能登半島地震から2カ月余 寄り添い合う関係を
「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」所長・災害公衆衛生学医師の栗山進一氏
箇条書き要点まとめ
1-能登半島地震の発生から2カ月。
東日本大震災を振り返ると、被災者の心身に新たな変化が起きたのは、ちょうどその頃。
心理的な面では、自分の置かれた状況や将来について、少しずつ考えられるようになる時期。
ふと我に返って「自分はなぜ被害に遭わなければならなかったのか」「これからの仕事はどうなってしまうのだろう」などと考える時間が増え、将来に不安を感じる人が多くなる。
まさに一人の声に応えていかなければならないのが、これからの支援の課題。
こうした生活の再建に、行政も力を尽くしているが、一人一人の置かれた状況も乗り越えるべき課題も異なる。
ここに手当てをすれば、全て解決というものではない。
中には、周囲に遠慮してものを言えない人もいるので、私たち研究者や支援に当たる人々が、被災した一人一人の声に耳を傾け、どういった支援が必要なのかをつかんでいくことが大切。
これを専門用語では、「災害ケースマネジメント」と呼んでいる。
2-また、肉体的な面での変化が出てくるのも、この時期。
それは、避難生活の中で服薬を続けられなかったことによる持病の悪化や、精神的な疲労、運動不足といった影響が出てくるから。
今や高齢者のほとんどが、何らかのお薬を飲んでいるため、高齢者が多い能登は、持病の悪化が懸念される。
持病の悪化や生活習慣の乱れなどは、災害関連死につながる。
このまま今後数年は、災害関連死に留意が必要です。
災害関連死といっても、その要因は多様です。これまでは低体温症やエコノミークラス症候群などへの注意が求められてきたが、今後は、持病の悪化や精神的なストレスなどを原因とする脳卒中や心筋梗塞等へとシフトしていく。
時間の経過とともに被災者の置かれる状況も多様化していくので、潜在的な関連死のリスクに対して、これまで以上に細かなケアが求められていく。
過去の災害を見ても、関連死の危険性は、少なくとも3年は続くので、粘り強く対策を進めていくことが必要。
3-東北では震災から1年半、沿岸部の自殺率が減少し、国の平均以下だったが、ボランティアをはじめとする支援の手が引いてからは増加傾向に転じた。
精神的な支援をしてくれていた人がいなくなったことで、苦しみに耐えられなくなったことが大きな要因の一つだと考えられる。
「前を向けるまで一緒にいますよ」と、そばで寄り添ってくれる人の存在や、そうした人たちとのコミュニケーションがますます重要になってくる。
さらに、被災した方々が自分の思いを素直に伝えられる、コミュニティーの存在が必要になる。
特に能登では今後、仮設住宅などでの生活が始まりますが、避難生活を送ってきたコミュニティーがバラバラになり、一人一人が孤立してしまう可能性がある。
また仮設住宅に入る人の多くは、“これ以上迷惑をかけられない”と、周囲に助けを求めなくなるし、周囲も“そっとしておいてあげよう”という思いが働くことが予想される。
その中で、孤立が進んでしまえば、被災者はますます、つらい気持ちを胸にしまい込んでしまうし、周囲と話さなければ、前を向いて生きようとする気持ちにもなりにくくなってしまう。
「コミュニティー」「コミュニケーション」においては、“寄り添う側”と“寄り添われる側”といった関係ではなく、互いに“寄り添い合う”という関係を築くことが大切。
5-災害から命を守る上では、過去にどのような行動を取り、どんな結果になったのかという教訓や、これから発生する災害には、どのような事態が予想されるのかといった科学的な探究が欠かせない。
そうした科学的根拠から防災のあり方を考え、実践に生かしていくことは大切だが、いざ実践に移してみると、その方法に当てはまらない人が必ず出てくる。
その時に、「漏れる人が悪い」といって切り捨てるのではなく、「漏れ出てしまう人がいるならば再考すべきだ」と、もう一度、知の泉を汲み直す。その往復の中で、“誰も置き去りにしない防災”というものが、実効性のあるものになる。
