やんちゃ隊の諸君
やんちゃ隊の資料庫のアドレスが下記に変わりました
容量が増えたので
ローバーリング ツゥ サクセス
スカウトハンドブック
上記の参考書籍をアップしましたので連絡します
やんちゃ隊リーダーより
やんちゃ隊の諸君
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上記の参考書籍をアップしましたので連絡します
やんちゃ隊リーダーより
やんちゃ隊のみんな
今回の第五章には、自分たちの班や隊の伝統について書いてあるよ
班にの継続について大事なこともね(^^)/
「私は自分のことより班のことを,班よりも隊を優先することを約束します。」これは,私の隊の班長たちが班長章と班旗の授与をうけた時にいつも約束した言葉である。非常に簡単な約束ではあるが,正しいことである。諸君は班長として特別な約束をするとしないことかかわらず,このような気持で諸君の任務を果す覚悟でなければならない。あまりにも多くの班長たちは自分の名誉を飾るため班を利用しているらしく思われる。彼らは班長なんでいえる代物ではなく,「がきった将」でいられることに満足している小僧にすぎない。 こんな班長は班長の任務とは,第1と,模範を示すこと, 第 2に,この価値ある模範に従 うように班員を指導することに気がづかないやからである。なによりもまず,班が隊の一部であると考える前に ,我々は正しい心構えを持たなければいけない。さもないと我々は自分と班と隊との関係を正しく把握することができないと思われるからである。 班長のだれもが守らなければならない任務の 1 つは隊の伝統に反しではならないことで ある。スカウトとして,諸君が隊の現在ばかりを考え過去や未来に思いを及ぼさないのは 大きな誤りである。この本を読む諸君の大多数は 30年, 40年続いている隊の班長であろ う。したがって,諸君の隊からは何百人ものスカウトが巣立ち,中には遠く世界の果てに移り住んだ者や隊への関心を失なった者もいようが,大部分の者は,静かに目立たない風に,彼らが加入していた隊のことに非常な関心を持っており,彼らが築き上げた伝統が現加盟員のスカウトによって放棄されないように見守っていることだろう。伝統とは非常に素晴しいものである。伝統は過去の良さを汲みとり,現在に生かすことであり,我々はそれに新たなものをつけ加え,我々が後継者に班長をゆずるときがきたときに,伝統が輝きを加え,我々が入隊したときよりも少しでも良いものを残すことが必要である。わが国に は,l 万以上のスカウト隊がある。私は多数の隊を知っており,それらはみな立派なスカウ ト隊であるが,どの隊もそれぞれ異なった特色を持っている。これは非常によいことであると私は信ずる。もちろん,どの隊も創始者が「スカウティング・フォア・ボーイズ」に盛りこんだ考えを基本にしている点で同一であるが,スカウティングという遊びを行なう方法においてちがいがでるのである。とのわずかな相違が貴重なのである。隊の伝統を築 くのはこのわずかな相違である。こ のわずかな相違こそ,諸君の隊を肩についた隊名.やネッカチーフの色以上にはっきりと先輩のスカウトに諸君の隊を判別させることができるのである。 班長として,隊に関係して諸君が第 1 にすべき任務の1つは隊の伝統を維持すること, 隊の名誉を維持することである。このことはとりもなおさず,水泳とか,救急とか,野営とかの活動において隊の水準を維持するように大いに努力することを意味する。とれは諸君たちが全く異なった技能に同程度習熟することとは訳がちがう。諸君たちがちがう技能に上達すれば,隊の伝統に加味されることになる。しかし,新しきを作ると同様に古きを維持する必要を見落してはいけない。
諸君の隊長は, おそらく立派な隊長であろうと思うが,諸君とはちがった立場から隊を見守っている。班長である諸君たちは隊集会を構成する一部分と感じていてよいのだが,隊長は隊集会を班の集合体として把握している。このようなあり方をとっているので,隊長は,できるだけ、班の団結を崩さないように,班活動に障害が起らないように気を使ってプログラムをたてている。諸君は班の団結を保つこと,左の胸の上に 2 本線の入った布 切〈班長章のこと〉をつけた者に率いられたスカウトのぶざまな寄せ集めにならないことが必要である。
