寄生獣セイの格率監督・清水健一「話にならんな」

2015年05月06日 23時53分11秒 | 日記


映画版寄生獣の完結編を見てきた。昨日の日記にも書いた通り面白かったし見てみて良かったと思う。
原作の完成度が高すぎるから単純に比較してどうこう言う人が出るのもしょうがないと思うし現に俺も
アレ無いコレ無いと残念に感じる部分はあったのだけど何かに寄り添い生きるという原作の解を尊重し
この短い尺に収めたのには感心した。確かにどちらが良いかと言われれば原作を選ぶけど部分部分では
もしかしたら原作より好きかもしれないと思わせるシーンがあっただけでも俺は満足だ~。

ともかくとても面白かったので前編と後編いっしょくたしにた感想を簡単に書いてみたい。
下から本文だけど原作か映画か少なくともいずれか見てる事を前提とした書き方したので注意されたし。

上で原作より好きかもしれないシーンがあると書いたけど母親の描き方は明確に原作より好きな部分。
田宮(映画は田宮のままなんだ)が自分の子供を庇って死にそれを見て久々に人間らしく涙を流す新一の
シーンは原作でも重要で見せ場の一つだから、原作の結構な部分をカットした映画版で一体どうなるのか
心配だったけど母親の存在をより濃く描いて補っていたのはかなり好感触。母親がどんな存在なのかという
その描き方もさりげなくかつ印象的だった。前編であった新一の母親の記憶が残っていて火傷した方の手で
パラサイトの攻撃をそらすシーンも母親の感情は理屈では説明できないと市役所の連中に説明するシーンも
良いけれど俺が特に良いと思ったのは倉森の真似をして子供をあやしている時に自然と笑みがこぼれる田宮。
原作ではパラサイトの立場で楽しいと感じて初めて自然と笑みがこぼれていたのだからかなり大きな改変で
後にある「人間の真似をして笑ってみた」というセリフのニュアンスも変わってくるのだけど新一の理解者や
支える人が殆どいない映画版では田宮をより人間らしく描く事で母親の存在を見て涙を流す新一という図式が
より解りやすくなっていて宇田や可奈なんぞをカットした映画ならではの面白い見せ方だな~と思ったよ。
宇田や可奈のくだりが無いのにこのシーンを原作のまんまやっていたらただの劣化として見えたかもだし。

ただ尺の都合で色々な部分をバッサリカットして新一の理解者が終盤まで殆どいなくなってしまった為に
新一のパラサイトに対する憎しみがかなり強調されてしまったのは一長一短かな。これは映画自体の作風の
問題でもあるのだけどミギーに軽口を叩く新一や合間合間にあるちょっとしたギャグも原作の魅力の一つで
かなり重いテーマを扱っていてグロも多い原作を読んでて胸焼けしない要因の一つであったように思うから。
それが無かっからミギーと新一の友情も原作と比べると大分蛋白に感じてしまったし読書家の一面がある
ミギーを見せる事も出来なかったから眠りにつくくだりや心に余裕がある生き物という見解を少し改変
せざるを得なくなってしまったり「さよならシンイチ」の一連のセリフも軽く感じてしまったのは残念。
一番重要なテーマをちゃんと表せてはいたけども俺が原作を読んでいて一番涙腺やばかったのは新一と
ミギーの別れやミギーが最終的に出した人間に対しての読書家らしい詩的な見解だったのだから・・・。

でもそれも悪いばかりでは無かったんだよね。新一がずっと孤独でいたからミギーを失って後藤から
逃げ村野に介抱されて泣き崩れるシーンもそこまで母親を殺されたパラサイトに対する憎しみだけで
動いていた新一という溜めが出来ていたからこそだとも思う。自分の好きな人を守りたいからという
人間らしいエゴで後藤を殺そうと思い直した時も遠くで後藤との戦いを見守っていた村野がきっかけに
なったのだけど善し悪し含めて人間にあるエゴが原作以上に視覚的に解りやすくなっていると思った。
左手で動物的に後藤にトドメを刺すのでは無く火葬とも取れる形で後藤を殺したのもせめて人間らしく
という人間のエゴが現れているようにも見えて・・・意図してやったのか微妙な所だけども面白い。
後藤を倒すきっかけになる毒が放射性物質という事自体は少しばかり安直だと思ったしデリカシーが
無いとも感じてしまったのもまた事実だけど今の日本人がダイオキシンと言われてもピンと来ないと
はずだから致しかなないのかな?映画版は一見でも解りやすい表現が良い部分だと自分でも言ったし。
ミギーが眠りにつく理由も放射性物質を浴びた体を再生する為に力を使いすぎた事に改変されたのも
この話なら自然で後藤がダメージを受けた説得力にも繋がっているから一応違和感の無い変更だもの。

他にも書きたいことはちょいちょいあって絵的におかしいシーンにツッコミたくもなったりもしたり
物足りない部分も結構あるんだけど、それを置いといて本筋の面白さに振れたくなるんだからこれは
つまり面白いって事だろう等とパラサイトみたく面白いと思った感情に理屈をつけてみたりして~。
原作のアレないコレないが俺以上に気になる人だと、もしかしたらセイの格率の方が良いと思うかも?
だからといって記事タイトルみたいな事を仮に健一に言われたら笑っちゃうけどね・・・。


以下本文中に挟み込めなかった事箇条書き

・「オモチャは簡単にぶっ壊れる」を村野が落ち浦上が倒れるシーンで被せて欲しかった
・「簡単に壊れる」は浦上自身に対するカウンターでもあると原作を読み直して気付けた・・・
・母親のかばいては新一との記憶が深いであろう火傷跡がある手でかばっていたのも好き
・新一とミギーの目に見える友情が蛋白と書いたけど味噌汁を一緒に作るシーンは微笑ましい
・こういう事を日常的にしていたんだろうなと補完も出来たからもしかして友情を描きすぎるのは蛇足か?
・原作以上にグロがキツい、人間も同じように捕食しているという意図もあるんだろうけどそれにしたって
・これがあるからかなり人を選ぶしテーマどうこうの前にうえってなりそうだから勿体無くもあるんだよなぁ
・後藤を動かすこの種を食い殺せという命令は人間自身が出しているものという解釈は好き嫌い別れるか
・こういう感情は後に続く新一のシーンにもある人間のエゴだから個人的にはアリ
・三木のカチコミのシーンは寄生生物の能力を使わず動く練習だから腕伸ばすのはどうか
・でもあのシーン自体は三木のキチガイじみた行動が怖くてあれはあれで好き
・前編だけど火炎瓶のくだりは本当に意味わからんし田宮の株も下げたので「?」
・ステーキ食ってると思わせてイヤリング口から吐き出し「この種を食い殺せ」の後藤は格好良い
・後藤の戦闘シーンも原作と大分違うけどこんぐらい変えると逆に新鮮で楽しかった
・(寄生獣の原作の方が先とは言えT-1000走りで車追走するのは流石にマズいのか・・・?)
・平間さん殺したのにもびっくりだけど屋上から降ってくる顔が山岸だと一見で解らないのもびっくり
・(浦上オナニーは見たかった)
・そこだけじゃあ無いけれど浦上関連に関しては残念な部分が多いな雰囲気は良いのだけど
・新一があんなだったから村野はもうちょっと明るく演じても良かったかな可愛かったから余計そう思う
・(でも倉森の娘の方が可愛いと思ったなんてとても・・・)
・ちなみに上の画像は寄生獣セイの格率監督・清水健一です



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コメント (2)
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