そうした流れも、互いに寄り添い合い、互いに学び合うという関係性から始まっていく。
㊦
4-災害で命を守るための一番の方法は、どこまでいっても「事前の備え」に尽きる。
防災の基本は、まずは自分の身は自分で守ること。
そのためにも、自宅の耐震化や、家具類が転倒・落下しないように固定するなどの対策が必要。
これが大切な「事前の備え」の例。
東京消防庁は、近年発生した地震で、家具類の転倒・落下などを原因とするけが人が、どの程度いたのかを算出している。
例えば2016年に発生した熊本地震では、一般住宅で29・2%、高層マンションで40%となっている。
これは、家具類を固定していれば、けがをしなくて済んだであろう割合と、捉えることもできる。
これまでの災害の教訓をひもといても、命を守るための手立ては、決して特殊なものではなく、特別な技術を必要としないものばかり。 しかし、その対策を“後でやればいい”と先延ばしにしたり、“わが家は対策をしなくても大丈夫だろう”と油断したりしているうちに、災害が起きてしまうというのが現実。
私は、事前の備えも含めて“できたのにやらなかった”という人をゼロにしたいと思う。
それが災害で誰も命を落とさない社会を築くための、大切な視点。
たとえ地道であっても、一人一人が自らの行動を変えていくためには、行動が変わるまで関わり続けるコミュニケーションが重要。 中には、関心がない人もいるかもしれませんが、周囲の命を守るためには、その大切さを伝え続けていくことが必要。
---以下 聖教新聞本文 2024-㊤ 3/11 ㊦-3/12---
2011年3月11日の東日本大震災の発生から13年。この震災の翌年に設立された「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」では、災害の経験や教訓を踏まえつつ、自然災害から人々の命を守るための、さまざまな研究を行ってきた。新企画「BOSAI(防災)アクション――東北大学災害研の知見」では、災害研に所属する研究者に、それぞれの専門分野の立場から、今後、求められる災害への備えや心構えについて語ってもらう。第1回は、同研究所の所長で、災害公衆衛生学を専門とする医師の栗山進一氏。㊤では、令和6年能登半島地震の被災地で今後、懸念されることなどを語ってもらった。(聞き手=水呉裕一、村上進)
一人の声に応える
――災害研は、令和6年能登半島地震の発災当初から、被災地の支援や現地の調査などを行ってきました。東日本大震災の教訓なども踏まえ、今後、懸念されることを教えてください。
令和6年能登半島地震の発生から2カ月あまりがたちます。東日本大震災を振り返ると、被災者の心身に新たな変化が起きたのは、ちょうどその頃でした。
心理的な面では、自分の置かれた状況や将来について、少しずつ考えられるようになる時期かもしれません。発災直後は、それこそ日々を生き抜くことに精いっぱいで、目の前の課題に追われていますが、そうしたものの先が見え始め、ふと我に返って「自分はなぜ被害に遭わなければならなかったのか」「これからの仕事はどうなってしまうのだろう」などと考える時間が増え、将来に不安を感じる人が多くなるということです。これは、東北の被災者や自治体関係者も語っていたことです。
能登では今、農業や漁業、輪島漆器生産等の地場産業や、観光業を営む人が、仕事を続けていけるのか不安に感じているとの報道もあります。まさに一人の声に応えていかなければならないのが、これからの支援の課題だと思います。
こうした生活の再建に、行政も力を尽くしていますが、一人一人の置かれた状況も乗り越えるべき課題も異なります。ここに手当てをすれば、全て解決というものではありません。中には、周囲に遠慮してものを言えない人もいるので、私たち研究者や支援に当たる人々が、被災した一人一人の声に耳を傾け、どういった支援が必要なのかをつかんでいくことが大切だと感じます。これを専門用語では、「災害ケースマネジメント」と呼んでいます。
