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「命を守る・人が死なない!防災士-尾崎洋二のブログ」生活の安心は災害への万全な備えがあってこそ。命と生活の安全保障を!

防災の第一目的は命を守ること。「あの人を助けなくては」との思いが行動の引き金となります。人の命を守るために最善の行動を!

仮設住宅の開発提供における「名古屋工業大学教授 北川啓介さん」の素晴らしい見本事例-2024-08-11

2024年08月11日 10時21分14秒 | 人が死なない防災

尾崎 コメント: 仮設住宅における災害関連死を防ぐ意味では、重要な事例です。

防災においては「諦めない」という言葉と実践力が必要なんだと痛感しました。

仮設住宅の開発提供における「名古屋工業大学教授 北川啓介さん」の素晴らしい見本事例を紹介します。

 

きっかけは、3.11 東日本大震災の時、石巻市の中学校の避難所を取材して帰ろうとしたときです。ずっと私(北川啓介さん)たちについてきてくれていた、2人の小学生の男の子が、「ちょっと、こっち来て」と導くのです。そしてグラウンドを指さして、「なんで仮設住宅ができるまでに何カ月もかかるの? 大学の先生だったら来週建ててよ。」という要望でした。

 1-能登半島地震の被災地に、計172棟の屋外用の簡易住宅「インスタントハウス」が建てられた。従来の仮設住宅とは異なり、設置も手軽で、コストも割安。快適性も確保されているという。

2-完成したインスタントハウスは、20平方メートル(約12畳)のだと、材料は40リットルのスーツケース二つ分です。一つはテント部分。もう一つは断熱材です。飛行機の機内に持ち込めるくらいの荷物で1棟建てられます。
 膨らませるのは小さな扇風機でもでき、断熱材を吹き付けるところまで一人で簡単に作れます。揺れにも台風にも強くて、冬は暖かく、夏は涼しく快適です。価格も一般的な仮設住宅の半分から3分の1程度です。

3-能登半島地震の被災地のある女性の方が、「この家は私たちに希望を届けてくれた」と言ってくださいました。地震で倒壊した家屋も多く、建物に対する恐怖心もあったと思います。避難所生活も、その日をどうやって生きるかで精いっぱいなはず。その中で、「明日や来週など、少し先のことを考えられるようになった」とおっしゃったのです。

-----------------------以下本文---聖教新聞 2024年8月11日---------------------

 〈スタートライン〉 名古屋工業大学教授 北川啓介さん2024年8月11日

簡易住宅「インスタントハウス」開発者: 世界に希望を届ける家

 能登半島地震の被災地に、計172棟の屋外用の簡易住宅「インスタントハウス」が建てられた。従来の仮設住宅とは異なり、設置も手軽で、コストも割安。快適性も確保されているという。開発した名古屋工業大学教授の北川啓介さんに話を聞いた。
 

  ――開発のきっかけは?
 
 東日本大震災です。私は大学の建築の教員として、いわゆる美しい建築、かっこいい建築の意匠や設計について研究していました。
震災から半月ほど経過した頃のこと。新聞記者さんから、建築家として被災地に取材同行してほしいと頼まれました。
 石巻市の中学校の避難所を取材して帰ろうとしたときです。ずっと私たちについてきてくれていた、2人の小学生の男の子が、「ちょっと、こっち来て」と導くのです。そしてグラウンドを指さして、「なんで仮設住宅ができるまでに何カ月もかかるの? 大学の先生だったら来週建ててよ」と言うんです。
 何も答えられませんでした。過酷な状況の人たちが目の前にいるのに、建築家である自分は何もできない。とても悔しく、自分が許せなかった。その日の夜から“来週建てられる仮設住宅”をどうすれば作れるか、真剣に考え始めたのです。人生観が百八十度、変わった出来事でした。
 

 ――なぜ仮設住宅はすぐに建てられないのでしょうか。
 
 まず、行政から専門業者に発注をかけるところから始まるので、調整や手続きが必要です。資材をトラックで運ぼうにも、道路が寸断されていたら、すぐには運べません。基礎工事や組み立て、外壁工事などに必要な職人さんを確保するのも困難です。少年たちに言われた日の夜、ホテルの部屋で課題をノートに書き出したら40個もありました。
 そこで、いったん建築から離れて、対義語を考えました。重いなら軽い、大きいなら小さい、高価なら安価、人がたくさん必要なら一人でとかです。
 そうやって考えながら、帰りの新幹線で名古屋駅に降りたときです。何げなくかばんの中から、小さく丸めたダウンジャケットを広げて羽織ったときに、「これだ!」とひらめいたのです。それは「空気」です。空気という素材が全ての課題を解決してくれるとイメージできたのです。どこにでもあって、軽くて、断熱性もある。しかも、無料です。
 

――解決のヒントは目の前にあったのですね。そこからどのように開発を?
 
 最初は、大道芸人の方とかが使う細長い風船を編んで家の形にしてみました。他にも、布団やスポンジなどを入れた圧縮袋を、掃除機で空気を抜いて、開封したらぱっと広がるようなものも実験しました。明らかに失敗すると分かっていても決めつけず、とにかくいろいろ試して、挑戦を続けました。
 そうして5年半が過ぎた2016年の10月、白防炎シートというテントに使う素材を気球のように膨らませて、内側から硬質発泡ウレタンという断熱材を吹き付ける、今の形の試作品ができたのです。
 その後、完成したインスタントハウスは、20平方メートル(約12畳)のだと、材料は40リットルのスーツケース二つ分です。一つはテント部分。もう一つは断熱材です。飛行機の機内に持ち込めるくらいの荷物で1棟建てられます。
 膨らませるのは小さな扇風機でもでき、断熱材を吹き付けるところまで一人で簡単に作れます。揺れにも台風にも強くて、冬は暖かく、夏は涼しく快適です。価格も一般的な仮設住宅の半分から3分の1程度です。
 

 ――実際に能登半島地震の被災地に導入されました。
 
 一刻も早く現地にと必死でした。すると、ある女性の方が、「この家は私たちに希望を届けてくれた」と言ってくださいました。地震で倒壊した家屋も多く、建物に対する恐怖心もあったと思います。避難所生活も、その日をどうやって生きるかで精いっぱいなはず。その中で、「明日や来週など、少し先のことを考えられるようになった」とおっしゃったのです。うれしかったですね。
 

 ――安心できる空間は文化的な生活の大前提ですね。
 
 私はこれまで、トルコやシリア、モロッコなどの大地震の際、少しでもお役に立とうと、インスタントハウスを届けてきました。自然災害に遭った方々、難民・避難民の方々などを含め、私はこの地球上で、住む家がなくて困っている人たちが、当たり前に家を持てるようにしたいと思っています。
 人々が自分の家を持つ。その家が集まればコミュニティーが生まれる。そこから仕事が生まれ、経済が動き出す。そうやって真の意味で自立ができれば、未来を考えることができる。そのプロセスを現地の人が楽しんでいければ、素晴らしい社会が建設できると考えています。
 

 ――未来をつくる仕事です。最後に若者へメッセージを。
 
 私の実家は和菓子屋で、小さい頃は和菓子職人になりたくて、仕事ぶりを見ていました。インスタントハウスで空気を使う発想も、父が作る羽二重餅が空気を含むことでフワフワになっていることも参考になっています。だから人生、何が役に立つか分かりません。時には、周りと違ったり、遠回りしたりするかもしれません。でも自分を信じて、達成したいことを頑張れば、夢は必ずかなう。そう信じています。
 私たちが勉強を始める時は教科書が必要です。でも教科書だって時代とともに変わります。その未来の教科書をつくるチャンスは誰にでもあるはずです。

  • プロフィル

きたがわ・けいすけ 1974年、愛知県名古屋市生まれ。2001年、名古屋工業大学大学院工学研究科社会開発工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)。2018年から現職。

 


防災:身を守る行動〉先進事例のあるイタリアから学ぼう!一般社団法人「避難所・避難生活学会」主催 酷暑期の避難所演習リポート

2024年08月04日 09時23分41秒 | 人が死なない防災

尾崎 コメント: 

防災には哲学が必要です」。

命を守るだけではなく、人権を守るために災害支援があるという感覚が日本に

あるのでしょうか? その感覚が無い限り、災害関連死はなくなりません。

私たちは先進事例のあるイタリアから学ぶべきです。

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1-平成の30年間には、5000人もの災害関連死が出たといわれている。

2-防災の第一目的は命を守ることです。

3-日本の「避難所の運営体制」は、本当に命を守る体制渡したいTになっているのか?

4-避難所運営で命を守るために「健康を守るポイント」は三つあります。
①安心・安全なトイレ(T)
②適温でおいしい料理(K)
③熟睡できる就寝環境(B)

5-イタリアの災害支援から日本は学ぶべきことが多々あります。

6-①清潔で安全なトイレ、②普段通りの適温でおいしい料理、③快適で熟睡できる就寝環境が、発災から48時間以内に整う仕組みが確立されています。イタリア事例。

なぜ、それが可能なのか。国の機関が費用を負担し、各地に、トイレコンテナやキッチンカーなど、国で標準化した資機材が備蓄されているからです。

6-災害が起きると、迅速に国の機関が会議を開催。発災から30分~1時間以内には、関係者が集まり、打ち合わせがスタートします。その後、ボランティア団体に指示が出され、国で標準化した支援システムが動き出します。

7-ボランティア団体は約4000で、人口の約5%に当たる300万人が登録しているといいます。普段の仕事の専門性を生かしたボランティアの在り方が定着していること。例えば、キッチンカーでの調理を引っ張るのはプロの料理人、空調機器の設置は電気工事士が主導していました。社員が災害支援に出動した企業に、国からの金銭的補助もあります。

8-イタリアには災害関連死という概念がないことです。私は行く所、行く所で、「災害関連死はどれくらいか」と質問しました。しかし「あり得ない」と返ってきます。“避難生活を通して一人の犠牲者も出さない”という共通認識があるように感じます。

9-イタリアの防災に携わる方が「防災には哲学が必要だ」と言っていました。命を守るだけではなく、人権を守るために災害支援があるという感覚を広げていきたいと思っています。

-----------------以下本文-----------------

防災――身を守る行動〉 一般社団法人「避難所・避難生活学会」主催 

酷暑期の避難所演習リポート2024年8月4日 聖教新聞

 平成の30年間には、5000人もの災害関連死が出たといわれている。この問題を解決するために避難所環境の改善に尽力する一般社団法人「避難所・避難生活学会」(以下、避難所学会)は7月27、28の両日、大阪府八尾市内の小学校体育館で、酷暑期の避難所生活を想定した1泊の演習を実施した。この取り組みをリポートする。
 

  • 開催に込めた思いとは●

 今回の演習を企画したのが、避難所・避難生活学会の常任理事を務める水谷嘉浩さんだ。八尾市内の段ボールメーカーの社長を務め、もともと防災活動とは無縁。その人生を一変させたのが東日本大震災だった。
 
 あの日、水谷さんは出張先の東京で被災。大阪に戻れず、東京で一夜を明かした。テレビに流れる壊滅的な状況に心を痛め、大阪に戻ると、支援物資でパンパンになった4トントラックを被災地に走らせた。後日、避難所に身を寄せている方が低体温症で亡くなったというニュースを見た。「避難所って安全な場所だと思っていたので全く理解できなかった」と振り返る。
 
 すぐに断熱効果のある段ボールの活用を思い付き、試作を重ねた段ボールベッドをSNSに発信した。
 
 避難所学会の代表理事である植田信策さん(石巻赤十字病院副院長)は当時、宮城県石巻市内の避難所を飛び回り、雑魚寝は低体温症だけでなく、エコノミークラス症候群などのリスクを高めると見抜いていた。人が寝るのに耐えられるだけの強度があり、短時間に大量生産できることなどから、水谷さんの段ボールベッドに目を付けた。
 
 すぐに植田さんと水谷さんは約50の避難所を歩き、一カ所ずつ段ボールベッドの導入を提案していった。しかし、導入事例のないことなどから、ほとんどが門前払いだったという。
 
 水谷さんは震災後、各市町村に段ボールベッドの有用性を説明しながら、個別に防災協定を結ぶ活動をスタート。全国段ボール工業組合連合会も巻き込み、協定を結ぶ地方公共団体や自治体は増えていった。
 

〈〈健康を守るポイント〉〉
①安心・安全なトイレ(T)
②適温でおいしい料理(K)
③熟睡できる就寝環境(B)

 イタリアの避難所運営の取り組みが進んでいると知れば、同志と共に何度も視察に通った。こうした活動が避難所学会の設立につながっていった。避難所学会は「TKB48」を提唱する。これは、①清潔で安全なトイレ(T)、②普段通りの適温でおいしい料理(K)、③快適で熟睡できる就寝環境(B)を発災から48時間までに避難所に届けるというもの。
 
 水谷さんは熊本地震、西日本豪雨や能登半島地震などの避難所を手弁当で回り、段ボールベッドを設置して雑魚寝を解消してきた。植田さんをはじめ避難所学会のメンバーも、TKBに基づいた支援を被災地で推進。こうした取り組みに背中を押されるように、国の「防災基本計画」などにもTKBに沿った修正が行われるようになった。
 
 しかし、そこに法的拘束力はなく、避難所運営は市町村ごとの対応に委ねられている。予算の関係や運営のオペレーションなどの課題が山積し、TKBに基づいた環境改善には、まだいくつものハードルがあるのが現状だ。
 
 水谷さんは「避難所環境の改善を国民の関心事にしたい。今回の演習はそのスタート」と力を込める。
 記者も参加した今回の演習。そこで体験したのは過酷な現実だった……。
 

空調設備なしで生活はできない

 演習会場の最寄り駅となるJR八尾駅に到着したのは、午前11時過ぎ。スマホの地図アプリを片手に会場に向かい歩き出すと、一気に汗が噴き出てくる。この日の最高気温は35・4度。酷暑期を想定した避難所演習という意味では、ベストコンディションだが、不安を覚えずにはいられない。歩くこと約10分。演習会場となる小学校体育館に到着した。
 
 既に多くの人が集まっていた。大阪府や八尾市など自治体の防災担当者、熱中症や防災の研究者、災害医療の専門家ら約70人が、今回の演習に参加することになっている。
 
 館内は強い日差しは受けないが、空気がこもり、外より湿度は高いように感じる。幸い、スポットクーラーや大型扇風機が設置され、暑さに耐えきれなくなった参加者が、入れ替わるように、その前に立っていた。
 
