義母を空に見送って
あれこれ片付けを終え
佐賀から帰宅してから14日が過ぎた。
10日間を過ぎたあたりで
微熱が出た。
喉の痛みも味覚障害もなく
下痢も息苦しくもない
ただ、アレルギー反応が強い💧
正直、怖かった。
佐賀行きの2往復は
飛行機も、ホテルも満席、満室。
葬儀もほぼ通常通り
通夜も含め葬儀全般の料理は
慣習にならい、鉢盛り料理
いったいこれは、、、。
しかし、土地柄と言うものは
遠く離れた者にとっては
こうなんですよと、言われたまま。
風習にならうしかなくて
ましてや、地元の葬儀屋さんが
介入していることで
それなりに見送りのセレモニーを進めるしかなかったので
この14日間は、
密かに、しめやかにしながら
不安とのにらめっこ。
私の微熱はたった一日で終わった
多分、疲れからだったのだろう
喪はあけてないけれど
気持ちは、少し開放された感じ。
義母への悲しみとは別に
一つ、重石が取れた。
自宅を空けた、ほぼ10日間の間に
春の日差しになり、冬の日のような寒い日を超えて、さらに雨に打たれ
庭や畑の雑草は、伸びに伸びて
やれやれ、
次の仕事はこれだぞーと言わんばかりの荒れ放題
これまでの草引きでは間に合わないし、また、足を痛めてしまう。
今回、生まれて初めて、草刈り機を使った(笑)
大まかなところは使えるぞと。
うちの両親が生前に購入していたが数回しか使えなかった、電気草刈り機をうちの相方がメンテナンスしてくれていて、混合ガソリンでの
本格的な重い草刈り機の取り扱いよりも、簡単で、軽い。
遺してくれていたものが
後になって役に立つと言うことが
沢山ある。
有難いことだ。
電気草刈り機のおかげで
なんとか、庭や畑は綺麗になり
なんだか、木を植えたくなって
オリーブの木を2本植えた。
オリーブの実は、2種類のオリーブを並んで植えなければ実らないようだ。
2本
2人
まるで、夫婦のようだ。
家系は実(子供)を遺しながら
そうして続いていく。
双方の両親が亡くなったことで
私達は、家系図において
一番の長になった。
家を守っていくと言うことは
子供に生き方を見せて行くと言うこと?
義母が最後に
私の手をとって
言いたかったことは
『後を頼む』ってことだったように思う。
これからの自分達の生き方
後に続く子供達がわかりやすいように、私達が、また、子供の手を取り
次に繋げていくこと
昨日から今日、そして明日へと
淡々と繋げて行くと言うこと
今を大切に
やるべきことをやっていくしかないわけで。
どうせなら
楽しく、明るく。
と、、、、。
自分が年を重ねてしまったんだと実感(笑)
否応なしに
誰でもこんな時が訪れるのだと思う。
今年は
いやに早足だった桜の季節
コロナのせいもあり
何かと窮屈ではあるけれど
この時代を過ごすには、
何かの意味があるのだろう。