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「命を守る・人が死なない!防災士-尾崎洋二のブログ」生活の安心は災害への万全な備えがあってこそ。命と生活の安全保障を!

防災の第一目的は命を守ること。「あの人を助けなくては」との思いが行動の引き金となります。人の命を守るために最善の行動を!

避難行動の4つの指針を実践した兼信 陽二さん:「ドキュメント豪雨災害」谷山宏典氏著

2019年08月09日 10時34分58秒 | お薦め図書

避難行動の4つの指針を実践した兼信 陽二さん

1-    自分が暮らす地域の過去の災害歴や地理的な特徴を知る

2-    避難行動を起こす自分なりのルール、避難方法をあらかじめ決めておく

3-    大雨や台風のときには、自分から情報を取りに行く

4-    あらかじめ決めたルール・方法に基づき、避難行動を起こす

 

この4指針をとにかく、ひたすら、確実に、避難行動として、実行された兼信 陽二さん(真備町川辺地区)の事例を紹介します。

 

----「ドキュメント豪雨災害」谷山宏典氏著から要点抜粋箇条書き------

 

1-    兼信 陽二さんは、川辺地区の防災活動に関わるようになったのは、2011年のこと。

2-    2010年に町内会の会長となって、まちづくり推進協議会に参加し、防災研修会や避難訓練の手伝いもするようになった。

3-    川辺地区では過去に大きな水害が起こっているので、地区外への避難が重要なことは頭ではわかっていたが、いざ大雨が降って避難準備情報などが発令されても、「まあ、大丈夫だろう」と安心しきっている自分がいた。

4-    研修会でも「近所の人に声をかけて逃げましょう」という話がたびたび出るが、自分の町内を思うと「防災に関心がない彼らに声をかけても相手にされないんじゃないか」と考えていた。そんなもやもやとした想いがずっとあった。

 

 

転機になったのは、2015年の防災研修だった。P133

1-    その研修会で、釜石市の津波に関する石碑のひとつに刻まれた、地元の中学生の「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて!」という言葉を教えてもらった。

2-    この言葉を聞いたとき「これだ!」と腑に落ちた。

3-    避難をした結果、空振りだったとしてもいい。大事なのは、まず逃げることなんだと、素直に思えるようになった。

4-    逃げるためには、判断の基準を明確にしておこうと、ひとつには「避難勧告が発令されたら必ず逃げる」と決めた。

5-    また地元でのハザードマップでは、高梁川の堤防が決壊して浸水被害が発声する雨量として「2日間で248ミリの降雨」を想定していたので、48時間降水量も避難行動に移る判断基準とした。

6-    ハザードマップには、「2日間で248ミリの雨量」は「150年間に1回程度の確率」とも書いてあったので、兼信 陽二さんの中には「そこまで降ることは、まずないだろう」という想いもあった。だが、その150年に1回が現実になった。

7-    そんな状況のなかでテレビニュースを見ていたら、「真備地区全域に避難勧告が発令」という情報が飛び込んできた。「2日間の累加雨量が300ミリを超える恐れもある」との予測も出た。それを見た瞬間、兼信 陽二さんは迷いなく「すぐに避難しよう」と考えた。

8-    避難をする旨を妻に伝えたら、はじめは「え~」と反対された。息子も「僕は行かないよ」と、やんわりと同行を拒否した。しかし兼信 陽二さんは、まず妻を説得し、次いで「母さんは夜、車運転しないから、代わりにお前が運転してくれ」と息子も説き伏せた。

9-    避難勧告の発令が22時で、家族3人揃って車に乗って家を出たのが22時30分頃だった。

10-  向かった先は、避難場所としてあらかじめ決めておいた、倉敷市南部の玉島乙島にある妻の実家だった。

11-  そこへと至る道のりも、冠水の恐れのある道路をできるだけ避けて進んだ。

 

 

兼信 陽二さんの話でもっとも印象的だったこと p135

 

Q-1 避難するとき、身の危険を感じましたか?

