ベーデン・ポーエル伝(THE TWOLIVE OF A HERO)
村山 有氏は、(初代東京連盟理事長)1949年からBP夫人オレーブさんと手紙をやり取りしたり、渡英時には訪問したりして交流があった。また、息子のピーター氏とも交流があった。1964年BP夫人が来日した折り、編集中のBP伝の翻訳希望を伝えて夫人の了解を取る。BP伝の共著者ウイリアム・ヒルコート氏にも夫人がお蒙いしてくれて、彼からも翻訳権を甕得した。翻訳以外に、戦前のBP郷来日時資料を入手し、原著の翻訳版に追加する許可も2人から取った。同時にBP卿の名前の表記も確認し『ベーデン・ポーエル伝』とし、1966年9月、第19回ガールスカウト世界会議へのBP夫人来日に合わせて、玉川大学から出版する予定をしていた、しかし、当時の久留島総長よりポーイスカウト創姶60年記念事業で発行希望の依順があり、翌年の1967年に日本連盟より出版した。名前の「ポーエル」は村山死去後、BP夫人の希望に反して、なぜかバウエルに変わっている。ガールスカウト日本運盟の書物の表記はすべて「ペーデン・ポーエル」となっている。日本マスコミ界では1980年、後の米国大統領レーガン氏の名前の表記を本人の希望で、それまでのリーガンからレーガンに変更した例がある。