 サーモグラフィーで館内の温度を測定していた参加者によれば、午後3時時点の天井の温度は46・4度。室温は午後2時時点で36度だったという。
 
 水谷さんが「大規模災害時の直後は、クーラーや扇風機も設置できない可能性が高い。とてもじゃないけど生活できる空間ではない」と声を強めれば、参加者からは「空調が使えなかったら地獄」という声が漏れた。
 

演習のスタートは、冷房が効いた教室で座学。夏季避難所の想定されるリスクについて、中京大学の松本孝朗教授、神戸女子大学の平田耕造名誉教授らが講義。避難所学会の植田さんは能登半島地震での支援模様を報告。水谷さんはイタリアの災害支援について紹介した。
 

「アルファ化米」1日が限界かも

 座学が終わり、夕食に。
 「わかめご飯」「きのこご飯」「山菜おこわ」「梅がゆ」「ひじきご飯」の5種類のアルファ化米から好きなものを選ぶ。作り方はシンプル。開封して、プラスチックのスプーンと脱酸素剤を取り出して熱湯を注いで15分で完成だ。
 
 体育館の床に座って食べ始める。「おいしいですよ!」と箸を進める人がいる一方で、「まずくはないが、連日は食べられない。1日が限界」という感想が多く聞かれた。
 
 記者は一口、二口と進んだが、なかなか、三口目が進まず、空腹を我慢することを選んでしまった。近くにあるコンビニエンスストアに救われた。
 

 続いて、シャワー体験。熊本地震や西日本豪雨、能登半島地震などの被災地に導入されてきた株式会社タニモトの組み立て式コインシャワーが2台設置されていた。
 
 シャワーの給水は、能登半島地震の被災地で使用されている株式会社クリタックの浄化装置を使用して貯水槽の水をろ過。水圧も問題なく快適だった。
 

床に「雑魚寝」痛みとしびれ

 午後8時ごろから演習は、就寝環境の検証へと進んでいった。生みの親である水谷さんの解説によって段ボールベッドの組み立てが始まる。手順は複雑ではない。しかし実際の避難所に設営する場合は、床面積を計測し、通路の確保も計算しながら収容人数に応じた配置バランスが求められる。さらに避難者に段ボールベッドの効果を丁寧に説明し、理解を得ながら、設置を進める必要があるという。
 
 これは誰しもができることではなく、避難所に届いても、倉庫に眠ったままになってしまう課題がある。だからこそ、水谷さんは必ず、被災現場を回っていると教えてくれた。
 

 就寝環境が整ったのが9時ごろ。館内の温度計は32度を指していた。主催者から「寝苦しいと思うので、遠慮なく冷房の効いた部屋に移動していただいても構いません」との呼びかけがかかる。参加者のどの顔も疲れ切った表情。中には既に倒れるように寝ている人も。午後11時を回り、消灯になった。
 
 床の上に薄いアルミマットを2枚敷いて雑魚寝を始めた。しかし、背中が痛く、コロコロと寝姿勢を変えるが痛む部分が増えるばかりで、なかなか寝付くことができない。明け方、空席の段ボールベッドに移動。雑魚寝とは比べものにならないほど、快適に感じ、体を休めることができた。雑魚寝した35歳男性は「体のしびれと痛みがひどい。エコノミークラス症候群のリスクがあることがよく分かった」と実感を込めた。
 

 朝食は唯一、ホッとできる場となった。夕食と違って、教室を模様替えした“食堂”に参加者は足を運び、水谷さんが大阪の帝国ホテルのシェフに頼んで考案してもらったアルファ化米のアレンジメニューが有志によって振る舞われた。わかめご飯を使った「サーモンライスサラダ」、山菜おこわからは「焼きおにぎり茶漬け」など。
 
 口にした参加者は笑顔にあふれ、「本当においしい」「これだったら毎日食べられる」と大好評だった。避難所環境の改善の課題に挙げられる「食事」がいかに大事かを如実に表す場面だった。
 

 そして、最後の総括会。チーム別に演習を振り返るディスカッションが行われた。
 今回は停電や断水を設定せず、トイレは通常通り、水洗トイレを使用したが、断水時に水洗トイレが使えない状況を想像しながら話し合う場面も。「間違いなくトイレを我慢する」「夏場は特に臭いが大変なことになる」「想像すらしたくない」など神妙な面持ちだった。
 

 演習は無事故で終了。水谷さんは「得たものをフィードバックしながら、継続して開催していきたい。この実体験を環境改善のうねりに変えていく」と訴えた。1日で終わると分かっていたから耐えられたのかもしれない。この生活に終わりが見えないと心身ともに持たないのは想像に難くなかった。
 
 しかし今も現実に避難生活を余儀なくされている方がいる。
 
 演習から2日後、水谷さんは記録的大雨で被災した山形の避難所に、雑魚寝を解消するために向かっていった。
  
 
イタリアの災害支援――水谷常任理事の講演から●

ハード、ソフトともに国で標準化

 災害支援の在り方が進んでいると知り、これまで何度もイタリアを視察してきました。①清潔で安全なトイレ、②普段通りの適温でおいしい料理、③快適で熟睡できる就寝環境が、発災から48時間以内に整う仕組みが確立されています。
 
 トイレにシャワーも完備されたコンテナが避難所に届き、キッチンカーなども来ます。避難所生活は主にテントで、家族単位で入ることができます。中には簡易ベッドがあり、エアコン設備もあります。
 

テントの中は簡易ベッドなどが整備                         

 なぜ、それが可能なのか。国の機関が費用を負担し、各地に、トイレコンテナやキッチンカーなど、国で標準化した資機材が備蓄されているからです。

 災害が起きると、迅速に国の機関が会議を開催。発災から30分~1時間以内には、関係者が集まり、打ち合わせがスタートします。その後、ボランティア団体に指示が出され、国で標準化した支援システムが動き出します。
 
 ボランティア団体は約4000で、人口の約5%に当たる300万人が登録しているといいます。
 
 視察で実感しているのは、普段の仕事の専門性を生かしたボランティアの在り方が定着していること。例えば、キッチンカーでの調理を引っ張るのはプロの料理人、空調機器の設置は電気工事士が主導していました。社員が災害支援に出動した企業に、国からの金銭的補助もあります。
         

 日本と違うもう一つの特長が、被災自治体の職員が避難所運営に関わらなくても支援が進んでいくシステムが確立されていること。被災地域外からボランティアなどが入ってきます。
 
 これも支援システムが標準化しているからできることです。
 
 日本は1700以上ある市町村で、避難所 運営の在り方はそれぞれ。他地域からの支援が混乱を生んでしまう状況もあります。今回の能登半島地震で支援に訪れた際、被災者に何か欲しいものはありますかと伺うと「希望が欲しい」と言われました。被災者は絶望をされていました。支援の在り方を考える必要があるのではないでしょうか。
  

避難所テントでは子ども支援も

 イタリアで学んだ一番大きいことは、イタリアには災害関連死という概念がないことです。私は行く所、行く所で、「災害関連死はどれくらいか」と質問しました。しかし「あり得ない」と返ってきます。“避難生活を通して一人の犠牲者も出さない”という共通認識があるように感じます。
 
 イタリアの防災に携わる方が「防災には哲学が必要だ」と言っていました。命を守るだけではなく、人権を守るために災害支援があるという感覚を広げていきたいと思っています。
 

 


能登半島地震から2カ月余 寄り添い合う関係を 「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」所長・災害公衆衛生学医師の栗山進一氏

2024年03月12日 16時57分05秒 | 人が死なない防災

能登半島地震から2カ月余 寄り添い合う関係を

「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」所長・災害公衆衛生学医師の栗山進一氏

箇条書き要点まとめ

1-能登半島地震の発生から2カ月。

東日本大震災を振り返ると、被災者の心身に新たな変化が起きたのは、ちょうどその頃。 
 心理的な面では、自分の置かれた状況や将来について、少しずつ考えられるようになる時期。

ふと我に返って「自分はなぜ被害に遭わなければならなかったのか」「これからの仕事はどうなってしまうのだろう」などと考える時間が増え、将来に不安を感じる人が多くなる。

まさに一人の声に応えていかなければならないのが、これからの支援の課題。

こうした生活の再建に、行政も力を尽くしているが、一人一人の置かれた状況も乗り越えるべき課題も異なる。

ここに手当てをすれば、全て解決というものではない。

中には、周囲に遠慮してものを言えない人もいるので、私たち研究者や支援に当たる人々が、被災した一人一人の声に耳を傾け、どういった支援が必要なのかをつかんでいくことが大切。

これを専門用語では、「災害ケースマネジメント」と呼んでいる。

2-また、肉体的な面での変化が出てくるのも、この時期。

それは、避難生活の中で服薬を続けられなかったことによる持病の悪化や、精神的な疲労、運動不足といった影響が出てくるから。
 今や高齢者のほとんどが、何らかのお薬を飲んでいるため、高齢者が多い能登は、持病の悪化が懸念される。

持病の悪化や生活習慣の乱れなどは、災害関連死につながる。
このまま今後数年は、災害関連死に留意が必要です。

 
 災害関連死といっても、その要因は多様です。これまでは低体温症やエコノミークラス症候群などへの注意が求められてきたが、今後は、持病の悪化や精神的なストレスなどを原因とする脳卒中や心筋梗塞等へとシフトしていく。

時間の経過とともに被災者の置かれる状況も多様化していくので、潜在的な関連死のリスクに対して、これまで以上に細かなケアが求められていく。

過去の災害を見ても、関連死の危険性は、少なくとも3年は続くので、粘り強く対策を進めていくことが必要。
 

3-東北では震災から1年半、沿岸部の自殺率が減少し、国の平均以下だったが、ボランティアをはじめとする支援の手が引いてからは増加傾向に転じた。


 精神的な支援をしてくれていた人がいなくなったことで、苦しみに耐えられなくなったことが大きな要因の一つだと考えられる。

  「前を向けるまで一緒にいますよ」と、そばで寄り添ってくれる人の存在や、そうした人たちとのコミュニケーションがますます重要になってくる。

さらに、被災した方々が自分の思いを素直に伝えられる、コミュニティーの存在が必要になる。

特に能登では今後、仮設住宅などでの生活が始まりますが、避難生活を送ってきたコミュニティーがバラバラになり、一人一人が孤立してしまう可能性がある。
 
 また仮設住宅に入る人の多くは、“これ以上迷惑をかけられない”と、周囲に助けを求めなくなるし、周囲も“そっとしておいてあげよう”という思いが働くことが予想される。

その中で、孤立が進んでしまえば、被災者はますます、つらい気持ちを胸にしまい込んでしまうし、周囲と話さなければ、前を向いて生きようとする気持ちにもなりにくくなってしまう。

「コミュニティー」「コミュニケーション」においては、“寄り添う側”と“寄り添われる側”といった関係ではなく、互いに“寄り添い合う”という関係を築くことが大切。
5-災害から命を守る上では、過去にどのような行動を取り、どんな結果になったのかという教訓や、これから発生する災害には、どのような事態が予想されるのかといった科学的な探究が欠かせない。

そうした科学的根拠から防災のあり方を考え、実践に生かしていくことは大切だが、いざ実践に移してみると、その方法に当てはまらない人が必ず出てくる。

その時に、「漏れる人が悪い」といって切り捨てるのではなく、「漏れ出てしまう人がいるならば再考すべきだ」と、もう一度、知の泉を汲み直す。その往復の中で、“誰も置き去りにしない防災”というものが、実効性のあるものになる。

そうした流れも、互いに寄り添い合い、互いに学び合うという関係性から始まっていく。

4-災害で命を守るための一番の方法は、どこまでいっても「事前の備え」に尽きる。

防災の基本は、まずは自分の身は自分で守ること。

そのためにも、自宅の耐震化や、家具類が転倒・落下しないように固定するなどの対策が必要。

これが大切な「事前の備え」の例。

東京消防庁は、近年発生した地震で、家具類の転倒・落下などを原因とするけが人が、どの程度いたのかを算出している。

例えば2016年に発生した熊本地震では、一般住宅で29・2%、高層マンションで40%となっている。

これは、家具類を固定していれば、けがをしなくて済んだであろう割合と、捉えることもできる。

これまでの災害の教訓をひもといても、命を守るための手立ては、決して特殊なものではなく、特別な技術を必要としないものばかり。 しかし、その対策を“後でやればいい”と先延ばしにしたり、“わが家は対策をしなくても大丈夫だろう”と油断したりしているうちに、災害が起きてしまうというのが現実。

私は、事前の備えも含めて“できたのにやらなかった”という人をゼロにしたいと思う。

それが災害で誰も命を落とさない社会を築くための、大切な視点。

 たとえ地道であっても、一人一人が自らの行動を変えていくためには、行動が変わるまで関わり続けるコミュニケーションが重要。 中には、関心がない人もいるかもしれませんが、周囲の命を守るためには、その大切さを伝え続けていくことが必要。

---以下 聖教新聞本文 2024- 3/11 -3/12---

 2011年3月11日の東日本大震災の発生から13年。この震災の翌年に設立された「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」では、災害の経験や教訓を踏まえつつ、自然災害から人々の命を守るための、さまざまな研究を行ってきた。新企画「BOSAI(防災)アクション――東北大学災害研の知見」では、災害研に所属する研究者に、それぞれの専門分野の立場から、今後、求められる災害への備えや心構えについて語ってもらう。第1回は、同研究所の所長で、災害公衆衛生学を専門とする医師の栗山進一氏。㊤では、令和6年能登半島地震の被災地で今後、懸念されることなどを語ってもらった。(聞き手=水呉裕一、村上進)

一人の声に応える

 ――災害研は、令和6年能登半島地震の発災当初から、被災地の支援や現地の調査などを行ってきました。東日本大震災の教訓なども踏まえ、今後、懸念されることを教えてください。
  