一目みれば,諸君は真実の班を見分けることができよう,私は見分けることができる。隊集会を見学にいくと, 直感的に,班とスカウトの寄せ集めとを判別できる。どうして見分けるか,その理由は簡単である。外見して団結があり,仕事をすればまとまって行動し,すべての行動に班長が先頭に立って,状勢を判断し,班員の意見をきき,命令をだす。そして命令に対してはすみやかに忠実に愉快に実行する。文句をいったり,ぐずぐずしたり,大さわぎしたりしないでである。これが,寄せ集めとなると,班長は怒鳴ったり,大声を発したりするし,班員の中には自分がオオカミ班なのかカワウソ班なのかもまるっきり忘 れたように行動する考がでる―班意識などとういう班にはなく,1 週間のうちにアマツバ メ班になったり.ガラガラへび班に変ったりするのだろう。寄せ集めの班は,こっけいである。それはゲームをやるためのもの以上に何の意味もない。生命はかよっていないし,実のところ,見せかけにすぎない。
隊の伝統とはどういうことかを考えてみよう。私が昔隊長を務めた隊では,どういうわけかオオカミ班は野営に一番すくやれた班であった。思い返してみると,この班は他のことではちっともいいところがなかったように思われる。ゲームなどは, まったく, ひどい成績ばかりとっていた。』―事実,ときたま,まれにこの班が優勝すると,他の班の班長たちは「よかった」と大いに激励したものだった―ところが,野営は優秀であった。隊の他の班の野営水準は高かったが,オオカミ班はいつも最高点をとった。〈それは,これが過去の伝統であったからであった。〉班長は自分の班の任務をわきまえ,すぐれた野営術を身につけていたし,班員に対しでもぐれた野営をするよう訓練につとめた。彼らは野営に自信を持った。この自信はゲームにはなかった。彼らが自信を持ち,班長はそのことをじゅうぶん承知していたことが,自信号一層強めるのに役立っていた。もちろん,ときたま隊 を訪れる先輩のスカウトたちはオオカミ班の班員に会うと,まず第 l に「野営はどうか」と 聞くのがつねであった。先輩たちは班の伝統を知って,あるいは全く意識せずにこんな簡単な質聞によって班の伝統を盛り立て,価値あるものにしていたのであった。
普通の隊集会と隊集会におくる班のことを考えてみよう。よい隊集会は隊員の集会時聞がくるまでの時間,集まってきた隊員が次々と加わっていけるようなゲームではじまる。 定刻に―たぶん7 持 30分であろう―合図によって,隊は集合する。さて,班長はどこにいるかな?一番前かな?そうでなければいけない。整列ばかりでなく,何をするにも先頭に立たなければいけない。国旗掲揚,点検,ゲーム, 何であろうとも―諸君は,班長として,班員が何でもやれる用意をさせておくことである。隊集会は,ゲーム,競技,指示の順で進行する。諸君の班は, いつも,優勝するとはかぎらないであろうが,勝っても負けても, 2つことを実行しなければいけない。それは,いつも,じゅうぶんな用意をすることと,い つも,成功しようと思うことである。「目的地に着くことより,愉快に旅することの方が,たいせつである」ということを忘れないように,それから,すでに,本書で扱った「班コーナー」へと隊集会は進もう。そうして,考査の時間にとなる。班長の拷君はそれだけの用意をしているか,何をするのか,はっきり,わかっているか?次長は,諸君が何をしようとしているのか,わかっているか? 諸君は,このプログラム』とおける次長の役割りを次長に話しておいたか? それとも,班のコーナーに,こそとそ,戻って,ほっこりの積った丸太の上に腰かけ「何をしょうか?」と相談することになろうか? どうしたらいいのかわからずに,諸君は諸君のスカーフを取りはずし,そばにいる初級スカウトの頭に包帯をするであろうか? あるいは,あらかじめ計画をたてたか? 