湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

今と6年とコキア

2023-10-30 23:13:00 | コラム
10月が終わろうとしている。
ここにも、かなりご無沙汰な私だった。

身体に痛いところが常にあると言うのは、何かもう一つ、気乗りのしないような、不自由な感覚にとらわれたまま。

今年の春ごろから続く、手の痛み
何をするにしても、庇いながら動かなきゃと言うのは、
必要とされた時に、万全のチカラでは臨めない。

年とともに、こうして
何か一つ
そして、ふたつ、みっつと
抱えながら、庇いながら、誤魔化しながらいくのだろうね、、なんて。


4月に息子が倒れた。
再発の発作に、遠い場所から
心配だけの私。

そして、同じ4月に娘が懐妊した。
折しも、マンションの部屋の全面リフォームの業者が決まったところだった。

さてさて、私が出来ること
しなきゃいけないこと 
目の前に展開されていくことに
全力で進んでいきたいと。

息子には、体に良いサプリメントや足りない栄養はないか。
娘には、かなり痛みを伴う妊活の、何度目かの懐妊の末、ようやく落ち着いた卵子の着床により、あと少しで安定期かとの矢先のリフォームのための引越し。

この夏は、何度も東京に出向き、引越しの手伝い、そして、また3ヶ月後の引越しの手伝い。

息子とはやり取りしながら、薬や病院の確認、次第に安定に入っていった。
あれこれ、調べ物には、パソコンが本当に役に立った、便利な時代だと痛感した。

こうして、我が子から
請われることは有り難いのかもしれないが、左手の痛みは、手を伸ばし、握ることに痛みが走る
時には、スマホを支えるのも、
お皿を洗うのにも、痛みが生じたり。

左手の筋肉を補助するサポーターを勧められて、付けてみたり、特定の場所の些細な運動ではあるけれど、それを続けることで、少しは痛みを抑えることができたように思う。

大したことではない?
よくあること?

しかし、この年末に
新しい命を抱く時には
痛みが消えていてほしい。

ましてや、娘は、旦那さんともに
リモートワークしながら
出産は、こちらですることを決めていた。

私の出番は、、多くなる

なんとか、家事、育児が
全うできるように祈るばかりだ。

春から夏、そして、一息ついた秋
友達に誘われて、久しぶりの遠出にて
コキアの丘に立った。

少し気分が晴れて
痛みも忘れた感じ

太陽や風が心地よいと
体に駆け巡るものが何かしら有るのだろう。

早いもので、今年で、
両親が亡くなり、6年を迎える。
娘が出産のために帰省する間に
私の両親の7回忌を執り行えるのも
何かの導きなのかしら。

私は、この6年
毎年11月から1月の3ヶ月と言うもの、
介護と看取りのあの日々を忘れられずに、少し苦しくて、泣きそうな季節をまた、迎えるのか、、、と。
1ヶ月の間に、2人を見送った季節。

今年は、新しい命が育まれ、誕生して、一生懸命生きる姿を見て過ごせる。

不思議な因縁

私の記憶を塗り替えていくのか。

いや、少し違うかな。
あの苦しい日々も、辛くても、
実は忘れたく無い私がいる。

段々と忘れて、薄れていくと言うことも悲しいことだと分かってきた。

新しい命を無事に抱けたなら
喜びも大きいことも知っている。

塗り替えられることはない
私の胸に積み重なっていくのでしょう

みんな抱えていく

目の前で起きて行くことに
一つ一つ、噛み締めて、抱えていくよ

ふと、最近、ここ数年で
付き合いを切った人達のことを思い出したりしている。
後悔はしてないし、懺悔もしない(笑)
肯定しなが、進んでいきたいから
後戻りはしないけれど、
ただ、元気でいてほしいと思う。

懐かしさに似た、ちょっと胸がチクリとするような、甘酸っぱいような、苦いような。

今年の季節の変わり目の
暖かすぎる日と、寒い日みたいな。























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最後の雨

2023-07-13 09:09:00 | コラム
もう、いい加減にしてもらえません?
と、空に向かって言いたくなります。
誰かが日本列島を雨嵐に陥れているんじゃないかとさえ思ってしまうような雨、雨、あめ。

私の住んでいるところは、
それほど、雨は降らず、から梅雨か?と思うほど。
色んな媒体から聞こえてくる西日本(今日は北陸か?)