 令和6年能登半島地震の発生から2カ月あまりがたちます。東日本大震災を振り返ると、被災者の心身に新たな変化が起きたのは、ちょうどその頃でした。
 
 心理的な面では、自分の置かれた状況や将来について、少しずつ考えられるようになる時期かもしれません。発災直後は、それこそ日々を生き抜くことに精いっぱいで、目の前の課題に追われていますが、そうしたものの先が見え始め、ふと我に返って「自分はなぜ被害に遭わなければならなかったのか」「これからの仕事はどうなってしまうのだろう」などと考える時間が増え、将来に不安を感じる人が多くなるということです。これは、東北の被災者や自治体関係者も語っていたことです。
 
 能登では今、農業や漁業、輪島漆器生産等の地場産業や、観光業を営む人が、仕事を続けていけるのか不安に感じているとの報道もあります。まさに一人の声に応えていかなければならないのが、これからの支援の課題だと思います。
 
 こうした生活の再建に、行政も力を尽くしていますが、一人一人の置かれた状況も乗り越えるべき課題も異なります。ここに手当てをすれば、全て解決というものではありません。中には、周囲に遠慮してものを言えない人もいるので、私たち研究者や支援に当たる人々が、被災した一人一人の声に耳を傾け、どういった支援が必要なのかをつかんでいくことが大切だと感じます。これを専門用語では、「災害ケースマネジメント」と呼んでいます。
 
 また、肉体的な面での変化が出てくるのも、この時期です。それは、避難生活の中で服薬を続けられなかったことによる持病の悪化や、精神的な疲労、運動不足といった影響が出てくるからです。
 
 今や高齢者のほとんどが、何らかのお薬を飲んでいるため、高齢者が多い能登は、持病の悪化が懸念されます。
 
 一般的には、2040年に日本の人口の35%が65歳以上の高齢者になるといわれる中、能登は既に2人に1人が65歳以上です。そうした方々には、生活習慣に留意していただくのはもちろん、一日も早く服薬できる環境を整え、服薬を再開していただくことが大切です。

中長期的な支援を

 ――持病の悪化や生活習慣の乱れなどは、災害関連死につながるものです。ますます注意しなければならないということですね。
  
 その通りです。今回の能登半島での発災以降、聖教新聞をはじめ、さまざまなメディアが、災害関連死への注意喚起をしてくださったおかげで、被災地では関連死を起こさせまいと、気が配られていることを実感します。このまま今後数年は、災害関連死に留意が必要です。
 
 災害関連死といっても、その要因は多様です。これまでは低体温症やエコノミークラス症候群などへの注意が求められてきましたが、今後は、持病の悪化や精神的なストレスなどを原因とする脳卒中や心筋梗塞等へとシフトしていきます。時間の経過とともに被災者の置かれる状況も多様化していくので、潜在的な関連死のリスクに対して、これまで以上に細かなケアが求められていくと思います。過去の災害を見ても、関連死の危険性は、少なくとも3年は続きますので、粘り強く対策を進めていくことが必要です。
 
 また、東北では震災から1年半、沿岸部の自殺率が減少し、国の平均以下でしたが、その後、ボランティアをはじめとする支援の手が引いてからは増加傾向に転じました。さまざまな調査結果を踏まえると、精神的な支援をしてくれていた人がいなくなったことで、苦しみに耐えられなくなったことが大きな要因の一つだと考えられています。
 
 このような東日本大震災の教訓から考えても、災害支援は中長期的な視点をもって進めていくべきです。

自然災害における最先端の研究を行う東北大学災害科学国際研究所

 ――栗山所長は災害研の中で、震災後にどのような健康被害が出るのかを研究してこられました。その研究からは、どのようなことが分かっているのでしょうか。
  
 例えば、4~5歳の時点で震災を経験した子どもでは、震災から約半年後に過体重となっていた子どもの割合が多く、男児では特にアトピー性皮膚炎の増加、女児では特に喘息の増加が被災と関連する傾向にあることが分かりました。震災の影響は、高齢者だけでなく、子どもたちを含む、全ての人に及ぶということです。
 
 また、震災によるストレスや生活習慣の乱れの影響は、子や孫の代にまで及んでしまう可能性があることも分かってきました。これは、7万人以上にご参加いただいている「三世代コホート」という調査で明らかになったものです。コホートとは健康状態などを観察し続ける人の集団のことで、親から子、そして孫へと、3世代にわたって一つ一つの家族を追い、生活習慣や遺伝情報、疾患歴などを踏まえつつ、震災の影響がどう次の世代に残っていくのかを調査したものです。
 
 その中で、震災で自宅が被害を受けた妊婦は、被害のなかった妊婦に比べて喫煙の割合が高い傾向にあり、母親が妊娠中にたばこを吸うことで子どもが低出生体重で生まれる割合が高いことが分かりました。また、これまでの医学では低出生体重で生まれた女の子が大きくなって出産した時、妊娠高血圧症候群になりやすく、生まれた子どもは2歳ごろに自閉傾向が出やすくなることも分かっています。

孤立しない、させない

 ――そうした健康被害を未来に残さないために、能登の被災地では、どのような対策が必要だとお考えですか。
  
 「前を向けるまで一緒にいますよ」と、そばで寄り添ってくれる人の存在や、そうした人たちとのコミュニケーションがますます重要になってくると思います。さらに、被災した方々が自分の思いを素直に伝えられる、コミュニティーの存在が必要になると感じます。特に能登では今後、仮設住宅などでの生活が始まりますが、避難生活を送ってきたコミュニティーがバラバラになり、一人一人が孤立してしまう可能性があります。
 
 また仮設住宅に入る人の多くは、“これ以上迷惑をかけられない”と、周囲に助けを求めなくなりますし、周囲も“そっとしておいてあげよう”という思いが働くことが予想されます。その中で、孤立が進んでしまえば、被災者はますます、つらい気持ちを胸にしまい込んでしまいますし、周囲と話さなければ、前を向いて生きようとする気持ちにもなりにくくなってしまうでしょう。その上で、私は「コミュニティー」「コミュニケーション」においては、“寄り添う側”と“寄り添われる側”といった関係ではなく、互いに“寄り添い合う”という関係を築くことが大切だと思っています。
 
 そもそも、それらの言葉は、「分かち合う」という意味のラテン語「コミュニス」を語源とします。決して簡単なことではありませんが、“苦しさ”や“寂しさ”も分かち合うような関係を築くことが、今後の復興のみならず、被災した方々の力になると思います。

置き去りにしない

 ――そうした関係性を築くことができれば、支援する方々にとっても、復興のためには何が必要なことなのかが見えてくると思います。
  
 実は、そうした関係性を築くことこそ、災害研が目指すあり方です。
 
 私たちは、被災された方はもちろん、「南海トラフ巨大地震」や「首都直下地震」といった近未来に想定される災害に備えるために、「知の泉を汲み、実の森を育む」ということを大切にしてきました。
 
 これは、「知の泉」、つまり過去の教訓や災害科学の“知識の泉”を活用しながら、「実の森」、つまり人の命を守るための“防災実践の森”を育む挑戦です。
 
 災害から命を守る上では、過去にどのような行動を取り、どんな結果になったのかという教訓や、これから発生する災害には、どのような事態が予想されるのかといった科学的な探究が欠かせません。そうした科学的根拠から防災のあり方を考え、実践に生かしていくことは大切ですが、いざ実践に移してみると、その方法に当てはまらない人が必ず出てくるものです。
 
 その時に、「漏れる人が悪い」といって切り捨てるのではなく、「漏れ出てしまう人がいるならば再考すべきだ」と、もう一度、知の泉を汲み直す。その往復の中で、“誰も置き去りにしない防災”というものが、実効性のあるものになると考えていますし、そうした流れも、互いに寄り添い合い、互いに学び合うという関係性から始まっていくと思うのです。

 ――創価学会でも「同情」ではなく、「同苦」する気持ちを大切にし、まさに地域の共助に不可欠である寄り添い合う心を大切にしながら、今日まで歩んできました。
  
 東日本大震災の時を振り返っても、学会の皆さんは粘り強く、“寄り添い合おう”“一緒に乗り越えよう”というメッセージを、聖教新聞をはじめとするメディアや、地域社会での対話など、あらゆる手段を使って発信し続けてくださいました。それが大きな復興の力になったと確信しますし、特定の宗教団体の枠を超えた、普遍的な復興支援のあり方だと感じています。
 
 一人一人の復興への道筋はあまりにも多様で、一律に、こうすればよいという“特効薬”はありません。だからこそ、幅広いネットワークを持つ皆さんには、今回の能登半島地震をはじめ、これから起こる災害においても、一人一人の声に耳を傾け、被災した人々の気持ちを分かち合っていただきたいと願っています。

家具類の固定が要

 ――災害多発時代にあって一人一人が自分の命を守るためには、どのような対策や心構えが大切だと思いますか。
  
 災害で命を守るための一番の方法は、どこまでいっても「事前の備え」に尽きます。防災の基本は、まずは自分の身は自分で守ることです。そのためにも、自宅の耐震化や、家具類が転倒・落下しないように固定するなどの対策が必要です。これが大切な「事前の備え」の例です。
 
 東京消防庁は、近年発生した地震で、家具類の転倒・落下などを原因とするけが人が、どの程度いたのかを算出しています。例えば2016年に発生した熊本地震では、一般住宅で29・2%、高層マンションで40%となっています。これは、家具類を固定していれば、けがをしなくて済んだであろう割合と、捉えることもできます。
 
 南海トラフ巨大地震の被害想定地域に住む約5000人を対象にした調査では、大きな災害が起こるといわれている地域にもかかわらず、「家具を適切に固定している」と答えた割合が、極めて低かったことも分かりました。
 
 もちろん自宅の耐震化は大きな費用がかかるため、簡単にはできません。この点は行政の支援も必要でしょうが、家具類の固定は自分の意識次第で行えるものです。しかし、災害時において生存率を左右するほどの重要なことであって、“やらなければ”という意識はあったとしても、なかなか行動に移せていない人が多いのが現実です。  

 ――“やらなければ”と思っていることを、実際に行動に移し、確実に「事前の備え」につなげていく。それだけで自分の命を守る大きな力になるということを感じます。
  
 これまでの災害の教訓をひもといても、命を守るための手立ては、決して特殊なものではなく、特別な技術を必要としないものばかりです。しかし、その対策を“後でやればいい”と先延ばしにしたり、“わが家は対策をしなくても大丈夫だろう”と油断したりしているうちに、災害が起きてしまうというのが現実ではないでしょうか。
 
 実際、東日本大震災での津波犠牲者の調査では、逃げられなかった人だけでなく、“自分は大丈夫だろう”“ここまで津波が来るはずはない”と思い込んで、逃げなかった人が少なからずいたことも、生存者へのインタビュー調査などから分かっています。
 
 逃げられたのに、逃げないという選択をした人がいた事実を見つめ、どうすれば一人一人が意識から行動にまで移すことができるかを考えなければなりません。私は、事前の備えも含めて“できたのにやらなかった”という人をゼロにしたいと思っています。それが災害で誰も命を落とさない社会を築くための、大切な視点だと信じるからです。

 ――「事前の備え」がなぜ、特に大切だと思ったのでしょうか。
  
 その発想が芽生えたのは、東日本大震災です。
 
 震災が起こる前日まで、私は医師として、人々の健康や命を守ることを目指し、遺伝子レベルの研究を行っていました。しかし、私が守りたいと思ってきた多くの人々の命が、災害によって失われてしまった現実に触れ、“何でこんなに多くの人が犠牲にならなければいけなかったのか”“もっと事前にできることがあったのではないか”との思いに至ったのです。
 
 医学では、病気になってから治療するのではなく、そもそも病気にならないために、どのような方法が考えられるのかを研究する「予防医学」という考えがあります。それと同じ発想で、さまざまな災害の被害を減らすために、どのような「事前の備え」が必要かということを探究する道に進もうと決めたのです。

「健康」との共通点

 ――「事前の備え」が大切とは分かっていても、実際にはできない人も多いと思います。その中で、多くの人が具体的に行動に移すようになるためには、どのようなことが必要だと感じておられますか。
  
 たとえ地道であっても、一人一人が自らの行動を変えていくためには、行動が変わるまで関わり続けるコミュニケーションが重要です。中には、関心がない人もいるかもしれませんが、周囲の命を守るためには、その大切さを伝え続けていくことが必要です。
 
 これは私が医師なので感じることですが、「防災」ということに関心がない人でも、「健康」という話だと耳を傾けてくれる人がいます。防災も健康もどちらも、自分の命を守るということでは、共通の課題でしょう。小さな気づきで構わないので、周囲の人に語りかけ、防災を身近なものとして感じる意識を広げていただきたいと思います。
 
 医学には、コミュニケーションを通して健康への行動変容を起こさせる「ヘルスコミュニケーション学」という分野がありますが、一対一の語りかけは、行動変容を起こさせる上で極めて有効だということが明らかになっています。私は今、それを応用し、防災における行動変容を起こさせるための「防災コミュニケーション学」を確立させたいと考えています。
 
 現代は、一昔前と比べて地域コミュニティーが働いていない場所が多く、コミュニケーションが生まれにくくなっています。その中で、人とのつながりをどう再生し、強めていくかを考えることはもちろんのことですが、まずは意識を持った一人一人が、自分の周囲の人に伝えていくことが大切ですし、将来的にはこの「防災コミュニケーション学」にのっとって、一人一人の行動変容を確実なものとしていけるように、力を尽くしたいと決意しています。

“やって当然”という雰囲気

 ――個人レベルでの働きかけに加え、社会全体でも“耐震化するのは当たり前”というような雰囲気をつくっていくことも大切だと思いますが、そうした方法はありますか。
  
 一つのヒントとして、私は、社会における禁煙や減塩の推進の取り組みが生かせるのではないかと考えています。
 
 今でこそ、公共の場でたばこが簡単に吸える環境ではなくなってきましたが、こうした社会の雰囲気をつくるまでには、長年にわたる地道な取り組みがありました。
 
 1960年代の日本では、脳出血や脳梗塞、くも膜下出血が国民病で、この主な原因の一つが「喫煙」でした。どの職場でも、自分のデスクでたばこを吸うのが当たり前。当時は「病気になったら医者に行けばいい」という発想で、とても禁煙を推進できる雰囲気ではありませんでした。
 
 そんな中、「健康増進法」の施行による分煙の開始をはじめ、自治体保健事業の活用や義務教育との連携、メディアを通じたイメージ戦略、税を活用した経済的誘導など、あらゆる手段を用いて今日までの社会通念を形成していったのです。
 