 

A   避難を決断した際でも「身の危険はまったく感じていなかった」

  「雨はかなり降っていたが、危険を感じるほどではなかった。どこかの堤防が決壊するとも思っていなかった。

  逃げてはいるものの、危機感や切迫感はまったくといっていいほどなかった。

  女房と息子に至っては半信半疑・・・いや、半信すらなかったかもしれません」

 

 この言葉から見えてくるのは、人は危険を感じなくても、あらかじめ行動のルール(避難スイッチ:尾崎 注)を決めておけば、システマティックに避難できる事実である。

 

  兼信 陽二さんの行動や意思決定のプロセスは、正常性バイアスの罠を回避して、逃げ遅れを防ぐひとつの有効な手段となり得る。


生き延びるためにすべきこと-避難行動の4つの指針:ドキュメント豪雨災害

2019年08月06日 10時03分36秒 | お薦め図書

生き延びるためにすべきこと

 「ドキュメント豪雨災害」谷山宏典氏著より

 

避難行動の4つの指針

1-    自分が暮らす地域の過去の災害歴や地理的な特徴を知る

2-    避難行動を起こす自分なりのルール、避難方法をあらかじめ決めておく

3-    大雨や台風のときには、自分から情報を取りに行く

4-    あらかじめ決めたルール・方法に基づき、避難行動を起こす

 

この4指針をとにかく、ひたすら、確実に、守って実行してださい。
そうでなければ、自分自身と家族の命が守れません。

 


 「大きな被害をもたらした近年の主な台風および豪雨」の一覧表から学ぶべきことがあります。

1-    避難行動は単純に見えて、さまざまな要素が複合的に関わっている。状況に応じて適切に逃げることは、実は簡単ではない。

2-    注意・警戒情報だけでは、人は動かない。

3-    西日本豪雨の被災者に話を聞いて見えてきたのは、「危機感や恐怖心を持てば、迅速な避難ができる」と簡単には言い切れない現実があった。

4-    人間、特に安全に慣れてしまっている現代人に共通することとして、「行動の動機となる危機感や恐怖心を、いざというときに人はなかなか抱くことができない」という傾向がある。

5-    このような傾向に影響を与えているのが、「正常性バイアス」や「同調性バイアス」といった心理的な要因である。

6-    他者からの呼びかけや声がけがあれば、人は正常性バイアスの罠から抜け出せるかといえば、やはり絶対とは言い難い面がある。

7-     迅速かつ適切な避難はむしろレアケースであり、逃げ遅れることの方が当たり前。

8-    人は本質的に逃げない—災害時のよりよい避難、すなわち自分や家族に命を守る術を見出すには、まずこのことを理解し、出発点としなければならない。

 


正常性バイアス

 私たちの心は、予期せぬ異常や危険に対して、ある程度、鈍感にできているのだ。

日常の生活をしていて、つねに移り行く外界のささいな変化にいちいち反応していたら、神経が疲れ果ててしまう。

そのようなわけで心は、“遊び”をもつことで、エネルギーのロスと過度な緊張におちいる危険を防いでいる。

ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理するようになっているのである。

 このような心のメカニズムを正常性バイアスという。

 

インフラへの過信も、正常性バイアスのひとつである。

インフラを信頼し過ぎるあまり、「この地域はもう安全だ」「災害は起こらない」と思い込んでしまうのは、やはり正常性バイアスの罠にはまっていると言わざるを得ないのである。 

 

同調性バイアス

他人とは違う行動はとりたくない。

目立った行動はしたくない。

近所の人は誰も避難していなかったから、避難しなかった。

人にはそうした心理的な性質も備わっている。それを同調性バイアスという。


「自分たちの命は自分たちで守る」という自立した自主防災組織と行政との理想的な連携を!

