goo blog サービス終了のお知らせ 

「命を守る・人が死なない!防災士-尾崎洋二のブログ」生活の安心は災害への万全な備えがあってこそ。命と生活の安全保障を!

防災の第一目的は命を守ること。「あの人を助けなくては」との思いが行動の引き金となります。人の命を守るために最善の行動を!

石川県の地震と豪雨・「複合災害」から学ぶべきこと。

2024年11月07日 13時18分57秒 | 減災・防災から復興まで

石川県の地震と豪雨・「複合災害」から学ぶべきこと

尾崎 洋二 コメント

A 重大災害が起こってからの防災だけでなく、予想される複合災害に対して、事前の準備に徹するという減災対策(以下5項目)などが必要かと思われます。

 

1-事前の準備・備え項目→道路整備や上下水道の耐震化、避難体制の構築

2-地震後は土砂崩れや洪水の危険性が高まるということを、大雨が降る前に住民へ丁寧に説明しておくことが必要

3-リスクは地域だけでなく家ごとにも異なるということを、きめ細かく住民に伝える仕組みづくりが必要

4-中小河川での氾濫が相次いだことを踏まえると、大地震の後は洪水ハザードマップの見直しを緊急で行うなどの対応も必要

5-浸水想定区域内にどうしても仮設住宅を建てなければならないのであれば、例えば高床式にするといった工夫も必要

---------------------------------

本文要点箇条書き

1-9月21日に発生した豪雨は、輪島市で観測史上最高の1時間雨量121ミリを記録し、気象庁は同市と珠洲市、能登町に大雨特別警報を発令した。

2-河川の氾濫や土石流により15人が犠牲となり、浸水などによる住宅被害は1800棟を超えた。
3-輪島市や珠洲市では地震の被災者が暮らす仮設住宅が床上浸水した。

4-政府は10月11日、災害が相次ぐ能登半島の復旧・復興のため、2024年度予備費から約509億円の支出を決定。

5-大規模災害後の被災地は脆弱化しており、資機材や人員なども不足しているため、中小規模の災害でも甚大な被害に発展しやすい。

6-元日の地震に豪雨の影響が重なって被害が拡大した可能性が指摘されている。

7-珠洲市の大谷地区では、地震で山の一部が崩壊していた場所で豪雨による土砂崩れが発生。

8-能登半島での地震と豪雨は、河川防災のほか、道路整備や上下水道の耐震化、避難体制の構築などの必要性を一層浮き彫りにした。
9-気候変動などの影響により豪雨災害は年々、激甚化・頻発化している。地震後の水害といった複合災害が今後、各地で起きる可能性は高まりつつあると言える。

 

以下は防災システム研究所 山村武彦所長
1-発災後10日目に現地に入ったが、地震で地盤の緩んだところに大雨が降り、各地で土砂崩れや洪水を引き起こしていた。

2-河川も堤防に亀裂が入っていたり、堤防自体が沈下していたりして氾濫しやすい状態になっていたようだ。

3-特徴的だったのは、中小河川の氾濫が多かったことだ。水量が少ない河川でも、流れが変わり周辺の家々を一気に押し流してしまった。
4-さらにショックなのは、地震で被災した人が暮らす仮設住宅で浸水被害が相次いだことだ。せっかく入居できたのに、またそこから避難しなければならない事態は過去にあまり例がない。
5-「恐怖を感じる」と表現される1時間雨量80ミリ以上の滝のような猛烈な雨が発生する頻度は、この半世紀で約2倍に増えている。

6-豪雨がいつ襲ってきてもおかしくない中で大地震が起きれば、必ず複合災害に発展するということを前提として事前に対策を強化することが不可欠だ。
7-今回の豪雨では、災害のリスクが住民に十分伝わっていなかったのではないかと感じている。地震後は土砂崩れや洪水の危険性が高まるということを、大雨が降る前に住民へ丁寧に説明しておくことが必要だった。
8-リスクは地域だけでなく家ごとにも異なるということを、きめ細かく住民に伝える仕組みづくりが必要だ。
9-中小河川での氾濫が相次いだことを踏まえると、大地震の後は洪水ハザードマップの見直しを緊急で行うなどの対応も求められる。

10-浸水想定区域内にどうしても仮設住宅を建てなければならないのであれば、例えば高床式にするといった工夫も今後は検討すべきだろう。

----------以下 公明新聞 11月6日2024年 本文-----------

解説ワイド
地震と豪雨、「複合災害」にどう備えるか 

 9月に石川県の能登半島を襲った豪雨災害は、元日に起きた大地震の被災地に追い打ちをかけるように浸水や土砂崩れなどの甚大な被害を引き起こし、復興に大きな打撃を与えた。こうした「複合的な災害」にどう備えるか。被害の状況や政府の取り組みを解説するとともに、今後の課題などについて防災システム研究所の山村武彦所長に聞いた。
<解説>
仮設住宅が床上浸水(能登)

 9月21日に発生した豪雨は、輪島市で観測史上最高の1時間雨量121ミリを記録し、気象庁は同市と珠洲市、能登町に大雨特別警報を発令した。河川の氾濫や土石流により15人が犠牲となり、浸水などによる住宅被害は1800棟を超えた。

 県管理河川などが多数氾濫し、輪島市や珠洲市では地震の被災者が暮らす仮設住宅が床上浸水した。地震の傷痕が残る中、土砂崩れにより道路が寸断され、一部地域で断水も発生。地震で被災したインフラの復旧にも遅れが出るなど深刻な被害をもたらしている。

 政府は10月11日、災害が相次ぐ能登半島の復旧・復興のため、2024年度予備費から約509億円の支出を決定。インフラ復旧や仮設住宅の修繕、災害廃棄物処理などに充てる考えを示した。

土砂崩れ相次ぎ被害拡大

 大規模災害後の被災地は脆弱化しており、資機材や人員なども不足しているため、中小規模の災害でも甚大な被害に発展しやすい。能登半島でも、元日の地震に豪雨の影響が重なって被害が拡大した可能性が指摘されている。珠洲市の大谷地区では、地震で山の一部が崩壊していた場所で豪雨による土砂崩れが発生。川の増水で大量の土砂が流れ込んだことにより浄水場が被災したケースもあった。

 仮設住宅で浸水が発生したことを巡っては、住み慣れない地域での生活を強いられている住民の避難対策も課題だ。能登半島での地震と豪雨は、河川防災のほか、道路整備や上下水道の耐震化、避難体制の構築などの必要性を一層浮き彫りにした。

政府、「中期計画」の策定推進

 政府は大規模災害への対策として、国土強靱化に力を入れる。具体的には、18年度から総事業費7兆円の3カ年緊急対策を実施し、河川堤防のかさ上げや、ため池の改修などに重点投資。21年度からは同15兆円の5カ年加速化対策を展開し、流域治水やインフラの老朽化対策のほか、道路網の拡充、水道施設の耐震化などにも取り組んでいる。いずれも公明党が強くリードしてきたものだ。

 一方で、気候変動などの影響により豪雨災害は年々、激甚化・頻発化している。地震後の水害といった複合災害が今後、各地で起きる可能性は高まりつつあると言える。

 国土交通省は、50年時点で洪水や土砂災害などの危険性がある地域に住む人は全国で約7200万人いると試算する。総人口に占める割合で見ると約71%に当たり、15年時点と比べると2・8ポイント増えている。

公明、国土強靱化さらに

 そうした中で、加速化対策の終了後も取り組みを切れ目なく進めることが求められている。公明党は国土強靱化に向けた「実施中期計画」を今年度内に策定し、26年度から5カ年で20兆円規模の予算を確保するよう政府に強く働き掛ける方針だ。

 また、公明党はこれまでの大規模災害の経験を踏まえ、被災自治体との連携強化を一層進めるため、各府省庁を横断的に統括する「防災庁」の創設を掲げる。最先端技術を活用した大規模災害のデータ解析・集積による予測精度の向上や、専門的な防災人材の確保・育成などを進めたい考えだ。


<インタビュー>
防災システム研究所 山村武彦所長に聞く

 ――能登半島での豪雨被害をどう見ているか。

 山村武彦所長 発災後10日目に現地に入ったが、地震で地盤の緩んだところに大雨が降り、各地で土砂崩れや洪水を引き起こしていた。河川も堤防に亀裂が入っていたり、堤防自体が沈下していたりして氾濫しやすい状態になっていたようだ。地震からの復興途上だった被災地を襲った、不幸な条件が重なった災害だったと言わざるを得ない。

