やっちゃんの叫び

感じたまま、思ったままを話してみませんか。

民主党政権下で教科書が「先祖返り」

2012-06-22 20:56:17 | 日記
 安倍政権下で行われた教育基本法の改正に伴い、小学校の教科書検定などはかなり改善されましたが、今年の高校の教科書検定では、いくつかの教科書会社が「先祖返り」を始めていると、安倍元総理が連載「安倍晋三の突破する政治」に書いています。

 文科省というお役所は、外務省と並んで、GHQの影響が色濃く残る反日官庁です。

沖縄・竹富町の公民教科書については、東京書籍の教科書を無償給付しないという、完璧とは言えないまでも、比較的無難な結論に導きました。 しかしながら、昨年、教科書展示会で各社の教科書を読み比べた感想としては、そもそも、学習指導要領から逸脱した教科書を、どうして文科省は検定を通したのか、不思議に思えたものです。

 以下、「安倍晋三の突破する政治」から、記事を引用します。

民主党政権下で教科書が大変なことになっている!http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120509/pl...

 民主党政権が誕生して3年近く、さまざまな問題点が指摘されている。

今日は、教育分野でどんなことが起こっているか、紹介したい。

 約60年ぶりとなった、安倍政権下での教育基本法改正では、教育の目標に「豊かな情操と道徳心を培う」や「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う」「伝統と文化の尊重、わが国と郷土を愛する」などと記した。
 この方針に基づき、2年前に行われた小学校の教科書検定はかなり改善されたが、今年の高校の教科書検定では、いくつかの教科書会社が「先祖返り」を始めている。

 例えば、慰安婦問題について。 日本政府の正式見解は「政府が発見した資料には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらない」というもので、私も首相時代に国会答弁した。 中学校の教科書からは、いわゆる「従軍慰安婦」という記述は姿を消したが、今年、高校の教科書で「多数の女性を、日本軍兵士の性の相手である慰安婦として動員した」(実教出版)、「多数の女性が『慰安婦』としてかりだされた」(東京書籍)などと記載された。

 自民党文教部会で、私が「どうしてこういう記述が残ったのか?」と問いただしたところ、文科省の担当者は「『動員した』は強制性を意味しない」とか「主語は必ずしも日本政府や軍ではない」と答えた。

こんな詭弁を平気でいう文科省にはあきれてものが言えない。 

日本の領土についても、おかしい。

 沖縄・尖閣諸島も、島根県の竹島(韓国が不法占拠中)も、北方領土(ロシアが不法占拠中)も、日本政府としては「日本固有の領土」という見解であり、これは歴史的事実である。
 ところが、帝国書院は当初、「島根県の竹島、沖縄県の尖閣諸島については、領有権をめぐり韓国や中国との間で主張が対立している」と書いてあったのだ。

これは、さすがに修正されたが、一体、どんな人物が教科書を執筆しているのか。

 日本人拉致事件についても異様な記述がある。

 山川出版の日本史教科書では「日朝間では日本人拉致問題が障害となって政治的交渉は頓挫している」との記載がある。これは完全に、北朝鮮や朝鮮総連の主張と一致している。
拉致事件が許しがたい犯罪であり、主権・人権侵害であることが、まったく触れられていない。文科省の検定意見が付かなかったことが信じられない思いだ。

 民主党の鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相の資金管理団体が、日本人拉致事件の容疑者親族が関係する政治団体に多額の政治献金をしていたことが発覚しているが、こうした同党の姿勢が教科書検定に影響しているとすれば看過できない。

 東日本大震災の被災地では、自衛隊員による救出・復旧活動が高く評価されたが、東北地方では「自衛隊は憲法違反」との記述がある教科書が100%採択されている。この事実を、被災者の方々はどう思うだろう。

 文科省や教育委員会が、改正教育基本法の精神を生かす役割を果たせないなら、新たな立法措置を考えなければならない。(自民党衆院議員)

沖縄祖国復帰四十周年記念研修旅行にいってきた

2012-06-18 22:20:29 | 日記
 私にとっては初めての沖縄・・その研修旅行は5月11~13日の日程で行われました。熊本から十九名の参加、全行程好天に恵まれ有意義且つ楽しい研修旅行となりました。

第一日目、豊見城の旧海軍司令部壕を見学。鍬やつるはしの痕が残る壕は見事なものでした。「沖縄県民かく戦へり」の打電を最後に、太田實司令官が将兵と共に自決した部屋は当時のまま残されていて、手榴弾痕と血潮の跡には、息を呑んでしまいました。

第二日目、宜野湾市嘉数高地展望所に行きました。ここから普天間飛行場がみえましたが、週末のためか、ひっそりとしていました。





次に、普天満宮参拝の後、此処から出発する約一時間の日の丸行進に参加しました。集合場所には、仲村俊子先生もおられ、ご挨拶されたお姿は凛として心を打つものがありました。

行進は街中を整然と進み、シュプレヒコールをあげて高く掲げる日の丸の波は沖縄の空に映えてとても美しいものでした。



約1時間かけて、行進は祖国復帰四十周年式典会場の宜野湾市民会館に到着しました。その間、交通警察官の姿が一人も見えず、左派デモの方に関わっていたのでしょう。
 式典会場は、日本会議202名を含む1300名以上の満席でした。日本会議の三好会長、宜野湾市長らの挨拶の後、俳優津川雅彦氏が「日本人の誇り」と題して記念講演されました。

 夜は、日本会議九州および中国ブロックの懇親会があった。中村俊子先生のご挨拶があり、「日本各地からお祝いに駆けつけてくれた皆様の姿を見て、今日の日がとても嬉しい。自分も、90歳を超えたが、まだまだ頑張って行きたい」と話されました。



会の最後には「勝利の日まで」を全員で合唱し、沖縄祖国復帰50年に向けて活動を続けていくことを決意しました。

第三日目 糸満市平和祈念堂にの日本会議全国旅行団200名が集合、日本会議主催で、沖縄戦全戦没者のための慰霊祭を行いました。

平和像の背後地下室には全世界から送られた石が陳列されていて、ベルリンの壁石もありました。

 その後、各県毎に別れ、我々は「火の国の塔」と「義烈空挺隊の碑」に行き、慰霊を行った。印象的だったのは、摩文仁の丘にある慰霊碑の中で、この場所が一番、バンザイクリフに近いことであった。



二、三日目ともバスで移動しました。片岡事務局長の名ガイド振りに、拍手がおこりました。
 ご参加の皆様、大変お疲れ様でした。