今週の龍継は読む前にネットで騒がれているのを知っていたし
どんな展開が起こるか解っている状態で読めば笑わないだろうと
思ってページを捲ったにも関わらず口角が緩むのを止められなかった。
鬼龍が何の脈絡もなく動物園に一人で遊びに行ってる所から始まり
子供を助けた照れ隠しでゴリラに喧嘩を売って返り討ちにされるという
大筋の流れを知ってはいたのに・・・。
ゴリラが来ると解っているのに防げない猿先生の漫画力は恐ろしい。
そんな熱に浮かれた昨日は家にWifi環境が整っていないにも関わらず夜な夜な
『ゴリラ 鬼龍』でついった検索等を無駄にしてしまい5月データ通信量を
ゴリラと鬼龍に費やしてしまうというまぬけムーブをかましてしまいました。
こういう一時の熱に動かされて損得考えないムーブは自分は余りした事が無く
自分の推しやコンテンツを熱っぽく語る人を自嘲と嫉妬交じりで冷笑的に見る
ケースも結構あったりしするのですが・・・たまにこういうのを自分が喰らうと
オタクとしての自信みたいなものが少しだけ湧いてきて少し嬉しくはなりますね。
ただ、同時に冷笑的に見てしまって申し訳ないという気持ちもふつふつと湧きあがり
何故自分が若い時・・・いや今に至るまで大勢の人の輪に入っていけないのか・・・
その理由が少なからず解ったりもして突然鬱になったのが昨晩だったのである。
そして沈んだ心をゴリラで癒したのも昨晩であったのである。
とゆーか最近好きな漫画アニメ映画を真っ当愛でて好きの気持ちを共有している知人を
結構な頻度で見ているので、そういうのを見ている傍らかつて愛でていたものが穢れていく
サマをセックス以上の快楽として見ているのは流石にどうかとは思ってはいた所なのですよ。
そんな事があったので今日の小旅行の帰りに知人が褒めてた漫画を買ってみたのでした。
誰かが何かを過度に褒めてるとうんざりするので、そうなる前に買って好きになろう作戦。
引っ越す前の家にあった漫画の9割以上を断捨離して物理的に身軽になった今の俺なので
こういうフットワークの軽さも今後は大事だろうと思いまして。