元!4級審判員の日記 

2002年9月より始めたブログもはや22年〜
2005年からのJFA3級は今も維持、今は元!と名乗っています。

☆grumbling

2005-04-22 20:43:31 | soccer
●ジュビサポ
になったのは静岡出身だからというのではない。
なぜか、かみさんが名波がいい、というので磐の試合を頻繁に見に行くようになった。
ドウンガのいたジュビロ、オフトの指揮したジュビロ(ともにまだテレビ観戦でしたな・・・)
で見て・・・
スタンドに初めて行ったのは赤鹿とのサントリーチャンピオンシップだった。
その後も数試合、磐田のサッカーを見て、「試合を終わってみると全員が同じ距離を走っているんだ~」とゴンだったかだれかが言っていて、こりゃすごいなと思ったジュビロサッカー。
なんとなく俊哉のシャドーな動きに興味をもったのと、かみさん→名波、息子→ゴン、ということで、自然と俊哉を注目するようになった。 10番のシャツを買ったのもいつだったかはわすれたが、強烈に印象に残り、やっぱりこいつのフアンだなとおもったのが、1999年ファーストステージの赤鹿戦
それは名勝負だったと思う・・・負け試合かと思ったら後半終了近くに名波のゴール!そのまま延長戦後半までもつれ込み、足をつる選手が続出するなかで・・・・・・・・最後に押し込んだ俊哉。
あの国立での感動は忘れない・・・・。
以来、「おーとしや」の掛け声はそれなりに大きくだしてきたつもり。
ユトレヒトに行くと決まったときもうれしかったし、ユトレヒトの手本といわれたころ、赤ユニを買おうとおもった矢先に、日本へ逆戻りでちょっと悔しくも思った。
で、選手として戦ったこともあるだろうジーコの目に留まって2004年代表選出。
「あれ 代表10番かよ」とうれしくなって、2004年2月代表ユニを大枚はたいて購入すると、ワールドカップアジア予選最初のイラク戦のみ10番で、次のオマーンでは16番・・・・・俊輔嫌い・・・。
しかもそれを見に行った埼玉スタジアムでは勝利するも結局出番なし。ただひと一倍サポーターに向かって手をふっていた姿がなんとも・・・・・・。
ありゃりゃとおもいつつ、じゃあ磐でと思っていたら、代表メンバーの疲労と羅針の欲張りすぎでベテラン揃いの磐は2004年ファーストスイテージで失速。
監督も変わり山本になるとベテランの扱いが厳しかろう、だから今年は私のすきな磐は最後かもと、写真での見た目はちょっと格好の悪いながら、磐ユニ10番をまた大枚はたいて購入。
だがしかし・・・でどうなんの・・・

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