首都ルサカまでは300キロもないがとにかく道がわるい。深い穴だらけなので、穴をよけるか、浅い穴を選ばなければならず早く走れない。道端にはたまに地元の人たちが、果物や野菜を持って立っている。中には亀を持って立っている子供もいた。誰か買うのだろうか。この何もない草原のなかたまにぽつんとある店で休憩をとる。壁は土でできており、軽食とジュースとビールがある程度だけどこの大草原のなかではオアシスのようである。
ルサカはアフリカの国の首都そのものだった。暑く道路は埃だらけで混沌としており、ビルは新しいものと崩れそうなものが無造作に並んでいた。首都にひとつだけあるショッピングモールのほとんどは南アフリカの店とブランドばかりだった。レイナード(Raynard)はショッピングモールで懐かしい顔に多く出くわしていた。レイナードと母さんと僕の3人は彼らの親戚の家に行き僕はソファーで寝させてもらった。あまりに蚊が多くて寝れなかった。
レイナードの友達の家にパーティに行ったり、レイナードと母さんの用事について回ったりしてルサカを探索した。マーケットにも行ったがガラクタだらけで、ここで手に入らないガラクタはないとレイナードは豪語していた。もしある車種のスピードメーターの針を探しているとしても見つけられるだろうと。。そんなもの探す奴いるのだろうか。
一度、一人で外に出たときどうやって帰っていいのかわからなってしまった。ミニバス乗り場に行ってもどれに乗っていいかわからず日もくれてきて英語もろくに話せず、旅慣れてもいなかったのでかなりあせったのを覚えている。何とかその方角へ行くミニバスに乗ったもののどこで下りていいのかわからずかなり歩くはめになり、交番を見つけたときは助かったと思ったが、あまり頼りにならなかった。とはいってもどこに行けばいいのか分からなかったし、英語もろくに話せないので助けようもなかっただろう。またテクテク歩き始めやっとたどりついたときは本当に安堵した。レイナードもかなり心配しただろうと思ったが、自分が戻っていないことすら気づいてないようで全く気にしてなかった。彼曰く、
「朝いなかった探しにいったかも。」
レイナードは、ルサカの町で“泥棒!”と叫べば誰もがその泥棒に向かってタックルするといっていたのでけっこう安全なのだろう。
レイナードの気分がすぐれないようだった。レイナードはそれが何だかすぐにわかったようで
「くそー、マラリアにやられた。」と怒り心頭だった。
その後、みるみる悪化し明らかに病人とわかるほど便器を担ぎながらげーげー吐いては日中暑い中ぶるぶる震えていた。僕は、南アフリカを出る前、まだヨハネスブルグでルーディ(Rudy)のところにシャール(Charl)と泊まっているときにマラリアの薬を服用し始めた。薬もいくつかの種類があり、マラリア地域に行く1、2週間前に飲み始めなくてはいけないもの、毎日服用もしくは3日おきなどある。また、マラリア危険地域を脱出してもある期間のみ続けなければならない。どれも少なからず副作用があるようであり、始めて飲んだときは1時間ぐらい汗がでて体が痒かったのを覚えている。その後はなんともなくなった。モザンビークで飲んだものはかなり変な夢をみたし、悪夢の副作用はよく聞く。すでに7回ぐらいマラリアにかかっているもののかなりつらそうで、レイナードのおふくろさんもなれてはいるものの息子の災難に心配げだった。どの薬がレイナードに一番効くかもう分かっているのですぐに薬局で薬を買ってきた。さすが抵抗力があるのか4日目にはかなり回復していた。ちなみにジェイソンもカレッジの中休み中2週間ほど里帰りしてケープタウンに戻ってきてマラリアを発病した。ザンビアに住むのも楽じゃないなと思った。