あまりにも、豪雨災害がひどすぎる。
被害に遭われた方々、心よりお見舞い申し上げます。


から梅雨の天気を過ごしている自分には、それでもまだ、申し訳ないほど他人事のようだった。


そうしてすごしていた昨日の夕方のことだった、、、、
一瞬のうちに、空は黒くなり
台風なみの大風が吹き始め
庭の洗濯物干しやら、テラスに置いたものやら、ベンチがなぎ倒された。
すぐに、雨が大粒に変わり
雷が休む間もなく、轟き始め、
いく筋にもイナビカリが
それこそ、あちこちの大地に落ち始めた(いくつ落ちただろう)
それこそ、映画の爆破のワンシーンのごとく、、、、。
物凄いパワーが空から大地に突き刺さっていく。
雨で近くの山さえ見えないのに
イナビカリだけが目にはいってくる。
いち、にい、さん、、、
光と音の遅れ方で、雷の近さと遠さを数えてみるも、あまりに多すぎて、光と音の不協和音に頭がついていかない。

普段、私は雷が好きで
すぐに2階に駆け上がって見に行くはずが、
その私でさえ、恐怖で足がすくんでしまう。

とにかく、先に家のパソコンやら、テレビやら、エアコンやらのコンセントを抜きに回った。
何故か、家の中の移動でありながら、背中をかがめて頭を両手におおうようにしながら。

その時、パキッと言う音ともに、停電した。

大雨と大風と雷

ふと、西日本を襲った線状降水帯がこのようなものであるならば、
怖すぎて、不安すぎて、湿気がありすぎて、パニックにおちいる。

約、30分ほどの恐怖体験だった。

空には、ろうと雲になりかけたような雲があった。
竜巻が起こらなくて良かったと胸を撫で下ろしたが、こんな恐怖の続く場所が、ここ数日、いや、先週からあちこち起こっていたんだ。

人は、自分にふりかかってこなければ分からないものだと、あらためて思った。

から梅雨すぎて
畑の毎日の水やりが厄介で
ご近所さんと立ち話で
『いっそ、夕立でも来ないですかね〜』と話をしたことが自分でも情けなくなった。

雨も無くてはいけない、田畑や水源と言う意味で。
しかし、何事も限度と言うものがある。

多すぎてもいけない
少なすぎてもいけない

天候も、愛情も、政治も
ちょうどいいぐらいに保つのは難しい。
自然相手ならばなおさらのこと。

だけど、もう最後でいいじゃないですか、今年はこの辺でお願いしますよ。(誰にともなく、空に向かって)

で、カリンバで、『最後の雨』
17音階だけで弾いているとは思えないMISAさんのカリンバは、一音一音が一粒ごとの小さな雨音に聞こえます。





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危機的状況下?

2023-07-09 16:13:00 | コラム
長い講演ですが
みんなが考えなきゃいけないこと。

初めて、奥野さんの存在を知った人は、胡散臭く感じるかもしれません。
私も最初はそうでしたので。


しかし、奥野さんが語る、話に出てくる人々や、現実に起こったこと、数値化された説明は、本当のことです。
ググれば、この人の言う人や数字は、表に出されてることばかり。

広く、つなぎ合わせて、俯瞰したら、話をする奥野さんの言葉は、納得のいくものになります。

日常は、誤魔化されてばかりいます。
テレビや、その他の媒体で
露見したことは少し。
かなりアンテナを立てて広く海外まで見通して情報を集めていかないと
日本の中だけでは全く分からない。