何か面白いこと,役に立つこと、スカウトの記憶に残るようなこと,スカウトの考査と技能章の訓練になることをやらせるつもりか?さて,隊集会とは,ざっと,そん なものであろう。隊にとって,ほんとの試練は「15 分間班コーナーj という命令がでたと きであろう。班集会の前に必要な用意をしないで平気な班長がいる。班コーナーがはじまって,ちりの積った丸太に腰かけ,いい考えの浮かぶのを待っているのでは,まったく,なさけない。ちりの積った丸太の上に座っていても,いい考えは浮かぶものではない。いい考えは仕事の課程に湧き上るものである。班長が30分くらい考え抜いて,道具だてをしている聞に,ここぞというときに,いい考えは起るものである。この班長は運がいいわけではなく.それだけの用意ができたのである。班コーナーは価千金の機会である。隊集会の終了のときになった。指導者の誰かが夜話をしてくれることがあろう。それは諸君が,前に,聞いたことのある話かもしれない。あるいは,その話し方はあまりうまくないかもしれない。班長は指導者に対して礼儀正しい態度をとるようにすることがたいせつな任務である。指導者に対して,敬意を持って処することは,すく守れた隊の伝統として欠かしえない要素である。やがて,国旗降納,お祈り,解散前の指示がおこなわれる。指導者の指示が伝えられたら,解散してもよいであろうか? 祭会が終ったら,諸君の任務は完了したといえるであろうか? 隊集会の解散が命令されたら,すぐ,班員全員を班コーナーに連れて戻りなさい。今うけたばかりの指示を復習させなさい。諸君の班員は指示を理解したか,解らない点はないか,期日と時聞を控えたかを確認する。次の集会の期日,場所,集会について知っているか確めたか? 班員は次の班集会に持ってくるもの,次のキャンプに持っていくものを知っているか? 彼らは必要な用具と所要経費のことを知っているが? すべてのことをはっきりわかっているか?これは諸君の班の問題であり,班員対自分の役割りを知り,役割りがおろそかにされないようにすることは諸君の務めである。たしかに,班長の責任はたくさんある。考えることも,しなければならないこともたくさんある。しかし,それをすべてやったとはいえない。 11月の夜,時間は 9 時になった。隊集会場の隅の扉は開かれ切りが流れ込んできた。先週カブから上進したばかりの幼いジムは大丈夫かな?諸君は次長とトランプに興じて,ジムに霧の夜道を 1 人で帰らせるのではないか? 諸君が家まで送っていくか,誰か同じ方向 に住む者を付添わせたか? 諸君は気をきかせたことと思う。よく気がつくということは班長 の任務の 1 つである。これは班長の隊に対する務めの 1 つである。諸君たち班長は班長章 の返かんをするまで班長の務めを果たさなければいけない。いつも,班長であることを心においてください。隊集会での諸君の任務は,はっきりしているから,やさしい。しかし,任務を正しく理解しているかどうかを決めるのはこういう小さな思いやりである。ほんの少しの親切とやさしさは,諸君の任務の1つである。カブ今上りのスカウトを霧の夜家まで送ること,元気のない少年を家まで送りながら、元気づけてやること、家や学校や仕事先でいやなことがあった者の気持ちをほぐしてやること、病気の者―諸君に好意を持っている娘ばかりでお父さんお母さん―をも見舞うことである。このようなことは班長が率先すべきことであり、班員のことらはすべからく関心を持っていることを示し、しかも、おせっかいにならない程度に手を出すことである。このような精神を持ってこそ諸君の班は価値のある班になり、諸君の隊の評価のある隊になるのである私は諸君に1つの道を示した諸君はこの道を通ってくるものと思う。この道は過去何万という班長が通った道であり班長とその配下のスカウトはたどったが故に一層向上したのである。
『班長の手引』を読んで
中村 知