 特徴的だったのは、中小河川の氾濫が多かったことだ。水量が少ない河川でも、流れが変わり周辺の家々を一気に押し流してしまった。さらにショックなのは、地震で被災した人が暮らす仮設住宅で浸水被害が相次いだことだ。せっかく入居できたのに、またそこから避難しなければならない事態は過去にあまり例がない。

温暖化で猛烈な雨が頻発/事前の対策強化を

 ――各地で複合災害のリスクが高まっていると言われる。

 山村 地球温暖化などの影響で雨の降り方が変わったことが一番の原因だ。

 例えば、「恐怖を感じる」と表現される1時間雨量80ミリ以上の滝のような猛烈な雨が発生する頻度は、この半世紀で約2倍に増えている。豪雨がいつ襲ってきてもおかしくない中で大地震が起きれば、必ず複合災害に発展するということを前提として事前に対策を強化することが不可欠だ。

住民へリスクの説明丁寧に

 ――国や自治体はどう備えるべきか。

 山村 今回の豪雨では、災害のリスクが住民に十分伝わっていなかったのではないかと感じている。地震後は土砂崩れや洪水の危険性が高まるということを、大雨が降る前に住民へ丁寧に説明しておくことが必要だった。

 とはいえ、大地震の後は自治体の職員も震災対応で手いっぱいの状態であることがほとんどだ。国や県がフォローすることはもちろんだが、民間の力を活用することも提案したい。ボランティア団体やNPOには、専門のスキルを持った人材が多くいる。リスクは地域だけでなく家ごとにも異なるということを、きめ細かく住民に伝える仕組みづくりが必要だ。

ハザードマップ見直しも

 また、中小河川での氾濫が相次いだことを踏まえると、大地震の後は洪水ハザードマップの見直しを緊急で行うなどの対応も求められる。

 ――今後の課題は。

 山村 仮設住宅の浸水被害を巡っては、能登半島では仮設住宅の建設に適した平地が少なく、リスクの高い場所に建てられたのは致し方ない面はあると思う。浸水想定区域内にどうしても仮設住宅を建てなければならないのであれば、例えば高床式にするといった工夫も今後は検討すべきだろう。

 いずれにしても、複合災害には民間も含めた“オールジャパン”で備えることが重要だ。そのためにも、各府省庁を横断的に統括する「防災庁」を設置する意義は大きい。少子高齢化で崩れつつある地域コミュニティーを再構築するという観点からも、引き続き国民の命を守る国土強靱化や防災・減災対策を進めてほしい。


 やまむら・たけひこ 東京都出身。1964年の新潟地震でのボランティア活動を契機に「防災システム研究所」を設立。以来60年にわたり、国内外で災害の現地調査を行っている。防災意識の啓発に取り組むほか、企業や自治体の社外顧問やアドバイザーも歴任。著書多数。

 


巨大地震に備える都市整備  関東大震災100年シンポジウム(国交省主催)武村雅之氏&河田惠昭氏

2023年09月02日 08時54分02秒 | 減災・防災から復興まで

尾崎洋二 コメント:

「戦後の日本は、平和国家として欧米に負けない国力を持ち、国民生活を豊かにしたいと立ち上がったが、関東大震災の復興時のような地震に強い街づくりや、首都としての品格は二の次で、ひたすら経済成長をめざしてきた。

そのつけが回り、東京は再び、地震に弱い街となってしまった。

戦後の街づくりを検証すべきだ。」との名古屋大学特任教授・武村雅之氏のアドバイスは重要です。

せっかく関東大震災からの教訓を活かして、街づ作りをしていた東京は、戦後経済成長一本やりで、首都としての品格を失ったまま現在に至っています。

防災の視点から首都分散以外の対策はあるのだろうか?と私は思います。


 巨大災害における社会現象「相転移」。 

この視点からの関西大学特別任命教授・河田惠昭氏の下記アドバイスも貴重です。

 災害時の相転移発生の実例としては、23年の関東大震災では広域延焼火災、2011年の東日本大震災では津波避難しなかった多数の住民がいたことなどがある。

 1991年の段階で、関東大震災などのデータから、人がたくさん都市に集まっているというだけで相転移が起こり、犠牲者数が大きくなるという推定ができていた。

1995年の阪神・淡路大震災の際には、老朽木造住宅の全壊・倒壊で相転移が起こり、人口密度の高い神戸市で多くの人が亡くなった。

 今、東京23区の人口密度は、(1平方キロメートル当たり)約1万6000人だ。

日本全体で(同)約340人だ。東京で地震が起きたら、何かがきっかけとなり、相転移が起きる。

これによって、人的な被害、社会経済への被害が非常に大きくなる。


 災害時には、社会が持つ“欠点”が相転移を引き起こし、想定外の被害を生む。

相転移の原因の候補を見つけ(それを踏まえた)事前対策によって被害は減らすことができるのである。

 

果たして、日本政府や地方自治体における「相移の原因の候補を見つけ、それを踏まえ上での事前対策」は?

------------- 公明新聞 2023/09/02 4面 -全文 ------------------------------------
土曜特集   巨大地震に備える都市整備 

関東大震災100年シンポジウム (国交省主催)から 

2023/09/02 4面 

 10万人を超える死者・行方不明者を出した関東大震災から、今年9月1日で100年。この節目を前に、国土交通省は8月28日、首都直下地震などの巨大地震に備える都市整備、街づくりなどに関して、「関東大震災100年シンポジウム」を都内で開催した。このうち基調講演では、『関東大震災がつくった東京』などの著書で知られる名古屋大学の武村雅之特任教授と、日本自然災害学会会長などを歴任した関西大学の河田惠昭特別任命教授が登壇。両氏の発言を要旨にまとめた。

名古屋大学特任教授・武村雅之氏

住みやすさ優先の東京に/「帝都復興」には先見の明あり

 関東大震災は日本の自然災害史上、最大の被害を出した。死者、被害額ともに、人口比やGDP(国内総生産)比で見ると、2011年の東日本大震災の約10倍だ。そのうち、7割が東京での被害だ。東京は震源から離れ、揺れの中心ではなかった。当時の東京がいかに地震に弱い街であったかが分かる。

 江戸時代に起きた、似たような規模の地震と比較しても、関東大震災の死者が圧倒的に多い。これは1868年の明治維新以降の産業都市化政策の下、都市の基盤整備をしないまま、軟弱地盤の上に人口を集中させたことが原因だ。

反省から区画整理、道路、橋梁を整備

 その反省に立ち、1924年~30年に行われたのが帝都復興事業だ。耐震・耐火を前提に、国民的合意の下で、公共性を第一に、首都として恥ずかしくない品格のある街にするという方向で街づくりを進めていった。

 土地区画整理を行い、誰一人として地域から引っ越しさせないために、土地所有者から1割の土地を無償提供してもらい、道路や公園を作った。残りの土地を所有分に応じて分けて住み直した。

 都心部の(主要な)街路は、この事業で整備された。将来に必ず地下鉄を造ると想定して、道路を27メートル以上の幅員にした。そのため、今の東京の地下鉄は、都営大江戸線を除けば、ほぼ全て、その道路の下を走っている。先見の明があった。

 震災時、橋梁は焼け落ち、傾き、破損して、猛火に追われた市民が多数焼死した。そこで、耐震・耐火構造の橋梁が新設された。美観に細心の注意が払われ、今なお活躍する橋もある。

 また、隅田、錦糸、浜町の3大公園、52の復興小公園が建設された。小公園は、地域のシンボルとなる素晴らしい公園だったが、戦争で破壊され、往時の姿に戻ることはなかった。

 第2次世界大戦後、東京では、空襲から生き残った震災復興の遺産である公園、橋、水辺が1964年の東京オリンピックをめざし(て建設され)た高速道路で破壊され、東京は首都としての品格を失ったまま現在に至る。

 震災後の32年、東京は現在の23区の範囲に街を広げたが、明治時代と同じように都市の基盤整備を怠り人口集中を許した結果、郊外に木造密集地を抱えることになった。

 2000年以降、高層ビルの林立による異常な人口密集という新たな問題も生じている。過酷な長時間通勤を生み、ひとたび地震が起これば大量の帰宅困難者が生じる。

戦後の街づくり検証を

 戦後の日本は、平和国家として欧米に負けない国力を持ち、国民生活を豊かにしたいと立ち上がったが、関東大震災の復興時のような地震に強い街づくりや、首都としての品格は二の次で、ひたすら経済成長をめざしてきた。そのつけが回り、東京は再び、地震に弱い街となってしまった。戦後の街づくりを検証すべきだ。

