じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

朝、目覚めゆく空に、祖母の微笑。

2006-11-09 07:17:54 | じいたんばあたん
朝六時に目覚めて、すぐにコートを羽織り、ほんの少しだけ散歩に出る。
ゆうべは3時半まで起きていたのだけれど、不思議と眠気はない。


先週怪我をしたばかりの両足はやはり痛くて、
ごくゆっくりとしか歩けないけれど、
わたしはどうしても今この、日々いとおしい朝を
―今日と言う日が無事訪れた歓びを―肌で感じたかったのだ。


出掛けに、携帯電話を忘れたことに気づく。
「ああ、カメラがない、もったいないなぁ」と一瞬思うが、後戻りするのはやめる。
今朝は特別に、全身でただ季節を感じたい。


もう、出勤や通学に自宅を出て行く人々がちらほら。


そんななかで、かつて祖母とふたり口ずさんでは歩いた、
シューベルトの「野ばら」を、不意に歌いたくなる。
ドイツ語も美しいし、日本語のそれもまた美しいのだ。

http://blog.goo.ne.jp/care-for/e/27f06cae5fa3e145ef860e78b4eead3f
(コメント欄をごらんください。詳しい解説を頂いています)


かつてのあの、幸せだった彼女との日々を思い出し、思わず
涙ぐみそうになる。

だけど。だけど。それでも。
朝はまた訪れ、鳥は変わりなくさえずり、そして、突然

美しく目覚めていく空の中に 祖母の優しい笑顔を見出だす。



ああ、そうか。
わたしは彼女に会いたくてたまらなかったのだ。
心と両手両足に、大怪我をしてから、彼女に会いにいけていない。
ついこないだ連れて行ってもらったばかりなのだけど、

だけど、…祖母に会いたい。


進行していく病のさなかにおいても、
わたしに、無償の愛というものを教え注ぎつづける
世界でいちばんいとしい、あの女性に。


白いコスモスが、傍で揺らいでいる。
わたしは、その純潔な花弁にそっと口付け、朝露を吸う。
涙ではなく感動を黙って頒ち合ってくれたような気がする、その花に。
 
 
******************

みなさまへ


長らくお休みを頂戴してしまいました。

現在、わたしは、たいしたことはないのだけれども、闘病中です。
いわゆる「心の怪我」という診断です。

そして、相方とも別離を選択しました。
彼の存在なくして、介護を続けてくることはできなかった。
彼に対する愛情や敬愛の念は変わりません。
謝意をここに、記しておきます。


わたしが今闘っている病の症状は、
とても激しく、苦しいものではありますが、

それでも、不思議とこころは明るく朗らかで、そしていつも穏やかです。

 
生きているって素晴らしい。
わたしは祖父と祖母を、支えてくれる友人たちを、
そして、このわたしたちを抱く世界を、宇宙を、愛しています。

これから、少しずつですが、
UPしないで書き溜めたものを、10月の記事としてご紹介してまいりたいと思います。
 
一日に、ひとつあげられるかどうかといったところですが、
どうぞみなさま、よろしく、お付き合いくださいませ。

コメントを残しながら(あるいは静かにただ)待っていてくださった
すべての読者のみなさまに、感謝をこめて。


11月10日記す 介護人たま 拝