2019年07月30日 12時02分35秒 | お薦め図書

「自分たちの命は自分たちで守る」という自立した自主防災組織と行政との理想的な連携を!

推薦図書:「ドキュメント豪雨災害-西日本豪雨の被災地を訪ねて」

谷山宏典氏著(山と渓谷社)

2018年の西日本豪雨(6月28日~7月8日)は、死者237人行方不明者8人、負傷者433人を出す大惨事となりました。

犠牲者の7割が60歳以上の方です。

 

岡山県真備町では51人の方が亡くなりました。

犠牲者の9割が60歳以上の方で、さらに8割が70歳以上の方です。

真備町ではハザードマップで浸水被害予測を指摘していました。それなのに指摘した通りの浸水被害が発生し、犠牲者が多数出ました。

 

著者の谷山氏は、この厳しい現状を踏まえて現地訪問し、「人はなぜ逃げ遅れるのか」、「生き延びるためにすべきこと」といテーマを掘り下げていきます。

 

8000メートル級の登山をされた経験のある谷山氏は、「人間の都合を山に持ちこんではいけない」という言葉を戒めとしています。

人間の都合を大自然や大災害に持ち込んだ時、そこに隙が生まれて、遭難や、災害被害の危険性も高まるという視点で、我々読者に問いかけます。 

 

現地訪問の中で、「人とのつながりを土台」としての災害からの避難成功例や、「町と人との再生」事例を紹介しています。

 

豪雨、河川氾濫による水害、さらにアルミ工場大爆発という二重災害の中でも、自主防災組織の普段の避難訓練の経験を活かし、全住民350人の避難を完了し、犠牲者ゼロを達成した岡山県総社市下原地区の事例は、私たちが謙虚に学ぶべき教訓になります。

 

下原地区における自主防災組織のリーダーである、川田一馬さんの活躍を支えた地元のメンバーの方々の意識の高さにはまさに学ぶべきものがたくさんあります。やはり形式的な訓練を年に1回行うだけの自主防災組織であってはならないと痛感させられます。

 

「人はなぜ逃げ遅れるのか」-第二章

 第二章における構成は、次のような順番になっています。

「生活圏が危険地帯に変貌する」→「情報だけでは人は動かない」→「正常性バイアスとは何か」→「インフラへの過信」→「プラスにもマイナスにもなる同調性バイアス」→「声かけ避難も万能ではない」。

 

「情報だけでは人は動かない」と「声かけ避難も万能ではない」の項目は気になるところです。

 

「生き延びるためにすべきこと」-第三章

 第三章における構成は、次のような順番になっています。

「避難行動の4つの指針」→「真備町川辺地区・兼信洋二さんの避難行動(身の危険を感じていなかったが、あらかじめ行動のルールを決めておいたので、システマティックに避難できた)」→「その避難経路・避難場所は安全か」→「自主防災組織は有効か」→「総社市下原地区の自主防災活動」→「本気は伝わる」→「犠牲者ゼロでも課題はある」→「ITを活用した新しい共助のあり方(広島市安佐北区可部東・新建団地:これららの共助のモデルケース)→「本番でも活用された安否確認システム」→「最善を求め続ける」

 

 自主防災組織を設立して活動すれば、おのずと地域の防災意識が高まり、いざというときに迅速な避難ができるわけではなく、問われるのはやはり組織や活動の内容や質です。

 

 総社市下原地区の避難訓練は、他の多くの地域が陥りがちな“形だけの訓練”、“訓練のための訓練”とは対極的です。

 

 月1回のペースでミーティングを開催して訓練内容を検討。
「大洪水」や「地震」など特定の災害を想定して訓練を実施したほか、2016年には「夜間」の避難訓練も行った。

 訓練日が悪天候だった年もあったが、中止することなく、あえて「雨のなか」でも訓練も決行。

 毎年、社会福祉協議会から車椅子を3台借りて、要配慮者をどのように支援するかの模擬訓練も行っています。

 