 街は市民に対し、平等に利益をもたらすものでなければならない。そのような住みやすさ優先の街にこそ、市民の連帯意識が生まれ、共助の心も育まれる。

 関東大震災発生100年を起点に、大震災後の復興事業の理念を思い起こして議論し、地震に強い街に造り替えていってほしい。


関西大学特別任命教授・河田惠昭氏

事前対策で被害を軽く/原因となる社会の欠点踏まえ

 文献調査によると、日本で過去1500年間で1000人以上亡くなった災害は、平均すると15年に1度だったが、明治以降になると、巨大地震は平均6年に1度発生するようになった。

 なぜか。人口がどんどん増え、みんなが住みたい所に住んだからだ。川が氾濫し浸水被害が大きくなる、台風が来ると高潮が起こる、地震が起こると被害がとても大きくなる――。そういう所に住むようになった。

 1946年以降の災害被害は公共事業の投入で、確実に減少してきた。中小災害は減っている。しかし、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などが起きた場合、どれくらいの被害があるか。100年前の関東大震災では犠牲者の90%が火災で亡くなったが、昔と同じような被害が出るとは限らない。東京の姿がどんどん変わってきているからだ。

「相転移」の発生で被害が大きくなる

 じゃあどうするかと考えていったら、災害が起こった時、何かが原因となって被害が大変に大きくなることを発見した。これは巨大災害における社会現象「相転移」である。

 水は0℃になると突然、固体の氷になり、100℃を超えた途端、気体の水蒸気になる。このような相(様相)の急変を熱力学で相転移と呼んでいる。災害によって、こうした相転移が起きなければ被害は小さくなる。

 91年の段階で、関東大震災などのデータから、人がたくさん都市に集まっているというだけで相転移が起こり、犠牲者数が大きくなるという推定ができていた。95年の阪神・淡路大震災の際には、老朽木造住宅の全壊・倒壊で相転移が起こり、人口密度の高い神戸市で多くの人が亡くなった。

 今、東京23区の人口密度は、(1平方キロメートル当たり)約1万6000人だ。日本全体で(同)約340人だ。東京で地震が起きたら、何かがきっかけとなり、相転移が起きる。これによって、人的な被害、社会経済への被害が非常に大きくなる。

 災害時の相転移発生の実例としては、23年の関東大震災では広域延焼火災、2011年の東日本大震災では津波避難しなかった多数の住民がいたことなどがある。

「首都直下」停電で複合災害も

 首都直下地震が起きたら、間違いなく長期広域停電が起き、それに伴う複合災害として、情報通信や病院、交通などがだめになり、食料品や飲料水の供給停止などが起こる。そして、自治体の行政まひやエレベーターの停止・閉じ込めなど連続滝状災害がのしかかる。こういう被災の構造が分かってきた。

 何が相転移して巨大被害が起こるかが事前に分かり、起こらないようにするには、「文明的な開発」とともに、社会習慣を成熟させていく「文化的な発展」に向けた対策、街づくりをやり、社会の防災力を大きくしなければならない。

 災害時には、社会が持つ“欠点”が相転移を引き起こし、想定外の被害を生む。相転移の原因の候補を見つけ(それを踏まえた)事前対策によって被害は減らすことができるのである。

 




【関東大震災から100年】「記録」を「記憶」へ 教訓を未来に生かす挑戦ー 東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授

2023年09月01日 14時05分15秒 | 減災・防災から復興まで

【関東大震災から100年】「記録」を「記憶」へ 教訓を未来に生かす挑戦――インタビュー 東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授  

聖教新聞 2023年9月1日 〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉

尾崎洋二 コメント:私達は関東大震災から何を学ぶべきなのか?

次に来る大災害に備えて、未来をイメージするために歴史を見つめ直すことは大切です。

一つの世代を30年と考えると、100年という時間は「3世代」に当たります。

当時の記録は限られていますし、震災を体験した人から直接、話を聞くことも難しくなってきています。それでも大災害から教訓を得て、次なる災害に備えたいものです。

だからこそ、印象に残る方法で、何世代にわたって教訓を伝えることが大切です。

災害を私達は「記録」してきたわけですが、そうして残された情報を目にするだけでは、どうしても、“人ごと”にとどまってしまいます。

それを“わがこと”とするには、記録をもう一度、共感されるような「記憶」に戻していくことです。

自分自身の記憶になって初めて災害を我が事として受け止められるようになります。

災害を“わがこと”として具体的に記録から記憶として想像することで、「意識」は「認識」へと変わり、そして、それがひいては、自らの命を守る自主的な行動へとつながるかと思います。

ここから本当の防災、減災につながっていくのではないでしょうか?

以上が 今村文彦教授が主張したいことかと思います。

------------以下 聖教新聞 2023年9月1日 本文------------------------------------ 

 1923年に発生した関東大震災から、きょう9月1日で100年の節目を迎えた。南海トラフ巨大地震や首都直下地震など、大規模地震がそう遠くない将来に起こるとされる今、私たちはこれまでの災害から何を学び、教訓としていくべきか――。東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授に聞いた。(聞き手=水呉裕一、村上進)

過去の災害を振り返る意義

 ――関東大震災は、近代日本の首都圏を襲った巨大地震として知られています。今、改めて、当時のことを振り返る意義はどこにあるのでしょうか。
  
 一つの世代を30年と考えると、100年という時間は「3世代」に当たります。当時の記録は限られていますし、震災を体験した人から直接、話を聞くことも難しくなってきています。私自身が震災経験者にインタビューしたのも、もう10年ほど前の話です。
 それでも、大きな節目の今この時に、未来をイメージするために歴史を見つめ直すことは大切です。
 
 関東大震災は、地震、火災、そして津波という複合災害でした。揺れそのものは、震源であった神奈川県を中心に大きかったことが分かっています。
 土砂災害に加えて相模湾での津波は、鎌倉、伊豆半島の伊東や熱海で特に被害が大きかったようです。
 しかし、多くの犠牲者が出たのは、震源地から離れた場所での火災でした。
 人口過密といった地域の脆弱性が、下町を中心に二次災害を引き起こしたのです。また、不安の中でデマが横行したことも分かっています。
 
 関東大震災を振り返るもう一つの意義は、帝都の迅速な復旧・復興が迫られたということです。
 被災者は生活を送ること自体も難しく、70~80万人という人々が、北海道から九州と、全国各地に広域避難をしています。


 2011年の東日本大震災による原発事故でも、福島の人を中心に広域避難を行いましたが、100年前にも、こうした対応が行われていた事実は知っておくべきです。南海トラフ巨大地震や首都直下地震が起こった際、同様の対応を大規模で行う可能性があるからです。
 
 近年、各地で建物の耐震化や、備蓄などの防災の取り組みが進められていますが、地域によって対策に“温度差”があるのが現状です。


 災害時には、十分に対策ができていなかった場所ほど大きな被害を受けます。
 100年という節目に際し、関東大震災を過ぎ去った歴史としてではなく、未来への教訓として捉えていくことが、大切だと考えています。

“わがこと”にするためには

 ――100年前の出来事を“わがこと”として捉え直すには、どういった観点で歴史を見つめればよいでしょうか。
  
 人間は、災害などの経験を記憶します。それを普遍的なものとして残していくために、写真や文字、映像といった形で「記録」するわけですが、そうして残された情報を目にするだけでは、どうしても、“人ごと”にとどまってしまいます。それを“わがこと”とするには、記録をもう一度、「記憶」に戻していくことです。それには工夫が必要です。
 
 ポイントは「共感」です。一例として今、白黒の写真をカラー化する技術がありますが、町を焼き尽くす炎や、避難する人々の衣服などに色が着くだけで、100年前といっても、“今と変わらない”“似ているね”と思えます。
 そうして捉えた100年前の記憶を、今度は、自分が直接見聞きした災害の記憶と結び付けられれば、他者の過去の出来事であっても、身近に感じることができるようになります。
 現在、津波の再現シミュレーションも行っていますが、最新技術を駆使することによって、よりリアルに震災当時の津波をイメージすることができます。
 
 本年2月に発生した「トルコ・シリア地震」の被災地を先日、視察しました。
 トルコでは耐震基準を満たしていない建物が多く、大きな被害が出ましたが、拠点病院は耐震・免震化されていたため、病院機能が失われなかったことを知りました。
 聞くと、東日本大震災の被災地をトルコ政府が視察し、耐震・免震化された石巻の赤十字病院が災害時に果たした役割を知ったことで、帰国後、迅速にトルコでも同様の対策を行ったといいます。甚大な被害が生じた中で、病院という重要なインフラが守られたことは、遠く離れた東北の記憶を、トルコの未来へと還元した一つの実例だといえるでしょう。

