ここ数年、何かに付けて百合百合と聞くようになった気がする。個人的に百合は好きなのでここは歓迎すべき所なのかも
しれないけど今のこの盛り上がり方は10年前のショタブームと若干ダブって見える。そう見える部分は今まで日陰ジャンル
だったものが何かしらのきっかけで脚光を浴びたせいで、ここぞとばかりに盛り上がっておかねばという様なある種の焦りの
ような物が見え隠れするから。例えば百合が好きなら女の子二人並んでたら”そういう”目線で見て当然という具合の百合オタ
かくあるべしという押しつけがましい主張。こういう考え自体は個人の志向だから全然有りだし俺自身も道を歩いててそういう
事を思ったりする時もあるから全く否定するつもりは無いけれど、それが行き過ぎたせいでヘテロ叩きや自分の性欲まで否定
している所を見てると流石に怖いと感じてしまうよ。それがきっかけで煽り合いしてるのなんて本気で不毛だし声のでかい
人にひっぱられて何が何でも百合ありきであらねばならんと叫んでる人・・・意外と結構いるんじゃなかろうか。俺は女の子の
仲良しなのが好きって位だから、同じ百合好きとしてウンタラカンタラみたいに偉そうな事言える立場じゃあないのかもしれ
ないけど百合(BLもそう)って必然性が感じられてこそ・・・みたいに思ってるクチからすると現状は肩身が狭いというか。
こんな半端者みたいな嗜好だと百合好きと公言するのもはばかられるというのが本音。ただなんというかまぁ百合自体が取捨
選択できるほど普及していないだろうから供給も少なく、選べるものは限られてくる。百合を前提として描かれているような
物を選ぶとなれば余計そうなるだろうし、人が集まる所は限られてくるでしょうて。となると大多数の意見や声の大きい人に
ひっぱられるのも無理も無い。ゆるゆり好きな人の集まりのそこはかなないギスギスさを見てるとそんな事を考えてしまう。
実際俺も10年前のショタブームの時にエロゲーやるのはあんま気が進まない方だったけど周りにつられてやっとかなきゃ
いけないと思った事もあったし「こんなまんま女の子みたいな見た目じゃない方がいいのに・・・」みたいな事も言うのを
抑えてたりしたから何か今の百合好きを公言しえいる人たちを見ると昔の自分とダブって見えて窮屈そうに見えるのだった。
とはいってもこういうのって輪の中にいると自分が置かれている状況が得てして解らないもんだから、実際は窮屈っていう事
自体自覚が無い人もいそうだし、こういう状況になるというのは透しきって無いジャンルの宿命なのかもしれない・・・。
本文中に書いた通りキャッキャ結構ウフフ上等という自分自身考えは自体は変わらないから、もう少しいい意味で百合って
媒体が落ち着いて欲しいなと思わずにはいられないのでした。
しれないけど今のこの盛り上がり方は10年前のショタブームと若干ダブって見える。そう見える部分は今まで日陰ジャンル
だったものが何かしらのきっかけで脚光を浴びたせいで、ここぞとばかりに盛り上がっておかねばという様なある種の焦りの
ような物が見え隠れするから。例えば百合が好きなら女の子二人並んでたら”そういう”目線で見て当然という具合の百合オタ
かくあるべしという押しつけがましい主張。こういう考え自体は個人の志向だから全然有りだし俺自身も道を歩いててそういう
事を思ったりする時もあるから全く否定するつもりは無いけれど、それが行き過ぎたせいでヘテロ叩きや自分の性欲まで否定
している所を見てると流石に怖いと感じてしまうよ。それがきっかけで煽り合いしてるのなんて本気で不毛だし声のでかい
人にひっぱられて何が何でも百合ありきであらねばならんと叫んでる人・・・意外と結構いるんじゃなかろうか。俺は女の子の
仲良しなのが好きって位だから、同じ百合好きとしてウンタラカンタラみたいに偉そうな事言える立場じゃあないのかもしれ
ないけど百合(BLもそう)って必然性が感じられてこそ・・・みたいに思ってるクチからすると現状は肩身が狭いというか。
こんな半端者みたいな嗜好だと百合好きと公言するのもはばかられるというのが本音。ただなんというかまぁ百合自体が取捨
選択できるほど普及していないだろうから供給も少なく、選べるものは限られてくる。百合を前提として描かれているような
物を選ぶとなれば余計そうなるだろうし、人が集まる所は限られてくるでしょうて。となると大多数の意見や声の大きい人に
ひっぱられるのも無理も無い。ゆるゆり好きな人の集まりのそこはかなないギスギスさを見てるとそんな事を考えてしまう。
実際俺も10年前のショタブームの時にエロゲーやるのはあんま気が進まない方だったけど周りにつられてやっとかなきゃ
いけないと思った事もあったし「こんなまんま女の子みたいな見た目じゃない方がいいのに・・・」みたいな事も言うのを
抑えてたりしたから何か今の百合好きを公言しえいる人たちを見ると昔の自分とダブって見えて窮屈そうに見えるのだった。
とはいってもこういうのって輪の中にいると自分が置かれている状況が得てして解らないもんだから、実際は窮屈っていう事
自体自覚が無い人もいそうだし、こういう状況になるというのは透しきって無いジャンルの宿命なのかもしれない・・・。
本文中に書いた通りキャッキャ結構ウフフ上等という自分自身考えは自体は変わらないから、もう少しいい意味で百合って
媒体が落ち着いて欲しいなと思わずにはいられないのでした。
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