信じてはいけない 自己啓発本のデタラメ4選(まにゅそく) 2channelmatomenews.blog.fc2.com/blog-entry-144… ”実験では単に「良い成績を取った自分」をイメージした学生よりも「図書館で勉強している自分」を思い描いた学生のほうが成績はよくなった” ── これはこれでウソくさいのだが・・・
自己啓発本のデタラメを云々している記事がなまじの自己啓発本にまさるとも劣らないくらい胡散臭い(笑)のはなぜだろうと思って読み直してみると、「科学的にきっちり否定された」と言いながら否定されるべき根拠が述べられていない(笑)自己啓発本が根拠なき肯定であることの裏にしかなってない
メインキャストのご紹介。百合城銀子(CV:荒川美穂さん)、百合ヶ崎るる(CV:生田善子さん)、椿輝紅羽(CV:山根希美さん)ガウガウッ!(訳:よろしくっ!) #yurikuma pic.twitter.com/qPnBuTjNnH
渡邊芳之「『書く仕事』全般が副業でしか成り立たないものになりつつある」(Togetterまとめ) togetter.com/li/725816
これ、物書きだけじゃなくて絵描きなんかも含めてそうだろうという気がする。特に何の分野が、ではなく「コンテンツ一般がオワコン」なのである
ネットを徘徊する荒らしはサイコパスなナルシストで、サディストであることが判明(カナダ研究)(カラパイア) karapaia.livedoor.biz/archives/52174… 「コメント欄は”グローバル・コミュニケーションが意見交換や議論に発展する”と期待されたが、そんなことはついぞ起きたことがない」
面白いものだよな。「開かれた議論の場」なんていうのは遅かれ早かれ荒らしにあって潰される。じゃあ「閉じた場」ならいいかというと、それは単に同じことを反復するだけ、つまり同期言語の場ではあっても伝達言語の場ではない。結局「議論」という概念自体が実在しない美しい夢にすぎないようである
猫屋台(ほぼ日) 1101.com/nekoyatai/ ”この連載は、長い闘病をした父と母を看取ったあと、漫画家で作家のハルノ宵子さんが、それまで3人(+猫数匹)で暮らしていた家を改築し、自分の「これからの生き方」を決めて「猫屋台」を築くまでの日々を追ったものです”
外国人教師からみた日本の英語教育の問題点「クソみたいな教科書を使っている」(VIPPERな俺) blog.livedoor.jp/news23vip/arch… レス#2「外国人教師って軍曹かよw」── 2で終わっていたwwww
もと記事を読み直してみるとreddit上での議論だと書いてある。redditっていうのは海外の2chみたいなもんだと聞いている(本当かどうかは知らない。俺は英語なんて読めないからなww)実際、元記事の書き手もそれを踏まえて2chのレス風に訳したのだろうと思われる
米国でエボラ熱患者確認=アフリカ大陸外で初-リベリアで感染か(時事ドットコム) jiji.com/jc/zc?k=201410… ”患者は男性で、テキサス州ダラスの病院で隔離治療を受けており、重症。流行地であるリベリアで感染したもよう”
死亡12人は「損傷死」 噴石が当たり 御嶽山噴火(朝日新聞) t.asahi.com/fzc3 ”(死亡確認された12人のうちで)火山ガスの中毒や、火山灰による窒息で死亡した人はいなかった”
退屈しのぎにWebをあちこち眺めていて、やたら懐かしいものを見つけた。ロッテの「はりはり仮面」シール members.jcom.home.ne.jp/ancyo/rotte/ha… さすがにシールの中身はほとんど覚えていなかったが、たったひとつだけ覚えていた。これ pic.twitter.com/VCTcPIVBb1
昔はどこの家でも、また食堂でも、卓上に必ず醤油さしとソースさしのふたつが置かれていて、両者を間違わないように「しょうゆ」「ソース」と書かれたシールが貼られていたりしたわけである。このシールはその上から貼って「ソース・・・ではありません!」というイタズラに使おう、というものだった
もちろん本当にこのシールをそんなイタズラに使ったコドモがいたかどうかは定かでない。いたかもしれないが、たいていは使わなかった。見ればシールの意味は明らかだから、それを使った場合のマンガ的な光景を想像して笑う、というものだった。シールとしてはカバンに貼ったりする程度だった
これは本当だ。また(たぶん)逆も言えたりすることだ。はるかな昔、ずっと古典的なBASICでプログラムを書いていて、C言語を覚えようとするとそれがひどく読み辛いものに感じたということがあった
あと、QuickBASICとかVisualBASICといった構造化BASICはどことなくPASCAL風の記述に似せて作られているようなところがある(TurboPASCALがDelphiになったようなものだ)。で、PASCALとC言語というのもこれがまた相性の悪いふたつの言語である
Delphiの名前を出したが、これはもともとTurboPASCAL for Windowsとして売られていたのが、VisualBASICの出現を受けてRADを取り入れたものがDelphiになったのである(ちなみにそれが現在のVisualStudioのデザイナにも受け継がれている)
BASICとPASCALはもともとプログラミング言語としてはまるで似てはいないのだが、上のような歴史的経緯(笑)によってなんとなく似た位置づけの言語に、今ではなってしまったわけである
御嶽山噴火の死者・心肺停止は48人に 戦後最大の火山災害になる(はちま起稿) blog.esuteru.com/archives/78745… コメント#5「こんなことを目の当たりにしても登山をやめない連中の多いこと」── まあ、もともと山登りなんていうのは命知らずのバカがやることなんで・・・
「ホーム端で歩きたがる人」現役地下鉄駅員によるトウキョウ駅ナカ日記(原田大作/東京ブレイキングニュース) n-knuckles.com/discover/folkl… ”ガラガラに空いているホームの端を歩く。警備員に体当たりしてくるお客さんまでいる。どうしてなんだろう。本当に、不思議で仕方ない”
ガラガラに空いたホームを、とか、警備員に体当たりしてでも、というようなことはしたことがないが、確かにときどき無意味にホームの端を歩いてみたくなる。「ガラガラに空いたホーム」でそれをしないというのも、その料簡を勘繰られるのが嫌だからで、必要がないからしないというのとは違う気がする
なんとなくだが、あれは海沿いの道路で堤防の上を歩いてみたくなるのと同じなのではないかという気が、かすかにする。そんなことして何かいいことがあるのかと言えば何もないし、ホームの端を歩くほどではないにしても多少の危険はある。でも時々はやってみたくなるし、人によってはやってしまう