歴史の風化に抗う取り組み

 ――記憶は、風化との戦いでもあります。
   私たちは日々、新しい情報に接して生きています。時とともに、過去の記憶が脳の奥へと追いやられていくことは、ごく自然のことです。それでも歴史を風化させずに、未来へと生かしていくよう努めなければならないからこそ、古い記憶を時々、表に出して、新しい記憶として取り入れ直すことが大切です。
 震災を扱ったアニメや映画を見たり、避難訓練に参加したり、震災の伝承施設を訪れたりと、どんな方法でもいいと思います。
 
 私は今、“産・学・官・民”連携の「3・11伝承ロード推進機構」という新たな取り組みを立ち上げています。
 これは一人でも多くの人が震災伝承施設を訪れ、災害の教訓を知ってもらうためのもので、東北各地に点在する施設の情報を分類・整理し、効果的に学べる仕組みをつくっています。
 やはり、現場で遺構を直接見て、語り部の生の声を聞くと、震災の捉え方は大きく変わります。小・中学校の修学旅行も含め、南三陸の自然を楽しむと同時に、遺構に足を運んでいただきたいと思います。
 
 また同時に、私たち東北大学災害科学国際研究所はこれまで、震災に関する写真や動画、証言などをアーカイブ(記録・保存)する「みちのく震録伝」というプロジェクトを推進してきました。誰もがアクセスできるデータとして公開し、防災・減災対策に結び付けられることを目的としてきました。

正しい「認識」が取るべき行動に

 ――昨今、自然災害の頻度や規模は私たちの想像を超えるほどです。どのような「自助」の意識が求められているのでしょうか。
  “災害多発時代”にあって、備蓄品をそろえるなど、防災の「意識」は高まっていると感じます。
 その意識を、これからは災害への正しい「認識」に変えていくことが必要です。それがあって初めて、取るべき「行動」が見えてきます。
  ひとえに自然災害といっても、地震と水害では、避難すべき場所も違えば、対応も異なります。
 まずはハザードマップなどをもとに、自分が住んでいる地域は“いざ”という時に、どんな被害をどれくらいの規模で受けるのか、どこに避難すべきかなどを具体的に個々に認識しておくことが大切です。
 
 災害ごとに、あらかじめどういった状況になったら動くか、どの情報をもとに、どのタイミングで避難するかという“しきい値(境目となる値)”を設けておくことも、リスク認識の一つとして大切でしょう。一緒に避難する家族に高齢者がいる場合や、住んでいる地域が被害の出やすい場所なのか否かによって、行動すべきタイミングは異なります。
 避難行動に移すかどうかという判断に、個々人の価値観が働くのも自然なことです。だからこそ、自分はどうするかという「主体性」が不可欠です。
 
 災害を“わがこと”として具体的に想像することで、「意識」は「認識」へと変わり、それがひいては、自らの命を守る行動へとつながるのです。

小中学校での「出前授業」

 ――災害科学国際研究所では、小・中学校で出前授業を行っていますね。子どもたちが災害を“わがこと”と捉えるための取り組みであると思います。
  
 はい。私たちもそこに期待をしています。
 出前授業では、科学的な裏付けのある津波の映像を見せたり、最新の災害の話題などを取り入れたりしながら、普段の学校とは違う授業を心がけています。
 一見、おとなしそうに聞いている子でも、ワークショップなどを通して一緒に防災について考える中で、「なぜ?」「どうして?」と、率直に疑問をぶつけてくれます。
 
 文部科学省が数年前に「学習指導要領」を改訂しましたが、改訂に込められた思いとして、「『生きる力』を育む」と記されています。“この目標はこれからも変わることはない”とも。
 防災は“生き残る力”“生き抜く力”を考えることです。まさに防災教育こそが、今の日本が目指す教育の大目的に適ったものだと思います。
 
 災害が起きたらどうするかを一緒に考える。“共に生きるために、共に学ぶ”のが防災教育です。
 そこで培った力は、災害に備えるためだけのものではなく、人生全般に役立つ力を育むことができるものだと思うのです。

防災は「共に生きる力」を磨く地域の魅力を再発見する機会

 ――“共に生きるために、共に学ぶ”という防災の観点は、地域社会にも通じるものです。今村教授は、地域の未来を考える「事前復興」の大切さも語られています。
  
 事前復興は、災害が起こることを前提として、被害想定をもとに災害に強い町づくりを事前に行うというものです。
 
 東日本大震災の時もそうでしたが、実際に災害が起きた時には、計画なんか議論できないほど混乱します。だからこそ、重要な公的施設や住宅施設をどう造っておくかを事前に検討し、少子高齢化・人口減少時代に合わせた災害に強い町にしておこうという考え方です。
 先日、出席した内閣府の「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」でも、大きなテーマの一つでした。
 
 この事前復興は、災害に備えるとともに、地域の未来を語るチャンスでもあります。大きな被害があった時、災害の前と後で、全く同じ町づくりはあり得ません。であるならば、災害があってもなお、未来へと残していきたい地域の魅力とは何なのか。それを考えることで、事前復興は、地域の魅力を再発見するプロセスにもなるのです。
 
 そこには、ぜひとも地域の未来を担う若い人たちにも関わっていただきたい。地域として、どう災害に備えるかを考えることで、その地域に住む一人としての「自助」「共助」の姿勢も大きく変わっていくと思います。
 
 私自身、東日本大震災からの復興の歩みを通して思うのは、復興する力とは、「地域を大切に思える力」であるということです。
 その思いがないと、いくら行政が予算をつけ、インフラを整備しても、中身のないものになってしまう。
 事前復興の取り組みは、地域の絆を結ぶ絶好の機会になると考えています。
  

 ――事前復興の取り組みがもつ可能性は大きいですね。
  
 今、個を大切にする時代の流れがある中で、住民同士の地域コミュニティーといったつながりは、一昔前に比べて希薄になっています。しかし、東日本大震災でもそうであったように、大変な時に互いの支えとなるのが、身近な人のつながりです。そんなつながりを、日常から増やしていくことは、事前復興の大きな柱であるとも思います。
 
 一方で、最近は災害時にインターネット上で情報提供をするといった“デジタル共助”の可能性が模索されています。実際、災害時にSNSで情報をもらって命が助かったという事例もあります。場所や空間を超えて「共助」が育まれる時代だともいえます。
 
 身近な地域であっても、SNS上であっても、相手の置かれた状況を“わがこと”として捉えて、思いをはせていく。「共に生きるための力」を磨く防災は、そんな思いやりの心を育むものでもあると思います。
 そういった意味でも、「防災」を私たちの社会や教育の大きな柱としていくことは、課題が山積する困難な時代を生き抜き、幸福な未来を築いていくための確かな力になっていくと信じています。

 いまむら・ふみひこ 1961年、山梨県生まれ。東北大学工学部卒。同大学院博士課程修了。同大学助教授、京都大学防災研究所客員助教授、東北大学工学研究科教授、同大学災害科学国際研究所所長などを歴任。現在、同研究所災害評価・低減研究部門津波工学研究分野教授、「3.11伝承ロード推進機構」代表理事、復興庁復興推進委員会委員長。

 


原発事故からの「ふるさと再生」 除本理史被害の狭い捉え方に問題が除本理史(よけもと・まさふみ  大阪市立大学教授)

2021年09月07日 14時49分07秒 | 減災・防災から復興まで
尾崎 洋二 コメント:
1-原発事故は単なる自然災害でなく人災であり、公害事件である。
「自然災害事故でなく重大な人災事件」この視点が一番重要かと思います。
2-復興政策に何が欠落しているのかが、あらためて明らかになってきた。
3-原発事故被害の捉え方が狭いから,住民同士のつながり(コミュニティー)など、目に見えにくい部分で回復が遅れている。
4-東京電力の賠償でもそうだが、生活再建といっても、住居など一部の条件に目が向けられがちである。
5-一番大切な「ふるさとの喪失」被害は、現在の原子力損害賠償では正当に評価されていない。
6-もともと被災地に根付いていた農的営みと生活の価値を継承することもまた不可欠である。産業としての農業だけではなく、人々の生業と暮らしのトータルな再建が求められる。
7-生業と暮らしのトータルな再建という視点が必要
8-復興オリンピックは終了したが、福島の復興はこれらの問題が解決されない限り、まだまだです。

