「命を守る・人が死なない!防災士-尾崎洋二のブログ」生活の安心は災害への万全な備えがあってこそ。命と生活の安全保障を!

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大川小学校の悲劇に何を学ぶか-東日本大震災8年 宮城県議会超党派主催フォーラム

2019年03月27日 11時17分44秒 | 大川小学校の悲劇

大川小学校の悲劇に何を学ぶか-東日本大震災8年
宮城県議会超党派主催フォーラム(2019年3月23日)
「いかなる場合も子どもの命は大人が守る。
この悲劇を二度と繰り返さないことが、亡くなった74人の子どもたちがこの世に厳然と存在していたんだという証になる」(遺族-今野ひとみさん)

-このフォーラムに参加した尾崎のコメント:この教訓を真剣に活かして対策をとらないと、近々予想されている南海トラフ大地震(32万人の死亡者が予想されている)による子どもたち等災害弱者たちへの犠牲の予防ができないことになるのではないか?
抜本的な対策・訓練もしないまま死亡者が出た場合は「死ぬべきして死んだ犠牲者」となるので、それだけは避けるべきだ、と痛感しました。

公明新聞3月27日2019年 要点抜粋箇条書き

A-その日何があったのか

2011年3月11日14:46巨大地震発生。
大川小の子どもたちはは担任教師の指示で校庭に集合。
約50分の間その場に留め置かれ、移動を開始したのは15:35頃。
その直後に北上川を逆流してきた津波が押し寄せ、一瞬のうちに児童74人、教師10人が犠牲となった。

B-あの日から8年、明らかになったこと。

1-校庭待機中、防災無線が大津波警報を発令し、高台避難を呼びかけていた。
2-高学年の児童が裏山への避難を泣きながら訴えていたが、教員が許さなかった。
3-そして命運を左右した津波襲来の直前、教頭らは裏山ではなく、北上川右岸の堤、つまりは津波の来る方向へ誘導した。
4-校長は当日、私用で不在。三角地帯は防災無線が「絶対に近づかないように」と放送し続けた場所だった。
5-あの日は三陸沿岸部の小中学校は軒並み、津波に襲われた。だが、釜石市の釜石中や鵜野住居小、宮城県三陸町の戸倉小など大半の学校は素早く子どもたちを高台に避難させ、命を守っている。なぜ大川小だけが~。

C-遺族に対する市の説明

1-「津波や予想できなかった」に終始。
2-「第三者検証委員会の調査(2013年2月発足した)の調査も「校庭待機50分の謎」や、「三角地帯誘導のなぜ」に迫り切れなかった。
3-やがて保護者説明会は一方的に打ち切られ、その間。亀山紘市長からは「(児童の死は)自然災害における宿命。私ならそう考える」との不謹慎発言も飛び出した。
4-生き残った児童らの証言メモを市政委が廃棄するという”事件”もあった。

D-追い込まれた遺族はその後

1-「このままでは子どもの死が学校防災の礎にならない」と訴訟を決断。
2-地裁での審判を経て2018年4月、仙台高裁は市政委は学校の「事前防災の不備」と「組織的過失」を認め、74人の児童の命は「救えた命」と断定する控訴審判を下した。

E-パネラーの方の意見

1-平時から本番を想定し、実践的な防災活動を行うのは管理職の仕事。この追加さねが全生徒の命を救った。:村上洋子さん(釜石東中の当時の副校長)
2-釜石東中の事例は「奇跡」などでなく、助かるべくして助かったことが改めて分った。学校防災の本質は考えのど真ん中に子どもの命があるかどうか、この一点に尽きる。この事故を辛い、悲しいだけで終わらせず、教訓を未来に生かしてほしい。:佐藤敏郎さん(当時6年生だった娘を大川小で亡くし、現在は「大川伝承の会」共同代表の元中学校教員)

F-遺族の方の言葉

1-願わくば大川小問題を通し、この国の教育行政そものが変わってほしい。いじめによる自殺や虐待が表面化するたび、学校管理者や教育委員会が言い訳する構図は、大川小問題のそれと全く同じだから。:佐藤和隆さん

 

 

 

 

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