また、肉体的な面での変化が出てくるのも、この時期です。それは、避難生活の中で服薬を続けられなかったことによる持病の悪化や、精神的な疲労、運動不足といった影響が出てくるからです。
今や高齢者のほとんどが、何らかのお薬を飲んでいるため、高齢者が多い能登は、持病の悪化が懸念されます。
一般的には、2040年に日本の人口の35%が65歳以上の高齢者になるといわれる中、能登は既に2人に1人が65歳以上です。そうした方々には、生活習慣に留意していただくのはもちろん、一日も早く服薬できる環境を整え、服薬を再開していただくことが大切です。
中長期的な支援を
――持病の悪化や生活習慣の乱れなどは、災害関連死につながるものです。ますます注意しなければならないということですね。
その通りです。今回の能登半島での発災以降、聖教新聞をはじめ、さまざまなメディアが、災害関連死への注意喚起をしてくださったおかげで、被災地では関連死を起こさせまいと、気が配られていることを実感します。このまま今後数年は、災害関連死に留意が必要です。
災害関連死といっても、その要因は多様です。これまでは低体温症やエコノミークラス症候群などへの注意が求められてきましたが、今後は、持病の悪化や精神的なストレスなどを原因とする脳卒中や心筋梗塞等へとシフトしていきます。時間の経過とともに被災者の置かれる状況も多様化していくので、潜在的な関連死のリスクに対して、これまで以上に細かなケアが求められていくと思います。過去の災害を見ても、関連死の危険性は、少なくとも3年は続きますので、粘り強く対策を進めていくことが必要です。
また、東北では震災から1年半、沿岸部の自殺率が減少し、国の平均以下でしたが、その後、ボランティアをはじめとする支援の手が引いてからは増加傾向に転じました。さまざまな調査結果を踏まえると、精神的な支援をしてくれていた人がいなくなったことで、苦しみに耐えられなくなったことが大きな要因の一つだと考えられています。
このような東日本大震災の教訓から考えても、災害支援は中長期的な視点をもって進めていくべきです。
自然災害における最先端の研究を行う東北大学災害科学国際研究所
――栗山所長は災害研の中で、震災後にどのような健康被害が出るのかを研究してこられました。その研究からは、どのようなことが分かっているのでしょうか。
例えば、4~5歳の時点で震災を経験した子どもでは、震災から約半年後に過体重となっていた子どもの割合が多く、男児では特にアトピー性皮膚炎の増加、女児では特に喘息の増加が被災と関連する傾向にあることが分かりました。震災の影響は、高齢者だけでなく、子どもたちを含む、全ての人に及ぶということです。
また、震災によるストレスや生活習慣の乱れの影響は、子や孫の代にまで及んでしまう可能性があることも分かってきました。これは、7万人以上にご参加いただいている「三世代コホート」という調査で明らかになったものです。コホートとは健康状態などを観察し続ける人の集団のことで、親から子、そして孫へと、3世代にわたって一つ一つの家族を追い、生活習慣や遺伝情報、疾患歴などを踏まえつつ、震災の影響がどう次の世代に残っていくのかを調査したものです。
その中で、震災で自宅が被害を受けた妊婦は、被害のなかった妊婦に比べて喫煙の割合が高い傾向にあり、母親が妊娠中にたばこを吸うことで子どもが低出生体重で生まれる割合が高いことが分かりました。また、これまでの医学では低出生体重で生まれた女の子が大きくなって出産した時、妊娠高血圧症候群になりやすく、生まれた子どもは2歳ごろに自閉傾向が出やすくなることも分かっています。
孤立しない、させない
――そうした健康被害を未来に残さないために、能登の被災地では、どのような対策が必要だとお考えですか。
「前を向けるまで一緒にいますよ」と、そばで寄り添ってくれる人の存在や、そうした人たちとのコミュニケーションがますます重要になってくると思います。さらに、被災した方々が自分の思いを素直に伝えられる、コミュニティーの存在が必要になると感じます。特に能登では今後、仮設住宅などでの生活が始まりますが、避難生活を送ってきたコミュニティーがバラバラになり、一人一人が孤立してしまう可能性があります。