 減塩の推進も同様で、ようやく「1日10グラム以下の摂取」ということが当たり前になってきました。ここに至るまでは、70年の歳月をかけて社会の当たり前を築いてきた努力があります。
 
 防災も同様で、あらゆる手段を用いて“いつかやらなければ”ではなく“やって当然”という社会的な雰囲気を築いていきたいと考えています。    

犠牲減らす一助に

 ――そうした雰囲気をつくっていくのも、私たち自身であると自覚することが大切だと思います。本紙では今後、災害研に所属する研究者の多彩な知見を紹介します。この企画が、防災行動に移る一助になればと思っています。
  
 一人一人が私の周囲から変えていくとの思いに立てば、日本の防災は変わります。
 
 災害研では、東日本大震災の教訓を未来に伝える取り組みとともに、地震や津波のメカニズムの解析を行って未来に起こる災害でどのような被害が起こるかを事前に把握するための研究や、“いざ”災害が起きた際に人命救助をするためのAI(人工知能)を搭載した災害対応ロボットの開発などを行っています。
 
 また、IoT(モノのインターネット)を活用した災害に強い街づくりの研究や、被害予測をスマートフォンで受信し、位置情報をもとにどう逃げるべきかを示すアプリ開発等も進めています。このほか、非常時の地域コミュニティーのあり方に関する調査や、医学的な見地からの被災者ケアのあり方など、さまざまな分野で日々、災害から命を守るための研究を続けています。
 
 今後、聖教新聞紙上で随時、そうした災害研の研究者が登場し、それぞれの研究内容を踏まえつつ、一人一人にどういった備えや対策が求められているのかを紹介いただきます。
 
 一人でも多くの方に記事を通して、自らの防災に生かしてもらいたいと思っています。次に災害があった時、「この企画で学んだことが役に立った」「犠牲者が減った背景には聖教新聞があった」といわれるようなものにしていただきたいと願っています。

【プロフィル】

 くりやま・しんいち 1962年生まれ。医学博士。専門は分子疫学、災害公衆衛生学。東北大学理学部物理学科、大阪市立大学医学部医学科を卒業。大阪市立大学医学部附属病院第3内科医師、民間企業医師、東北大学大学院医学系研究科環境遺伝医学総合研究センター分子疫学分野教授などを経て、2012年に東北大学災害科学国際研究所災害公衆衛生学分野教授に就任。2023年から同研究所所長。
  

 


激甚化する水害に備え 自分の命守る意識を! 東京大学・総合防災情報研究センター 片田敏孝特任教授

2022年11月30日 13時19分19秒 | 人が死なない防災

激甚化する水害に備え 自分の命守る意識を!

東京大学・総合防災情報研究センター 片田敏孝特任教授

尾崎 洋二による要点・箇条書きまとめ

防災は、一人の犠牲者も出さないと決めて、地域のすべての人の命を守ることです。

そのためには、「防災の実効性を先に語るのではなく、心の有り様から防災を考える」という視点があって初めて、真の防災が達成されるのではないでしょうか?

 

変革すべきこと

心の有り様、災害情報の受け方、「正常性バイアス」、防災教育

 

  1. 心の有り様が他者依存になっている。

多くの人は、災害が激甚化している実態や、今の防災の課題、自助や共助が大事ということも分かっています。

しかし、不安が高まるばかりで個人レベルの対策には至らず、まだまだ行政の対応強化への要望という“他者依存”になってしまっている。

 

現在の日本の防災は、堤防を造るのは行政、ハザードマップで危ない所を教えてくれるのも行政、逃げろと言ってくれるのも行政、避難したらお世話をしてくれるのも行政。「あなたの命を守るのは?」と問われると、「行政」と言ってしまいかねない状況にあるのではないでしょうか。

 

  1. 他者依存になっているので、一つ一つの災害情報を、それに基づいて行動しなければならないという「行動指南」と捉えるのではなく、「一人一人が避難を考える状況ですよ」という「状況情報」として受け取っていない。

 津波警報で考えてみましょう。「逃げなさい」という「行動指南」と捉えると、大きな津波が来なかった時には、「逃げなければよかった」と、少し不満な気持ちになりませんか。これを繰り返すうちに逃げなくなってしまうと、いつか必ず「逃げておけばよかった」と思う時が来てしまう。

 ところが、「状況情報」と捉えて自らの判断で避難した時、実際には津波が来なかったとしても「津波が来なくてよかった」と思え、この繰り返しの先には「やっぱり逃げていてよかった」と実感する時が来ると思うのです。

 要するに「空振り」と捉えるか、「素振り」と捉えるかの違いで、結果は大きく異なってくるということです。

 

  1. 「正常性バイアス(前回も大丈夫だったから、今回も大丈夫)という心理」にとらわれている。

「正常性バイアス」からの脱却には大事な人を思う時に働く心理が必要です。

人間は、大切な人のことを思うと、動けるようになるのです。

 防災というのは、単に「あなたが逃げてください」ということを伝えるだけではだめだと思います。一人の犠牲者も出さないと決めて、家族や地域で話し合い、皆で生き残る方法を考えていく。つまり、わが事ではなく、わが家庭事”“わが地域事で捉えていく中で、実効性のあるものが生まれます。

 

  1. 防災教育というのは、さまざまな人たちが他者依存でなく、主体的に行動に結びつけていけるよう、10年、20年と持続的に行っていくプロジェクトでなければならない。

人間は、言葉だけでは動きません。具体的な行動に結びつけていくためにも、「共感」してもらうことが大事。

 例えば、「お母さんは昼間のパート先で大地震に遭ったら、家に戻るのに10分以上はかかってしまうから、家には帰らずに近所の高台のおばさんの家に逃げるからね」とか、「学校から帰ってきた後に被災したら、隣に住んでいるおばあちゃんを連れて高台に逃げなさいね」といった話ができるかもしれません。

 

 こうした悲観的な話は、あまりしたくないかもしれませんが、一度でいいので、きちんと家族で話し合っておく。それがいざという時の行動に直結します。だからこそ、何より大切なのは、そうした語らいを、気付いた人、つまり“自分から始めようとする”ことです。

各人が他者依存でなく主体的に行動していけば、家族や地域も変わっていきます。

子どもたちを“地域の財産”“地域を担う人材”として皆で育み、高齢者に対しても「災害なんかで死んじゃだめだ」と励ます。その中で生まれる思い合う喜びを、どんな小さなことでもいいから、積み重ねていくことです。  

 そうすることで、いざという災害に対して、思い合う相手に意識が向き、対応を講じることができ、その中で災害弱者という言葉もなくなっていくのではないでしょうか。

 私が防災教育で大切にしているのも、そうした心を育む環境を整えることであり、防災で大事にしているのは「愛他性」「利他性」です。

 

防災教育実例紹介

黒潮町という地域は「南海トラフ巨大地震」が起きた際に34・4メートルという“日本一高い”津波が来ると、内閣府の中央防災会議が発表した町。

この町でのある高齢者の短歌

教育実施前

「大津波 来たらば共に 死んでやる 今日も息が言う 足萎え吾に」

教育実施後

「この命 落しはせぬと 足萎えの 我は行きたり 避難訓練」

  避難を諦めていた姿勢を大きく変え、自分を思ってくれる家族や地域の人々に感謝しながら、避難訓練に参加する姿が目に浮かびます。

 

--------本文 聖教新聞 11月29日、30日 2022年 全文--------

激甚化する水害に備え 自分の命守る意識を:希望をつくる――災害と“心の復興”〉 

東京大学・総合防災情報研究センター 片田敏孝特任教授へのインタビュー

災害に向き合う人々の生き方を通して、人生の希望を生み出す方途を探ってきた本企画「希望をつくる――災害と“心の復興”」。今回は「水害への備え」をテーマに、東京大学・総合防災情報研究センターの片田敏孝特任教授に、日本で多発する水害の現状や、その中で自らの命を守るために必要な視点を聞いた。(聞き手=水呉裕一、加藤伸樹。)

 

 〈近年、水害が激甚化しており、その要因として地球温暖化が指摘されています〉

  

 今月20日まで、エジプトでCOP27(国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議)が行われましたが、温暖化対策は待ったなしの状態です。

   私は、地球温暖化は、大きく三つの観点で水害発生のリスクを高めたと考えています。

   一つ目は、雨量の増加です。今年、海水温の高さは観測史上最悪を記録しましたが、温暖化によって海水温が高くなると、水蒸気がたくさん出るようになります。

   加えて、大気が温まると当然、空気中に蓄えられる水蒸気量も多くなります。この大量の水を含んだ空気が列島に押し寄せることで、これまででは想像できないほどの雨を降らせているのです。

   熊本を中心に甚大な被害をもたらした「令和2年7月豪雨」では、大気中の水蒸気量が信濃川の水量の800倍、アマゾン川の2倍にも達していたといわれます。

 

 二つ目は、台風の巨大化です。海水温の上昇は、台風の発生や巨大化を助長させることが知られています。以前の台風は日本列島に近づくにつれて海水温が下がるため、勢力も弱まっていましたが、今は海水温が高いので、勢力を維持したまま上陸するようになったのです。

 今年9月に九州地方を襲った台風14号の中心気圧は、910ヘクトパスカルでした。

 1934年の室戸台風は日本上陸時点で911ヘクトパスカル、59年の伊勢湾台風は929ヘクトパスカルでしたので、この910という数字がいかに記録的なものかが分かるでしょう。

 

 三つ目は、その台風が日本近海で発生するようになってきた点です。海水温が高くなるにつれて緯度の高いところでも台風が発生し、近年は、発生翌日には日本に接近することもあります。

   本年9月に静岡などで大きな被害をもたらした台風15号もそうでした。接近までの時間が短い分、災害に備える時間が取れなくなってきているのです。

 

他者依存を排して

 〈日本は毎年のように水害に見舞われていますが、日本全体で人々の防災意識は高まっていると思いますか〉

    結論から言うと、あまり高まっていないと思います。もちろん、多くの人は、災害が激甚化している実態や、今の防災の課題、自助や共助が大事ということも分かっています。しかし、不安が高まるばかりで個人レベルの対策には至らず、まだまだ行政の対応強化への要望という“他者依存”になってしまっているように感じます。

  現在の日本の防災は、堤防を造るのは行政、ハザードマップで危ない所を教えてくれるのも行政、逃げろと言ってくれるのも行政、避難したらお世話をしてくれるのも行政。「あなたの命を守るのは?」と問われると、「行政」と言ってしまいかねない状況にあるのではないでしょうか。

 

 〈なぜ、そうした状況になってしまったのでしょうか〉

  

 それは社会全体の流れでもあったように思います。

   日本は自然が豊かな国です。大昔は、海は荒れ、川は暴れるものだと考え、みんなで助け合いながら自然と向き合っていくというのが、日本の文化でした。それが堤防などを造って一定の災害を防げるようになると、いつしか人々の中に「災害制御可能感」のようなものや“ゼロリスク”を追究する心が生まれ、“行政が堤防を造れば守られる”“災害は起こらないもの”といった認識に立つようになってしまったのではないでしょうか。

   そうしたものは、新型コロナウイルスが流行した当初にもあったように思います。最初は世界各国で完全にウイルスの拡大を抑え込もうとしましたが、それができないと分かり、結局は、自分がマスクを着用し、自分が3密を避けるということが自分の命を守る一番の方法だと気付きました。これは自然災害においても同じで、どれだけハード面を整備しても、それを超えてくることがあるので完全に抑えることはできませんし、最後は自分の命は自分で守る以外にありません。

   「ウィズコロナ」という言葉が生まれたのと同じように、防災においても「ウィズ災害」という心構えで、いつ想定以上の事態が起こったとしても、自分の身を守っていける意識を高めていかなければならないと思います。

   その上で、防災は、どう備えたかが如実に結果として表れますので、一つでも二つでも行動に移していくことが大事です。

 

情報を軽んじない

〈自らの命を守るためにも、「正しい情報」が大切です。

災害時にそうした情報をつかむために注意すべき点を教えてください〉

  情報を出す気象庁などでは、正しい情報を迅速に出そうと努力しています。しかし、それがなかなかできないのが現実です。

   例えば、豪雨災害は「線状降水帯」がキーワードとなっていますが、微妙な気圧配置や地形によって偶発的に生じることから、極めて予測が難しいのです。

 

 そんな中でも、本年6月から気象情報として、この線状降水帯の発生予測を伝えるようになりました。しかし、まだ全国を11ゾーンに分け、その中のどこかで発生する可能性があるということしか伝えることができず、防災情報として活用できるところまでは至っていません。

   土砂災害の情報もそうですが、2009年から19年の間のデータで見ると、「土砂災害警戒情報」という「避難指示」相当の情報が出ても、実際に土砂災害が起きたのは5%以下で、20回に1回当たるかどうかです。

   そうした意味では、「正しい情報」というものは、現状ではないのかもしれません。

  しかし、この土砂災害において言えば、実際に災害が起こった現場で「土砂災害警戒情報」が出ていたのかどうかを見ると、9割以上の地域に出されていたことが分かっています。

   もちろん、20回に1回という確率を上げていく努力は必要ですが、現在でも20回に1回は当たっているからこそ、警戒情報を決して軽んじることなく、自分の命を守る行動につなげていくことが大切であると思います。

 

 〈一回一回の災害情報を軽んじないためにも、一人一人の意識変革が大切ですね〉

 そのためにも、一つ一つの災害情報を、それに基づいて行動しなければならないという「行動指南」と捉えるのではなく、「一人一人が避難を考える状況ですよ」という「状況情報」として受け取っていくことではないでしょうか。

 津波警報で考えてみましょう。「逃げなさい」という「行動指南」と捉えると、大きな津波が来なかった時には、「逃げなければよかった」と、少し不満な気持ちになりませんか。これを繰り返すうちに逃げなくなってしまうと、いつか必ず「逃げておけばよかった」と思う時が来てしまう。

 

 ところが、「状況情報」と捉えて自らの判断で避難した時、実際には津波が来なかったとしても「津波が来なくてよかった」と思え、この繰り返しの先には「やっぱり逃げていてよかった」と実感する時が来ると思うのです。