この章を読むと,英国においては,班長任命式のとき, 「私は,自分のことより班のことを,班のことよりも隊のことを,優先させるよう約束します」と,班長になる少年が誓約し,そのうえで班長章と旗を隊長から授与きれる,と配してある。そして―〇自分の名誉を飾るために班を利用してはならない。ガキ大将になることだけに自己満足してはならない。
〇班や隊の伝統に反してはならない
〇伝統に新しいものを加えて後輩に渡しなさい。
と述べて、新しい班長に班長としての基本的な教示を与えているわれわれは、とにかく、伝統というものを保守的にのみ考えやすい。ただし、伝統といっても、いろいろある。一旦決めたものは、変更はしてはならない。と、いう保守主義の伝統もあれば、いまあげたような、新しいものを付け加えて後輩に渡しなさい、と、いうような進歩的な伝統もあることに注目したい。サーマンは、かさねて次のような説明をつけたしている―
〇どの隊も、創始者が「スカウティング・フォア・ボーイズ」に盛り込んだ考えを基本としている点では同一であるが、スカウティングという遊びを行う方法において、違いが出るのである。このわずかなちがいか貴重なのである。という佳言をかかげている。これは、原理と方法―の関連及びその区別、そして進歩というコトバの解釈を、はっきり示している点で成人リーダーにもあてはまる教示であろう。
この章で、著者は―
〇班長と隊長のあり方
〇本当の班と寄せ集めの班との違いについてい述べ、オオカミ班の伝統一という例話をあげている。そこに述べてあるととばは,実際,隊長の役を経験した人々にとっては「珍しくもない」と,読みとばされ,隊長の経験のない人たちには、なんのことかよくわからぬままに,読みとばされそうである。 だが,班長たちにとっては大きな示唆となるだろう。私はそう思うのだけれども,中学1 年や 2年生の若い班長に,その意味がわかるだろうか?と,首をかしげてもみる その次に、著者は集会について、再び班の動き方を写実的に書いている。集合のときからの動きを―。そして,もう一度,班コーナーのことを書いる。それは本誌の1ぺージの左半分の,ほとんど全行にちかい長文である。班コーナーについて知りたい人は,ここを熟読されたい。著者は― 〇隊にとって,ほんとうの鼠練は「15分班コーナ一」というとの命令がでたときであろう。 〇班コーナーは,価千金の機会である 。
と記している。
このところに書かれている隊集会プログラム一例は,ぜひ,読んでおかれたい。ある人は, ことによると,これは英国式の隊集会であって,米国式とちがうのでないか? とか,日本は必ずしも英国式にする必要はなかろう,など,というかもしれない。ここでは,英式採用論の可否とは関係なくジョン・サーマンの書いた本によって,英式隊集会というものを知ろうとしているにすぎない。それを採用する、しないは日連のポリシイの問題なので,私見できめられるものではない。
〇隊集会が終わったら,班コーナーにもどりなさい。そして隊長の指示を復習したり確認する、とある。
やんちゃ隊のみんな
班長の手引きの第4章だよ
日本のBS活動の中にはないね(^^)/
たいていの隊集会で,隊長は,状況に応じて10 分, 15 分, 20 分間の「班コーナー」を命令する。私は,これまでに,数えきれないくらいたくさんの隊を見学したが,どこの隊でも必ず「班コーナー」という声を聞かないことはなかった。白状するが,時々,私には,この言葉はプログラムの穴を埋めるために,隊長が使うのではないかとか,隊長は疲れたので休息したくなったから,あるいは,次に何をしたらよいのかわからないからではないかと考えまるをえないことがある。命令がだされると,班長は班を自分のコーナーに連れていき,着席をさせる。時には, ほんとに価値のあることが班コーナーで行われることもあるが,それは非常にまれなことで,全般的には,どうみても「初級」よくて,せいぜい「2 級」程度である。