また仮設住宅に入る人の多くは、“これ以上迷惑をかけられない”と、周囲に助けを求めなくなりますし、周囲も“そっとしておいてあげよう”という思いが働くことが予想されます。その中で、孤立が進んでしまえば、被災者はますます、つらい気持ちを胸にしまい込んでしまいますし、周囲と話さなければ、前を向いて生きようとする気持ちにもなりにくくなってしまうでしょう。その上で、私は「コミュニティー」「コミュニケーション」においては、“寄り添う側”と“寄り添われる側”といった関係ではなく、互いに“寄り添い合う”という関係を築くことが大切だと思っています。
そもそも、それらの言葉は、「分かち合う」という意味のラテン語「コミュニス」を語源とします。決して簡単なことではありませんが、“苦しさ”や“寂しさ”も分かち合うような関係を築くことが、今後の復興のみならず、被災した方々の力になると思います。
置き去りにしない
――そうした関係性を築くことができれば、支援する方々にとっても、復興のためには何が必要なことなのかが見えてくると思います。
実は、そうした関係性を築くことこそ、災害研が目指すあり方です。
私たちは、被災された方はもちろん、「南海トラフ巨大地震」や「首都直下地震」といった近未来に想定される災害に備えるために、「知の泉を汲み、実の森を育む」ということを大切にしてきました。
これは、「知の泉」、つまり過去の教訓や災害科学の“知識の泉”を活用しながら、「実の森」、つまり人の命を守るための“防災実践の森”を育む挑戦です。
災害から命を守る上では、過去にどのような行動を取り、どんな結果になったのかという教訓や、これから発生する災害には、どのような事態が予想されるのかといった科学的な探究が欠かせません。そうした科学的根拠から防災のあり方を考え、実践に生かしていくことは大切ですが、いざ実践に移してみると、その方法に当てはまらない人が必ず出てくるものです。
その時に、「漏れる人が悪い」といって切り捨てるのではなく、「漏れ出てしまう人がいるならば再考すべきだ」と、もう一度、知の泉を汲み直す。その往復の中で、“誰も置き去りにしない防災”というものが、実効性のあるものになると考えていますし、そうした流れも、互いに寄り添い合い、互いに学び合うという関係性から始まっていくと思うのです。
――創価学会でも「同情」ではなく、「同苦」する気持ちを大切にし、まさに地域の共助に不可欠である寄り添い合う心を大切にしながら、今日まで歩んできました。
東日本大震災の時を振り返っても、学会の皆さんは粘り強く、“寄り添い合おう”“一緒に乗り越えよう”というメッセージを、聖教新聞をはじめとするメディアや、地域社会での対話など、あらゆる手段を使って発信し続けてくださいました。それが大きな復興の力になったと確信しますし、特定の宗教団体の枠を超えた、普遍的な復興支援のあり方だと感じています。
一人一人の復興への道筋はあまりにも多様で、一律に、こうすればよいという“特効薬”はありません。だからこそ、幅広いネットワークを持つ皆さんには、今回の能登半島地震をはじめ、これから起こる災害においても、一人一人の声に耳を傾け、被災した人々の気持ちを分かち合っていただきたいと願っています。
㊦
家具類の固定が要
――災害多発時代にあって一人一人が自分の命を守るためには、どのような対策や心構えが大切だと思いますか。
災害で命を守るための一番の方法は、どこまでいっても「事前の備え」に尽きます。防災の基本は、まずは自分の身は自分で守ることです。そのためにも、自宅の耐震化や、家具類が転倒・落下しないように固定するなどの対策が必要です。これが大切な「事前の備え」の例です。
