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【憲法】スッキリ9条(第三話)解釈学説の出鱈目さを暴露

2017-08-12 16:16:06 | そうだったのか憲法9条

(第三話)

そもそも、「解釈」とは、自分勝手・・どんな解釈があってもかまわないと思っています。

ただ、その解釈内容が、原文の趣旨から、どう(どの程度、どの様に)反れているか、を見極めることは必要だと考えています。そこで、いろいろ関連本を見てみましたが、諸説の紹介は書いてあるもののそれを論評したものはみつかりませんでした。

 そこで、私なりに、整理してみました。

 

 先ず、解釈・学説の紹介から・・・

 

 ( 戦 争 )  ( 戦 力 )      (ポイント)

説 侵略 自衛    侵略 自衛

1  ×  ×     ×  ×    「としては」を無視、1項と2項の分離話法 、 

2  ×  〇     ×  ×   「としては」 を省略し、すべての・・誤読 事実上

3  ×  〇     ×  ×→△  政府解釈 詭弁 戦力を実力だ、と

4  ×  〇     ×  〇    文理解釈  第三者証言あり

4* ×        × →×    結果として、論理的飛躍・歪曲あり

      ×    ←   ×    歪曲・飛躍・論理逆上がり    

 

憲法9条 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項 前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。以下略」

 

1 戦争全面放棄・戦力全面放棄説(侵略戦争× 自衛戦争× 、侵略戦力× 自衛戦力× )    

 

「国際紛争を解決する手段」は、すべての戦争を意味するのだから、戦争全面放棄→戦力全面不保持だ、と言いますが、この解釈の欠陥は、「としては(の場合には)」を無視しているため、全戦争以外の戦争を示すことはできない、ということです。従って国語的に誤りであるといえます。 

また、この説を言う時の話法として、1項と2項を完全分離し,文字のつまみ食い解釈(条件付きを無視,「前項の)を無視)をしますので、全くの我田引水と言えます。(少数派)

 

2 条件消去説(侵略戦争× 、侵略戦力、自衛戦力 すべて× → 事実上自衛戦争×)

 

◎ 戦力は、「すべて」か「そのための」か、どっち? よく議論になりますね。

 

上)私説*「侵略の場合戦争を放棄する。そのための戦力は保持しない」 

(*内容的に同じ学説がありますが、この表現ではないので、以後「私説」と書きます。)

下)学説「侵略(・)戦争を放棄するため、すべての戦力を保持しない」

 

 上と下をくらべてみてください。

 上は「条件付き」放棄で、下では「条件無し」放棄になっています。

これらの場合、いずれの文章も、国語的(下線部分)には筋が通っています。

ところが、ここで問題なのは、下)学説では、上)の「の場合の」=条件付きが消えていることです。このことは、条件付き目的が、絶対目的に変更され、さらに最終的に、「すべての戦力を持たないのだから、事実上自衛戦争も放棄したことになる。」と結論付けています。

 このように考えてまいりますと、下)説は、誤読というよりも、国民の命に関する重大な問題であるだけに、見逃せない陰謀の匂いがしてきます。

 

 

3 政府解釈(侵略戦争× 自衛戦争〇 、侵略戦力× 自衛戦力×→△実力 )

ご存知のように、自民党政府迷走のスタートは、帝国議会に於ける吉田首相の「自衛の権利はありますが、一切の戦力は否定されております」の発言にあります「一切の=すべての戦力」と誤読解釈したことが、間違いなんですね。

それで、「自衛隊は戦力ではない、実力だ」「最小の実力は持てる」などと、なんとも狂った言い訳解釈を続けている現状です。正に詭弁ですよね。

 

4 国語的解釈(文理解釈) (侵略戦争×  自衛戦争〇 、侵略戦力×  自衛戦力〇 )

 

第一話 で、ほぼ説明したとおりです。

実際に会話したり、また読むとき、「~の場合には、」と条件がついておれば、国語的に丁寧に言うと「~そのための何々、(その条件の範囲内で云々)」と言いますよね。

 日常的な例に当てはめて考えれば、容易にわかることです。

 

4* 主流学説(侵略戦争×、侵略戦力×→ 飛躍・論理の逆上がり 結果として自衛戦争 ×)  

 

 数年前から、時の人となった東京大学卒の某大学名誉教授K氏のブログをみると、

 「日本国憲法では、9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、2項では、「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。いかなる名目であれ、「武力行使」一般原則として禁止されているのだ。」

 

 なんのこっちゃい、ちんぷんかんぷん・・・こうやって、庶民を煙に巻くのか? 

 ・・・・・と言いたくなるような9条解説じゃありませんか?

 

(ネットには、受験対策として)「1項で侵略戦争を放棄するが、2項ではその戦力の保持を否定している」ので、結果的に自衛戦争をも放棄する」と考えるのが今日の学説上の9条の解釈になります。とありました。

 

 さて、この学説は、一見まとものようですがとんでもない陰謀が潜んでいます。

先ず、1項では、「条件付きを消去し」つつ、2項では「その」戦力とまともな国語的読みをしています。

ところが、続いて「結果的に自衛戦争をも放棄する」と飛躍しています。

 

初め読んだときは、成程と思ったのだが、改めて読んでみると、「結果的に」という事は、どういうことでしょう?

その論理(思考過程)があるはずだと思い、いろいろ調べてみました。

が「結果として」「結局」「実効性を持たせるため」「戦力は無いのだから」といった言葉があるだけで、私が知りたいその「思考過程」についてすっきりした説明は、見いだせませんでした。

 

 そこで、いままで読んだ本から、推測的に、思考過程を組み立ててみました。

 

こうです・・

侵略戦争を放棄する目的だから 

(その)戦力は保持しません 

保持しないのだから、現実に無いことと同じ(歪曲)

・・・・・ここまでは頭の中のこと)・・・

   「結果として   現実に無いのだ(飛躍)

            現実に無いのだから、事実上 自衛戦争は出来ない

           出来ないということは、自衛戦争も放棄したことにもなる。(論理の逆上がり)

               

この論法で、 逆に言ってみると・・・どうだろう?

自衛戦争を放棄しないのだから・・・・・・・ 侵略戦争も放棄しないことにもなる。

 

 

 何かおかしいよね。 ジレンマ発生です。 

某教授はヒステリーをおこし、すべてだー、すべての戦力しか読めないんだあーと叫んでおります。  

 

〇どこが、可笑しいのだろうか?

 丁寧に読んでみると、

戦力を保持しないのだから、現実に無いことと同じ・・ここまでは自分の頭の中ではいえることですが、全体としてはそういえないかもしれないのだから、(歪曲)である。

次に、「結果として」現実に無いのだから、事実上自衛戦争は出来ないなどと、現実に移してしまうのは(飛躍)であり、可笑しい。

 

改めて、この説の可笑しさの発生原因を追究するならば、やはり初っ端の「条件付き」の隠ぺいにあった!と言えるのではないでしょうか。


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