すべて拾えないほど、毎日が
次から次に、ニュースで、黒塗りされてしまって肝心なこともわからなくされてしまっているだけのこと。

考えてみて下さい。



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これからのことについて

2023-06-16 12:05:00 | コラム
葡萄の房が少しづつ大きくなってきてます。


じゃがいも(キタアカリ)が採れました。


その前には、玉ねぎが採れました。


我が家として、悲喜交々なことがありつつも、何とか生活しておりますが、、、、。

世の中は、大きく変わってきてます。

もし、あまり関心のない方がいらっしゃったとしたら、きっと、その方は、とても孤独で、寂しい方なんでしょう。

自分の年では関係ないとか思っていても、自分の行く先々で、
旅館のお風呂、トイレ、電車
見た目は男子、こころは女子
見た目は女子、こころは男子という、今までだって、そういう人は沢山いましたが、何となく、やりすごしてきた。
しかし、見知らぬ、そういった方々が法のもとに、外見は関係なく、
いきなり、自分のパーソナルスペースに飛び込んで来られるとしたら、ら、、。

それが、自分でなくとも、
自分の子供や、孫の目の前に。

本当に体と心の性が違う方々は、
今まで、どれだけ辛い思いをしてきたかは、想像を超えてます。

しかしながら社会と言うのは、
いつも、想定外のことが起きてしまうと言うもの。

自称、女性(男性でありながら、偽りの証言を言う人)

その反対もあり。

政府により、可決された【LGBT】法案は、これから何が起こるのかー。

先に可決された国々は、
とても、性犯罪が増えた

国連さえも、それを推奨していると言います。何故??


あなたの、子供さん、お孫さんが、
それに巻き込まれる可能性を考えたことがありますかー?

その法案を通した、自民、公明を
政府として、どう思いますかー?

そして、その先にあるもの。
世界が向かうものは、きっと、今までの日本の性善説を覆していくのだと思います。

何もしなければ、その世界に突入
男女別の更衣室もなく
トイレも同じ
温泉も同じ
何を増長されていくのでしょう。

『差別』と言う言葉の意味を盾に使うと変な世の中になります。
男子になりたい人
女子になりたい人には、理解が必要ですが、もとより男性、女性だった人への尊重も守ってもらいたい。
だから、【区別】は、当然のごとく、チカラの弱い者、体の弱い者、
それぞれの立場や身体的理由からの差別ではなく、よりよき区別は、必要となります。

多様性を重視する

言葉は、綺麗事でしかない。
当たり前にあるけれど、
多様性を重視するなら、虐待や性犯罪は起きない。
重視しても、しきれない想定外をおこしていくのが人間と言うもの。
そこに、法を、この盾の法則のようなものをガチガチにもちこんだとしたら、
性的目的で襲われたって、相手の罪を深く問えなくなってしまうんじゃないのですかー。
性こそ、多様性なんですから。

確かに、多様性だけれど、ボーダーラインは?
難しいことになってくる、、、。

それが、若年層に及ぶ、、、
小さな子供達へと移行するならば。


顔がしかめっつらになってますよ。
背けたい現実だとは思いますし、
日本では、今まで報じられてきてないことの現実は、信じられないと言う思いは分かりますが
自分の大切な家族を思いやれば
それを防ぐために、何をしなきゃいけないのかー。