  要するに「空振り」と捉えるか、「素振り」と捉えるかの違いで、結果は大きく異なってくるということです。

  毎年のように観測史上最大という雨が降る今、「これまで大丈夫だったから、今回も大丈夫」という保証はありません。行政がいくらハザードマップを作ろうが、それを超える災害が起きるということを理解し、自分がどう行動するかということが大切です。

  今まで通りの避難を心掛けることを前提とした上で、その想定も超えることがあると認識し、一人一人が最善を尽くすしかないと思います。

 

“わが家庭事”と捉える。

 〈「前回も大丈夫だったから、今回も大丈夫」という心理に陥らないために、どのようなことを意識すればいいのでしょうか〉

  

 こうした心理は「正常性バイアス」といわれます。災害時の最大の敵は、この正常性バイアスと捉えている人も少なくありませんが、自分に降りかかる不運をあえて直視しないことは、ある意味で、人間が穏やかに生きていくために備えている機能だと思います。しかし、それを乗り越えていかないといけません。

 そこで私が着目するのは、大事な人を思う時に働く心理です。

 

 例えば、かつて子どもたちに「津波が来たら逃げるか」と聞いたところ、「おじいちゃんもおばあちゃんも逃げないから、逃げない」と答えられることがありました。それを踏まえ、今度は、そのおじいちゃん、おばあちゃんに、こういう話をしました。  

 「お孫さんたちは、皆さんの背中を見ています。いざという時、お孫さんたちの命を奪うのは、もしかしたら、皆さんの背中なのではないか」

 すると、おじいちゃん、おばあちゃんの目の色が変わりました。自分のことだったら横に置いてしまうが、孫の命がかかっていると感じ、孫と一緒に逃げようという気持ちになってくれたのです。人間は、大切な人のことを思うと、動けるようになるのです。

 私は、防災というのは、単に「あなたが逃げてください」ということを伝えるだけではだめだと思います。一人の犠牲者も出さないと決めて、家族や地域で話し合い、皆で生き残る方法を考えていく。つまり、“わが事”ではなく、“わが家庭事”“わが地域事”で捉えていく中で、実効性のあるものが生まれていくと考えています。

 

利他性こそ地域を守る鍵

家族や地域の人々を守るために必要な視点を語ってもらった。(聞き手=水呉裕一、加藤伸樹)

 〈自分の命だけでなく、家族や地域の人々の命を守るためには、全体で防災意識を高めていくことが大切だと思います。そのためにも防災教育は欠かせません〉

  

 その通りです。しかし、その防災教育は「座学」であると考えている人が多いのではないでしょうか。

 

 防災に必要な知識を教え、「分かりましたか」と聞くと、「分かりました」と言ってくれます。しかし、それで実際に行動できるようになれるかは別問題です。

 私はよく交通安全教室のことを引き合いに出しますが、「右を見て、左を見て、手を上げて横断歩道を渡りましょう」と教え、子どもたちは正直に「はい」と言ってくれます。しかし、街に出れば、大人たちは誰もやっていないので、子どもたちも次第に「やらなくていいものだ」ということを学んでしまうのです。

  それと同じで、学校でどれほど災害の恐ろしさや、災害時に逃げる大切さを教えたとしても、それを社会の中で実践している人がいるか、その学んだことを育んでいける環境があるかということの方が、より大切だと思うのです。

  だからこそ、防災教育というのは、さまざまな人たちが行動に結びつけていけるよう、10年、20年と持続的に行っていくプロジェクトでなければならないと感じます。

 

大事なのは「共感」

 〈片田特任教授が、防災教育において大切にしている点は何ですか〉

 人間は、言葉だけでは動きません。具体的な行動に結びつけていくためにも、「共感」してもらうことが大事だと感じます。

 私は2004年から10年近く、岩手県釜石市の防災教育に携わってきました。その中で、私は子どもたちに、こんな質問をしてきました。

 「家の外で大地震に遭ったとき、津波が来る前に、すぐ逃げますか」と。

 すると、彼らは「逃げる!」と元気に答えてくれます。私は、さらに尋ねます。

  「じゃあ、みんなが逃げた後、君たちのご両親は、どうするだろう?」

 その途端、子どもたちの表情が曇り、「僕たちのことを迎えに来ちゃう」と答えます。

 

 私は続けます。「そりゃそうだよ。みんなのお父さん、お母さんは自分の命よりも君たちの命の方が大事なんだから。だから、君たちが、ちゃんと『逃げる子』になることが大切だよ。それを、ご両親が信じてくれていれば、迎えに来ないよ」と。

 そこまで話をして、私は彼らに宿題を出します。両親に、自分が「逃げる子」だということを分かってくれるまで、家で語らいの場を持つというものです。

 その語らいの中で、子どもたちは両親の愛情に触れ、家族の絆を学びます。そして、自分の命を守ることが、家族の命を守ることにつながるということに気付くのです。

  そうした中、2011年に東日本大震災が起きました。釜石市でもたくさんの津波犠牲者が出てしまいました。しかし、多くの小・中学生は自らの命を守り抜くために懸命に避難し、周りの大人や高齢者などの命も守ってくれました。ここまでたくましく育ってくれた子どもたちのことを、私は誇りに思っています。

東日本大震災の際、津波は同校の校舎の屋上を超える高さだったが、児童は逃げ切り、自らの命を守り抜いた。

 

いざという時には

 〈やはり、いざという時のために、家族で語り合っておくことが重要ですね。家庭で防災の話をする際のポイントを教えてください〉

  

 ハザードマップなどを活用しながら、さまざまなシチュエーション(状況)を想定し、非常時にどう行動するかを、現実感をもって話し合うことが大切です。

 例えば、「お母さんは昼間のパート先で大地震に遭ったら、家に戻るのに10分以上はかかってしまうから、家には帰らずに近所の高台のおばさんの家に逃げるからね」とか、「学校から帰ってきた後に被災したら、隣に住んでいるおばあちゃんを連れて高台に逃げなさいね」といった話ができるかもしれません。

 こうした悲観的な話は、あまりしたくないかもしれませんが、一度でいいので、きちんと家族で話し合っておく。それがいざという時の行動に直結します。だからこそ、何より大切なのは、そうした語らいを、気付いた人、つまり“自分から始めようとする”ことです。

 

主体性を持つ大切さ

 〈各人が主体的に行動していけば、家族や地域も変わっていきますね〉

  

 最近も、主体性を持つ大切さを実感した出来事がありました。

  現在、高知県の黒潮町という地域の防災に携わっていますが、先日はこの町の防災シンポジウムで、小学5・6年の児童が「簡易トイレ」などの防災グッズの使い方を自ら学んで、地域の大人たちに説明してくれました。「大人たちは、きっと防災グッズの使い方を知らないから、僕たちが勉強して教えてあげる」と言って(笑い)。

 また、避難所開設訓練も行い、受付の場所は「ここがいいんじゃないか」「こんなことに注意しないといけないよ」などと言いながら、説明してくれました。

 子どもたちが地域のことを考えてくれたことに、その場にいた大人たちは皆、うれしそうでした。私も、自ら進んで学び、実践してくれていることが本当にうれしかった。

 実は、この黒潮町という地域は「南海トラフ巨大地震」が起きた際に34・4メートルという“日本一高い”津波が来ると、内閣府の中央防災会議が発表した町なのです。

 津波想定が出されてから、黒潮町は巨大な避難タワーを整備したり、避難路を整備したりと、できる限りの検討や対策を行いました。

 しかし、高齢者を中心に避難を諦めてしまう人が出始めてしまいました。

  ある高齢者は、このような短歌を詠みました。

 

 「大津波 来たらば共に 死んでやる 今日も息が言う 足萎え吾に」

 どんなに津波への対処を考えても、万全の対応策はなく、繰り返される避難訓練に参加しても、足腰の弱ったわが身をどうすることもできない。そんな絶望感の中で開き直るしかない心境と、息子さんの思いが込められています。

 そんな中、地元の学校では、地域と連携して防災教育を実践するとともに、子どもたちが地域の一員として高齢者を気遣う声かけをしてくれました。

 自主防災会では「地域から絶対に津波犠牲者を出さない」との決意で、高齢者に配慮した避難訓練を重ね、役場でも一軒一軒の個別避難計画を立て、避難できる手立てを一緒に考えてくれました。

 そうした中、先の高齢者は、こう詠むようになりました。

 「この命 落しはせぬと 足萎えの 我は行きたり 避難訓練」

 避難を諦めていた姿勢を大きく変え、自分を思ってくれる家族や地域の人々に感謝しながら、避難訓練に参加する姿が目に浮かびます。

 子どもたちの主体的な実践は、周囲の人の心を変え、やがては町全体の雰囲気をも変えていく。私はこの町の防災に携わる中で、地域の人々と共に生きるということが、「助かる」「助からない」という不安を超えて、むしろ喜びとなっていると感じます。

 こうした、人と人との強固なつながりこそ、災害に負けない社会を築く鍵だと思えてなりません。

高知・黒潮町の各地には、「南海トラフ巨大地震」による巨大津波を想定した避難タワーが設置されている 。

 

皆で課題に向かう

 〈そうした人々のつながりを築くために、どのようなことが必要と感じますか〉

 思い合うこと、励まし合うことだと思います。

 子どもたちを“地域の財産”“地域を担う人材”として皆で育み、高齢者に対しても「災害なんかで死んじゃだめだ」と励ます。その中で生まれる思い合う喜びを、どんな小さなことでもいいから、積み重ねていくことだと思います。

 そうすることで、いざという災害に対して、思い合う相手に意識が向き、対応を講じることができ、その中で災害弱者という言葉もなくなっていくのではないでしょうか。

 言い習わされた言葉で表現すれば、コミュニケーションなのかもしれませんが、防災の取り組みの良いところは、誰も反対する人がいないことです。皆で共通の課題に向かい合えることです。

  私が防災教育で大切にしているのも、そうした心を育む環境を整えることであり、防災で大事にしているのは「愛他性」「利他性」です。

 

心の有り様から考える

 〈「利他」の心は、私たち創価学会員も大切にしているものです〉

  

以前、創価学会の方々に、防災の話をさせていただいたことがありますが、私の話をストレートに理解していただいていると感じています。

 学会の方々の防災への思いは、私と何も変わらないと思います。

 災害や防災に関する聖教新聞の記事を読んでも、いつもぶれることなく、人の心のことを書いていますよね。

 世間では、災害が起きた際に「ここをこうすべきだった」などと、防災のあり方そのものについて語られることが多い中にあって、学会では、被災した人たちを思う気持ちや、励ます気持ち、心の通い合いにスポットを当てています。

 

 私はそうした姿勢があって、初めて防災の実効性が生まれると信じています。

 防災の実効性を先に語るのではなく、心の有り様から防災を考えるということに、私は賛成です。こうした中に、本当の意味での防災力の向上があるように感じられてなりません。

〈プロフィル〉

 かただ・としたか 1960年生まれ。東京大学大学院情報学環特任教授。日本災害情報学会会長。専門は災害情報学・災害社会工学。災害への危機管理対応、災害情報伝達、防災教育、コミュニケーション・デザイン等について研究するとともに、内閣府中央防災会議や中央教育審議会をはじめ、国や地方自治体の多数の委員会、審議会に携わり、防災行政の推進に当たる。著書に『人が死なない防災』『人に寄り添う防災』(集英社新書)など。

 

 

 

 

 


お勧め図書 「人に寄り添う防災」集英社新書  片田敏孝 氏 著 案内

2020年09月15日 09時24分56秒 | 人が死なない防災

「人に寄り添う防災」集英社新書
片田敏孝氏 著
(2020年9月22日第一刷発行)

新書 帯文より
「避難」しようと思う心を、どのように導くか?
最後は「あなた」の判断です。

「大津波 来たらば共に 死んでやる」から
「この命 落としはせぬ」へ
何がここまでの態度変容をもたらしたのか?
やはり、そこにあるのは「命を思い合う心」のような気が
します。
(中略)
避難しようとするのは、自らの命を大切だと思ってくれる
誰かがいることに気づいたときです。


尾崎洋二 コメント:

防災の第一目的は「命を守る」ことです。
ここを原点とする限り防災においてはブレが生じないと思
います。

しかし現実はどうなのか?と片田氏は疑問を提出します。

1
防災において、危機に向かいあうの社会であり、個人であり、
企業であり、「その向かい合う体質」の問題は?-P15

2
この体質のチェックなしに、リスク対策を技術だけに求めて
安全、安心をつくろうとしているのでは?-P15

3
防災は「自然対社会」の問題なのに、社会のなかの「行政
対住民」だけの話になっているのでは?-p18

4
大災害があるたびに対策を強化し続けているが、災害自体が、
温暖化によって、日々激甚化して一向に減らない状況におい
ては、対策を強化するだけでは改善できない、構造的な問題
があるのではないか?-P40

5
ハザードマップの理解を普及し、利用促進することにおいて
も、専門家の視点からの”あるべき論”に基づいて啓発活動
と行ってもあまり効果がないように感じるが?-P51

6
災害時の要配慮者対応は、行政に限界があることを理由に地
域に丸投げされ、丸投げされた地域では、それを受けきれな
いコミュニティの現状があるのではないか?-P60

7
避難とは「していただく」もの?
行政から国民へ分かりやすく説明するためのお願い文書に疑問。
-P70

8
災害情報を充実化しても、国民の意識との乖離は埋まらないの
では?-p72

9
防災において、行政は国民に対して「サービス」から「サポー
ト」という視点が必要なのでは?-p75

10
「行政が主体」となって進める「住民主体の防災」というのは
矛盾?-P84

11
なぜ私たちは行政への依存意識を脱することができないのか?
-P87

12
災害時に推奨される行動規範とはまったく違うところに人々の
心情がある。その心情を踏まえての「人は人として逃げられな
い」という一番重要なことへの思いがあるか?-P130

13
避難しない人には避難しない相応の理由があると考えて、その
理解のもとで対処する。このような姿勢が、行政にも防災研究
者などの専門家にあるのか?-p132

14
マイ・タイムラインのもとで検討した対応行動が、マニュアル
的に固定してしまっていること、その結果として、”想定外”
を頻発させていることに気づいているか?-p151

