湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

いつも赤い紅葉の木

2020-06-21 00:58:00 | コラム
赤い紅葉を庭に植えた。
去年のことだ。

出猩々(デショウジョウ)という品種らしい。

春の新芽は真っ赤で
夏には薄らと赤い縁取りは残しながら緑になり
秋にはまた、真っ赤になる



母がいた頃、
大きな鉢植えで
この紅葉を植えていて
鉢植えのせいか
大きくなっても
背丈ぐらいの大きさで
そのうち、根も詰まりかけてきたのだろう、少し元気がなくなったことと、大きな鉢の位置が邪魔になり
地植えしては?と
植え替えたせいか
結局母の大事にしていた紅葉は
無残に枯れてしまった。


艶やかな色をした紅葉で
母は大層お気に入りだったのに。


その時の母の落胆ぶり、、。
仕方ないとしながらも
もう、その頃には
母自身が新しく木を育てたり
面倒はみれなくなってきていた。


私も気にはなりながら
父と母の介護に追われる日々となっていったので、紅葉のことは
次第にわすれてしまっていった。


母がなくなってから
色んなことが思い出される日々が続いたものだ。

その木のことを思い出し
私が早く新しいものを
植えてやればよかったなぁって

そう思ったら
止むに止まれぬ気持ちになって
すぐに品種を探して
買ってきて庭に植えた。

緑色だらけの常緑樹の中に
一本の赤い紅葉を配置した。

とは言え
植えた時は
まだまだ小さな苗木で
それでも一人前に
艶やかな色の葉を出したが
冬には全ての葉が落ちた。


これは、またやっちゃったなぁと
不安だらけで迎えた初めての春

赤い赤い、真っ赤な柔らかな
葉っぱを出し始めた時は
上から見たり
下から透かしたり
とても嬉しかった

話しかけて
『綺麗な色だねぇ』
『早く大きくおなり』って言い続けてた。






この梅雨に入って
ぐんぐん背が伸びてきて
葉脈の一部に赤い色をのこして 
緑がかった葉にはなったけれど
出てくる新芽は艶やかで

空からみえるかしら

小さな苗木は
2年目を過ぎて
小さくとも
誇らしげに幹がしっかりとしてきた。

今年は
その隣に
秋に色が朱色になる紅葉を
もう一本植えた

そう緑色の真ん中に。


どうして
生きているときに
こうしてあげなかったんだろう

もう少し
楽しませてあげられたことは
数えればいくつも
いくつもあったのに、、、。

そう言うことばかりね。

けれど、そう言うことを数えるのは
本当にキリがない

そう言うことに
惑わされている私を
母も見たくないだろうなぁ

2年がすぎて
たくさん泣くことはなくなった

しかし、涙が滲むことは
まだまだ、たくさんある


あのときは
みんな精一杯だったんだと
思うことにしてる

やれること
やれないこと

時々、おセンチになったりしてね。

そうして
なつかしんだり
できなかったことをなぞったり

そうして日々はながれていくのでしょう。


あと、数年したら
綺麗な赤い紅葉が
庭のシンボルツリーになるまで
思いを馳せながら
『綺麗な色だねぇー』
『大きくなぁーれー』って
呪文を繰り返し言おうと思う。





















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