スカウト野営の基準
スカウト野営の特異性
スカウトの野営は他の一般の野営と非常に違っていることを確認しなければならない。
世間普通の野営はレクリエーションを目的とし、野営することそれ自体を目的とする。おもしろくて楽しく、健康的でありさえすればそれでよい。
スカウト野営は、野営そのものが目的ではない。目的はスカウティングすることにある。野営はこの目的を果たすための方法のひとつである。方法のひとつ――とは他にもたくさん方法があるからである。例えば、ハイキング、漕艇、救急法、ゲーム等々。
おそらくたくさんある方法の中でいちばん魅力のある方法であろう。
故に世間一般の野営と違わないような考え方でスカウト野営をするならば、それはもうスカウト野営ではなくなってしまう。なぜだろう? それは――
(1)ちかい、おきての実行がその野営の中心の支柱になっていないから。
(2)班制教育がおこなわれていないから。
(3)そなえよつねに、日々の善行が実行されていないから。
(4)進級、技能科目が磨かれないから。
(5)スマートネス(よき秩序)が守られないから。
(6)大自然の教示を受けないから。
(7)観察推理と開拓精神が働かないから。
(8)創意工夫をしないから。
ただ、あるがままの状態に安座して安逸を楽しんだり、困苦欠乏に耐えると称して実は横着をし不自由の弁解にしたり。
(9)計画性がないから。(換言すればプロジェクトしないから)
(10)評価(点検と講評)による進歩がないから。
(11)自然愛護をしないから。
(12)感謝の行動を残さないから。
の諸点があげられる。要するに「教育」ではあっても「スカウト教育」でないからである。指導者としては「和敬・清寂」の境地の体得が望まれる。
スカウト野営の基準から スカウティング1962年(昭和37年)より
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