本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

その如月の望月のころ

2006年04月04日 20時00分31秒 | 風物詩
今日は先日桜について書いたブログの中で引用した西行の「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」という和歌について。

私は、桜咲く季節に(御存知のように花というのは和歌では桜のことを指す)桜の木の下にて一生を閉じたい、という西行の願いを歌った歌だとずーっと思っていたのですが、実はそうではなかったようです。

その肝心な部分は下の句、「その如月の望月の頃」という箇所にあります。
如月は旧暦の2月、望月というのは満月の頃、つまり月の15日にあたるのだそうです。
2月の望月の日とは、実はお釈迦様の入寂の日とされていて、西行は、お釈迦様がその日に沙羅双樹の木の下で亡くなったように、自分も同じ頃に桜の木の下にて、悟りを開いて死にたい、と歌った歌なのだそうです。

従って、これは仏教用語を使わずに、仏教的思想を表現した歌なのだそうです。

ということを、実は私はイスラエル人の大学の先生から今日教えてもらいました。
彼女の専門は民俗信仰で、もう20年以上も前から日本の神楽について研究しているのです。
彼女の日本語の豊富な語彙、日本の歴史や宗教についての造詣の深さには舌を巻くなあ、と最初に会ったときから思っていたのですが、今日、西行の歌について解説されたときには、すっかり日本人をやめたくなってしまったほどです。

ひょんなことから彼女が短期間日本に滞在する間、彼女の研究のお手伝いをすることになったのですが、お手伝いをすると同時に、私は日本の文化について教えていただいている、と言う感じであります。

最近日本古来の信仰に興味を持ち始めた私にとっては彼女との出会いは千載一遇のチャンスだったのでありますが、彼女と話していると、自分の日本文化に対する無知さ加減に呆れるばかりであります。
でも仕方がない、この際、日本人としてのプライドは投げ捨て、頭を垂れて教えを請うつもりでいるのでありました。

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1 コメント

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Unknown (achaの神)
2006-04-05 07:42:02
垂れなさい。





achaの神より。

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