「理想的な住民と行政の連携:総社市役所と下原地区」

最後に、理想的な住民と行政の連携を「総社市役所と下原地区事例」で紹介します。

1-    発災時、市の対策本部から全戸避難の指示が出されたとき、市が公用車6台を出して住民の避難行動を支援した。

2-    避難指示が解除された5日後の7月13日には、下原公会堂に社会福祉協議会の災害ボランティアセンターサテライトとともに、市災害対策本部下原出張所を開設。部長クラスを含めた3,4人の職員を常駐させた。
市役所まで行かずとも、住民たちが罹災証明書の発行手続きやもろもろの相談ができる体制を整えた。

3-    市長がSNSで呼びかけて、災害ボランティアを集めた。
14~16日の三連休には、1日500人ものボランティアが全国から集まり、瓦礫撤去を集中して行った。

4-    その後も、市が災害応援協定を結ぶ全国の自治体職員や、国際医療NGO「AMDA(アムダ)」の職員が」一般ボランティアや近隣の住民、消防ボランティアとともに下原地区を訪れ、復旧作業を急ピッチで進めていった。

 

なぜ下原地区では行政と住民(自主防災組織)が協力体制を築くことができたのだろうか?

 

1-    下原自主防災組織は、日頃から防災活動に熱心に取り組んできた。

2-    災害時の対応は往々いして行政依存に陥りがちだが、川田さんは「われわれは行政を当てにしてはいません」とはっきりと言う。

3-    いざというときに備えて、避難経路の整備や安否確認表の作成、避難訓練などを行ってきたのも、「自分たちの命は自分たちで守る」という自立した姿勢ゆえである。

4-    基本は自分たちで主体的に動きながらも、たとえば避難訓練の際には市の危機管理室の職員に事前に相談に行ったり、必ず案内を出して当日参加してもらったりしている。
日頃から行政とのコミュニケーションはしている。

5-    行政から住民への一方的な情報の伝達ではなく、キャッチボールができている。

6-    協力体制は互いが自立していてこそ成立する。
災害後の復帰作業において、下原地区の住民が行政におんぶに抱っこではなく、役割分担をしながらスムーズに動けたのも、彼ら自身が「自分たちのことは自分たちでやる」という自立した意識を持ち、行政と意見のキャッチボールができきる信頼関係を築けていたから。

 

まとめ

 下原地区のような自立した自主防災組織と総社市のような行政との連携がぜひ全国に広まって欲しいと思いました。
 安全や防災は、他人(ひと)まかせでは不可能なことです。
 自立した人どうしが「本気」で「持続」の連携を行ってこそ成り立つもの、と実感させてくれる著書でした。


お薦め図書-「人が死なない防災」片田 敏孝 氏著

2018年11月06日 10時46分19秒 | お薦め図書

片田 敏孝 氏(東京大学大学院特任教授)著者
「人が死なない防災」
集英社新書¥760
要点抜粋箇条書き

 釜石市内の14の小中学校、の約3000人の子どもたちが生き抜いてくれた。

小学生1,927人。中学生999人(合計2,926人)のうち、津波襲来時に学校管理課下にあった児童・生徒については全員無事。ただし、学校管理下でなかった児童・生徒のうち5名が犠牲になった。生存率は99.8%。

 釜石全体では死者・行方不明者が1000人を超えた。小中学生の親たちで、犠牲になったのは30数名。「てんでんこ」が有効に作用した?「一人ひとりが自分の命の責任を持つ」、そして「それを家族が信じ合えている」。

1-想定にとらわれるな。
2-最善を尽くせ。
3-率先避難者たれ。

 子どもは、与えられた環境の下で自らの常識や行動規範を形成する。そして、避難しない環境に育った子どもたちを、いつの日か津波が必ず襲う。釜石の小中学校の先生方は、その事実に気付かれたのである。p10

防災教育のファースト プライオリティは、人が死なない防災を推進すること。生き残ること。

 自然に思い切り近にづいているということは、時に、自然の大きな振る舞いに直面するということです。すなわち自然に近づくということは、その恵に近づくと同時に、その災いにも近づくということなのです。

 防災は100年確率:自然の営みというのは100年とか200年とか、そのくらいの間隔で見なくてはなりません。

 想定外:この言葉の裏側には、「想定外だから仕方がない」というようなニュアンスが隠されているように思える。果たして想定外で片づけていいのだろうか?