15
「正常性バイアス」を乗り越えるためのキーワードは何か?
-P155

16
「コミュニティが崩壊しているから防災ができない?」この議
論自体に疑問がある。発送の転換は?-P166

17
有効な「頑張らない避難」というのはあるのか?p-174


以上17の疑問に対して興味ある方は、ぜひこの本の購読をお勧
めします。

また片田氏については、下記のように私のブログで案内してい
ますので、ぜひ参照ください。


お薦め図書-「人が死なない防災」片田 敏孝 氏著
https://blog.goo.ne.jp/bousai-shi/e/3f7fef126573e7fea2974518d7c629df

人が死なない防災-東日本大震災を踏まえて:片田敏孝氏の防災教育
https://blog.goo.ne.jp/bousai-shi/e/776a4958bc79e24047b3f300bebda37c

なぜ人は避難しないのか?人が死なない防災2- 片田 敏孝氏
https://blog.goo.ne.jp/bousai-shi/e/e610b4f7353c95c56decf550a28ac038

「命を守る教育-3.11からの教訓」片田 敏孝氏:家族で、地域で、学校で、
そして行政でという連携が必須
https://blog.goo.ne.jp/bousai-shi/e/343ad657c07157559cf2319e4c40b580


*片田 敏孝 様へ 新規発行の著書を「謹呈」という形で送付いた
だいたことに深く感謝申し上げます。
今後ともご教示よろしくお願いいたします。

豪雨災害から施設の高齢者どう守るか?鍵屋一・跡見学園女子大学教授に聞く

2020年07月28日 13時08分20秒 | 人が死なない防災
豪雨災害から施設の高齢者どう守るか?鍵屋一・跡見学園女子大学教授に聞く

尾崎洋二 コメント:14名の方が犠牲になられた「千寿園」の方では、避難確保計画を作り、地域住民の方々の支援を得ての避難訓練も実施していました。

早め早めの避難を期待していましたが、気象庁が氾濫発生の約5時間前に「100年に1度」レベルの水位上昇を予測していたのに、洪水予報に反映されていなかったことが7月27日、分かりました。

気象庁の予測が活用されなかったのは、国交省と共同で発表する大河川を対象にした「指定河川洪水予報」に、気象庁の流域雨量指数が反映されていないということです。

国交省幹部は「大河川では水位の実測値に基づく確度の高い情報を出しており、アプローチが異なる。気象庁の指数はあくまでバーチャルな数字であり、必ずしも確度が高いとは言えない」と説明しています。

早めの避難を重視、するなら気象庁の情報を「たとえ空振り」でも採用し、早期避難していたらと思います。
そして残念ながら、7月26日に事業継続を断念し、職員のほぼ全員を解雇することが分かりました。

これだけの犠牲者が出たのは、温暖化により、洪水の危険度が倍以上になっているかと思われます。

今回のことで、浸水想定区域付近にある日本の多くの高齢者施設のことが、心配になってきます。高齢者施設においては、ぜひ想定外の災害も考慮した実効性ある避難確保計画を作り、地域住民と共に夜間避難やライフラインが途絶えた状況なども想定した訓練を実施していただきたいと願います。

また「危険区域に多くの高齢者施設がある現状を国全体の問題として捉え、施設移転への具体的な支援策など、早急な対応を検討する必要がある」という鍵屋一さんのアドバイスはぜひ全国の自治体に伝わって欲しいと思います。

-----------------------以下 2020/07/28 公明新聞--------------------------------

 九州に甚大な被害をもたらした記録的な豪雨で河川が氾濫し、熊本県球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」の入居者14人が犠牲になった。高齢者施設の被災は過去にも繰り返され【表参照】、法改正などで避難態勢が見直されてきた。それでもなぜ、こうした事態が後を絶たないのか。入所者の命を守る避難のあり方とは。福祉防災に詳しい鍵屋一・跡見学園女子大学教授に聞いた。

■避難計画の実効性高めよ
 1――実際に熊本県内の被災地を巡った受け止めを。
 鍵屋一教授 私は、18~20日で被害が大きかった人吉市と球磨村、芦北町を中心に、福祉施設に支援物資を届けて回った。新型コロナウイルスの影響で、県外ボランティアなどの支援者が制限されているため、被災家屋などの片付けが全然進んでいなかった。
 千寿園にも伺ったが、まずは立地を確認して、まさかここが被災するのかと衝撃を受けた。過去に被災した施設とは違い、見た目には立地が悪い場所とは思えなかった。
 確かに、浸水被害が多い常襲地帯であり、ハザードマップ(災害予測地図)上でも浸水想定区域にあるが、ここが被災するのならば、日本の多くの高齢者施設は、本当にいつ被災してもおかしくないと痛感した。

 2――千寿園は避難確保計画を作り、避難訓練も実施していたが被害を防げなかった。
 鍵屋 2017年の法改正で、浸水想定区域にある福祉施設などに対し、避難先や移動方法をまとめた避難確保計画の作成と訓練の実施を義務付けた。千寿園はまさに、熱心に取り組んでいたわけだ。
 今回は明け方の被災で、特に人手が少なく避難には都合の悪い時間帯だった。被災の要因は詳しい検証が必要だ。とはいえ、日ごろの避難訓練と連携があって、地域住民らの協力を得て多くの入所者を施設内で高い場所に逃がす垂直避難をさせている。事前の備えがなければ、もっと被害は拡大していたのではないだろうか。
 早めに高台に避難すれば、という考えもあろうが、自力での避難が難しい高齢者や障がい者となると一筋縄ではいかない。施設外への避難は、認知症の方などであれば、なおさら精神状態が不安定になりやすい。施設職員から見れば、雨の中で高台の空き地に避難するよりも、できれば避難しない、動かしたくないという意識が働くのは当然だ。今後は、関係者が浸水リスクを深く理解し、避難しやすい条件を一緒に考え、計画に反映することが大切だ。

■自治体の本気度がカギ
 3――避難確保計画の作成は、今年1月時点で全体の45%にとどまっている。
 鍵屋 私はむしろ、思った以上に進んでいると受け止めている。それなりの危機感が表れているのではないか。
 施設側の意欲とともに、自治体がどれほど熱心に計画作成を促したかが大切で、自治体の本気度も試されている。実際は、計画作成の講習会や個別相談を行うなど手間のかかる作業が必要だが、計画作りは地域の連携が不可欠だ。地道に取り組んでいる地域では、水害時でも安全な避難につなげている事例が多い。

■地域住民と共同で訓練を/福祉サービス継続の視点も
 4――被害を繰り返さないために必要な備えとは。
 鍵屋 高齢者施設は、地価が安いなどの理由で浸水想定区域内に建つケースも多いと聞く。まずは、ハザードマップを確認し、災害リスクの高い区域であれば、想定外の災害も考慮した実効性ある避難確保計画を作り、地域住民と共に夜間避難やライフラインが途絶えた状況なども想定した訓練を実施することだ。政府は、22年3月までの作成率100%をめざしているが、それを達成すべきだ。
 現時点で計画を作れていないなら、簡易な計画でもいいので、どの防災情報が出た段階で避難するか、危険が迫る地域の状況をどう把握するかなどを決めておくことだ。そして、安全な場所に避難する方法や垂直避難ができる体制も含めて、地域住民への協力の呼び掛け方なども自治会長らと相談して決めてほしい。

5――BCP(事業継続計画)の視点も必要。
 また、高齢者施設は避難後も福祉サービスの継続が求められる。災害関連死につながる恐れがあるからだ。厚生労働省も推奨するBCP(事業継続計画)の作成が重要で、施設が使用不能になった際の代替施設も想定するべきだ。
 三重県伊賀市では、社会福祉法人の間で相互支援協定を結び、災害時には別の安全な施設へ避難できるようにしている。自治体や同じ法人間などあらゆる形があるが、打開策として参考になるはずだ。

6――最終的には立地の問題を解決を
 最終的には立地の問題を解決せねばならない。先の国会で、津波や土砂災害の危険度が高い区域に建物を新設する際の規制を強化する、都市再生特別措置法などが成立したのは、その一歩となろう。
 危険区域に多くの高齢者施設がある現状を国全体の問題として捉え、施設移転への具体的な支援策など、早急な対応を検討する必要がある。

 かぎや・はじめ 1956年、秋田県男鹿市生まれ。京都大学博士(情報学)。東京都板橋区役所で福祉部長、危機管理担当部長などを務め、2015年4月から現職。一般社団法人福祉防災コミュニティ協会代表理事。著書に『ひな型でつくる福祉防災計画』など。




災害関連死-将来への遺訓 在間 文康 氏

2019年08月02日 08時41分00秒 | 人が死なない防災

災害関連死-将来への遺訓

在間 文康 氏-いわて三陸ひまわり基金法律事務所 所長

1-    あらゆる事案には、その死を防ぐための手掛かりが残されている。

2-    被災後に苦しみ,無念にも命を落とされた方々の最後の声であり、将来の災害で同じ犠牲を生まないための遺訓が込められている。

3-    被災者は多種多様、千差万別。

4-    事例を集積し、分析、公表を!

尾崎洋二コメント:日本弁護士連合会の「災害関連死の事例の集積、分析、公表を求める意見書」(2018年8月23日)の中から「過去の災害における災害関連死者数」が以下のようにまとめられています。 

「阪神・淡路大震災」兵庫県の死者6,402人のうち災害関連死は919人(約14.3%)

「新潟県中越地震地震」死者68人のうち災害関連死は52人(約76.4%)

「東日本大震災」死者1万9630人のうち災害関連死は3676人(約18.7%)

「熊本地震」死者267人のうち災害関連死は212人(約79.4%)

いずれも2018年4月現在

 

 災害から辛くも逃げ延びたとしても、その後に生きることが叶わなかった人がこんなにも多く、そして大きな割合でいることに、私はびっくりしました。

 東日本大震災における復興庁の存続延期を望むと共に、この災害関連死対策もぜひ重要な存続した復興庁の役割としてあって欲しいと思いました。

 

また政治家の方々には、徹底して寄り添うべき問題として、「災害から命を守る」という政治的課題として、超党派で取り組んでいただきたいと思います。

 

---------以下 聖教新聞8月1日2019年要点抜粋箇条書き------------------

在間さんの東日本大震災・被災者支援活動の中での忘れられない事案。
Aさん(男性・津波で自営店舗喪失→収入の一切が絶たれた)

1-    店舗の早期開催を目指したが、被災した市内での用地を確保することはままならず、時間だけが経過していった。

2-    焦り、不安などのストレスから、不眠に陥り、持病の高血圧症も急激に悪化。

3-    震災から9か月後、心筋梗塞が原因で死亡。

4-    Aさんの妻は、「災害関連死」に当たるのではないかと考え、災害弔慰金の申請を行った。(尾崎 注:災害弔慰金-生計維持者が死亡した場合500万円)

5-    市からは、Aさんは震災前から既往症があったなどの理由で申請却下。

6-    妻は訴訟を提起

7-    訴訟では、既往症があったとしても、震災によるストレスがそれを悪化させ、死につながったとの裁判所の判断が下され、最初の申請から約3年を経て、災害関連死と認められた。 

 

各自治体に設置された審査会において判断される災害関連性の判断のばらつき防止対策は?

1-    統一基準が策定されるべきであるという声もあるが、遺族の申請の支援の他、自治体の審査会の委員として審査に携わった経験のある私は、その見解には違和感がある。

2-    災害の種類や規模、地域によって被災者が受ける影響は千差万別である。

3-    個々の事案ごとに、死因や災害前後の生活状況、災害で生じた被害など、災害から死亡に至る経緯は多種多様で、同一の案件は一つもない。

4-    この災害関連死の特性を無視して、安易に基準を策定し、個々の事案に当てはめようとすると、かえって、実態に即さない不当な認定結果を導く恐れが強い。

5-    審査基準を設けるのであれば、少なくとも、過去の災害関連死の事例が十分に分析され、その結果を基にして策定されなければならないが、これまでに、過去の災害関連死の事例の分析は、ほとんど行われていない。

6-    災害関連死の事例は、災害弔慰金の支給主体である自治体が保有しており、これまで、国で統一的に収集されておらず、十分な分析もされていない。

7-    災害関連死の事例を集積し、分析していくことは、極めて重要であり、それを縦断的、横断的に行うことができるのは国をおいて他にない。

8-    日本弁護士連合会は、2018年に、「災害関連死の事例を集積、分析、公表を求める意見書」発出(はっしゅつ)し、事例の分析を実効的に行うために、調査機関を設置すること等を提言したが、国は今のところ、その動きは見られない。

 

 


警報が空振りに終わるのを恐れてはいけません。オオカミ少年になってもいい。鐘ヶ江管一(元島原市長)さん

2019年06月05日 10時30分38秒 | 人が死なない防災

尾崎洋二コメント:行政に頼るのでなく、すべての人々が勇気をもって、良き見本になっていただきたいと思います。警報が空振りに終わるのを恐れず、皆を避難に誘いだすオオカミ少年になって欲しいです。そうでなければ、今年6月から実施される5段階の大雨警戒レベルの導入は、「果たして、政府が目標に掲げた“逃げ遅れゼロ”に効果を出せるのか?」という重要な疑問が残ったままになります。

----------------------------------------------------------------

「オオカミ少年になってもいい。危ないと思ったら早く警報を出しなさい。

警報を出して被害が出なければ、“何もなくて良かった”と思えばいい。

被害が出てからでは手遅れです。

警報が空振りに終わるのを恐れてはいけません。」

災害の教訓を次代へ-雲仙・普賢岳の火砕流参事から28年

鐘ヶ江管一(元島原市長)さん談

聖教新聞6月4日2019年  要点抜粋箇条書き

 

