誰かを嫌いになるのはエネルギーを使いますが
誰かを好きになるのは逆にエネルギーを貰えるものなので
無駄にエネルギーを使うような真似はしないほうがよいよ
なんて発言を数日前にネットで見て大きく頷いたのですが
自分が生きていたい理由は例えば嫌いな奴の訃報を聞く等の
楽しい出来事が死んでから起こったら悔しいからなので・・・
生きる糧という意味では嫌うのも悪くは無いとは思ったりも。
生きている理由よりも死にたくないという後ろ向きな理由ではありますが。
しかし今日。割と嫌いだった元職場の同僚の訃報を聞いて楽しさよりも
少なからずあった思い出が先に来てしまったので度が過ぎた憎しみでも
ない限りは誰かを好いていたほうがいいですね。
喪失感というのはある意味では幸せな感情でもありますから。
ただ仮に自分が死んでしまったら少なからず
いるかもしれない人からの喪失感を自分が知る事が
出来ないので好きな人がいるうちは死にたくはない。
そう考えたら少なからずいるかもしれない人の為に生きていたい。
綺麗事ではありますが、仕事だるくて死にたいと思う水曜日の昼に
そんな事を思わせられた出来事でありました。
というか死なれてしまっては嫌い続ける事も難しくなるもんね。
他人からの好きだったり嫌いだったりは自分の存在を証明できるもんだから
それが無くなってしまった時の事を考えると・・・少しぞっとする・・・。
生きていたい理由が出来ると同時に死ぬ事が余計に怖くもなってもきましたよお。
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