私が見学した班のほとんどが,次の4つのうちの1つをやっていた―すなわち,なわむすび、教急、信号、何もしない! まあ,はじめの3 つは,それ自体に悪いところはないが,との3つだけから作業を選ぶとしたら,これ以外の何千という価値のある作業は見捨てられることになる。班長として,諸君は,隊集会で班コーナーの命令が下ったら,何をやらすべきか,あらかじめ考えておく必要がある。何か特別なもの,何か差しあたって訓練する必要があるとこであれば.何でもよい。たとえば, 班コーナーの前に行われた隊活動のリレーゲームで―なわむすびリレー,身体を使うリレー, ウッドクラフト応用のリレーなどのゲームが考えられよう―諸君の班はビリになったと仮定しよう。どんなに優秀な班であろうと,負けることはあるし,過ちを教訓に生かすことができれば,敗北は無駄にはならない。リレーゲームに、敗れた原因には3つのことがあげられる。第1は,班員の調子が悪いこと,第2は,班員の知識が不十分であったこと,第3は,班のチームワークが悪かったことである。そこで,リレーゲームの成績が最下位であり,今,班コーナーになったと仮定しよう。諸君は,すみやかに,「班会議」を開くことになろう。諸君は成績が惑かった理由をはっきりさせなければいけない。どこが悪かったのか? どうして3 番スカウトはもやい結びを忘れてしまったのか?自分の順番が回ってくるための用意をしておくべきなのに,どうして5番スカウトは窓の外を見たり,もし室外のゲームであれば,家の中をのぞきこんだりしていたのか?大事な時に,どうして次長の靴が脱げて,次長はころびそうになったのか? 靴紐の結び方が悪かったのかもしれない。合図がされたとき,どうして班長の出発は一番おくれたのか? 彼は,学校のことか,映画のことでも考えてぼんやりしていたのか? たぶん,だいたいこんなことが敗因であろう。これが敗れた原因であるのなら,班長は恥ずかしいと思わなければいけない。最善は尽したけれども,相手の技量が一枚上であったために負けたのは不名誉でない。しかし,自分が負けた―すなわち,準備の不足,知識不十分,細心の注意に欠けたこと―のは. 大きな恥である。
以上は,もちろん,仮定の話であるが,いつでも,まず第l に班コーナーで行うべきことは,すみやかに,班会議を持ち,それまでの方法を反省し,次に何をするか,隊長はどんな奥の手を使ってくるかなどを話し合うことである。たとえば,隊長が入ってきたときに,誰に話しかけたか気づいたか? たぶん,あの人はスタンツの一役をつとめていて,あとで隊長はその人がどんな格好をしていたか質問するだろうから,今晩は彼に注意しておく必要があるとか,事故の実演をやって,我々の包帯の仕方を試験されるのではないか?地区コミッショナーが隊を巡回するという噂があるが,我々はもう少しスマートにしなければいけない。地区コミッショナーは,きっと,いつ次のキャンプに行くのかと質問するであろう。だから, 今から班コーナーの時に,その準備をやっていこう。
諸君は気づいたと思うが,以上のことは,すべて,班コーナーの作業をそれだけ気のきいたものにする。作業のための作業とか,知識のための作業ではいけない。諸君の班をよくするため,諸君のスカウティングを高めるため,諸君自身の向上のため,この目的のための作業,学習でなければならない。
班コーナーの時聞は活発な活動の時間でなければならない。隊長が諸君のなすべきことを与えてくれることもあろうが,たいていは諸君の考えにまかせている。だから,諸君は,班長として,まず第1 に、隊集会が始終意義あるようにするためにも,班コーナーを活用できる能力を持つこと,第2 に:時聞が余って,私がすでに述べたようなこと以外のことをしなければならない時には,いつでもアイディアを引きだせるようなアイディアの宝庫を持たなければいけなし、とればなまやさしいことではない。班長の難かしさの一つはここにある。諸君はアイディアを渇らすようであってはならない。前に言ったことがあるが,諸君は,いつでも,班からアイディアを求めるようにすることである。決して,諸君のアイディアを押しつけようとしないことである。しかし,諸君は班を率いる立場にあるのであるから,諸君自身が自分のアイディアを持たなければいけない。班員はみな諸君のアイディアに期待をかけている。もし,諸君にアイディアがなければ, 諸君は班の気力を下げ,諸君の信用を班員から失うことになる。