ルサカに1週間ほど滞在した後、マラウィの首都リロングウェ行きの切符を買うのをレイナードに手伝ってもらいレイナードと硬く握手をして抱き合い別れを告げバスの階段を駆け上がった。もう誰も側にいて手を貸してくれるものはいない。頼れるのは自分だけになった。
ルサカはアフリカの国の首都そのものだった。暑く道路は埃だらけで混沌としており、ビルは新しいものと崩れそうなものが無造作に並んでいた。首都にひとつだけあるショッピングモールのほとんどは南アフリカの店とブランドばかりだった。レイナード(Raynard)はショッピングモールで懐かしい顔に多く出くわしていた。レイナードと母さんと僕の3人は彼らの親戚の家に行き僕はソファーで寝させてもらった。あまりに蚊が多くて寝れなかった。
レイナードの友達の家にパーティに行ったり、レイナードと母さんの用事について回ったりしてルサカを探索した。マーケットにも行ったがガラクタだらけで、ここで手に入らないガラクタはないとレイナードは豪語していた。もしある車種のスピードメーターの針を探しているとしても見つけられるだろうと。。そんなもの探す奴いるのだろうか。
一度、一人で外に出たときどうやって帰っていいのかわからなってしまった。ミニバス乗り場に行ってもどれに乗っていいかわからず日もくれてきて英語もろくに話せず、旅慣れてもいなかったのでかなりあせったのを覚えている。何とかその方角へ行くミニバスに乗ったもののどこで下りていいのかわからずかなり歩くはめになり、交番を見つけたときは助かったと思ったが、あまり頼りにならなかった。とはいってもどこに行けばいいのか分からなかったし、英語もろくに話せないので助けようもなかっただろう。またテクテク歩き始めやっとたどりついたときは本当に安堵した。レイナードもかなり心配しただろうと思ったが、自分が戻っていないことすら気づいてないようで全く気にしてなかった。彼曰く、
「朝いなかった探しにいったかも。」
レイナードは、ルサカの町で“泥棒!”と叫べば誰もがその泥棒に向かってタックルするといっていたのでけっこう安全なのだろう。
レイナードの気分がすぐれないようだった。レイナードはそれが何だかすぐにわかったようで
「くそー、マラリアにやられた。」と怒り心頭だった。
その後、みるみる悪化し明らかに病人とわかるほど便器を担ぎながらげーげー吐いては日中暑い中ぶるぶる震えていた。僕は、南アフリカを出る前、まだヨハネスブルグでルーディ(Rudy)のところにシャール(Charl)と泊まっているときにマラリアの薬を服用し始めた。薬もいくつかの種類があり、マラリア地域に行く1、2週間前に飲み始めなくてはいけないもの、毎日服用もしくは3日おきなどある。また、マラリア危険地域を脱出してもある期間のみ続けなければならない。どれも少なからず副作用があるようであり、始めて飲んだときは1時間ぐらい汗がでて体が痒かったのを覚えている。その後はなんともなくなった。モザンビークで飲んだものはかなり変な夢をみたし、悪夢の副作用はよく聞く。すでに7回ぐらいマラリアにかかっているもののかなりつらそうで、レイナードのおふくろさんもなれてはいるものの息子の災難に心配げだった。どの薬がレイナードに一番効くかもう分かっているのですぐに薬局で薬を買ってきた。さすが抵抗力があるのか4日目にはかなり回復していた。ちなみにジェイソンもカレッジの中休み中2週間ほど里帰りしてケープタウンに戻ってきてマラリアを発病した。ザンビアに住むのも楽じゃないなと思った。
ルサカに1週間ほど滞在した後、マラウィの首都リロングウェ行きの切符を買うのをレイナードに手伝ってもらいレイナードと硬く握手をして抱き合い別れを告げバスの階段を駆け上がった。もう誰も側にいて手を貸してくれるものはいない。頼れるのは自分だけになった。
南アから行くとよけいそう感じるのかしら?ナミビアも私大好きです。
マラウィは行ったことないので、続きが楽しみ~!