Chiakiの徒然日記

功名心ねえ

過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者雲仙・普賢岳噴火から30年

当時中学生だったが、あの日のことはしっかりと覚えている。
6月3日以前から、学校では島原への義援金やらタオルやらを送る運動をしており、
タオルは有志の家庭、義援金は生徒一人あたり100円を持参、という形を取っていた。
県こそ違うが、渡り廊下から普賢岳は見えるという立地。
火山灰も毎日のように降ってきていた。

6月3日の大火砕流の日、まだそんな時間ではないのに、暗くなった。
たまたま外にいた人の制服に雨の黒い染みが付いていた。
母から聞いた話だと、さしていた傘が真っ黒になったとか。
自然の脅威を、こんなに離れた場所にいた人間でも感じていたのに、
現場で取材していた人たちがこんなだったなんて。
ある意味、火山の怖さを知らない人たちだからこそ出来たのかなとも感じる。

自治体の避難勧告を無視して、それで自分だけが犠牲になるのならともかく、
一般市民がいる以上、退避できない人たちを巻き込むのは本当にやめて欲しい。
数年前にいきなり噴火した御嶽山と違って、常に噴火している状態だったのだから、
犠牲者が43人も出るなんて、当時も「バカじゃないの」と思ったものだ。
父は自身が報道機関にいたこともあってか、擁護していたが、納得は出来なかった。

30年。
取材を受けていた人もすでに50代。
しっかりと、「火山噴火を舐めるな」と語り継いで欲しい。
避けられる犠牲は避けないと。
もし、当時の映像が今でも残っているのなら、「スクープ」としてではなく、
「43人もの犠牲者を出してしまった教訓」として活用して欲しい。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日々のあれこれ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事