じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

未明の鎮魂歌。

2006-02-06 03:31:08 | 介護の周辺
 昼は比較的穏やかだった空が、日が沈むとともに雲と風を孕んだ。夜が更けていくにつれ、風は嵐へと姿を変えた。
 熱っぽい頬を、髪を打ちつけるその力に何故かあかるい開放感を感じて、わたしは、分子が集まり怒涛のように駆け抜けていく先を…夜空を見上げた。

 部屋に帰り着き、食事をとり、相方が寝息を立て始めてから、今日ブックオフで入手した柳田邦男の「犠牲―サクリファイス―わが息子・脳死の11日間」を開き、ルービンシュタインのショパンを聴きながらこの夜を過ごす。
 今夜、ぴったり17回忌を迎えた父とわたしのために。父は大の音楽好きだった。とりわけショパンをこよなく愛していた。

 心停止の直後、医師からオファーを受けた死後脳の提供。半狂乱の母を説得し、承諾書にサインをしたのはわたしだった。
 拒否もできたオファーを敢えて承諾したその「本音」を、わたしは誰にも話したことはない。けれど、ひとかけらの誤魔化しもなく憶えている。忘れられるはずもない。これは十字架だ。
 一生背負っていこうと決めたのだ。なにかひどく眩しい光がわたしを照らした、あの怖ろしい未明に。

 あれから16年が経ち、わたしは生きている。そのことに、ようやく、かすかな喜びを感じるようになった。あの凍えるような夜の嵐に打たれることさえ、幸福の証だと感じる自分を、見つけつつある。
 未明に漏らしてしまった嗚咽で、相方を起こしてしまった。
 でも、生きている。


 止まってたまるか。止まってたまるか。
 わたしは今、生きている。
 こころがそう、感じて震えている。
 わたしは、自由だ―

 17回忌を営めなかった父へ、手作りのmourning work.
 そして。

 夜が明けたら
 また、
 わたしは、
 前へと進みつづける。