------------------以下 聖教新聞 2021年9月7日-----------------

〈社会・文化〉 原発事故からの「ふるさと再生」 

除本理史(よけもと・まさふみ  大阪市立大学教授)
 
被害の狭い捉え方に問題が
• 生業と暮らしの総体的再建こそ
• ふるさと喪失認める判決も

復興政策に欠落するもの


 3・11から10年以上が過ぎ、コロナ禍の中で「復興五輪」も閉幕した。しかし、福島原発事故災害からの復興には、なお長期の政策的対応を必要とする。残された課題は、福島第一原発の廃炉・汚染水対策、除染廃棄物の中間貯蔵と最終処分、広大な山林の汚染、生業と暮らしの復興、避難指示が続く帰還困難区域への対策、長期避難者の生活再建など、数多い。

 2017年春には避難指示の解除が大きく進んだが、それから4年半が経過し、復興政策に何が欠落しているのかが、あらためて明らかになってきた。確かに住民は帰還できるようになった。

しかし、暮らしの回復は進んでいない。商業施設などもできて生活基盤が整ってきたように見えるが、住民同士のつながり(コミュニティー)など、目に見えにくい部分で回復が遅れている。

 こうした問題が生じるのは、原発事故被害の捉え方が狭いからである。

 東京電力の賠償でもそうだが、生活再建といっても、住居など一部の条件に目が向けられがちである。

 山菜・キノコ採りなどの「マイナー・サブシステンス」(副次的生業)は、住民の暮らしに根付いた大事な活動であり、山林は生活圏だった。しかしそのことは重視されず、山林の除染はほぼ手付かずのままだ。


賠償では償いきれない価値

 原発事故の被災地は、自然が豊かで農業的色彩が強い。

 住民は行政区などのコミュニティーに所属することにより、そこから各種の「地域生活利益」を得ていた。

 こうしたライフスタイルには、都市部の生活とは異なり、直ちには貨幣的価値として表れない暮らしの豊かさがある。

 原発事故による環境汚染と大規模な住民避難は、こうした地域のありようを破壊した。

 人と人との結び付き、人と自然との関係性が解体され、人々は避難元の生業と暮らしを支えていた諸条件を奪われたのである。

 この被害の意味について、旧避難指示区域で味噌製造販売業を営んでいた男性のケースをもとに考えてみたい。

 彼は自分の生業や暮らしを「農的生活」と表現している。

 これは、周囲の自然環境を生かして、季節ごとの自然の恵みや景観的価値を家業と結び付けていたことを指す。

 周囲の自然の恵みは、旬の野菜だけでなく、フキノトウ、ミョウガ、ヨモギ、タケノコ、ウメ、イチジク、カリン、ブルーベリー、カキ、クリなど多様であり、彼はそれらを商品に添えていた。

 これはあまり経費を要しないが、顧客には喜ばれていた。

 また、店舗周辺にハーブ園、庭園、竹林などを整備し、訪問客が散策できるようにしていた。

 自然環境を巧みに利用することで、顧客満足を高めていたのである。

 彼の家業は代々継承されてきたものであり、自身が地域の諸活動に積極的に参加することで、住民の信頼を得ていた。

 そうした信用が商売にも役立ってきた。つまり、地域のコミュニティーが商圏であり、それが代々の信用に裏打ちされていたのである。

 加えて、家族の成員がそれぞれ役割をもち、協力して家業にいそしんでいたのも幸せなことだった。

 このように多様な要素が複合した生業は、失われた利益や資産の賠償で償いきれるものではない。

 また、避難先で同じ営みを再開することは不可能であろう。

 こうした「ふるさとの喪失」被害は、現在の原子力損害賠償では正当に評価されていない。

 2012年12月以降、原発事故被害者による集団訴訟が全国各地で起こされている。

 約30件に上る訴訟で、原告数は1万2000人を超えた。

 そこでの焦点の一つが「ふるさとの喪失」に対する賠償である。

 17年3月に最初の地裁判決が出され、20年3月~21年2月には六つの高裁判決が言い渡されている。

 これらの判決のなかで、「ふるさとの喪失」に対する慰謝料が少しずつ認められつつある。

        
人災であり公害事件と認識を

 原発被災地における「ふるさと再生」は重要な課題である。

 住民の帰還が進まないもとでは、農地の集積・集約、新しい技術の導入なども必要だろう。

 しかし同時に、もともと被災地に根付いていた農的営みと生活の価値を継承することもまた不可欠である。

 産業としての農業だけではなく、人々の生業と暮らしのトータルな再建が求められる。

 そのために政策をどう改善すべきか。

 政府は、自然災害において家屋など個人財産の補償は行われるべきではなく、自己責任が原則だという立場に立つ。

 しかし、原発事故は単なる自然災害でなく人災であり、公害事件である。

 にもかかわらず政府は、原子力政策に関する「社会的責任」を認めるにとどまり、電力会社に対して規制権限を適切に行使しなかったことによる法的責任(国家賠償責任)は認めていない。

 そのため、福島復興政策でもこれまでの災害と同様に、除染や産業基盤整備などの公共土木事業が優先される傾向がある。

 そこでは、生業と暮らしのトータルな再建という視点は後景に退いてしまう。

 この点の見直しが不可欠だ。

 被災者一人一人の生活再建と復興に向けて、きめ細かな支援策を講じていくことが強く求められている。

 (大阪市立大学教授)
 よけもと・まさふみ 1971年、神奈川県生まれ。博士(経済学、一橋大学)。専門は環境政策論、環境経済学。著書に『原発賠償を問う』『公害から福島を考える』、『原発災害はなぜ不均等な復興をもたらすのか』(共編著)、『きみのまちに未来はあるか?』(共著)などがある。


「阪神大震災から何を学んだか-日々の暮らし、交流から安全な社会を築く」 室崎 益輝(よしてる)兵庫大学大学院 減災復興政策研究科長

2020年01月24日 10時39分01秒 | 減災・防災から復興まで

「阪神大震災から何を学んだか-日々の暮らし、交流から安全な社会を築く」

室崎 益輝(よしてる)兵庫大学大学院 減災復興政策研究科長

尾崎 洋二 コメント:復興とは再建ではなく、生きる力を取り戻すことです。

「かたち」ではなく、「思い」が大切なのです。--室崎 益輝さんのこの意見に
大賛成です。

真の復興のためには、市民が主人公との自覚にもとづいた新しい社会システムが
必要です。その原点を阪神・淡路大震災の時に官民協働で作り上げたのは貴重な
ことでした。

この原点を2004年、震災が発生した中越地域でも早速取り入れて模範事例を
示したのは素晴らしいことです。

皆で交流の中から意見を出し合い、地域の未来を考えていく。その中で防災を
「隠し味」として確保し、文化として、生活の一部にしていくことが、とても大
切なことと改めて気づかせてくれました。


----以下 聖教新聞 01月23日2020年より要点抜粋箇条書き----


複雑に絡み合う課題

復興の目標と課題は、1-被災からの回復をはかること。2-より安全な社会を築くこと。
3-社会の矛盾を正し改革をはかること。

これらの目標と課題は複雑に絡み合うもので、個々に論じられません。

阪神・淡路大震災では、多くの人々が被災者となり、住宅や仕事を失い、生活の回復
のためには何をおいても、住宅の再建、地域産業の回復に総力を傾ける必要がありま
した。

その結果として、安全な社会を築くこと、社会の改革といった課題は後回しにせざる
を得なかったのです。

例えば地震後、火災で大きな被害を出した地域では、延焼を防ぐ安全なまちを築くこ
とが課題になりましたが、それには大規模な区画整理事業が必要でした。

しかし、それは生活の回復のスピードを緩めることになります。

従って、「火災に強いまち」をスローガンに掲げることはできなかったのです。

一方、倒壊や焼失を免れた地域の復興は後回しにされ、その結果、老朽化した住宅が
残り、耐震化が遅れています。

長期的課題としては、震災後、自然と人間の関係を見直すことや高齢社会に見合う福
祉社会の構築、スプロール開発(都市の郊外に向けての無秩序な拡大開発)の歪を是
正し、コンパクトシティーを目指すことなどが検討されましたが、その多くが現在ま
で積み残されています。


市民が主人公との自覚

しかし、震災復興を通して得られたものも多くあります。
復興の過程で市民活動が盛んになるなか、新しい社会システムが生まれました。

多くのボランティアが被災地に駆け付けることになりました。
最初の1カ月で約62万人、1年間で延べ約137万7000人が駆け付け、のち
に「ボランティア元年」と呼ばれることになります。

