元!4級審判員の日記 

2002年9月より始めたブログもはや21年〜
2005年からのJFA3級は今も維持、今は元!と名乗っています。

☆Rest in peace, my favorite uncle.

2024-01-07 08:10:10 | social

●バックオーライ オーライ オーライ 

ガツーン! あれ、今ガードレールにぶつけたよね・・・

幼いころの記憶である、それも55年近くも前の…場所は、兵庫県赤穂郡上郡町の鞍井川 川岸近くの道で、川遊びに連れて行ってもらっての帰りだったと記憶している。なんとなく、乗っていた時濡れ気味の水泳パンツだった気がするから・・・ 車は 日産チェリー だったか?

尊一伯父は、もうひとりの叔父に比べると、かように不器用だったと思う。

おりしも時代は、主婦の店 ダイエーがマーケティング業界での幅を利かせ始めていたころ、もうひとつのスーパー フタギが、ジャスコになって、さらに拡大という時期だったと思う。 

不器用(そうな)話すと面白い、伯父だが、もうひとりの叔父とは別の意味で、わたしは苦手意識もあった。 彼はスポーツなら野球で、上郡の田舎に帰ると、従弟とともに、旧上郡高校グランドに連れていかれ、外野に守らされた挙句、彼の打つノック(フライ)をとるということをやらされたからだ。

私も球技が嫌いというわけではなかったが、野球は苦手でどちらかというと、母親の勧めのラグビーなどをやっていたものだから、その伯父につれていかれる、草野球はやはり好きではなかった。

そんな伯父であったが、上述のとおり、スーパーの走りの フタギさんで、どんどん活躍され、そして会社もジャスコへと拡大・・・ 確か、仕入れ担当の役員として、海外を飛び回るようになっていたと記憶している。 なんか、そう、上郡の家にかざってあった、パンナム(パンアメリカン航空)のタラップだったかの彼の写真が、妙に記憶にのこっているのだ。

その仕入れ担当の彼(いやもちろん、ジャスコにていろいろなことを担当されたんだろう) 次の記憶は、彼が、東京に単身赴任されているときのことだ。 ちょうど私が、大学受験の時期になり、たまたま、浪人時代の予備校の先生の勧めで東京の大学を受けようか となったときに、それならば、尊一伯父が東京で独り住まいなのだから、大学見学や受験のときはそこを使えばええ、、、といわれ、西船橋やら、東京は文京区白山 のアパートに転がり込んだりしたものだった。(白山のアパートは 伊勢の海部屋のすぐ前だったかな)

そんなものだから、彼が出張などされているとき、アパートに転がり込んだりもしたのだが、彼の部屋の書棚には、やたら、人事や、マネジメントやらの本がならんでいたのを記憶している。 かれも相当マネジメントで苦労をされたんだろうと推察される、いま思うに・・・

でもそのうち、かれも関西にもどり、逆に私は就職も東京でとなると、だんだん盆暮れ正月に会うというのもなくなってきて、田舎 上郡の祖母がなくなると、ほんとうに会う機会もほとんどなくなった。

私の彼の印象は、まじめ風であり、ひとに迷惑をかけるということをとにかく嫌がるというか、面倒くさがっていたような気がする。 「もうえぇ、、て」というのが、今も耳に残っている彼の口癖である。

結局彼の仕事でのものすごさは私は知らない、、、だけれども、人の良さはよくわかっているつもりだ。おそらく、彼は「中谷家」という、代々の家の制度には相当にコンプレックスをもっていたのだろう、それと「長男」ということに

前述の海外出張などの彼の姿はほんとうに、活き活きとしたものだった。本来なら東京からさらに、サンフランシスコ、ニューヨークへと飛び出していくひとだったのかもしれない。 なんにしても50年前に海外飛び回っていたから・・・ん、にしては英語がうまかった記憶はないが・・・

晩年は神戸と地元を愛していたのか、故郷 上郡町役場の監査委員とやらもやられていた。そんなかれも最後のひつぎには、かれの希望だったのか、晩年にいくにしたがっての、たくさんの 家族との写真の数々が彼のもとに納められた。

昔の話とか教えてほしかったなとか、一族の長としての気持ちとか、聞いてみたかったな。

最後は、喪主で従弟 健一くんが、お焼香のときに ひとこと伯父に向かって 「ありがとう!」といっていたのがとても 胸にきた。

尊一伯父よ ・・・もうちょっと、がつんといろいろ言ってほしかったぜ、 ほんともったいないよ、一族の長  

また、思い出すことがあったら書き足すね(もっとも書けないこともあるけど。。。笑)

彼の最期の地は神戸市垂水区舞子 でした

舞子の思い出もかずしれず、で、今回もお葬式で東京から新幹線 西明石経由で、山陽本線舞子駅におりました。 舞子から神戸より、2駅には、「塩屋」があります。

塩屋といえば、大江千里さんの歌「塩屋」 伯父への思い出とともに残します。

 

2024年1月5日 行年84歳で逝去 中谷尊一伯父を 偲ぶ

 

冒頭画像は 懐かしい 兵庫県赤穂郡上郡町の 鞍井川 でグーグルマップ検索しました。



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