元サラリーマンの植物ウォッチング第6弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part6
番外編・8~ニホンザル1
多摩森林科学園“第3樹木園”で見掛けた「ニホンザル(日本猿)」。オナガザル科マカク属の霊長類で園内にはサル出没の注意看板がある。まさか実際に野生のサルが見られるとは知らず散策路を進んでいると遠くで何か動いたものがあった。野鳥かなと思ったがしばらく進むとサルが遠くに見えた。写真のロープと白札は観察路沿いのものでそこは人が普通に歩く道になる。すぐ近くにも数匹のサルがいる。ここは樹木園の一番奥で私以外には人はいない。サルが集団で襲ってこないかと少し不安になったが山道を進むうちにその姿は皆消えてしまった。
さて多摩ニュータウンの南大沢(旧由木村)から北野や八王子中心部に向かう丘陵地に標高160メートルの“野猿峠(やえんとうげ)”がありそこを通る都道160号線は“野猿街道”と呼ばれている(野猿街道の八王子市下柚木交差点から東の国立市青果市場東交差点までは国道20号府中相模原線)。“野猿峠”は古くは“猿丸峠”や“猿山通り”と呼ばれ峠で馬や牛を休憩させる水飲み場があった。昔はその辺りにも野生のサルがいたのだろうと思っていたらさにあらず。野猿峠の名の由来には諸説あるようだが、戦国時代の滝山城城主・大石定久が亡くなった後、現在の下柚木辺りに葬られた。大石家に由来するものは由木城跡、殿ヶ谷戸、御嶽神社、大石やかた公園などいくつかある。その墓が武甲山(埼玉県)を遥かに望む峠にあったためそこを武甲山の名を冠して“甲山”と呼ぶようになった。そしていつしか“甲”の字が“申”と読み誤られ“申山”となりその後“猿山”→“猿丸峠”→“野猿峠”となったという。京王線北野駅付近の打越交差点では地元の不動産屋の大きな看板があり『“野猿”を“のざる”と読むべからず』とある。野猿峠にサルはいなかった。
さて多摩ニュータウンの南大沢(旧由木村)から北野や八王子中心部に向かう丘陵地に標高160メートルの“野猿峠(やえんとうげ)”がありそこを通る都道160号線は“野猿街道”と呼ばれている(野猿街道の八王子市下柚木交差点から東の国立市青果市場東交差点までは国道20号府中相模原線)。“野猿峠”は古くは“猿丸峠”や“猿山通り”と呼ばれ峠で馬や牛を休憩させる水飲み場があった。昔はその辺りにも野生のサルがいたのだろうと思っていたらさにあらず。野猿峠の名の由来には諸説あるようだが、戦国時代の滝山城城主・大石定久が亡くなった後、現在の下柚木辺りに葬られた。大石家に由来するものは由木城跡、殿ヶ谷戸、御嶽神社、大石やかた公園などいくつかある。その墓が武甲山(埼玉県)を遥かに望む峠にあったためそこを武甲山の名を冠して“甲山”と呼ぶようになった。そしていつしか“甲”の字が“申”と読み誤られ“申山”となりその後“猿山”→“猿丸峠”→“野猿峠”となったという。京王線北野駅付近の打越交差点では地元の不動産屋の大きな看板があり『“野猿”を“のざる”と読むべからず』とある。野猿峠にサルはいなかった。
コメント ( 12 ) | Trackback ( )
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もしももっと集団でこっちを見ていたら・・・
そんなことを思うと不安になりますね
ちょっとドキッとされたでしょう
「野猿峠」の名前の由来 複雑で奥が深いなって思いました。
やはり怖いですよね。
野猿街道は通ったことがありますが、猿が出るからだと思っていました。
そういう由来があったのですね。
私もそろそろ行こうかと思っていましたが、ちょっと怖い。
数日前、息子から高尾山猿園のチケットをもらいましたが、
野生の方がいいですね。でも確かに襲われると怖い。
「野猿を のざると読むべからず」看板知っています。
おはようございます
野生の動物は、怖いですね
私は、申年生まれですが、どうも馴染めません
10数年前に小豆島の寒霞渓近くで、沢山の猿に出会いました
車の中から見ているので、怖くはないですが
散歩の途中などで会うとビックリしますね
先日、トビ(?)だったでしょうか
鳩を捕らえている姿を見ましたが、悲しい出来事でした
この世の中、まったく何が起きるか予測が付きませんね。