支援活動が避難所や仮設住宅での生活支援からまちづくりやコミュニティー支援へ
と発展するなか、被災地に誕生した市民組織やNPOがその担い手となり、地域社会を
復興する主人公は市民一人一人であるとの自覚が生まれていったのです。

行政に対する要請が中心だった市民運動も提案型、協働型に変わり、行政と市民が
協力して取り組むようになりました。

こうした取り組みを補完する中間組織も生まれました。
その役割は、被災者と行政の間に立つ第三者機関として、被災者の生活実態、意見
を把握し、生活復興に必要な政策を被災者と行政の双方に提言することです。

兵庫県では、「被災者復興支援会議」として、当時の県知事の強い思いから設置さ
れましたが、そこには市民団体やボランティアの代表が加わりました。

会議の議論や現場の調査には行政職員も参加し、官民が協働して、復興政策の決定
と実施に当たるなど、新しい社会システムが築かれました。

2004年、震災が発生した中越地域では、阪神・淡路大震災のこの教訓に学び、
中越復興市民会議が組織されています。

災害からの復興を官民が協働してコーディネートする、新しい社会システムの原点
が阪神・淡路大震災にはあったのです。


隠し味としての防災

復興というと、災害等による被害から立ち上がるイメージがありますが、復興とは
新しい社会をつくることであり、災害後であれば、被害を軽減する社会を築くこと
です。

従って事後の復興は、次の災害に対する事前の減災といえます。

復興の中身をどうつくり上げていくか。その時、私が大切だと考えるのは、復興が
防災対策だけにとらわれてはならないということです。

防災は必要条件。だからおろそかにしてはいけない。

しかし安全さえ確立すれば人生は生きていけるのでしょうか。そうではありません。
日々の暮らしや仕事があり、家族のつながりなど、さまざまな要素があります。

安全のためだけに、そのほかを犠牲にするのは難しいのではないでしょうか。
強いて言えば、防災は「隠し味」」として確保していくということです。

災害への備えを忘れてはいけないけれど、地域や人々にとって大切なことは何か-
-「自然と共生する」「互いに助け合い暮らす」等々、皆で意見を出し合い、地域
の未来を考えていくなかで、防災を隠し味として加えていくことが大切であると
思います。

さらには、防災、減災が文化とて、生活の一部になっていることが、復興をより
確実にしていくと考えています。

例えば、家具の転倒による被害の防止策として、家具の固定等がことさら強調さ
れますが、日常的に部屋を整理し、家具の配置を考え、大量に物を持ち込まず不
要な物は減らす。

こうした生活改善の延長線上に家具の転倒による被害の防止策を捉えていくこと
はできないでしょうか。

また、現在、各地で防災訓練、避難訓練が精力的に行われていますが、元々地域
で行われてきたお祭りなどの行事は、地域の人々の結び付きを強め、共に作業す
るなど、防災訓練、避難訓練の役割を果たすものです。

やぐらを組むロープワークは災害時に必要なことでもあるし、皆が食材を持ち寄
って行う炊き出しは、避難所の食事支援の仕組みそのままです。

生活の一部である暮らしの作法を定着させ、コミュニティー内の交流を強め、無
理なく安全な社会を築くことが真の防災文化であると思います。


かたちでなく思いを

災害から復興を遂げた地域に共通することは、地域の人々の意見を聞く仕組みが
働いていることです。

1989年、大きな地震に襲われた米・サンフランシスコの南に位置するサンタ
クルーズという町では、市民が10日間かけて復興への思いや希望を語り合いま
した。

そして、それを絵に描き、復興計画を作り、小さな女の子が発した声にも耳を傾
けるなど、市民が希望を持てる町へと復興しました。

阪神・淡路大震災では、まちづくり協議会がそれを担いました。

復興の土台にあるのは、こうした「意見を言い合える文化」ではないかと考えま
す。

復興を英訳する際、reconstruction ではなく、revitalization を、私は使うよ
うにしています。
復興とは再建ではなく、生きる力を取り戻すことだと考えるからです。

「かたち」ではなく、「思い」が大切なのです。

「こうしたまちで家族と暮らしたい」「この地域のお祭りを残したい」--そう
した思いが、生きていく希望であり、それを取り戻すことが、復興の主眼であ
るべきだと思います。

 

 

 

 

 


国難防ぐ「縮災」の提唱-激甚化する災害へ、知恵を出さなければ負ける :河田 恵昭(よしあき)関西大学安全研究センター長

2019年12月18日 12時11分42秒 | 減災・防災から復興まで

 

 国難防ぐ「縮災」の提唱-激甚化する災害へ、知恵を出さなければ負ける
  河田 恵昭(よしあき) 関西大学安全研究センター長

 

尾崎 洋二 コメント:私は大きな災害があるたびに、日本にも米国にあるFEMA
(フィーマ:Federal Emergency Management Agency :アメリカ合衆国連邦緊急事態管
理庁)のようなものが必要だという思いを強くしています。
 
 この点河田氏は、災害が起きる前から日常の防災対策を進める「事前防災」と災害
後の速やかな復旧・復興によって、被害全体を少なくすることを目的とした、省庁を
つなぐ防災省の設置を訴えています。

 地球温暖化によって日本における災害も、多発・激甚化しています。
  また南海トラフ地震や首都直下地震も予想されています。

 このような時代だからこそ、河田さんの主張する時間軸とコスト感覚を取り入れた
「縮災」の考えが広く私たちに浸透しくことを切に願います。

-------------以下 聖教新聞12月12日2019年-要点抜粋箇条書き--------


無視できない風水害

 日本では、過去1500年の間に平均して15年に1回、死者がおよそ1000
人を超える巨大災害に襲われてきました。

 その長期的サイクルは変わっていません。
 そのなかで一番多く発生しているのが洪水氾濫であり、30回も発生しています。

 昨年の西日本豪雨では、250人以上が亡くなり、今年の台風19号でも100
人近い尊い人命が失われました。

 国土交通省が進めてきた治山・治水事業によって被害拡大を防止してきた面もあ
りますが、現在、それを上回る外力が地球温暖化の影響によって働いています。

 丘陵地や田畑の宅地化、舗装道路の拡張などの都市化によって、河川に流れ込む
水量が激増し、水害の多発・激甚化も進んでいます。

 従って、これに応じるだけの対策が必要となっているのです。

 風水害を含めて、日本には、被害の大きさに気づいて、初めて対策を実施すると
いう姿勢が根っこにあります。
 したがって、防災対策は後追いで、災害対策基本法は原型復旧が基本です。

 これでは、地球温暖化に伴って、年々多発・激甚化する災害に対応できません。

 その点では原型復旧ではなく改良復旧を基本とする米国の例が参考になります。

 例えば、高潮被災地の復旧・復興では、家屋等を土地ごと買い上げ、住民に転居
を促し、諸事情で移転したくない住民の防護には、100年に一度の高潮に耐えら
れる海岸堤防を造成。

 それで守れない氾濫の被害に対しては、ピロティ形式(1階部分を駐車などに利
用する建物の形式)の住宅建設を住民に義務付け、その一部の経費を公的に負担し
ています。

 より強い社会へ改良していくという発想がそこにはあります。

 
事前防災と早い復旧

 縮災とは、災害が起きる前から日常の防災対策を進める「事前防災」と災害後の
速やかな復旧・復興によって、被害全体を少なくすることであり、防災や減災には
なかった時間的ファクターが加わるのが特徴です。

 復旧・復興が遅れれば、経費はかさむことになりますから、コスト感覚と言い換
えられるかもしれなません。

 被災した際、どのような復興を目指すのか、住民の基本合意をもとに事前復興計
画をつくっておく。
 
 そうすることで、災害直後から復旧・復興をスタートさせることができます。

 防災・減災対策に特効薬というものは存在しません。災害の種類、被害の規模、
被災者の状況はさまざまです。

 こうしたなか、対策をいくつも組み合わせることで、多様化する価値観にバラン
スよく対応することにもつながります。

 縮災は「Disaster Resilience」を日本語に訳したものですが、Disaster 
Resilience では、National Resilience が重要な役割を果たすと考えます。