 関東平野はどうやってつくられた。利根川は荒川の大氾濫。その川の氾濫による平野形成の場に人がいたならば、それすなわち被災となる。これは想定内。
 際限のない大災害を「想定する]ことは無意味。

 防災は「防御の目標を置く」:これくらいまでの規模の災害からは守ろうよ、という目標を置くこと。

 しかし災害というものは、防災の基準レベルを超えてくるから災害になる。だからあらゆる災害は「想定外」ともいえる。

 想定1-相手は自然なのだから、あらゆる事態は想定可能という意味での「あり得ることとしての想定」
 想定2-100年確率というモノサシに基づいた「防災行政における想定」なのか。
 想定3-津波防災の場合は、「確かな記録に残る過去最大級の津波」を指標とする。

 田老や釜石などの東日本大震災で被災した地域は、「想定外」だったから被害を受けたわけではありません。また「想定が甘かった」わけでもありません。そうではなくて「想定にとらわれすぎた」のです。

 東日本大震災によって顕在化したのは、防災がはらむ裏側の問題です。それは、防災が進むことによって、社会と人間の脆弱性が増し、住民を「災害過保護」ともいうべき状態にしてしまうという問題にほかなりません。p47

釜石市のハザードマップは、何のために配ったのでしょうか。浸水想定区域のラインの外に住む人たちを死なせるためでしょうか。そう言いたくなるような「状況が、ここにある。まさに「想定にとらわれすぎた」がゆえの悲劇。

 我々は災害にどう対応すべきなのか。それは、「大いなる自然の営みに畏敬の念をもち、行政に委ねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」ということに尽きる。p51

 「正常化の偏見」:認知不協和(わかちゃいるけど・・・)
「自分は大丈夫」と一生懸命思いこもうとする心の作用。自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりして、「いつもと変わらず正常である」と心の状態を保とうとする、人間の特性。
 最初に届いたリスク情報を無視する。

 防災教育の本質
「脅し」「知識」はダメ、大事なのは「姿勢」p78

人間は脅えながら生きていくことなんてできません。
人間というのは、都合の悪い話は積極的に考えようとしない。
(交通事故5000人は自分と関係ないが、宝くじに1等が5000人、買ったとたんに、なんだか当たりような気がする)

 人間とはそういうものであるということを知った上で、せめて、「その日、その時」だけは合理的な行動をとりましょう、それがこの土地で生きるための作法です、と説き聞かせることが、防災教育。

外圧的に形成される危機意識は、長続きしない。
与えられた知識は、主体的な姿勢を醸成しない。また知識を与えられることによって災害のイメージを固定化し、その災害イメージを最大値にしようとします。それが「想定にとらわれる」ことにつながってしまう。

 災害文化再生プロジェクト-地域の共通の知恵というのは、表現を変えると「災害文化」ということです。

 東日本大震災で多くの犠牲者が出た理由
1-想定に縛られていたしますため、十分な避難をしなかった。
2-身体的理由から避難することができなかった。
3-状況的に避難することができなかった。
子どもたちを守るためには、学校・家庭・地域の連携が不可欠:子どもたちが学校にいる時間は、1年という期間のたかだか5分の1、20%。

お時間があれば参照して下さい。→
「防災は命を巡る問題であり、そこに及んで議論して初めて実効性を伴う」片田敏孝氏
https://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei/e/5141c54b3ff34bbf9050328beaa48059