引き続き、ドラブル・バスターの続きを。
「制作庶務係の宇賀神だ。中で何があった?」
「喧嘩です。血が出ました。今、医務室に行ってます。びっくりしちゃいました」とストローその②が言った。喋っている言葉に主語というものが無い。相手に自分の伝えたい事柄の内容を正確に伝達する能力に欠けるのが、こいつらストローどもの共通の特徴だ。
「誰が誰を殴ったんだ」
「ディレクターの大内さんが殴られました。殴ったのは僕の知らない人です。制作庶務の人が来たら中に入って結構だそうですから入って下さい」
“結構”なら帰っちまうぞ、と言おうと思ったがそれもやめた。この自閉症児どもめが。
重いスタジオドアを押してGスタに入ると、一応騒ぎは収まっているように見えた。音のしないようにドアを閉めたつもりだったが、空調の効いたスタジオ内の気圧のせいで「バタン」と大きく鳴ってしまった。スタジオ中の人間が俺の方を見た。フロアにいる人間の半分以上が知らない顔だった。どうやら今回の『月曜トップスペシャル』は局制作ではなく下請けプロダクションに外注して、スタジオだけうちのGスタを使っているらしい。
それにしても妙な雰囲気だった。テレビの制作現場で人が殴られるということは、そうしょっちゅうあることではないが皆無ともいえない。ディレクターがドジなADをハリ倒して活を入れることもあるし、技術さんはさらに上下関係がハッキリしているから動きの悪いカメラ助手が、テクニカル・ディレクターに蹴りを入れられるところだって見たことがある。
だが、そういった制作進行上の問題での喧嘩なら、逆にその後のスタジオにはピシッとした緊張感が漂っているはずだ。一人に活を入れることによって、スタジオ全体の雰囲気を引き締めるのが、ADや助手を殴ることの本当の目的だからである。
しかし、今の、このGスタに漂っている空気は、それとは違っている。何か、やる気の無さのようなものが技術陣や演出陣の間に広がっている。俺は演出サイドの人間の中で知った顔を探した。そいつは自分から俺のところにやって来てくれた。スタジオの3階分ブチ抜きの高い壁際に取り付けられたキャットウォークに、第二制作局のディレクターである村木という俺と同期の男が姿を現したのだ。2階の副調整室にいたらしい。カンカンカンと甲高い音を立てて鉄製の階段を下りて来た村木が俺に声をかけた。
「なんだ宇賀神ちゃん来ちゃったの、わざわざトラブル・バスターがお出ましになるような一件じゃなかったのに」
どうやら、トラブル・バスターという新語が俺のために作られて、既に関東テレビの局内では定着しているらしい。来年の『現代用語の基礎知識』には載るのだろうか。
「喧嘩騒ぎだってえじゃないか。誰が誰を殴ったんだい」
「一寸した行き違いですよ、よくある連絡ミスっが原因の勘違い」
村木が、床についていた鼻血らしい血痕を靴底でこすりながら言った。
「大内って誰だ?うちのDじゃねえな」
「ああ、ノバ・アート・プロのディレクター、今日はノバさんの制作でね、僕は局側の立会いプロデューサーってわけ」
ノバ・アート・プロは、ここのところメキメキと制作実績を上げている下請けプロダクションである。東京に6社ある民放テレビ局の中でも特にうちの仕事を多く受けている会社だ。つい2年前までは社員8人の小さな下請けプロだったが、今では抱えているディレクターだけで20人を超えているそうだ。社員全部で50人。これはその手の会社では相当な大手ということができる。
「で、やったのは?ノバの若い衆かなんかか。まさかタレントのマネージャーに殴られたってことはねえだろうしな」
「もう済んだの、もう上がり」
と村木は俺の前からフロア中央に歩き出しながら言った。それからフロア・ディレクターに向かって二言三言ささやいた。ノバ・アート・プロの人間らしいフロア・ディレクターが大きな声を出した。
「えー、これで昼飯にしますからぁ、次は二時スタートでお願いしまぁす」
三々五々とスタジオ内の人間が散り始めた。出演タレントたちは喧嘩騒ぎの発生と同時に楽屋に退いたらしく、マネージャー連中の姿も無かった。俺は狐につままれたような気分だった。村木が言うように、本当に単なる連絡ミスが原因の小さな出来事なら、何故、田所第二制作局長がわざわざ俺に電話をかけてきたのだろう。スタジオ内の異様な空気も気にくわなかった。もっと気にくわない言葉を、再び副調整室への階段を駆け上がりかけていた村木が俺に向けて吐いた。
「宇賀神ちゃん、これにて一件落着だからね。これ以上、ことを荒立てないで頂戴。なーんちゃってね」