 ところが、日本では、National Resilience が国土強靭化と訳されたため、縮
災は、国が進める取り組みであるかのように考えられてしまいました。

 しかし、National Resilience は、政府から家庭までの共同体(コミュニティ)
での人間活動を指します。

 従って、縮災は、国民に直結した各組織全体で協力して進めるものです。
 その主役は国民一人一人です。


偏見を正す教育こそ

 日頃から行っていない取り組みは必ず失敗します。
 だから、縮災の取り組みも住民レベルで災害文化として定着させていくことが大
切です。

 それには教育が必要です。
 人は経験によって賢くなるけれども、経験したことのないことは失敗します。

 昨今の台風、豪雨災害はそのことを示しています。

 中学校、高等学校の日本史の授業では、日清戦争の戦死者を約8000人を超え
る、約2万2000人が犠牲になった明治三陸津波については詳しく教えられるこ
とはありませんでしが。

 こうした歴史教育の偏りも正しつつ、教育によって防災文化を根付かせていくこ
とが大切です。


省庁をつなぐ防災省を

 多発・激甚化する災害に対し、各省庁を連携し、強い調整力で事前対策から復興
まで総合的に進める防災省のような組織が必要だと考えています。

 例えば、国交省が進めてきたダムの建造や管理も、経産、総務、厚労、財務省な
ど各省庁の関係者が加わって協議する場を防災省が設定することで、一つの省庁で
は気付かなかった防災の観点が生まれることになります。

 公共事業の多くが省庁の縦割りで進められてきましたが、被害が多様化する災害
対策事業では、それを横につないでいかなければなりません。
 
 その役割を担うのが防災省です。

 私たちと災害は知恵比べをしているのであり、知恵を出さない方が負けるのです。
 

 

 
 
 
 
 


事後から事前対策へ-議論深め抜本的対策を 大災害に備える財政政策と財源:宮入 興一(愛知大学名誉教授)

2019年07月11日 13時25分05秒 | 減災・防災から復興まで

事後から事前対策へ-議論深め抜本的対策を
大災害に備える財政政策と財源:宮入 興一(愛知大学名誉教授)

--------聖教新聞7月11日2019年 要点抜粋箇条書き----- 

天地動乱の時代の日本


1-日本=世界の0.25%の国土面積に下記災害要因が集中する。
① 8.5%:世界の中でのマグニチュード6.0以上の地震の割合
② 7.1%:世界の中での活火山の割合
その結果→17.5%:世界の中での災害被害額の割合→災害が集中している日本という国の実態(1984年~2013年累計)

2-日本は大災害の誘因を拡大してきた社会ではなかったのか?
 高度成長期以降の日本の発展は、「社会資本充実政策」を柱とする開発優先型経済に支えられてきた。
 その結果、日本には、安全を軽視して不均衡な国土・地域経済が誕生した。

3-大都市圏に人口と資産が集中し、全国の1割の沖積平野に、日本の人口の約2分の1、全資産の4分の3が集積した。
 しかし、計画的な土地利用や秩序ある開発事業が講じられたとは言い難く、巨大災害リスクの高まり、災害に脆弱な都市・国土構造が深化、拡大した。

4-地方では過疎化と高齢化が進行し、森林の荒廃や耕作放棄地が拡大し、風水害などの自然災害の誘因ともなっている。
 過疎化と高齢化による地域コミュニティーの機能劣化から防災力・復興力の弱体化も進んだ。


あいまいな国の責任


1-災害対策における国の責任があいまいさがある。
 災害対策基本法には、「国の責務」が規定されているが、それは法律上の「努力義務」、または「行政当局の広範な裁量権」と捉えられてきた。
 国は「自然災害=天災論」に固執し、自然災害は天災だらか国に責任はなく、被害は被災者個人責任であるとした。
 その結果、多数の災害難民と被災地の疲弊を生むことになった。

2-国の責任の所在を明らかにし、災害対策の制度と運用の拡充を図ることが課題となっている。
 国の災害関係予算の優先順位の相対的低さと、予防対策の軽視も指摘されるべき問題点である。
 予算全体の占める災害関係予算のウエートは、10%を超えることはなく、むしろ傾向的に低下し、災害大国としては貧弱。
 その内容も災害復旧事業と、ダムなどの国土保全投資に偏重し、堤防強化や住宅の耐震補強、コミュニティーの再建など、災害予防予算は軽視されている。
 被災した個人や中小企業への生活・生業支援や災害復興法制の欠如も問題点として挙げられる。

3-中長期的復興につなげる視点から、災害救助法や災害弔慰金法、被災者生活再建支援法などを統合して「被災者総合支援法」を創設、救助内容の拡充や国の財政支援の強化、自治体での運用の柔軟性を保証することが必要。
 被災者生活再建支援法については、支援金の引き上げ、全災害への適用拡大、支援対象の拡張を図ることも必要。

4-「中小企業等グループ補助金」は、現在は国の予算補助で、それに県負担が加わるが、これを、被災地自治体を中心とする分権・自治型で運用可能な恒久的制度として法制化すれば、被災業者の再建に、より確実に生かすことができる。


効果を精査し、検証も


1-財源を拠出する前提として、限られた財源が向かう先の、その効果を精査することも必要。

2-本来必要なところに財源が充当されているのか、どの程度の効果を上げ、効率的に使われているのか、明確に検証しなければならない。

3-そうした点では、財源の向かう先を、「事後復興」から「事前復興」へ抜本的にシフトさせることが必要。
 「事前復興」が適切に機能すれば、災害が発生しても、被災者支援や復旧事業のような事後対策も軽減につながる。
 そうすることで、被災状況が最も深刻な人々の生活や生業、地域コミュニティーの再生などの分野に財源を集中することが可能になる。

4-2019年、出された土木学会の推計。
 中央防災会議の資産被害額に被災後20年間の経済被害を加えると、
被害総額は、南海トラフ地震 1,410兆円
      首都圏直下地震  787兆円


5-しかし、道路や港湾、堤防等の建築物の耐震強化などのインフラ減災対策によって、経済被害の減災効果は、
      南海トラフ地震  509兆円(減災率 41%)
      首都圏直下地震  247兆円(減災率 34%)
とされている。


6-この減災対策に必要な事業費は、
      南海トラフ地震  38兆円。
      首都圏直下地震  10兆円
と相対的に小さい。

7-国の予算の再検討と抜本的組み替えによる災害対策費の拡充が焦眉の急となっている。

 

 


   

 


地域の安全リーダーや防災士たちよ、「未来への他者になれ!」「12頭目のラクダを与えられる賢者になれ!」

2019年06月27日 16時16分26秒 | 減災・防災から復興まで


地域の安全リーダーや防災士たちよ、「未来への他者になれ!」「12頭目のラクダを与えられる賢者になれ!」
理想の共同体の実現-未来の他者から切迫する現在を見返す。
大澤 真幸(まさち)・社会学者-著書「夢よりも深い覚醒へ-3.11後の哲学」など

尾崎洋二コメント:2011年3月仙台市の体育館で災害ボランティアセンターでの活動を私は震災直後から土・日・祭日に行いました。

ボランティア活動志願者の方たちを受け付け登録し、被災者からの要望のあるところに支援にいっていただくように依頼する事務局の仕事でした。
センター開設当初、朝、受付開始のとき多数の若者の群れが長い行列を作って待っているのを見たとき、私は新鮮な感動を覚え、私の心が震えたことは今でも忘れません。

 3.11が日本人の利他的な意識に与えた影響を直接肌で感じた瞬間でした。

 これからの始まる復興においてもこのような利他的な精神がなるべく長く続くにはどうしたらいいのだろうか?という素朴な疑問を私は感じましたが、この疑問の解決こそが、災害が起きても、その被害は最小化されるし、完全な破局も避けられる、さらに場合によっては3.11の原発事故も避けられたのではないか?という大澤真幸さんの考えに驚愕しました。

 地域の安全リーダーや防災士たちよ、「未来への他者になれ!」。
あるいは、「12頭目のラクダを与えられる賢者になれ!」というメッセージを大澤さんが私に与えてくれたように思いました。

-------------以下 聖教新聞6月27日2019年 要点抜粋箇条書き------

惨事後、出現する連帯


1-「自殺論」(エミール・デュルケーム)の中では、戦争、革命、大災害等の激動のときには、自殺率が低下する。

2-自殺率は、社会の統合度が低下し、人々の間の絆が弱くなっているときに高くなる。

 つまり自殺率の変化は、戦争や大災害の直後には社会の連帯の強度が高まることを示している。

3-さらにレベッカ・ソルニットは「災害ユートピア」において、災害によって法も警察も機能しなくなった状況の下では、利己性をむき出しにした生存競争が激化し、暴行や略奪がまん延するという考えに対して、大震災やテロ等の被害者への聞き取り調査によって、実際に起きることはこの通念とは正反対だと明らかにした。