生涯、43人の命の重みを背負う

1990年11月17日、雲仙・普賢岳は198年ぶりに噴火した。

噴火は約5年間続いた。

発生した火砕流は9,400回余り。雨が降るたびに大量に降り積もった火山灰などが土石流となって町襲った。

噴火開始から2年間、鐘ヶ江管一さんは被災現地の指揮官として災害対策の陣頭指揮を執った。

大火砕流参事が起きたのは1991年6月3日。

消防団員12人、県警機動隊2人、マスコミ関係者16人、タクシー運転手4人、外国人科学者3人、住民6人(うち3人は行方不明)、合計43人が犠牲となった。

43人が火砕流に巻き込まれた場所は「危険だから入らないでください」と告知していた、避難勧告地域でした。

避難勧告は公的なルールです。

マスコミだから入っていいとか、学者だから入っていいといった区別はありません。

消防団の12人は、マスコミが避難住民の留守宅の電気や電話を無断で使用したことが判明したため、地域内を警備していました。

消防団は地域住民の生命や財産を守るための組織です。

団員は団長が任命し、団長は市長が任命します。

消防団員とは長い付き合いがありました。

皆、地域の将来を支える大切な人材ばかりでした。

消防団員の遺体が運びこまれてきた時、思わず、変わり果てた姿にすがりついて、人目もはばからず泣きました。

「熱かったろう(あつかっただろう)?熱かったろう?」

本当につらかったと思います。

代われるものなら代わってあげたかった。 

災害の事実を報道することは、マスコミが果たすべき使命だと思います。

しかし、「社会の公器」たるべきマスコミだからこそ、守るべきことがあるのではないでしょうか。

タクシーの運転手4人も、マスコミを送迎していた皆さんでした。

私は偶然、生き残りました。

多くの方々の安全・安心のために命懸けで働くために生かされたと思っています。

この思いを、43人の命の重みを、私がこの世を去る日まで、ずっと背負って生きていきます。

あの日以来、犠牲になられた43人のご冥福を毎朝、お祈りしています。

欠かしたことは一日もありません。

 

人ごとではなく自分事として捉える

日本は自然災害が起こりやすい国土です。

自分事として捉えることが防災・減災の第一歩です。自分の地域が災害に襲われたらと想像し、備えを怠ってはいけません。

災害は非常事態です。

その時その時にきちんと判断し、決断しなければ、物事は前へ進みません。

先手、先手で、手を打ち続けなければなりません。

私は行政関係者に言い続けています。

「オオカミ少年になってもいい。危ないと思ったら早く警報を出しなさい。

警報を出して被害が出なければ、“何もなくて良かった”と思えばいい。

被害が出てからでは手遅れです。

警報が空振りに終わるのを恐れてはいけません」と。

大火砕流参事から28年がたちました。

災害の記憶の風化が進み、災害を知らない世代が増えています。

災害の教訓を次代へつなげ、将来、起こるであろう災害からの被害を最小限に食い止めなければいけません。

それが犠牲者への供養でもあります。

 

 

 

 

 


なぜ人は避難しないのか?人が死なない防災2- 片田 敏孝 

2019年04月24日 12時37分48秒 | 人が死なない防災

「人が死なない防災」2-なぜ人は避難しないのか?-東日本大震災を踏まえて
片田 敏孝 著-集英社新書(¥760)

 尾崎コメント
 南海トラフ巨大地震に備えて、「津波避難困難地域」解消のため、和歌山県田辺市では津波避難タワーを総事業費は2億323万円で建設(2019年4月20日落成式)しました。

 このような動きは他の地域にもあることと思います。またもっとあって欲しいとも思います。
 
 しかしながら、本当に皆が全員避難してくれるのか?という素朴な疑問が私にはあります。

   いざ!という時本当に全員が避難して欲しいと願います。

 全員が避難するためにハード面だけではなくソフト面をどのような姿勢で充実されているか(避難訓練などの実例)をぜひ知りたいと思いました。
 
 片田 敏孝氏の「なぜ人は避難しないのか?3章」と「求められる内発的な自助・共助 4章」は全員避難=犠牲者ゼロに向けてとても重要です。

------3章 なぜ人は避難しないのか?--要点抜粋箇条書き--------

2003年の地震で、気仙沼市では震度5強を観測。P174

 地震発生から12分後に「潮位の変化はあるが津波被害のおそれなし」のみが発表された。

 その12分間は、津波が来るかどうか、避難すべきかどうか、それに関してまったく情報がなかった空白の時間でした。

 しかし、1993年の北海道南西沖地震では、地震発生からわずか5分で奥尻島にお津波が到達しています。

 このような事例をふあえると、情報がないにせよ、万一津波が襲来した場合に備えてすぐさま避難すべき状況であったと思います。

 住民に「あなたは逃げましたか」と聞くと、8.1%が「逃げた」と答えました。
 ところが、その半分は津波とはまったく関係ない避難行動です。

 津波の避難というのは、海を背にして高いところに向かって、一直線に逃げていくことですが、それを意識した人はこの8.1%のうちおよそ2割。
 したがって、津波からの避難率は約1.7%ということになるわけです。

 

人間は死を前提にものを考えない p176

 津波が来るという認識をもっていたにもかかわらず、「身に危険が及ぶと思った」が11%,
「危険が及ぶ可能性が高いと思った」が18%。

 合わせて3割の人しか自分の命の危険を感じていないのです。

 これは、よくいわれるところの「正常化の偏見」という心理特性で、人間を行動に移せない、非常に基本的な要因の一つです。


 人間は、死ぬということを前提にものを考えることはできないのです。

 例えば避難勧告が出た場合、「自分は死ぬかもしれないから逃げる」という発想に至る人はほぼいません。


「認知不協和」p184

 住民が逃げなかった理由は、もう一点、「認知不協和」ということがあります。
 簡単に言い換えると、「わかちゃいるけど・・・」ということです。

 避難率1.7%という数字をあらためて考えてみると、それは「逃げない」という意思決定をしていたわけではなくて、「逃げる」という意思決定ができずにいたのだ、と考えるべきだろうと思います。

 「逃げないぞ」と腹をくくっているわけでなくて、「逃げる」という決心ができなかった。
   そういう不安の中で情報収集に走る。

 逃げていない自分を正当化することもできる。
 そして結局「逃げない」ことが定常化してしまった。

 さらにいえば、「隣も逃げていないから、ウチも逃げない」という場合、隣とウチは相互監視状態にありますから、不安な心理の中で均衡状態のようなものができあがって、しかも悪い方に均衡してしまう。
 この状態は非常に危険です。


「率先避難者」の必要性 p186

 逃げた人、逃げなかった人を問わず、「どういう状態だったら逃げたか」という設問。

64.1%=近所の人たちが避難しているのを見たならば私も逃げました。

73.1%=町内会役員や近所の人が「逃げるぞ」と声をかけてくれたら私も逃 げました。

 つまり、「あなたが逃げないから私も逃げない」という不安の中で、誰か一人が率先して避難をしたら、もしくは「逃げるぞ、逃げるぞ」と声をかけて避難をしていったら、行動を起こすだろうということです。
 
 ほとんどの人は、そこまでしても逃げないというほど図太くない、ということでもあるだろうと思います。

 自主防災組織の方にお願いすることがあります。
 自主防災の機能に追加してほしいのは、被災した後に助け合うということのみならず、その地域の人たちが災害で死なないようにするための活動です。

 そのためには、この事例からもわかるように「率先避難者」という役割をつくってほしいのです。


備えない自分、逃げない自分を知ることが備えの第一歩 p198

 人というものは、基本的に避難できないのが素であって、避難という行為はきわめて高度な理性的行為といえるでしょう。

 災害に備えるためには、そして、災害に強い住民であるためには、まず災害に接した自分が逃げようとしないことを自分自身が理解していることが重要でり、そのうえで、それを押して行動に移る理性が必要なのです。

 従来の防災教育では、繰り返し、災害への備えの必要性を説き、いざというときに避難するように呼びかけてきました。
 しかし、単にこのような呼びかけを繰り返してもその効果は疑わしいといわざるを得ません。

 今必要なのは、それであっても災害に備えない人の心理を住民自身に理解してもらうこと、その理解がないまま現状の姿勢である続ける限り、自分や将来の世代のどこかで大きな被害にあってしまうことを理解してもらうことであろうと思います。
 


------4章 求められる内発的な自助・共助--水害避難を事例に------

避難勧告が出せない事例 p202

「これまでの安全は、これからの安全を保障することでもなんでもない」
まず、これを深く心に刻んでおかなくてはなりません。

 なぜなら、もうすでに気象が変わってきているからです。
 地球温暖化により気象災害の様相は激化しています。

 これまでの優しい雨の傾向と、これからの雨の降り方は全然違うということを念頭に置いたうえで、これからの防災のあり方を考えてみましょう。

 はっきり言うならば、日本の防災が立ち行かなくなっています。
 これまでの傾向の中でできていた防災の仕組みが、これだけの台風や気象の激化の中では、もう成り立たないのです。

 行政からの情報(避難勧告、赤色灯、看板等)に委ねて災害対応を行う体制そのものの問題点を、指摘している事例。
 都賀川の水難事故:2008年7月28日:全長1790メートル(どこにでもある小さな川)
 10分間に12ミリの雨(一時間雨量換算約120ミリ)が降った。
 平時の水位のところに鉄砲水が来て、その高さが1.3となった。
 ゲリラ豪雨。
 52人が避難したり救助されたが、子どもを含む5人が犠牲となった。


三種類の避難 p210

 1-緊急避難(エバキュエーション:evacuation)
  命からがらの避難。

 2-滞在避難(シェルタリング:sheltering)
  体育館などの避難所で一時生活すること。

 3-難民避難(レフュージ:refuge)
  避難をしたが、家に戻れないので仮設住宅で生活しているような状態。
  これは本来、難民生活というべきですが、日本では避難生活という語で済ませています。

 行政が対応できるのは滞在避難と難民避難です。
 これはしっかりやるべきです。
 
 しかし緊急避難、エバキュエーションについては、個人個人みんな条件が違いますから、その主体を国民に返していくべきではないかと私は考えているのです。 p211

 もっと大本から考えると、日本の防災は、個々の住民が自分の命を自分で守る意識と、災いを避けて通る知恵をもてるような方向へ進めていかなければならないということです。
 そういう思いを、私は強くもっています。 p217


人為的に高める安全は、人間の脆弱性を高める p220

 人口1億人のうち自然災害で数千人が亡くなることはシステムエラーです。
 しかし、1億人のうち100人なくなることはシステムエラーではなく事故です。

 (1959年の伊勢湾台風までは数千人の自然災害死亡災害が多発。災害対策基本法が1961年に施行され、堤防や砂防ダムなどの整備対策や情報伝達対策などが実施されたため、1962年以降は大震災を除けば、自然災害で数千人亡くなることはなくなりました。
その後自然災害では年間100人前後まで死者数を減らすことができました-尾崎コメント)

 年間100名の死亡事故という領域になったときに、行政ができることには限度があるのです。
 そこでさらに数を減らそうと思ったら、行政ではなく国民自身がやるべきことが出てくるわけです。

 日本の防災はそういう領域に来ていると思います。
 それにもかかわらず。これまでと同じように、災害対策基本法に基づく行政主導の枠組みの中で進めようとしているところに限界があるのです。p221

 災害対策法のもと、50年にわたって「行政が行う防災」が進められた結果、このような日本の防災文化が定着してしまっている。
 防災に対して過剰な行政依存、情報依存の状態にある。

 自分の命の安全を全部行政に委ねる。いわば、住民は「災害過保護」という状態にあるのです。
 これがわが国の防災における最大の問題なのです。


「内発的自助」とは p225

 自助には二つあると思います。
 一つは、仕方なく自助、受け身の自助です。
 本来ならば行政が行うべきなのに、できないから仕方なく自助。
 完全に受け身です。

 これに対して、主体的な自助というものがあるのです。
 親として家族を守りたい。
 地域の若者としてみんなで安全を守り抜きたい、そのような内なる沸々と湧いてくるような自助のことです。

 この違いは、非常に重要だと私は思っています。
 これはまったくの精神論ですが、これからの住民や地域の災害対応を根底から変えるものです。

 いま、あらためて自助のあり方を問いたいと思います。
 なんでも行政に情報をもらって逃げるという仕組みそのもの、姿勢そのものが間違っているのです。

 もちろん、住民の命を守るという公共の福祉に対してできる限りのサービスをすることは、行政のやるべきことでしょう。
 そして「逃げどきマップ」のような役立つ情報をどんどん流す。
 つまり主体的な気持ちをサポートするような情報を提供することも必要です。

 しかし、情報を出すからこれに従って逃げてください、ということではだめだと思います。
 それは情報の内容の問題ではありません。
 姿勢の問題であり、行政と住民の関係構造の問題です。p226


おわりに p237

 長年進められてきた行政主体の防災に国民は頼りきっており、自分の命でありながら、
それを守るのは行政の責任とまで言いきる国民が多いのが現状である。

 このままの姿勢で「その時」を迎えるなら、「役所のせいだ!」と言いながら命を落とす事態になりかねない。

 こうした姿勢の根底にあるのは、責任を他者に求める意識である。
 それを改めなければ、命を守る主体性は醸成されない。

 また人には危機を知らせる情報を正当に感じ取れない心理特性や、死をあえて意識しないからこそ幸せに暮らせるという側面がある。

 したがって、避難をはじめとした災害対応行動とは、きわめて理性的に自らを律する行為なのである。

 それだけに、一朝一夕に国民の災害対応行動を適正化することは難しいといえよう。
 だからこそ私は、学校における防災教育の重要性を主張するのである。

 柔軟な子どもたちの教育課程に防災教育を組み込むことがもたらす効果は、単に防災面にとどまらない。
 何事にも主体的に取り組む姿勢を醸成することによって、多方面に影響を与えることにもなろう。

 東日本大震災で、無念のなかで亡くなった人たちの死を無駄にしないためにも、日本の防災は大きく変わらなければならない。

 

 

 
 

 

 
 
 


 
 
 

 

 

 


人が死なない防災-東日本大震災を踏まえて:片田敏孝氏の防災教育

2019年04月23日 08時45分31秒 | 人が死なない防災

尾崎洋二コメント
 防災の第一目的は、「災害ごときで人が死なない」ことです、という片田氏の主張に大賛成です。

 東日本大震災のとき、「釜石市内の14の小中学校、約3000人の子どもたちが、あの大地震、大津波から生き抜いてくれた」ということを、ただ単に「奇跡」とするのは間違いと私は思います。

