本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

魔法の言葉、ふたたび。

2006年07月26日 18時29分07秒 | 心についてのあれこれ
先週は知人の死の報せを受け、辛い一週間でした。
その精神的なショックもあったのか、私は3日くらい前から風邪でダウン。喉の痛みと咳がひどくて大変でした。
昨日はうちのパートナー殿がダウン。彼は熱ががーっと上がり、「寒い、寒い」と言いながら、一晩中汗だくになって苦しそうでありました。

実はこの間の日曜日、私はもう風邪でダウンしていたので外出できなかったのですが、うちのパートナー殿は私に内緒で一人で五日市剛さんの講演を聞きに行ったようでありました。五日市剛さんとは、以前私のブログに書いた、例の「魔法の言葉」の人であります。彼のことはいまや知る人ぞ知る、という感じになっていて、この間テレビの「王様のブランチ」でも紹介されたようです。
彼の講演筆録である「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という小冊子は、本屋にも置いていないのに、今や70万部を超える売り上げだそうです。実は、巨人の松坂投手もWBCの試合の前に、五日市さんの本を読んで、彼のサインをもらっていたとか。

日曜日の夜、講演会から帰ってきたパートナー殿は興奮して、「実は、五日市さんの講演会に行って来たんだよ!」と言うのでした。喉の痛みで元気のなかった私は、初めは「ほお~、それがどうした」というカンジだったのでありますが、話を聞いてみるとふうん、確かに面白い。五日市さんという人は話しが上手な人のようです。声も朗々としていて、ユーモアもあって、まるで講談師のようだったそうです。
講演から帰ってきて、久しぶりに生き生きと元気を取り戻したパートナー殿を見て、ああ、良かったな、と心から思いました。

人生に辛いこと、苦しいことはときにどうしても避けて通ることができませんが、そのとき、それをどう乗り越えて行くか、ということは、私たち全ての人に課された課題であるのだと思います。小冊子の中で、五日市さんの出会ったイスラエル人のおばあさんはこう言っていたのでしたっけ。「どんなに辛いときにも、歯をくいしばって、ありがとうございます、と言うのよ。」
講演会でも、五日市さんは、「嫌なことがあったら、すぐに、(このすぐに、というのが大切なようですが)「ありがとうございます」と言って下さい。」と言っていたそうです。

仕事が休みだった昨日、昼間パートナー殿はテニススクールに出かけ、帰って来るなり、「すごい!今日、「いいサーブを打たせていただいてありがとうございます。と打つ前に言ったら、本当にスゴイサーブを打てた!もう一回言ったらまた打てた!やったー!」と言ったきり、熱が出て寝込みモードに入りました。

あれあれ、まあまあ、と思いながらも、ちょっと明るさを取り戻したパートナー殿を見て、「神様、どうもありがとうございました。」
それから、「明日、パートナー殿の熱を下げていただいて、どうもありがとうございます。」と言っておきました。

パートナー殿は今朝熱が下がってなんとか出勤していきました。

祈り

2006年07月23日 18時14分47秒 | 心についてのあれこれ
私には信仰する宗教がない
それでも人の死に遭ったときには
その人のために祈りたい
彼の人の魂が安らかに眠れますように

私には信仰する宗教がない
その人のために歌う賛美歌も知らない
だけど私は歌いたい
彼の人の魂が慰められるように歌いたい

彼の人には信仰があった
現代科学もそばにあったはずだった
それでも彼の人の魂は救われなかった
この矛盾
この皮肉

せめて彼の人が
どんな孤独なときにも
どんな辛いときにも
守護天使が愛し見守ってくれていると
信じられていたら
どんなにか良かったか知れない

私には信仰する宗教はないけれど
彼の人のために祈ります

ある死に思う

2006年07月22日 09時31分20秒 | 心についてのあれこれ
ある死に思う

他人の死を大事にできない者は自分の死についても大事にできないだろう

この世には、他人の死に対して冷淡な人間もいるのだ

たとえ人を助けるための入れ物(組織)を作ったとしても、そこに心が込められていなければその入れ物には何の意味も無い

そこにはただ荒涼とした心の砂漠があるだけである

入れ物に、あるはずの心がないことを見れば、そこにいる者は、自分の死に際しても、同様に扱われるであろうと思うだろう

そこには寒々とした世の中への絶望があるだけである

ある死に思う

心なき入れ物はやがて壊れ去るであろう、と

しかし、私は信じたい

たとえ入れ物が砕け去っても、心集う場所には光があることを

その光を願う人々は決して少数ではないことを


若くして命を散らした人の冥福を祈って

ちょっとブレイク

2006年07月04日 12時02分07秒 | まちの風景
ここのところ不思議関係の話が続いてしまっているので今日はちょっとブレイク。

一昨日の日曜日はちょうど雨も降らず気持ちの良い日だったので、急に思い立ってパートナー殿と鎌倉へ行きました。

情緒溢れる町並みとあじさい、緑の深さを堪能しました。かなり強風だったため顔が潮でザラザラになってしまったけど、ウィンドサーファーたちが海にたくさん出ていて、彼らには絶好の風なんだろうなあ、と思いました。
以下は立ち寄った場所の風景です。










目に見えないものを信じる

2006年07月01日 12時10分14秒 | 心についてのあれこれ
それでは今日は例の霊能者の人の話を。
霊能者と日本語では一口に言いますが、私が先日見てもらったその人自身は「クレアボヤント(clairvoyant)」と名乗っています。もとはフランス語で、直訳すれば「透視者」、辞書には「千里眼の人」とも訳されています。

その人の「クレアボヤント」としての称号は、米国カリフォルニア州政府により、「オーラのリーディングの方法として、色、絵、画像、エネルギーを見る能力を有し、それによって人々がより高いスピリチュアルな意識レベルに進化することを支援する者」という定義のもとに、正式なライセンスとして認可されているのだそうです。

そういった研究は、アメリカやイギリスの方が進んでいるようで、最近はテレビでも、「FBI超能力捜査官」が取り上げられているので御存知の方もいらっしゃると思います。
イギリスではかなり古くから霊の現象について議論や研究がなされてきていて、過去には女性霊能者の人が人々の疑いを晴らすべくマスコミに登場し、その立場を築いてきた歴史があるそうで、現在ではかなり社会全体に浸透しているようです。英国王室は、霊能者との関係を明らかにしているそうです。

また、先日イスラエル人の大学の先生に聞いたところによれば、イスラエルでも何年か前に霊能者ブーム、というのがあったそうで、現在は霊能者の養成学校もあるのだそうです。

世界的にも人間の不思議な力がこんなに検証され、認められようとしているのに、日本はまだまだ遅れているように思います。
もちろん怪しげで詐欺まがいの霊能者もたくさんいるようですので、全てを鵜呑みに信じるのは愚かだと思います。
それでも、怪しいものを怪しいままに放っておいて、検証もせずに頭から信じないという態度も、盲目であるのと同じだとは言えないでしょうか。

目に見えないものは信じない、というのは現代の社会における物質や科学至上主義からくる人間の奢りだと思うのであります。
科学だって、人間存在の全てについて明らかにできているわけではないのですから。