まったく,別の方向―すなわち,いわゆる物理的な観点―から,班コーナーを見てみよう。諸君の隊は隊本部を持っており,そこには固定の班コーナーの場所があることを,私は希望する。こういう状況にある隊は,一番扱いやすいから,まずこのような隊について述べよう。諸君は,隊長の許可をうけた上で,好きなように班コーナーを飾りなさい。班コーナーには.トーテム,すなわち,班を象徴する鳥とか動物の像がほしい。はくせい,模型,木彫,写真,なんでもよい。それは最高位に安置する。次に全班員の進歩状況と目標を一目瞭然に示す進歩一覧表を掲示するのがよい。班の伝統に関係のあるもの,たとえば,今ではシニアー隊員, ローバー隊員,あるいは,社会入になっているスカウト隊の出身者の写真を展示するのもよい。また,掲示板を置いて,各種の地方的,国家的,国際的なスカウトニュースを伝達するようにすれば,隊に世界兄弟愛の気風を生むこともできるし,スカウティングの動きをつかむことができる。その他に,救急用具―簡単な・救急箱でよい―とか,スカウティング・フォア・ボーイズをはじめ,班に必要な本を収める本棚を備える。杖を置く棚,キャンプ用具などを格納するロッカー,こまごまとした用品,たとえば白墨,テニスボールなどを入れる携帯品の班の箱,腰かけなども必要であろう。〈隊本部の建築構造によるところが大きいが〉班コーナーに班のデンを作るためには,ついたてのような仕切りも必要であろう。装飾の仕方は班の自由にまかされているが,隊本部全体がスマートに見えるためには,班同志が協力しあう必要がある。隊が個性的な班コーナーを作るのはよいが,隊本部を訪ずれる人たちに目ざわりになるような飾りつけには気をつけるべきである。
私の隊のある班が班コーナーの壁をコールタールで塗ったことがあった。暑い時期になると, コールタールがとけて,ぼたぼたたれてきた。とれは班員が全員賛成でやったことだったが,思いもよらない,まったく,不愉快な自にあった。アイディアがいけなかったのではあるが,それを許可した責任は私にあった。諸君の隊に隊本部があれば, もちろん,少し頭を使った工夫をすることにより,なかなか立派な班コーナーを持つことができる。しかし,学校とか教会とかの建物を借りるのであれば, 事はあまり簡単ではない。しかし,不可能ではない。よくばったことはできないが,なんとかがまんできる程度のことはできる。長い間,私の隊は学校の教室を借りて集会をしていた。とても気持のよい,大きな部屋であったが,スカウト的な装飾はなかった。しかし,スカウトたちはその部屋を魅力的につくりかえることができた。家庭で,班のデンで班員は持ち運びのできる班コーナーを作った。簡単迅速に,床に置いたり,壁にたてかけたりできるものを作ってきた。こうして,学校の教室はまたたくまに,本もののスカウト・ルームへと衣がえすることができた。班コーナーが行われている時,たとえl 人もスカウトがその場にいなくとも,この部屋に入ってきた者は,ひとしく,スカウ卜の集会が進行中であることを知ることができた。それは,ごてごて装飾はしてなかったが,個性的で,独創的で,何よりも,スカウト自身の作であることがはっきりわかった。班生活の楽しみの1 つは,班作業と班が協力して何かを作りだすことにある。班が努力して飾りつけた2 枚の大きなベニア板には,ほんとに,大きな価値が秘められていたのであった。こういうふうにすれば,隊本部を持たない隊でも班コーナーを持つことができる。いうなれば班長である諸君しだいである。諸君の班員を指導する力と,アイディアと班員の協力を生みださせることである。
