足の向くまま、気の向くまま

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何がどうなの!?

2010年02月14日 22時41分08秒 | Weblog
元財務相は今日のTV番組で、元総務相が「きょうの質問はよかった。私はあなたの話を裏付けます。あれは俺と母の会話なんだ」と述べたと。

えっ、裏付けるってどういうこと? 無心したって追求したのだよ。
昨日は、無心した話は聞いていないと云ったよね。

で、俺と母の会話なんだって!? これって裏付けを否定じゃないの?

何がどうなの? さっぱり分かりません。ここはもう、関係者みんなに証人喚問に来てもらって、真実を話してもらうしかありません。


「検察捜査に勝るものない」とはよく言ったものですよ。
あれだけ目の敵にしていたのに、不起訴になったらこれですものね。本人は完全に白だと思い込んでいますね。あああっ、困ったものですよ。 


聖火を点すための火道、4本のうちの2本は床から正常に立ち上がったものの、1本は少し遅れて立ち上がり、もう1本は立ち上がらず。

ざわめきが起こったものの、4本目に点火する予定の最終ランナーが沈着冷静に対処したため、大騒ぎにはならなかたとのことですね。

このところ、聖火台への点火方法が奇抜になっていますが、ヒロシマ五輪では、昔ながらの聖火台にトーチをかざす一番単純で一番確かなやり方を素直にやりましょうね。


「なんで一段一段なんだろう」とは試合終了後の言葉。
初出場の長野で7位。その後の五輪は6位、5位。今回、表彰台が期待されましたが、残念ながら4位。第二エアーの着地が惜しまれますね。
まだ30歳。現役続行で4年後のメダルを目指してほしいと思います。


今日は飛鳥京の発掘現場に行って来ました。


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今回の調査は、世界遺産登録に向けてのこの地域の区切りとなる調査で、飛鳥京跡の北限がどこにあるのかを明らかにするのが目的です。今後は資料の整理などの事務作業に移るとのことでした。


 2区北端で見つかった飛鳥寺に関連すると考えられる石敷広場と石組溝


1区の南端では東西方向の石組溝が見つかりましたが、それより北側で検出された掘立柱や石組溝は、東に首を振っています。
また、2区の石敷広場や石組溝も同じように東に首を振っています。


調査地の北150m程の所には飛鳥寺があります。この飛鳥寺と南にある飛鳥京の構造物は、東西・南北を基軸として造られています。
飛鳥寺から南に伸びる参詣道は南北を基軸としており、1区南端からこの参詣堂南端まで南北約100mの箇所が何故東に首を振っているのか、また、
飛鳥京の外郭と飛鳥寺の境界は何処なのか、境界があるとすれば、塀で区切られたいるのか、溝で区切られているのか、あるいは、飛鳥京は飛鳥寺をも含めて考えるべきなのか、北限を極めるはずの調査が逆に、新たな謎を呼び込んでしまったとのお話でした。


               1区全景


1区の石組溝の直ぐ北側に、柱穴ではない窪みがありました。学芸員の方にお訊ねしたら、この窪みは表層から三つ目の時代に掘られたもので、底には竹が横たわっています。田んぼの排水用にこのようなもの(暗渠排水)がよく用いられるそうですよ、ということでした。
「初めて見ました」と言うと、「わたしも初めてです」と。


            北側から見る2区の全景


             2区北端と飛鳥寺


        甕(かめ)・蓋・高杯・盤・皿・椀などの出土品

往路で目星を付けた花々を撮りながら凡そ3kmをのんびりと歩きました。



        




   
  今日は旧正月の元日です。立春は旧年でした。そして、チョコの日。

明日は雨ですねぇ。
今日、13kmほど歩いたので、あしたはゆっくりしています。