東京消防庁は、近年発生した地震で、家具類の転倒・落下などを原因とするけが人が、どの程度いたのかを算出しています。例えば2016年に発生した熊本地震では、一般住宅で29・2%、高層マンションで40%となっています。これは、家具類を固定していれば、けがをしなくて済んだであろう割合と、捉えることもできます。
南海トラフ巨大地震の被害想定地域に住む約5000人を対象にした調査では、大きな災害が起こるといわれている地域にもかかわらず、「家具を適切に固定している」と答えた割合が、極めて低かったことも分かりました。
もちろん自宅の耐震化は大きな費用がかかるため、簡単にはできません。この点は行政の支援も必要でしょうが、家具類の固定は自分の意識次第で行えるものです。しかし、災害時において生存率を左右するほどの重要なことであって、“やらなければ”という意識はあったとしても、なかなか行動に移せていない人が多いのが現実です。
――“やらなければ”と思っていることを、実際に行動に移し、確実に「事前の備え」につなげていく。それだけで自分の命を守る大きな力になるということを感じます。
これまでの災害の教訓をひもといても、命を守るための手立ては、決して特殊なものではなく、特別な技術を必要としないものばかりです。しかし、その対策を“後でやればいい”と先延ばしにしたり、“わが家は対策をしなくても大丈夫だろう”と油断したりしているうちに、災害が起きてしまうというのが現実ではないでしょうか。
実際、東日本大震災での津波犠牲者の調査では、逃げられなかった人だけでなく、“自分は大丈夫だろう”“ここまで津波が来るはずはない”と思い込んで、逃げなかった人が少なからずいたことも、生存者へのインタビュー調査などから分かっています。
逃げられたのに、逃げないという選択をした人がいた事実を見つめ、どうすれば一人一人が意識から行動にまで移すことができるかを考えなければなりません。私は、事前の備えも含めて“できたのにやらなかった”という人をゼロにしたいと思っています。それが災害で誰も命を落とさない社会を築くための、大切な視点だと信じるからです。
――「事前の備え」がなぜ、特に大切だと思ったのでしょうか。
その発想が芽生えたのは、東日本大震災です。
震災が起こる前日まで、私は医師として、人々の健康や命を守ることを目指し、遺伝子レベルの研究を行っていました。しかし、私が守りたいと思ってきた多くの人々の命が、災害によって失われてしまった現実に触れ、“何でこんなに多くの人が犠牲にならなければいけなかったのか”“もっと事前にできることがあったのではないか”との思いに至ったのです。
医学では、病気になってから治療するのではなく、そもそも病気にならないために、どのような方法が考えられるのかを研究する「予防医学」という考えがあります。それと同じ発想で、さまざまな災害の被害を減らすために、どのような「事前の備え」が必要かということを探究する道に進もうと決めたのです。
「健康」との共通点
――「事前の備え」が大切とは分かっていても、実際にはできない人も多いと思います。その中で、多くの人が具体的に行動に移すようになるためには、どのようなことが必要だと感じておられますか。
たとえ地道であっても、一人一人が自らの行動を変えていくためには、行動が変わるまで関わり続けるコミュニケーションが重要です。中には、関心がない人もいるかもしれませんが、周囲の命を守るためには、その大切さを伝え続けていくことが必要です。
これは私が医師なので感じることですが、「防災」ということに関心がない人でも、「健康」という話だと耳を傾けてくれる人がいます。防災も健康もどちらも、自分の命を守るということでは、共通の課題でしょう。小さな気づきで構わないので、周囲の人に語りかけ、防災を身近なものとして感じる意識を広げていただきたいと思います。
医学には、コミュニケーションを通して健康への行動変容を起こさせる「ヘルスコミュニケーション学」という分野がありますが、一対一の語りかけは、行動変容を起こさせる上で極めて有効だということが明らかになっています。私は今、それを応用し、防災における行動変容を起こさせるための「防災コミュニケーション学」を確立させたいと考えています。