どんなくふうをこらして飾りつけた班コーナーであろうとも,いつも新鮮で生き生きした装いを保たせる努力が必要である。いつも班コーナーを点検して,改善すべき点を見つけることである。ノッポのロフティーが頭をぶつけたあの本棚は低すぎるのではないか?上から三番目の杖は,どうして,よく杖かけからころげ落ちるのであろうか? トーテムの虫ぼしをする時期になったのではないか? 新しい旗はどうであろうか? ちびのショウティは, いつになったら, 2 級課科目を完修できるのだろうか? もう戴冠式の掲示はとりはずしてもよいのではないのか? 6 月はl 年中で馬鹿げた月だ,フットボール選手の名前がずっと掲示されっぱなしである。だいたい,このようなことがよく気のつくことであろうが,物事は,見なれてしまうと,気がつかなくなり,存在さえもきだかでなくなるようである。こうなったら,終わりである。我々は, 持ち物を役にたつように,利用できるように, いつもそれに対する関心を持つように,それを使う作業を行うように,心がけなければならない。新鮮な班コーナーにいつも心がけたいものである。新しい掲示,新しい写真,新しい装飾。
班コーナーに活気があふれ,生命が宿り,諸君の一部となり,班の品性を表現することである。舞台の背景幕のように,変化のないものであってはいけない、班コーナーを持ちなさい。隊ルームとデンが班コーナーのためのありきたりの場所であるが,すでに諸君にわかってもらったように,班はギャングでいつも行動を共にして協力しあうものであることからいえるように,班は場所がどこであろうと,ほんの2 ・3 分の休み場所であろうと,1つのホームを持つ必要がある。ハイク先で, 倒木の聞に諸君が班員とともに入れる場所を見つけ,火を起こし,料理を作りなさい。それは班コーナーの1つの形である。ワイドゲームなら,諸君の班員がけが知っている。他の班のスカウトには見つげにくい場所を根拠地にしなさい。論より証拠,どこへいっても,班コーナーを作るのはよいことである。諸君の隊が何かのスポーツ大会か,スカウト行事民参加しているときには,班がバラバラになっても一箇所は集まれるような待合わせの場所が班コーナーになる。これが,班コーナーである。憩の場所であり,集会場であり,出発点であり,帰着点であり,緊急の援助に出向いた先である。この問題について最後に一言注意したい,それは,私が隊長を務めたある隊にあった話である。班長は, そっそり,移動式の班コーナーをせっせと作り上げた。できあがるまで,班長は誰にも相談せず,人目にもつかないようにした。なかなかの芸術品で,できあがりはたいそう立派だった。しかし,困ったことに班員はちっとも嬉しそうな顔をしなかった。班長は, もちろん,大いに失望したが班員の罪ではなかった。班長は班員の意気をそいだのだった。班長はギャングを台なしにしたのだ。班長は班員を無視し,協力を求めなかった。つまり,班長は利己的で,自分だけの力ですべてを片づけてしまった。これでは,誰も,喜びはしない。ともかく,班長にとってはよい経験であった。諸君も,この教訓を忘れないようにしてほしい。どんなに完璧であろうとも,我々が独りでやったものより全員の協力によって行った下手くそなものの方が,班員にとっては好ましいのである。
『班長の手引』を読んで、
中村知
班コーナーについては,説明がいるようである。なぜなら,日本の少年隊では,ほとんど, やっていないらしいからである。パトロール・コーナーとは何か?Rex Hazlewood という人の書いた“The Seo-utmaster’s Guide from A to Z’という本に説明が出ている。それを大約すると,
〇班コーナーというものは班制度運用上の重要手段であって,隊集会場〈隊のクラブルーム〉に設ける。
〇隊集会のプログラムの進行中,隊長は「パトロールコーナー」という号令をかける。こ号令に従がって各班は,班のコーナーに駆けて行く。
〇そして指定された時間( 5 分~30 分間〉,班訓練をする。その内容は班で作戦してきた課自の班訓練で隊長が問題を出す。〈つまり班制度という組織体を班長が動かして,活力をよび起こさせ,自信をつけさせ,自分の指導力を及ぼす時間である〉
〇どんな問題が隊長から出きれるか,そのときにならないとわからない。
〇時間が終わると隊長は笛を吹いて再び隊訓練にもどして当日のプログラムを進行する。