 奇跡でなく、普段の「脅しや知識ではない」本質的な片田敏孝氏の防災教育の結果だと思います。

 片田敏孝氏の防災教育に全面的に支援して、訓練してくれた先生方と、協力してくれた親たちと、子どもたちの努力の結果です。

 南海トラフ地震発生の可能性(32万人の死亡者が予想されています)が高いといわれいます。

 ぜひこの本を参考に南海トラフ地域の方々は、子どもたちや災害要援護者の命を守るため、「災害ごときで人を死なせない」真の防災に取り組んでいただければと願います。

 またこの著書を気に入られて方はぜひ、片田敏孝氏の「子どもたちに”生き抜く力”」を-釜石の事例に学ぶ津波防災教育:フレーベル館 2012年2月出版(¥1200)を読んでみてください。

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人が死なない防災-東日本大震災を踏まえて
片田 敏孝 著-集英社新書(¥760)

------上記--序章と1章--要点抜粋箇条書き--------

はじめに(序章)

 子供たちの懸命な避難を導いたのは、釜石の小中学校の先生方である。
 津波警報が出ても避難しないことが常態化した家庭や社会に育つ子どもたちが、
このまま「その時」を迎えたらどうなるのか、という私の問いかけに、先生方は
防災教育の必要性を感じ取ってくださった。

 子どもは、与えられた環境の下で自らの常識や行動規範を形成する。
 そして、避難しない環境の育った子どもたちを、いつの日か必ず襲う。
 先生方はその事実に気づかれたのである。

 東日本大震災を経て、今の日本の防災に求められることは、人が死なない防災
を推進することであり、それこそが、防災のファーストプライオリティだと考える。
 この考えに立つとき、完璧ではないにせよ、ひとつの成果を示した釜石の防災教育
は、日本の防災に重要な視座を与えてくれる。


第一章 人が死なない防災-東日本大震災を踏まえて

1-「安全な場所」はどこにもない

台風の巨大化 p26

 ゲリラ豪雨よりもはるかに心配なのが、台風に伴う広域的な大雨です。
これは、台風の巨大化によってもたらされます。
地球温暖化が進むと、ゲリラ豪雨が多くなると同時に、台風が巨大化するといわ
れています。

 かっては「台風銀座」といわれた九州~四国~紀伊半島のあたりは、もはや台風銀座
ではなくなりつつあります。
 これからの台風銀座は、紀伊半島から関東にかけてになってくるだろうと思われます。

 このように、台風の巨大化ひとつをとっても、いわゆる「安全神話」を一刻も早く捨
てて「想定外」に備えなくてはならないことが理解できます。

 災いは、絵空事ではなく、着実に近づいてきています。


2-釜石の子どもたちの主体的行動に学ぶ

津波は「海からの大洪水」 p30

東日本大震災における震源地は宮城県沖ですが、要は、三陸沖から茨城県沖にかけて、
南北約500キロ、幅約200キロにわたって震源域が形成されたわけです。
 
 揺れが非常に長く続いたのは、いっぺんにバーンと破壊したわけではなく、約500キロもの広い範囲が、徐々に破壊されていったからです。

 それに要した時間が、約200秒。
 ということは、3分以上です。
 つまり地震がそのくらい長く続いたということです。

 そして、こんなにも広い領域で海底地盤が持ち上がったために、その上にある海水も、すべて持ち上げられた。
 その水がそのまま陸地になだれ込んできたのが、今回の津波ということになります。

 実際に海水面が一気に10メートルぐらい上がるわけです。
 そして、水位が上がった状態のまま、陸地に流れ込んでくる。
 いわば、「海からの大洪水」というイメージです。


「その時」の釜石 p33

 地震が起きたとき、釜石小学校は、自宅に子どもたちを全部帰していました。
 つまり、ほとんどの生徒が濁流に呑み込まれた地域に帰っていたわけです。
 ある者は海に釣りに行っていたり、またある者は家にいたり、公園で遊んでいたり。
 そんな状況の中で釜石小学校の生徒は一人も亡くなっていません。
 ほかにも、釜石市内の14の小中学校、約3000人の子どもたちが、あの大地震、
大津波から生き抜いてくれたのです。

 
大津波は「想定外」ではなかった。 p35

 想定外という言葉の裏側には、「想定外だから仕方がない」というニュアンスが隠さ
れているように思えてなりません。
 果たして、想定外で片づけていいのだろうか。
 私はそうは思えません。

 一般にいう防災とは、ひと言でいえば、「防御の目標を置く」ということです。
 これくらいまでの規模の災害からは守ろうよ、という目標を置くわけです。

 津波防災の場合は、「確かな記録に残る最大級の津波」を指標にします。
 三陸地域では、明治三陸津波(津波の高さ15メートル)を想定して防災を推進して
きました。
 住民が全滅するような大津波を「想定」していたわけですから、それはすごい防災です。
 
 
「災害保護」状態の住民 p45

 昔は小さな水害があったおかげで、「あそこの一部は水によく浸かるところだ」とか、「あそこの川はあの辺りが危ないから、家は建てないほうがいい」といったような、災いに備える知恵を住民たちが共有していました。
 さらに、小規模の水害ですから、住民みんなで力を合わせて土嚢を積めば、なんとか
防ぐことができた。
 みんなで水防に出て、土嚢を積んで、みんなで地域を守るというような共同体意識や
連帯意識があったのです。

 やがて、100年確率の治水で、立派な堤防が完成します。
 そのおかげで、本当にありがたいことに水害のほとんどはなくなった。
 しかしその一方で、住民たちは災いに備える知恵を失い、そして地域の連帯意識を失
い、いつの間にか水害に対して無防備になってしまった。
 そこに襲いかかるのが、100年確率を超える規模の災害、つまり防災における「
想定外」の災害なのです。

 東日本大震災も、まさしく、そのような状況の中で起こったわけです。
 大きな防潮堤ができたことによって、田老では逃げなかった住民がいた。
 釜石でも、ここは安心できる地だと思った住民がいた。
 そして逃げなかった。
 そこに想定を超える津波が来たのです。

 田老や釜石など東日本大震災で被災した地域は、「想定外」だたったから被害を受け
たわけではありません。
 また、「想定が甘かった」わけでもありません。
 そうではなくて、「想定にとらわれすぎた」のです。

 東日本大震災によって顕在化したのは、防災というものがはらむ裏側の問題です。
 それは防災が進むことによって、社会と人間の脆弱性が増し、住民を「災害過保護」
ともいうべき状態にしてしまうという問題にほかなりません。

 3月11日に襲ってきた津波は、(釜石市)のハザードマップの「想定」をはるかに
超えるものでした。 
 その結果、亡くなってしまったのが浸水想定区域の外側にいた方々です。
 まさに「想定にとらわれすぎた」がゆえの悲劇だと思うのです。

 このような問題をどう解決していくのか。
 どう理解を正していくのか。
 これが防災教育を行っていくうえでいちばん重要なポイントであると、私は考えています。
 現在の日本の防災が陥っている、最も根深いジレンマがここにあるからです。


自らの命を守ることに主体的たれ p51

我々は災害にどう対応すべきなのか。それは、「大いなる自然の営みに畏敬の念をもち、行政に委ねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」ということに尽きると思います。

 自然は我々に大きな恵みを与えるとともに、時に大きな災いをもたらします。
 それは、行政が想定した規模を超え、人為的に造りだした防御施設をはるかにしのぐ大きさで襲いかかることも当然あり得ます。
 そこから自らの身を守るためには、災いから逃れること、すなわり避難することしかない。
 しかし現状は、行政主導で邁進してきた防災の中で、住民には「防災は行政がやるもの」との認識が根付いており、そのような認識のもとで、住民は災害に対する安全性を行政に過剰なまでに依存し、そして自らの命までも委ねてしまっている状態にあるのです。

 自然が時にその営みの中でもたらす大いなる災いから身を守るためには、自らがそうした自然の営みの中に生きる一構成員であることを自覚するとともに、人為的に与えられた想定にとらわれることなく、また自らの命を行政に委ねることなく、主体的にそのときの状況下で最善を尽くすこと以外にありません。

 
避難の三原則 p60

その1「想定にとらわれるな」

 ハザードマップではこうなっているけれど、だからといって「必ず安全」というわけではない。これは一つの例にすぎなくて、このとおりにならない可能性も考えておかなくてはならない。
 ハザードマップを配り、それを否定するという一連の流れを通して、「想定」にとらわれてる自分に気づく。
 さらに、「次の津波はここまで」という固定観念をもってしまっている自分に気づく。
 そういう自分に気づかせるためにも、この「想定を信じるな」という教えがあります。


 その2「いかなる状況においても最善を尽くせ」 p63

 「この次来る津波がどのようなものかはわからない。
 しかし、どのような状況下においても、君にできることは最善を尽くすこと以外にない。」

 
 「最善を尽くせ。
 しかし、それでも君は死ぬかもしれない。
 でも、それは仕方がない。
 なぜならば、最善というのは、それ以上の対応ができないということだ。
 それ以上のことができないから、最善というんだ。
 精いっぱいやることをやっても、その君の力をしのぐような大きな自然の力があれば、死んでしまう。
 それが自然の摂理なんだ。」


 正直、ここまで述べた上記二つの教え方は、学校の先生方には評判が良くありませんでした。でも、今は自信をもって「こう教えることが正しい。間違いない」と思っています。
 なぜなら、釜石の子どもたちの行動が、それを示してくれたからです。

 
 
 その3「率先避難者たれ」 p73

 
 「人を助けるためには、まず自分が生きていなければどういにもならない。だから躊躇なく、まず自分の命を守り抜くんだ。」

 子どもたちは、「先生、自分だけ逃げていいの?自分だけ助かっていいの?」と聞いてきます。
 やはり、子どもたちの倫理観にも影響するわけです。 

 それでも私は、「いいんだ。君が逃げることが、周りの多くの人たちを救うことになるんだから」と説得しました。


 「人間っていうのは元来逃げられないんだ。みんなが『大丈夫だよな』といいながらその場にとどまっていると全員が死んでしまう。

 だから最初に逃げるっていうのはすごく大事なこと。
 だけど、これが難しいんだ。

 考えてみよう。
 非常ベルが鳴って最初に飛び出すのって、カッコ悪いだろ。

 だいたいが誤報だからね。
 戻ってきたら、みんなに冷やかされる。

 そんなことを考えると、逃げたくなるよね。

 でも、本当に災害が起こったとき、みんなが同じことを考えて逃げないでいると、みんなが同じように死んでしまう。

 だから、君は率先避難者にならなくてはいけない。

 人間には『集団同調』という心理もあって、君が本気で逃げれば、まわりも同調して、同じように逃げはじめる。

 つまり君が逃げるということは、みんなを助けることにつながるんだ」

 

防災教育の本質 p78

「脅し」「知識」はダメ。大事なのは「姿勢」

 人間は、脅えながら生きていくことなんてできません。
 だから脅えはちゃんと忘れるようになっているんです。

 また、「ここに津波がくると、こんなに死者が出ますよ」という教え方をしていると、教えられた人は、その地域のことが嫌いになります。

 釜石の子どもたちは、釜石のことが嫌いになってしまう。
 
 こういう防災教育は何も残りません。
 いずれにしろ、外圧的に形成される危機意識は、長続きしないのです。


 もう一つの間違いは、「知識の防災教育」です。
 与えられる知識は、主体的な姿勢を醸成しないからです。

 また、知識を与えられることによって災害のイメージを固定化し、その災害イメージを最大値にしようとします。
 それが、「想定にとらわれる」ことにつながってしまう。

 
 こと防災に関する教育については、知識を与えることによって正しい行動をとらせようとしても、非常に難しいのです。

 なぜなら、人間というのは、都合の悪い話は積極的に考えようとしないからです。

 
 「脅しの防災教育」も「知識の防災教育」も間違いです。
  私が子どもたちに教えてきたのは、主に「姿勢の防災教育」です。

 

「危険をしっかり伝えれば、人間は逃げる」というのは嘘です。 p84

 津波というのはほとんどの場合海溝型の地震で発生しますから、周期性をもって襲来するわけです。
  
 つまり、「釜石に津波が来るか、来ないか」という議論はナンセンスです。
 津波は絶対に来る。
 それがいつなのか、という問題だけです。

 それなのに、住民はなかなか逃げようとしない。
 これも、私は人間らしいと思います。

 しかし、「人間とはそういうものである」ということを知ったうえで、せめて、「その日、その時」だけは合理的な行動をとりましょう。
 それがこの土地で生きるたえの作法です、説き聞かせることが、私なりの防災教育です。


「津波てんでんこ」 p93
 
 「津波のときには、てんでんばらばらで逃げろ」
 無理を承知のうえで、このような言葉を先人が語伝えたのは、そうしなくてはならない理由があるのです。

 それは、「家族の絆がかえって被害を大きくする」という、つらく悲しい歴史を繰り返してきたからです。
 子どもが親のもとまで行って、両方とも死んでしまう。
 お母さんが子どもを迎えに行って、両方とも死んでしまう。
 一家滅亡、地域滅亡という悲劇ばかりを繰り返してきた。

 そういう中でできた言い伝えが、「津波てんでんこ」なのです。
 ですから決して軽い言葉ではありません。

 私は、「津波てんでんこ」が求めて入ることについて、こう理解しています。
 一つは、老いも若きも一人ひとりが自分の命に責任を持つということ。

 そしてもう一つは、一人ひとりが自分の命に責任をもつということについて、
家族がお互い信頼し合おう、ということです。

 「お母さんはちゃんと逃げているだろう。だから、僕もちゃんと逃げる。
そうすれば、後で迎えに来てくれるはずだ」と思えるからこそ、子どもたちは、一人で一生懸命逃げようという気持ちになれるわけです。

 家族間の信頼があってこそ、「津波てんでんこ」が初めて可能になるわけです。
 つまり、「津波てんでんこ」の教えとは、一人ひとり逃げろ、ということだけではなくて、「津波てんでんこが可能な家族たれ」ということにほかなりません。

 

東日本大震災では、なぜこれだけ多くの犠牲者が出たのか? p106

1-想定に縛られていたため、十分な避難をしなかった。

2-身体的理由から避難することができなかった。
  高齢者をはじめとする災害要援護者の避難に関する課題の解決なくしては、
災害犠牲者ゼロの実現はあり得ないとっても過言ではない。

3-状況的に避難することができなかった。(警察官や消防署・消防団員、行政職員、鉄道事業者など) 
  高齢者を含む災害要援護者の避難支援の課題にあたっては、災害要援護者の避難を支援する者の命を守る方策を合わせて検討することが重要である。