現代は、一昔前と比べて地域コミュニティーが働いていない場所が多く、コミュニケーションが生まれにくくなっています。その中で、人とのつながりをどう再生し、強めていくかを考えることはもちろんのことですが、まずは意識を持った一人一人が、自分の周囲の人に伝えていくことが大切ですし、将来的にはこの「防災コミュニケーション学」にのっとって、一人一人の行動変容を確実なものとしていけるように、力を尽くしたいと決意しています。
“やって当然”という雰囲気
――個人レベルでの働きかけに加え、社会全体でも“耐震化するのは当たり前”というような雰囲気をつくっていくことも大切だと思いますが、そうした方法はありますか。
一つのヒントとして、私は、社会における禁煙や減塩の推進の取り組みが生かせるのではないかと考えています。
今でこそ、公共の場でたばこが簡単に吸える環境ではなくなってきましたが、こうした社会の雰囲気をつくるまでには、長年にわたる地道な取り組みがありました。
1960年代の日本では、脳出血や脳梗塞、くも膜下出血が国民病で、この主な原因の一つが「喫煙」でした。どの職場でも、自分のデスクでたばこを吸うのが当たり前。当時は「病気になったら医者に行けばいい」という発想で、とても禁煙を推進できる雰囲気ではありませんでした。
そんな中、「健康増進法」の施行による分煙の開始をはじめ、自治体保健事業の活用や義務教育との連携、メディアを通じたイメージ戦略、税を活用した経済的誘導など、あらゆる手段を用いて今日までの社会通念を形成していったのです。
減塩の推進も同様で、ようやく「1日10グラム以下の摂取」ということが当たり前になってきました。ここに至るまでは、70年の歳月をかけて社会の当たり前を築いてきた努力があります。
防災も同様で、あらゆる手段を用いて“いつかやらなければ”ではなく“やって当然”という社会的な雰囲気を築いていきたいと考えています。
犠牲減らす一助に
――そうした雰囲気をつくっていくのも、私たち自身であると自覚することが大切だと思います。本紙では今後、災害研に所属する研究者の多彩な知見を紹介します。この企画が、防災行動に移る一助になればと思っています。
一人一人が私の周囲から変えていくとの思いに立てば、日本の防災は変わります。
災害研では、東日本大震災の教訓を未来に伝える取り組みとともに、地震や津波のメカニズムの解析を行って未来に起こる災害でどのような被害が起こるかを事前に把握するための研究や、“いざ”災害が起きた際に人命救助をするためのAI(人工知能)を搭載した災害対応ロボットの開発などを行っています。
また、IoT(モノのインターネット)を活用した災害に強い街づくりの研究や、被害予測をスマートフォンで受信し、位置情報をもとにどう逃げるべきかを示すアプリ開発等も進めています。このほか、非常時の地域コミュニティーのあり方に関する調査や、医学的な見地からの被災者ケアのあり方など、さまざまな分野で日々、災害から命を守るための研究を続けています。
今後、聖教新聞紙上で随時、そうした災害研の研究者が登場し、それぞれの研究内容を踏まえつつ、一人一人にどういった備えや対策が求められているのかを紹介いただきます。
一人でも多くの方に記事を通して、自らの防災に生かしてもらいたいと思っています。次に災害があった時、「この企画で学んだことが役に立った」「犠牲者が減った背景には聖教新聞があった」といわれるようなものにしていただきたいと願っています。
【プロフィル】
くりやま・しんいち 1962年生まれ。医学博士。専門は分子疫学、災害公衆衛生学。東北大学理学部物理学科、大阪市立大学医学部医学科を卒業。大阪市立大学医学部附属病院第3内科医師、民間企業医師、東北大学大学院医学系研究科環境遺伝医学総合研究センター分子疫学分野教授などを経て、2012年に東北大学災害科学国際研究所災害公衆衛生学分野教授に就任。2023年から同研究所所長。
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