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語学を続けること

2010-08-13 15:59:59 | 語学
認知科学、神経科学的見地で語学が以下にして脳内に定着するのかは知らない。読む、書く、聞く、話す、ゲーム、体を使ったりなど、違った信号で、さらに頻繁に脳が刺激されることによって脳神経が踏み固められていくのだろうと感じる。読めないと書けないが、書けなくても少しは読める。また、あまり話せなくても、聞くことはできるだろうけど、その逆は難しい。

以前にも述べましたが、日本を発つ前、2年間ほどは悶々と英語を学んでいました。バイクに乗りながら、休憩中、寝る前に英語を流していた。何度聞いても、何百回聞いてもわかったふりはしても全くわからなかった。結局、何をいっているのか確認するために原文を見るとその後はわかった気になっていたが、意味がわかっただけで音を聞き取れていたわけではなかった。何度聞いてもわからないは南アフリカに来ても続いた。

カレッジで1年のコースをとっても、何をいっているかさっぱりわからず、しかもテストでは質問の意味がわからなかったり、その頃は全く書けなかったので無残に落ちまくった。

何度聞いてもわからないことを何度聞いても意味がないと思えるかもしれない。10回聞いてわからないことは100回聞いてもわからないはずである。でも、決して何をいっているかわからなくても何度もさらされることによって潜在意識下に刷り込まれるはずである。そこでは意識できなくても、凄まじい情報が同時に処理されてるように思える。そして、別の時に、例えば読んだりしているときに、デジャヴュにかかり“あれ?!”と感じて同じ表現がオーバーラップした時に意識上に持ち上がったりして、身につくことがよくある。

昨年アルゼンチンを旅した時、スペイン語が全く何を言っているかわからなかった。理解しようと努めるレベルではなく、全く言語と耳に入らず、雑音にしか聞こえなかった。でも、アルゼンチンを発つ1週間前ほどは違って聞こえた。何をいっているかは最後までわからなかったが、雑音にしか聞こえなかった音が何かを形成しようとしているように感じられた。

日本で英語やその他の言語を話す機会を持つのが非常に難しいのは経験済み。語学学校は高くて行けない。日本で聞いたことがあるが、海外で数年住んで他国言語を学んで日本に帰った後、それを維持するのが非常に困難だといっていた。確かにそうだろうと思う。今、自分が日本に帰って6ヶ月も大して話す機会がないと僕の英語はあっという間に消え去るだろう。英語を発音するときは日本語を発音する時とは違う筋肉を微妙に使うだろうし、筋肉は使わないとすぐ衰えてしまう。そういった環境で何ができるか?無料の英語会などや、サークルがあればどんどん参加したほうがいいし、読む、聞く、書くは自分でいくらでもできる。

今はDVDで英語の字幕で見れるのでとても効果的だと思う。自分は今でもたまにDVDを見ると何をいっているのか(特にアメリカ映画)わからないことがある。何回か聞いてもわからない。最後にあきらめて字幕をオンにして確認してみると何も難しいことはいっていないしスラングだらけというわけでもない。ただ、自分が聞き取れなかっただけである。でも、一度確認してしまうと、何度聞いてもそういっているようにしか聞こえず、何でこれが聞き取れなかったのだろうと首をかしげてしまう。このおかげで次に同じような言い回しがあると必ず聞き取れるはずである。

余談だが、先日Kissesというウェールズのアートハウスの映画をみた。すごく、ほろ苦く甘いいい映画だったが、白状しますと半分ほど聞き取れませんでした。。いつか、ダブリンに住んで彼らの発音をマスターしたい。

オンラインフォーラムなどに参加すれば自分の興味があることに自分の意見を述べることができるし、BBC、slate.com、democracynow.orgなどその他無数にあるいいサイトからPodcastをダウンロードすれば英語ニュース、ディスカッションはいくらでも聞くことができるししかもただ。Democracy.orgは30メガほどだが日本なら1分かからずダウンロードできるはずである。自分のPCでは30分以上かかる(非常に苦痛)。

読むのは非常に苦痛かもしれない。以前よりましになったにしても今でも読むのは苦手である。それでも、読むことは新たな知識を得るのはもちろんとして、英語を学ぶ上で非常に大切な気がする。もちろん、言語力は話、聞、書、読の相乗効果で向上がするが、読むことを大筆頭に聞、書、話を牽引することができるような気がしてならない。

発音は話すだけでなく聞く力にも影響するし、読むときに黙読しても発音が全く違っているとでは差がでる。発音の本は本屋に図解CDつきが多くあるのでそれで学べるはずである。発音は大切だが、アクセントがあることを気にすることはない。誰もが、自分なりのアクセントがあるものだし、イギリス、アメリカ、オーストラリア、南アフリカ人に聞こえる必要もない。

話し相手がいない場合は自分に話すなどして、英語を口にだし、英語の筋肉に唇、舌をなれさせる。書く場合は時間をかけられるし、オンラインフォーラムはどんなに珍しい、少数派、どんな奇特な分野でも絶対あるし、自分の興味がある分野で自分を表現する場所を見つければ書き甲斐もある。

何度聞いてもわからない、何度読んでもわからない、書けない、話せないと。いくらやっても上達しているように感じられないのは何とも疲れを伴うし、やる気を損なう。でも、やめてしまうと絶対上達するわけがない。ある日、誰かと学んだ言語で話す機会があったりして、自分の言ったことが伝わるとうれしいものである。

自分を表現する術はもちろん言葉だけではない。ダンス、映画、絵、写真、音楽、詩、立ち振る舞い、タトゥ、バイク、スポーツ、服装、ピアス、髪型、なんでもアートな面があれば自己表現できる。それでも、皆が共通して使用できる言葉で、自分を表現し、他者を理解しお互いが少し近く感じにられ、共鳴したとき僕らはこの世界を共有しているのだと感じるのである。

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3 コメント

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Unknown (aya)
2010-08-14 02:14:55
勇気づけられます。まさに最近、やってもやっても実になってる気がしない・・・って、なんかやる気の起きないときだったから。
自分はほんとーーーーーにばかなんじゃないか、と思うほど落ち込んだりいやになることも多いけど、『はっ』と理解できた瞬間や思いを伝えられて、いい時間を共有できたときのことを思い出してまた今日もがんばります。
日本にいると話す機会はぐっとなくなってしまうけど、やれることを少しずつでも積み重ねていくしかないんだもんね。
ありがとう☆精進していきます;)
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Unknown (Unknown)
2010-08-15 11:20:24
いつも楽しく拝見させて頂いてます。

私も留学していた身で何度聞いてもわからないといった事が多々ありました。
聞き慣れると大分変わってきますが、日本でもハッキリ発言しない人の言葉は聞き取りづらいっていうのがあるので聞き取りづらい人は聞き取りづらいですよね。
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どうも! (koji)
2010-08-17 03:16:19
地味で地道な過程は避けて通れないですね。励みになってうれしいです:)

自分の日本語は発音+方言で以上に聞きにくいようです。
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