4-地震や爆撃等の直後の緊迫した状況の中では、すべての人が特別に利他的になり、身内にだけではなく、見知らぬ人にさえも思いやりを示し、互いに助け合う。

コミュニズム的関係

1-破局的な惨事の後に出現する、こうした共同体は、本来の意味での「コミュニズム」である。共産主義体制のことではなく、「各人はその能力に応じて貢献し、各人にはその必要に応じて与えられる」という原理に基づく人間関係のことだ。

2-問題はしかし、この理想に近い社会が、破局的災害の直後という例外状況の中で、短期的にしか実現しないことだ。

 だが少なくとも、私たちは、地震や原発事故やテロ等の「事後」を体験することで、コミュニズムが夢物語ではなく、現実になり得ることを知った。

3-このコミュニズム的な関係が災害直後という時間を超えて持続し、社会の常態となったとしたらどうだろうか。

 「災害対策と復興」という点に絞ったとしても、その効果はまことに大きい。

4-コミュニズムが日常的な関係の在り方として、初めから確立していれば、そのことこそが、災害に対する最も効果的な予防策になるということだ。

日頃から人々の間の関係がコミュニズムの原理に立脚していれば、そこから自然に派生する相互扶助が、物的・人的な被害を最小限に抑えるだろう。

 それだけではない。
 コミュニズムの下ではそもそも、いくつかの災害は生起することすらなかっただろう。

3.11の原発事故事例とコミュニズム

1-どうして、福島県浜通りに原発が何基も建てられていたのか。

 そこが貧しい地域で、原発を誘致することでしか経済を活性化させることができなかったからだ。

 原発は、日本の経済成長が格差を放置して達成されたことの結果である。

2-もしコミュニズムの原理が生きていて、日本人が深刻な格差を許さなかったら、列島にこれほど原発は建設されず、3.11の事故も起きなかっただろう。

3-コミュニズムの原理が働いていれば、災害が起きたとしても、その被害は最小化するし、完全な破局は避けられる。

 テロや、あるいは地球温暖化による破局に対する最も効果的な対抗策は、大規模なコミュニズムだ。

4-だが、コミュニズム的な関係性は大惨事の事後にしか訪れない。

 コミュニズムを、例外状態を超えて常態化することは可能か?

破局の事後に立つ視点

1-コミュニズムを、例外状態を超えて常態化することは可能だ。

 例えば、私たちは3.11の原発事故の後、日本の戦後史を振り返り、こう思ったはずだ。
 こんなひどいことになると知っていたら、もっと本気になって、経済格差を縮小するための根本的な政策を支持したのに。

 こんなことになると分かっていたら、最初からコミュニズムを選択していたのに。

2-これと同じ視線を、つまり現在の私たちが過去の日本人に向けるのと同じ視線を、来たるべき破局の後に立つ未来の他者が現在の私たちに向ける。

その未来の他者は、コミュニズム的な含意をもった思い切った政策を、(現在の私たち)が取るべきだ、と考えるに違いない。

3-つまり私たちが、事後の他者、未来の他者の視点の存在を想定し、そこから見返す視線を通じて、自分自身を反省することができれれば、惨事が起きる前に、コミュニズムによった政策やルールを選択することができるだろう。

どこまで接近できるか?

1-しかし、この未来の他者は、現在の私たちにとって、二重の意味で「不在」である。

まずは、まだ来ぬ時点に属している、という意味で。

2-それだけではない。

 もし私たちが破局を回避することに成功すれば、その他者―破局の事後に立つ他者-は「存在していなかった」ことになるのだ。

3- だから、私たちは、まさに不在である限りにおいて、その存在を実感できるような他者の視点に頼らなくてはならない。

 不在だけれども存在する?
 そんな逆説は可能なのか?
 もう一度言おう。
 可能なはずである。

4- 政治哲学者のジャン=ピエール・デュピュイは、こんな寓話を紹介している。


 アラブの商人が、3人の息子に11頭のラクダを残して死んだ。

 遺言状には、長男が半分を、次男が4分の1を、三男が6分の1を取れ、とある。

 11は2でも、4でも、6でも割り切ることができない。

 困った兄弟は賢者に相談した。

 賢者は自分の1頭を加え、ラクダを12頭にした。

 兄弟は、この12頭を、遺言通りの比率で分け、長男が6頭を、次男が3頭を、三男が2頭を取った。

 そして、賢者は余った1頭を回収した。

5-考えてみると、12頭目のラクダは、実際に存在しなくてもよい。

 存在していると仮定するだけで十分だ。

 不在である限りで存在する未来の他者とは、この12頭目のラクダである。

 


減災担う人材どう育てるか-小川和久氏

2019年05月21日 08時52分48秒 | 減災・防災から復興まで

尾崎洋二コメント:復興庁の後継としてあらゆる災害対応の司令塔としての役割や防災・減災、災害後の復興までを一貫として対応をする防災省や、米国のような緊急事態管理庁(FEMA)、そして減災・防災人材育成のための災害教育訓練施設「ディザスター・シティー」の日本版構想がぜひあって欲しいと思います。

----------------------------------------------------------

減災担う人材どう育てるか-小川和久氏(静岡県立大学特任教授)に聞く

米テキサス州内にある世界最高峰の災害教育訓練施設「ディザスター・シティー」の日本版構想を提唱

公明新聞5月18日2019年-要点抜粋箇条書き

 

1-   復興格差の拡大を許してきたものに「自治体間の対応力の落差」があるのでは?

2-   現場で危機管理に当たる防災課や災害課など担当部局スタッフの意識差、力量差にあるのではないか?

3-   学校、企業、住民組織、さらには地元消防署や警察も含め、日本の危機管理体制拡充、とりわけ専門要員の育成システムの確立が急がれる。

4-消防、警察、自治体の実態は、外の世界との接触を通した切磋琢磨がないため、組織  文化が極めて内向きで、自己満足に陥りがちである。

 

 

危機管理の要諦は「必要なことを適切なタイミングでできるかどうかにある」

1-   そのためには、災害対応であれテロ対策であれ、各組織が一斉かつ同時に、同じ目的意識で動けるようにしておかなくてはならない。情報もスキルも共有できていることが前提となる。

2-   ところが日本の現状は、どの組織も自分の殻の中に閉じこもり、自分の組織のことした考えない傾向が強い。言われるところの「縦割り」だ。

3-   例えば、2018年の北海道胆振東部地震にいおけるブラックアウト(全域停電)。上は情報ネットワーク業務を管轄する総務省と経済産業省から、下は電力会社をはじめとする民間組織まで、情報も知識も共有されていないことが明るみになった。

4-   2018年秋、台風21号による惨禍に見舞われた関西空港でも同じ。米国における緊急事態管理庁(FEMA)のような司令塔機能がないために、例えば、携帯電話会社の移動式基地局が持つ情報通信機能を有効に活用することすらできず、空港に閉じ込められた人々を情報面で孤立させてしまった。

5-   (関西空港事例)脱出に際しても、能力をフルに発揮したのは民間の高速艇の会社だけ。きちんとした司令塔があれば、海上保安庁の中・小巡視船で対岸まで容易に輸送できたはずだ。

6-   消防、警察から自治体、民間組織に至るまで、災害対応に関わる担当者が情報と知識を共有し、能力も互いに高め合うための「危機管理要員教育訓練施設」の整備を急ぐ必要がある。

 

米テキサス州内にある世界最高峰の災害教育訓練施設「ディザスター・シティー」と台湾政府の危機管理要員訓練機関「内政部消防訓練センター」から日本は何を学ぶべきなのか?

1-   世界最大規模の火災訓練場をはじめ、がれきの山や崩壊住宅、危険科学物質などを広 大な敷地内に配置し、座学から実際的な消化、救命、救急医療などの訓練を行っている。

2-   その米国から専門家を招いて国際水準をはるかに上回る要因育成を実践している台湾「内政部消防訓練センター」。

3-   日本でも復興庁と国土交通省、総務省消防庁を中心に日本版「ディザスター・シティー」を検討して欲しい。

4-   例えば福島復興に関連して公明党が推進している国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト(国際研究産業都市)構想」に、この日本版「ディザスター・シティー」構想を入れ込むことも一案だろう。

5-   ロボット開発など最先端産業の技術をドッキングさせることで、より高度な知識と能力を備えた危機管理要員を輩出しゆく世界有数の施設とすることが可能だ。

---------------------

下記も参照ください。
ポスト復興庁は全国規模のさまざまな危機管理も担うような統合的な機関「危機管理庁」も検討すべき