2月の中旬に品質工学会誌の【会員の声】に品質工学のパラメータ設計と進化論の関係、そして、品質工学と学会も『進化』すべきである、という内容の文章を投稿したのですが、先月送られてきた学会誌には掲載されませんでした。
タイミングがわるかったのでしょうか、それとも、内容が編集委員の方々にとって愉快なものではなかったからでしょうか。
まぁ、6月号に掲載されることを期待しますが、私が述べたいことはつぎのようなことでした。(学会誌には800字以内というしばりがあるので、この内容のダイジェストになります。)
「強いもの(チャンピオン)が生き残るのではない。環境の変化に適応できたものが生き残ってきたのである」
チャールズ・ダーウィンが著した『種の起源』を要約するとこのような文章になります。いわゆる『進化論』です。「進化」ときくと、生物が、空間で異なり時間で変化する環境に対応するために、みずからが能動的にその生理・生態・形態を“進歩的に変化”せしめたようにうけとられがちですが、実際は、“多様性の獲得”と“淘汰による選択”という自然の摂理をうけいれた結果であることが通説になっています。
“多様性の獲得”は、生殖などの交配による遺伝子(Gene)の入れ替えと、遺伝子のコピーエラーや放射線・化学物質などの外乱による突然変異によってもたらされます。
おもしろいことに遺伝子のプログラムや構造がコピーや外乱に対して脆弱であるからこそ、生物は“多様性”を獲得できるのであって、遺伝子自体がロバストだと、環境の異なる空間への生存領域の拡大や、環境の時間的な変化に対応することできず、遺伝子に組み込まれた情報は伝達される可能性が低下し、いずれは“淘汰”されてしまうことになります。
遺伝子は自身にプログラムされた“絶対に伝達し続けなければならない重要な情報”、つまり、“遺伝子の核”と、それをとりまく“付帯構造”からなりたっていると仮定すると、“付帯構造”を交配や突然変異により変化させ、しかもなるべくたくさんのバリエーションをつくり、それを“空間で異なり時間で変化する環境”というフィルタによって多くの子孫が“淘汰”されても、その環境において生存する個体が残る確率を高める戦略をとり、“遺伝子の核”の伝達をねらっているものと想像できます。
さて、ここで “遺伝子の核”を「製品に期待される機能」、“付帯構造”を「製品を構成している部品・要素=制御因子」、そして、“空間と時間で変化する環境”を「ノイズ因子」と置き換えてみると、ここまでの文章はまさに品質工学のパラメータ設計の第1段階そのものになります。つまり、パラメータ設計とは、自然・社会科学や工学・工業技術にたいする『進化論』の積極的な応用といえます。
ただし、品質工学では“付帯構造”を無秩序に変化させるのではなく、直交表に則ったルールによって“多様性の獲得”をめざしています。そして、直交表に仕組まれたメカニズムを利用することで、“付帯構造”の選択肢ごとの生存性の高さを最小の労力で得るという戦略を採用し「製品に期待される機能」の環境への対応能力の向上をめざします。
設計者にとって、製品を構成する部品・要素・購入品などについて、自身が最適と判断した材料、規格、形状、寸法、グレードを組みあわせたものが、“チャンピオン”になります。しかし、『進化論』では、生き残れるのは“チャンピオン”ではなく、“環境の変化に適応できたもの”なのです。『進化論』を自然の摂理とすると、品質工学のパラメータ設計とは自然の摂理に則った設計法といえるでしょう。
では、品質工学において、絶対に伝達し続けなければならない重要なものとなる“遺伝子の核”とはなんでしょうか。現時点で筆者が考えるに、それはつぎのふたつにつきると考えます。
・ 製品を開発・設計する時点で、その製品が出荷された後、廃棄処理されるまでに社会にあたえる総損失を最小にする。
・ 製品に期待される機能に利用されている自然科学の原理・法則に着目し、その安定性をたかめる手段・方法を採用することで製品に期待される機能の安定化をはかる。
ここで、品質工学自身と「進化論」の関係について考えてみます。品質工学を積極的に活用して成果を出している企業や技術者も存在しますが、まったく理解を得られずに最初から導入を敬遠される、あるいは、導入初動の失敗に懲りて使われなくなる、など“淘汰”されてしまうこともありえます。それぞれの企業にはいろいろな社風、技術水準、経営方針があります、つまり、それぞれ環境の違いがあるのだから『進化論』からみても、これは当然のことになります。したがって、今後、多くの企業で品質工学が採用、活用され繁栄していくためには、品質工学自身も“多様性の獲得”をしなければならないことは自明です。
自分がその所属する企業内で品質工学の導入や啓蒙で苦労しているのであれば、自社の環境に適応できるように、さきのふたつの“遺伝子の核”のために、品質工学の思想、思考、道具をその環境にあわせて進化させることを考えてみてはどうでしょうか。このような方向からアプローチすると、いままでとは違ったながれがうまれ、案外、すんなりと品質工学が受け入れられ、企業や技術の活動に貢献できるかもしれません。
そして、最後にあえていわせていただきますと、品質工学会自体も進化する必要があると思います。現在の品質工学会が「教条的」、「原理的」にみえるのは筆者だけではないでしょう。思想、思考原理までとはいいませんが、企業内での品質工学の繁栄をもたらすために、せめて前述の新たな道具の提案などについて、公平・公正な議論、討論ができる場を学会誌内に用意、提供し“多様性の獲得”を模索していくべきではないでしょうか。
島嶼に生息する在来生物は、その環境で淘汰されなかった生き残りです。そこに激しい生存競争に打ち勝ってきた大陸そだちの外来生物が侵入すると、在来生物はあっという間に駆逐されてしまいます。つまり、島嶼に生息する在来生物は、外来生物というノイズにたいしてきわめて脆弱な存在なのです。現状の品質工学は、ほかの最適化に関する技術や手法(つまり外来生物)というノイズにたいして十分にロバストであるといえるでしょうか。
品質工学会の会員の多くは、品質工学を学問として学ぶことが目的ではなく、自身が企画・構想・設計・製造、そして、品質保証すべき製品の機能を、なるべく、能率と効率よく永続的に安定化させるしくみを得ることが目的のはずです。これが達成できるのであれば、品質工学以外の手法でもよい、と考えている会員も少なからずいることでしょう。
よくいわれているように品質工学は「魔法の杖」や「打ち出の小槌」ではありません。使いどころや使い方を誤ると当然成果に結びつかないこともある。つまり、なんらかの弱点が存在するのは事実です。個人的には、今後、品質工学の弱点にも光をあてた議論がなされるような方向に学会学会を含め品質工学の環境が進化していくことを望んでいます。
この連休中、おなじような意見・意識を持たれている方と議論させていただきました。連休中はあまりこのことについて考える時間がなかったので、これからじっくり考えて纏め上げていこうと思います。
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