「制作庶務係の宇賀神だ。中で何があった?」
「喧嘩です。血が出ました。今、医務室に行ってます。びっくりしちゃいました」とストローその②が言った。喋っている言葉に主語というものが無い。相手に自分の伝えたい事柄の内容を正確に伝達する能力に欠けるのが、こいつらストローどもの共通の特徴だ。
「誰が誰を殴ったんだ」
「ディレクターの大内さんが殴られました。殴ったのは僕の知らない人です。制作庶務の人が来たら中に入って結構だそうですから入って下さい」
“結構”なら帰っちまうぞ、と言おうと思ったがそれもやめた。この自閉症児どもめが。
重いスタジオドアを押してGスタに入ると、一応騒ぎは収まっているように見えた。音のしないようにドアを閉めたつもりだったが、空調の効いたスタジオ内の気圧のせいで「バタン」と大きく鳴ってしまった。スタジオ中の人間が俺の方を見た。フロアにいる人間の半分以上が知らない顔だった。どうやら今回の『月曜トップスペシャル』は局制作ではなく下請けプロダクションに外注して、スタジオだけうちのGスタを使っているらしい。
それにしても妙な雰囲気だった。テレビの制作現場で人が殴られるということは、そうしょっちゅうあることではないが皆無ともいえない。ディレクターがドジなADをハリ倒して活を入れることもあるし、技術さんはさらに上下関係がハッキリしているから動きの悪いカメラ助手が、テクニカル・ディレクターに蹴りを入れられるところだって見たことがある。
だが、そういった制作進行上の問題での喧嘩なら、逆にその後のスタジオにはピシッとした緊張感が漂っているはずだ。一人に活を入れることによって、スタジオ全体の雰囲気を引き締めるのが、ADや助手を殴ることの本当の目的だからである。
しかし、今の、このGスタに漂っている空気は、それとは違っている。何か、やる気の無さのようなものが技術陣や演出陣の間に広がっている。俺は演出サイドの人間の中で知った顔を探した。そいつは自分から俺のところにやって来てくれた。スタジオの3階分ブチ抜きの高い壁際に取り付けられたキャットウォークに、第二制作局のディレクターである村木という俺と同期の男が姿を現したのだ。2階の副調整室にいたらしい。カンカンカンと甲高い音を立てて鉄製の階段を下りて来た村木が俺に声をかけた。
「なんだ宇賀神ちゃん来ちゃったの、わざわざトラブル・バスターがお出ましになるような一件じゃなかったのに」
どうやら、トラブル・バスターという新語が俺のために作られて、既に関東テレビの局内では定着しているらしい。来年の『現代用語の基礎知識』には載るのだろうか。
「喧嘩騒ぎだってえじゃないか。誰が誰を殴ったんだい」
「一寸した行き違いですよ、よくある連絡ミスっが原因の勘違い」
村木が、床についていた鼻血らしい血痕を靴底でこすりながら言った。
「大内って誰だ?うちのDじゃねえな」
「ああ、ノバ・アート・プロのディレクター、今日はノバさんの制作でね、僕は局側の立会いプロデューサーってわけ」
ノバ・アート・プロは、ここのところメキメキと制作実績を上げている下請けプロダクションである。東京に6社ある民放テレビ局の中でも特にうちの仕事を多く受けている会社だ。つい2年前までは社員8人の小さな下請けプロだったが、今では抱えているディレクターだけで20人を超えているそうだ。社員全部で50人。これはその手の会社では相当な大手ということができる。
「で、やったのは?ノバの若い衆かなんかか。まさかタレントのマネージャーに殴られたってことはねえだろうしな」
「もう済んだの、もう上がり」
と村木は俺の前からフロア中央に歩き出しながら言った。それからフロア・ディレクターに向かって二言三言ささやいた。ノバ・アート・プロの人間らしいフロア・ディレクターが大きな声を出した。
「えー、これで昼飯にしますからぁ、次は二時スタートでお願いしまぁす」
三々五々とスタジオ内の人間が散り始めた。出演タレントたちは喧嘩騒ぎの発生と同時に楽屋に退いたらしく、マネージャー連中の姿も無かった。俺は狐につままれたような気分だった。村木が言うように、本当に単なる連絡ミスが原因の小さな出来事なら、何故、田所第二制作局長がわざわざ俺に電話をかけてきたのだろう。スタジオ内の異様な空気も気にくわなかった。もっと気にくわない言葉を、再び副調整室への階段を駆け上がりかけていた村木が俺に向けて吐いた。
「宇賀神ちゃん、これにて一件落着だからね。これ以上、ことを荒立てないで頂戴。なーんちゃってね」