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私は約2年前に仕事を辞めて、ブラブラしながらときどき暇に任せてこのブログを書いております。最近は以前の職場のこともずいぶん忘れてきたな~と思うのですが、嫌な思い出がたまによみがえってくることがあります。
でもだいぶ時効になって来てはいるので、今なら冷静に振り返ることができそうであります。
私の職場は女性の多い職場でしたが、私が特にイヤだなあと思っていたのは、女性の自己顕示欲でありました。
もちろん全ての女性ではないけれど、自分はいかに有能であるか周りの人間に分からせよう、自分がいい人間であるとデモンストレーションしなければ、という態度の女性が周りに多くて、疲れて果ててしまったのであります。
今思えば、私がひとりっ子で育ったため、兄弟間の競争のようなものに慣れていなかったというのも要因だったかも知れないとは思うのですけれど。
もちろん職場のためになることであれば、各人職場ではどんどん能力を発揮するべき、と思ってはいるのですが、でもそれはあくまでも自分自身との闘いであって、他人を出し抜こうとかということになると、ちょっと違うのじゃないかと思うのです。しかも、それが仕事のときだけでなく、一緒に飲みに行っても、料理やワインのことにはちょっと詳しいからといって知識をひけらかしたり、誰かが言ったことに負けじと対抗してみたり、何気ない会話でも「自分が自分が!」という態度をとられると、すっかり閉口して辟易してしまうのであります。
こんな風に感じてしまう私は、「負け犬的」ということになるのかも知れないですけれど、でも、そんな不毛な会話でみんな心から楽しんでいるとはとうてい思えないんですもの。
真に楽しい会話とは、お互いの違いを認め合って、自分の足りないところは謙虚に認め合って相手から学ぶ、という姿勢から来るのじゃないでしょうか。
だって、みんな若い頃には自分の自慢ばかりするオヤジを軽蔑していたんじゃなかったでしょうかね?
でも、そんな風に自己主張に躍起にならざるを得ない陰に隠れているものも何か分かっているつもりであります。それは一言で言えばself esteemの低さ、真の自信のなさの裏返しです。
自分さえ良ければ良い、という考えでみながひたすら自分のエゴを押し通そうとする社会は優しくない、息苦しくて生きづらい、と感じるのは私だけではないでしょう?エゴを主張している当人だって苦しいはずです。
でも、気が付くと、最近周りにはそんな不毛な競争に嫌気がさして、自分の魂が真に喜ぶ道を模索する女性が増えているような気がします。
その人たちは世間的に見れば「負け組」なのかも知れないけれど、精神的には自由を勝ち得た人たちだと言えないでしょうか。
そういう人が、女性にも男性にも増えてくることを、希望の光としたいと思う今日この頃であります。
でもだいぶ時効になって来てはいるので、今なら冷静に振り返ることができそうであります。
私の職場は女性の多い職場でしたが、私が特にイヤだなあと思っていたのは、女性の自己顕示欲でありました。
もちろん全ての女性ではないけれど、自分はいかに有能であるか周りの人間に分からせよう、自分がいい人間であるとデモンストレーションしなければ、という態度の女性が周りに多くて、疲れて果ててしまったのであります。
今思えば、私がひとりっ子で育ったため、兄弟間の競争のようなものに慣れていなかったというのも要因だったかも知れないとは思うのですけれど。
もちろん職場のためになることであれば、各人職場ではどんどん能力を発揮するべき、と思ってはいるのですが、でもそれはあくまでも自分自身との闘いであって、他人を出し抜こうとかということになると、ちょっと違うのじゃないかと思うのです。しかも、それが仕事のときだけでなく、一緒に飲みに行っても、料理やワインのことにはちょっと詳しいからといって知識をひけらかしたり、誰かが言ったことに負けじと対抗してみたり、何気ない会話でも「自分が自分が!」という態度をとられると、すっかり閉口して辟易してしまうのであります。
こんな風に感じてしまう私は、「負け犬的」ということになるのかも知れないですけれど、でも、そんな不毛な会話でみんな心から楽しんでいるとはとうてい思えないんですもの。
真に楽しい会話とは、お互いの違いを認め合って、自分の足りないところは謙虚に認め合って相手から学ぶ、という姿勢から来るのじゃないでしょうか。
だって、みんな若い頃には自分の自慢ばかりするオヤジを軽蔑していたんじゃなかったでしょうかね?
でも、そんな風に自己主張に躍起にならざるを得ない陰に隠れているものも何か分かっているつもりであります。それは一言で言えばself esteemの低さ、真の自信のなさの裏返しです。
自分さえ良ければ良い、という考えでみながひたすら自分のエゴを押し通そうとする社会は優しくない、息苦しくて生きづらい、と感じるのは私だけではないでしょう?エゴを主張している当人だって苦しいはずです。
でも、気が付くと、最近周りにはそんな不毛な競争に嫌気がさして、自分の魂が真に喜ぶ道を模索する女性が増えているような気がします。
その人たちは世間的に見れば「負け組」なのかも知れないけれど、精神的には自由を勝ち得た人たちだと言えないでしょうか。
そういう人が、女性にも男性にも増えてくることを、希望の光としたいと思う今日この頃であります。