〈換言すれば隊訓練の中に班訓練を織り込む。これをl 回またはl 回以上やる。こうすると,隊訓練が活気を呈する。隊長1 本槍の隊訓練となるならば単調かつワンマンに陥るからそれを防ぐことにもなる〉以上のような隊集会のやり方―これが日本でどの程度行われているか? 講習会でも,実修所でも、この集散移行の形は実習することになっているが,自分の隊に帰ってやってみ
ようという段になると実行困難におちいる。その困難な事由はというと,それはスカウト専用のクラブムールをもっていない―という点。たいていの隊は借り室(学校とか寺社の建物など借用〉でやっているため,作りつけの班コーナーがない。英国も同じようなケースがあるとみえ,訓練自にだけ設定できる携行用の班コーナーセットについてこのA to Z に書かれている。訓練が終わると折りたたんで持ち帰るか,預けて滞る。しからば,班コーナーの構造はどうか?ここに32 人のスカウトの1 隊があるとする。室内ゲーム程度の活動ができる程度の広さの,通風のよい部屋があるとする。その一面の壁に国旗マストを立て〈上でひらく掲揚法〉, その部屋の中央部を隊訓練の場とする。その部屋のコーナー〈隅〉に,班コーナーを設ける。3 班なら三隅,4 班なら四隅に。その各隅〈コーナー〉は,各班それぞれが「出城」みたいに考える。班動物の絵や写真を飾り,班の伝統をあらわすようなもの,班トーテムとか,優勝カップとかを飾る。工作品〈橋の模型など〉結索板なども飾る。そして班員の氏名表,出欠表,進歩状況一覧表など,月間プログラムその他をはりつけるツイタテ式のものを設置,班の人数分の腰かけをおく。とにかくそういう設備をしたものが班コーナーである。そしてその中心に班旗をおく。以上のような設備を隊本部また隊クラブルームにするのである。そうしたクラブルームをなんとか〈借りたり〉して確保できる能力をもつことが,英国では隊長の資格〈適格〉にあげられている。日本の実修所では,そこまでの施設はやれないが,ぜひ,実現されたい。英国ギルウェルコースで,との,パトロールコーナーの活用を経験された人たちは,これが隊集会に,いかに重要かを、報告している。なお,この班コーナーと,班のデンとは別物だということを申しそえておく〈班のデンは, たいてい班長の自宅とか,ある個人の内邸とかにおかれ,そとはその班だけの「域」または「巣」である。他の斑には公開きれない秘密〈?〉の巣である。その秘密の巣で班会合,班訓練した結果の成果が隊集会にみられるのである。それゆえ,班コーナーというものは班のセリアイ(Patrol Competi-tion)の場として,どうしても必要なわけである。
この班コーナーのことを,強調する一面,大きな誤解の生ずることに注意せねばならない。それは―スカウティングの3/4 はアウティング(戸外活動〉であるはずなのに,なぜ,室内の隊訓練や班訓練を強調するのか? という,一矢である。ジョン・サーマンも,この班コーナーは,野外を隊訓練の場とする場合にも,ありうる,と説明している。ただし,室内に設定したようなセッティング〈道具だて〉は無理であろうが,野外の自然を利用して,ある種の設定は可能である。すなわち, 原理としては,班コーナーでの活動を,織り込まない隊訓練はあり得ない―ということになる。さきに,ツョン・サーマンが指摘したように「隊集会はよくやるが,班集会はあまりやらない」〈第1 の項参照〉といったのに,これは関連がありそうである。班長は班を動かし,隊長はその「動かす班長」を動かすべきである。隊訓練, 隊集会のやり方について大いに反省してみたい
やんちゃ隊のみんな
液体燃料を使用するときの危険を防止する上で、燃料の引火点温度の違いについて知っておこう!
灯油(ケロシン)
引火点37–65℃の間
自然発火温度220℃
ガソリン
引火点-43℃
自然発火温度246℃
エタノール(70%)
引火点16.6°
自然発火温度363℃
ブタンガス
引火点-60°
自然発火温度430℃
プロパンガス
形態 ガス
自然発火温度467℃