湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

映画『太陽の蓋』

2021-03-12 21:30:00 | コラム
今日は、地上波で『FUKUSHIMA50』が放映されるらしい。

皆が知る、10年前に起きた原発事故

現場の混乱を描いているように見えるが、若干、脚色上、時系列が前後されていると指摘されている。


現場の過酷さは、
映像以上だっただろうと思われるところ。
頑張った人達はたくさんいた。
英雄がたくさんいた。
だから今は
少しは安全だと
そう思えるように作られている。


名前の通った役者さんが演じることの臨場感と、そのつくりは、
やや、エンターテイメントに傾いて、見終えたあとは、
『みんなよく頑張ってくれていたんだー』と、重苦しい中でも
すこしは、さわやかな風が吹き終わっている。


しかしながら
本当が垣間見えるのは、
同じ題材で、2016年に放映された
『太陽の蓋』と言う映画だろう。

官邸の番記者の目から見る政治と
避難された方々の混乱を描いてる。

これは、地上波では放映されていない。


かつて
この地震の多い国に、54基もの原発を建てた政権は、
この時は高みの見物。

そして、のちには、足をひっぱる題材として、取り上げられた、この災害。

その災害の対処を
新しい政権が対処した。
手探りの混乱の中、
それなりに、とても苦悩したと言えると思う。
私達がテレビの前だけで判断していたが、言うにいえない決断。

もし、同じことが起きたなら
今の政権は、、、
さて、、、、、、。


映画『太陽の蓋』を見た後
日本にいて
今までの政権に一票を投じた人々、
私も含め、こんなモンスターを
沢山作ってしまった罪を思うだろう。


重苦しい題材だけれど
もし、エンターテイメント的な映画だけで、満足するのは、片手落ちだと思う。


機械のことも
政権のことも
疎い私だけれど
幼い子供たちが困らないような
世の中を、環境を
私たちは残してやれるのか、、、。

いや、もうすでに、それは、無理だろう。
けれど、これ以上の『負』は、残さないでいることはできる。


さらに、考えてしまう。


ほんの偶然のことの重なりで
今に立っている自分達の姿は
またこれから先、いつ、同じ問題を問われないとは限らない。


そう思えた映画『太陽の蓋』だった。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする