります...

なんだかバリに呼ばれているようです

2007年08月11日 00時56分00秒 | 心についてのあれこれ
私は一度もバリ島に行ったことがありません。
その素晴らしさは友人などからいろいろ聞くので、一度は行きたいな~、と思いつつ、なんだかついつい行かないままになっていました。

でも、なんだか今バリに呼ばれているみたいです。
そう、きっかけは7月の終わりに手に入れたバリ製の音叉なのかな~。
伊豆のエステティシャンの方に以前音叉を使った調整法をしていただいて、すごく良かったので、自分でも手に入れてやってみたくなったのでした。

体の調子を整えるのにも即効性があるというお墨つきもあったので、エステティシャン向けのグッズを販売している会社のHPから注文したのでした。
ちょっと私には高価なものだったので一瞬ひるんだのですが、最近は自分自身のケアのためにエイヤ~と清水の舞台から飛び降りる回数も多くなって来たので、今回もすぐ飛び降りました

それは、バリの模様があしらわれた蓋がついたステキな箱に入っていて、木製の台に鉄製の棒状の音叉が結び付けられてる代物でした。
付属の木製の叩き棒(木琴をたたくようなカンジの先端が丸くなっているもの)で叩くとリ~~ンという気持ちの良い深い音がゆっくり周りの空気に広がって行きます。
実はそのブツには説明書が何もなかったので、はじめは使い方がよく分からなかったのでありますが、スピリチュアルの先生にお聞きし、今や使い方もバッチリです!!

そして、今日は久しぶりに以前よく行っていた心理カウンセラーの先生のところに行く日でした。ここのところやっぱり両親のことで少し精神的にまいってしまっていたので、カウンセリングの予約を取ったのであります。
久しぶりのカウンセリングはとっても良くって、精神的にだいぶ楽になりました。
そうしたら、最後にカウンセラーの方に、「バリ旅行をうちで10月に主催するのだけど、一緒に行かない?」と誘われたのです。始めは、はあ、そうですね~、ぼ~っという感じだったのですが、帰りの電車の中でパンフレットを読んでいたら、なんだかとっても行きたくなって来ました。そして、なんだか、バリに呼ばれている気さえし始めました。

そうよ、行こう、バリに行こう!きっと楽しいに違いない。マッサージやバリ舞踊や音楽、バリの神秘的な自然。
朝はカウンセラーの先生が海岸で気功を教えてくれるらしい。オプションでヨガやメディテーション、バリ伝統医術師による治療もあるらしい。
ああ、もう行くわ、絶対行こう!

そして、家に帰ってきてからハッと思い出しました。最近ずっとつけてる夢日記。7月24日のところに、「バリ旅行10日間の旅2名様!に当選した夢を見た!」と書いてありました。

やっぱりバリが私を呼んでいる。

あ、パートナー殿に言わなくっちゃ。

泣いて笑って

2007年08月09日 01時27分47秒 | Weblog
この間の土曜日の夜、お友達とサルサを踊りに行ったら、とっても楽しく踊っていたのに、なんだかハートチャクラが開いて来たようなカンジがして、特に理由もなく感極まってしまったのですが、どうもそれ以来、涙もろくなってしまっているようです。

今日は父の退院の日だったのでありますが、例によって母と口論になってしまいました。
みるみる形相が変わって般若の面のようになっていく母の顔を見ながら、「ああ、こうなったらもう話しはできないのよね」と思い、父に小声で「ごめんね」と言って、退院の手続きも終わらないのに病院から飛び出しました。

高齢の母親にそんな風に冷たくして、なんて娘なの、と他人に思われようが何と思われようが、私はどうしても母の側にいることができません。
娘としてはあらゆる手を尽くして来たけれど、どうしても母とは和解することができません。きっと母が死ぬまで理解し合うことは無理です。
そのことはもうとっくの昔に諦めました。
諦めたはずだったんですが、今日はなんだか感情がこみ上げてきてしまい、帰宅してからずーっとしばらく子供のように泣いてしまいました。

どうしても、ネガティブな感情を手放すことのできない母。
父は前世からのカルマがあって今世こそ幸せになろうと思って母と一緒になったけれど、今世でも二人はカルマを解消することはできなかったみたいです。
母は父の本当の優しさも、私の悲しみも理解することなく、世の中や父や私を恨みながら死んでいくのでしょう。
どんなに私が彼女のことを愛していたか、知らずに死んでいくのでしょう。
それでも仕方ありません。それが彼女の選んだ道であるのなら。
私にできることは、彼女のために祈ることだけ。

楽しい日々の後には、こんな涙もろくなる日もあったっていいじゃない、と自分に言い聞かせました。だって、それが人間らしいってことじゃないでしょうか。

ああ、でもきっと明日は目がはれちゃうな。

父の入院

2007年08月07日 10時55分48秒 | 心についてのあれこれ
父が入院して一週間になります。
8月1日の朝発熱し一人で立ち上がれなくなったので母が救急車を呼んだのでした。
どうやら歯の膿が体の中に入ってしまい、熱がでて、白血球の数がものすごく増えてしまったとのこと。
結果としては、そんなに深刻な事態にならずにすんだのですが、入院の間、何しろ父は認知症で徘徊のおそれがあるため、夜も付き添いが必要な日がありました。
どうやらまもなく退院できるようなので、とりあえず少し安心です。

でも、今回は父の入院で、またいろいろ学ぶことがありました。
父が認知症になる前、父と私はほとんど会話がありませんでした。
父は大正生まれ、私とは40以上も歳が離れています。無口な人で、神経質で口やかましく、コントロールの強い母にいつも圧倒されている、という感じでした。
私はそんな父が理解できなくて、母の攻撃から私をかばってくれない情けない父、と見ていた時期もかなり長かったと思います。

そんな父ですが、認知症になってからは、私に会うと、以前は言わなかったような言葉が飛び出すようになりました。「お前は性格はいいんだからな、自信を持って」とか、「お前はよくやってるよ。」など。どうしてそんな言葉が飛び出すのか分かりません。

今回の入院では、父の長所をまたいろいろ発見しました。
父は、他の患者さんと比べても、普段はとても穏やかです。半分はもう別の世界に行ってしまっているからか、時々は仏様のように見えるときもあります。

ただ、目の前で私と母が口論したり、イライラしている人が周りにいると、それが父にも伝染してしまうようで、目に見えて機嫌が悪くなるのが分かります。
すると私は、「ああ、いけない、いけない、父の前では平静な気持ちでいなくては」と思うのです。

他界した私の祖母は、寝たきりになって認知症になってから子供のようになってしまい、よく周りの人にわがままを言っていました。でも、それに比べると父はたいそう穏やかで、子供がえりもせず、大人としての品格を保っているようであります。管理が楽だからとオムツで済ませようとする周りに対して、オムツで用を足すのをよしとせず、歩けるようになると断固として自分でトイレに行こうとします。
看護婦さんにも、年長者としてねぎらいの言葉をかけます。若い可愛い看護婦さんに話しかけられるとニコニコと嬉しそうにし、「どうもお世話になります」とか、「ご苦労」と声をかけたりするのです。

食事のときには周りに人がいると、「オレはいいから、あなたが食べなさい」などと言ったりし、私には「お前、お金は大丈夫か、お金がなかったらお父さんがお前にやるからな」と言ったりします。

ああ、こんな父の美点を、私は長い間分からずに来たのかも知れないな、と思いました。

こんなふうに病院で父に付き添って、父の意外な面を発見することは、父から私への最後のプレゼントなのかもしれない、とも思います。