ちょっと、考えてみて下さい。





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3週間に3人

2023-05-12 22:57:00 | コラム
昨日の夕方だった。
私は庭の隅の水道で、採ったばかりのドクダミを干して、お茶にするために洗っていた。

隣の奥さんが、うちの庭に血相を変えて入ってきた。
足元は少しよろつきながら
『お願い、病院まで車で送ってもらいたいの〜』

2週間ほど前に、その隣の旦那さんが緊急搬送されていた。
奥さんが泣きながら雪崩れ込んできた様子で、私は察知してしまった。

近くに歩みよって、抱きしめる。
嗚咽になって出てくる言葉達。

『分かったよ、乗せていく。だから、しっかり、しっかりね』

今までの経緯は、ずっと聞いていたが、こんなに早いとは、、、。
ドキドキと不安を冷静さに変えなきゃいけないとハンドルを握る。

とても、お世話になってる人がまた1人、天国に召された。

この3週間すこしの間に、3人目となる。

少し、年上のお世話になった人達。

やりきれなくなってしまう。

この3週間と少しの間、何人と、
抱きしめあっただろうか。
抱きしめられずにいられなかった。

相手も、やりきれない思いと一緒に抱きしめて欲しかったのだと話す。

私は本当の意味で抱き止められただろうか。


1週間に1人
また、1週間に1人
そして、昨日、1人

旦那さんであったり、その人の親であったりはしても、当事者の気持ちの悲しみを思うと、今までのお世話になったことがフラッシュバッグしてきて、涙が流れてくる。
しかし、当事者よりも、私は先に激しく泣いちゃいけない思いを我慢すると、何故か、クラクラしてしまう。

人生の中で、
立て続けに、3週間に3人もの人を送る傍らに立ったことは初めてで。

メンタルを保つのがやっとのこと。

あっけない状況のまま、あっけない期間に逝ってしまうことに
なおさら呆然と立ち尽くしてしまう。


数ヶ月前から、小さな町の火葬場や、葬儀場は、フル稼働。
しかも、数日待たされる状況
葬儀屋さんも忙しく、時間の予約の順番に納棺されるため、すぐには、納棺されず、、、と言う事態。

ネットの中に
『超過死亡』と言う言葉。
その意味を去年知ったばかりの私は
その去年が、大変な数字になっていることも知った。
戦後最大に人が天国に召されてしまっていた。
あの、東日本大震災の年なども、
とおに超えてしまっている。

もしかしたら、今年は、その去年を上回る勢いだとも聞く。

小さな町で起こっている、普通ではない光景
それはまさに、『超過死亡』の現実を私は体感してしまっているんだと実感した。

日中の寒暖差があれど、
この新緑のとても良い季節なのに、だ。

冬や夏の厳しい季節なら、いざ知らず。

何が変わった?
何があった?

3人に共通しているのは
みな、コロナワクチンのフル接種者

あまりにも、病気や病巣の進み方が早すぎる。
私も、事務とは言え、病院勤務の経験を持っているので、普通の人よりも、少しばかりは色んな症例を見てきてる。

たまたま、お世話になった自分の周りの人達だけの話か?
いや違う。
まだまだ、知り合いに、そこの予備軍にはいろうかと言う人が数人いる。
かなりのスピードで進行している。

私はまた、誰かを抱きしめるのかー。

いくらでも、抱き止めてあげるけど、悲しい涙の中では
もう少し、時間の余裕を下さい。


ワクチンを打つなかれ!!
6回目なんて、未知の世界の入り口で、何が起きてもおかしくない。
実験のマウスは、6回目の試験で、全て死んでしまっていると言う。

他の国では、ワクチンは禁止されて
大きな訴訟も起きている。

日本だけが6回目の接種に突入なんて。
本来の『日本』と言う国は、どこをどう探せばあるのだろうか。
疑問が膨らんで、疑いしか残っていない。
政治のことは書きたくないと思いつつ
しかし、超過死亡の現実の数値を見よ!!
原因を突き止めようとしない、
その説明を明かさない国に
何の希望が持てようか⁈

本当は、この国も
愛を持って抱きしめられたいのじゃないの?

素直に自己開示しないまま
大切なものに気づかないでいたら
抱きしめても抱きしめても
幸福はやってこないと思う。



田舎の風習が今も残っていて、
亡くなって24時間経たないうちは、
病人と同じ。
赤熨斗での『病気見舞い』と称して、亡くなった方のお宅に伺う。
お通夜、葬儀とは別。

ある意味、濃ゆい付き合いと言えるし、ある意味、厄介な風習だとも言える。

私にとっては、最後のお顔を見て、真にご家族との会話ができる場ではあるけれど、それなりに、悲しみやら、訳のわからぬ、複雑で混沌としてしまう時間。

必死で、前を向き
しっかり生きなきゃ、亡くなった方々に申し訳ないとも、思う時間。










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